2019年12月03日

最終話 ──神が愛するのは誰?! み言:愛よ永遠に 《蝶野部長11》



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「私は夫からとても愛されたので、
とても幸せに感じ体が傷つくほど愛されました。
ただ神様に感謝し、万民に感謝します、
と言いながら生きてきました」と答えれば、
神様は「ほほう、
そんなに愛されたのか」と言って喜ばれるのです。
神様はあなたに関心をもち始めることでしょう。
そして、
「私は初めてそのように本当に愛された人間を見つけた」
と言われるでしょう(笑)。

愛よ永遠に
1984年1月22日
お父様のみ言より


蝶野部長の夫婦講座、
今回が最後になります。


最後にお父様のみ言1984年の「愛を永遠に」を
読んでみましょう。

神様が、祝福家庭に対してどんな愛の心親心をもってみつめておられるか、
このみ言を通してよくわかります。
(訓読・下記、上記)

めちゃくちゃ愛された人を神様が喜ばれるのです。

「だったらあなたは愛するのよ、これが証拠よ」
そんなこと思った人・・・

愛する側に立ちたいか、愛される側に立ちたいかということです。
アボジは愛する側に立ちなさいということを言いたい。
愛した旦那さんを(神様は)もっと愛する。

相手の性質に人格能力に主管されることが多い。
たくさん配偶者から真の愛を受けた人を喜ばれるということは、
愛した側がどれほど神に近いか。

だったら何もない配偶者が何もなくても、私もたくさん愛されて
神様ありがとうございますという、妻に愛された男、女を見てみたい。

愛の発露、神様を喜ばせたいという信仰基台の力からくる。(縦軸)
相手の長所を見て愛するというのは横軸、この世のものです。

常に、原罪が清算されたということで胸を張るのではありませんね。

中身を作っていくために、私たちをなぜ祝福されたのか、
神の愛、親心に夫婦で帰っていって、配偶者から、真の父母様、天の父母様の愛を
言葉の一つ一つに感じながら、相手を天的な価値として対しながらいくと、
それは素晴らしい夫婦になっていきます。

それが本当に祝福のブランド化できるということです。
血統転換される、(それが)ブランド化だというフレーズがあるんだけど、
中身がないのにブランド化が…というのは
おかしいと私は思います。

なんでこんな愛ができるかという中身を、無原罪であれば、祝福家庭であれば、
私たちが作っていって、ブランドかどうかは私たちが言うものではない、
この世の人がそれを見てくださる、
そのような夫婦になっていきたいと思います。



お父様のみ言(下記、全文)の背後に、
愛される妻を喜んでいる夫の姿を見た、
蝶野部長の心情は素晴らしいと思いました。

夫婦というのは、平行な立場ですから、
お互いを要求したらキリがないですね。
しかし、父母の心情で接していくなら、
これほど素晴らしいことはないというのです。
だからこそ、「永遠のテーマ」だとも思うのですが。。。

神様に喜んでいただける夫婦となるべく、
切磋琢磨しなければ、と思います。

蝶野部長の講話は本当に学ぶところが大きいです。
妻の書き起こしに感謝しつつ、
機会があれば、投稿させていただきます。
ありがとうございました。



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愛よ永遠に
1984年1月22日

皆さんは真の愛に出会って、本当に強く抱き締められ、また強く打たれて惨めなくらいに愛されても、「それでも構わない。それくらい愛されたい」とそう思ったことはありますか。「もしそうなれば、どれほど幸せだろう」と考えたことがありますか。そういう女の人はどれほど幸せな人でしょう。
もし皆さんが霊界に行くと、神様から「この小さなアメリカのムーニーよ、あなたは地上で何をしてきたのか」と聞かれます。それに対して、「私は大したことをやってきませんでした。ただ夫からとても愛されたので、とても幸せに感じ体が傷つくほど愛されました。ただ神様に感謝し、万民に感謝します、と言いながら生きてきました」と答えれば、神様は「ほほう、そんなに愛されたのかと言って喜ばれるのです。「あなたは小さいが素晴らしいアメリカの女だ」と神様はあなたに関心をもち始めることでしょう。そして、「私は初めてそのように本当に愛された人間を見つけた」と言われるでしょう(笑)。
それはどれほど素晴らしいことでしょうか。皆さんはどうですか。それは好きですか、嫌いですか?(好きです。)どうですか?先生はそのような女性が好きですよ。皆さんはどうですか?(はい好きです!)

先生もお母様にそうしてあげたいのですが……(笑)。人は真の愛の主管を好みます。今日は何ヵ月間も話をするほど話があるのに時間が過ぎてしまいました。
──私たちはどうすれば神様を身近に感ずることができますか?神様を私の家に迎え入れることができ、わたしの肉から、細胞から、心から離すことのできない愛の神様であるということを知る時、どれほど幸福でしょうか。神様はただ単にロゴス(全知全能)の神ではなく、愛の神様なのです。だから人間は神様の完全なる対象であり、愛の対象なのです。主体が神様であるので私がいなければならないのです。神の愛の前には私が必要であるという特権、人間がもっているこの特権を誇らなければなりません。どれほど素晴らしいことでしょう。そのような人間はどれほど価値のある人か考えてみなさい。分かりますか?

皆さんは希望をもってさらに神の真実なる愛の圏内で走り抜きましょう。どうですか。どれほど素晴らしい私たちでしょう!正に「愛よ永遠に」です。そのような永遠の愛をもつことがいかに素晴らしいことでしょう!
では、真の愛の中で神様の真の対象となるように努力しますと決意する人は手を挙げてください。



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posted by ten1ko2 at 08:07 | Comment(0) | 夫婦講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月08日

「神様がこの人を通して、私を愛している」 葛藤する原因は私 《蝶野10》



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蝶野講師の夫婦講座──

夫婦はお互いが貴い神様の半分であり、
すべてに「天の配在がある」
だから相手からくる言葉は、神様からのメッセージ。。。

いよいよ、お話も佳境に入ってきました。


だから自分の蕩減の情報なんですよ、(夫婦が)葛藤することは。

で、そこをね夫婦でたまにどこか行って、
何かルールを決めた日を作って、
ぶっちゃけ話、お互いの話を大切に聞くのです。
(相手が)どんなことを言っても、(ただ聞くのです)。

相手が話す時には相手を主体として言い訳したい時も全部大切に聞く、
ということをやればいいんですよ。(生活ハンドブックに掲載)

で、そういうことをやっていくと心理学的には楽になるというか、
わかり合えるんですよ。

でも最後は信仰と言うか、神様がこの人を通して私を愛している
というところにいかないとね、他のものでおさめた場合には、
じゃあ世の中の心理学の方がいいのかな、とかいうお話になってくる。


これで2世が離れているんですよ。
原理では難しいがこの世のカウンセリングの方がいいぞといって、
原理では復興しないからそっちに行くと言っているんですよ。
原理がわかってないわけですよね。

離れた2世と面談したらそう言っていました。
「アボジはすごいと思うが
ボクを解放してくれない。祝福よりこっちの道に行く」というのです。
あー全然原理が伝わってないな、と思います。


結局、神様の愛と祝福家庭の父母の愛と、
配偶者を通して神の愛を感じていくという縦軸がない。

この世のものは横軸を使うものですから、
(でも、それは)自分の霊人体の成長にはならない。
心理学的にはおさまるんですが。

蘇生、長生、完成を、本当に親心の中に入って、完成実体になっていく。
だから「恩讐を愛する」ことはできるということです。

ですから、信仰基台の中身を復習していかなければならないということを思いながら、
夫婦においては配偶者の価値をもう一回原理的に整理して、
一緒に愛によって一つになっていきたいなというふうに思います。



最近の祝福家庭は、『とても似ている。
兄妹みたいだ』そのようなカップルが多く、
草創期の先輩たちは、『極と極』
そのように言われることがありますね。

蝶野講師は、3万双家庭なのですが、
『極と極』なのだそうです。
物事も見つめ方も全く違っている、と言います。

以前も書いたような気がしますが、
そもそも男性と女性は、『別の生き物』
というくらい異なる観点が多いです。

それで、葛藤することもあるとは思いますが、
蝶野講師が言われるように、
葛藤する自分に原因がある、ということを
悟ることが重要だと思います。

「ここを変えてほしい」と相手に要求する自分なのか、
「自分に問題がある」と悔い改める自分なのか、
結局は、神様を中心とすれば、一つになるのです。
私自身が親心、神様の心情に立つ、
そのことが大事なのだと思うのです。

言葉で書くのは簡単ですが、
実践する者にならないと、ですね。。。






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posted by ten1ko2 at 09:52 | Comment(0) | 夫婦講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月20日

〇には数億の×が入ることができる! 堕落した「×の世界」を天国に 《橘先生》



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世界巡回勝利記念祝勝会 天苑宮天苑教会出征式 (2019.10.13)☆



「バツの世界にはマルが入る場所がありません」

この表題に目が留まりました。
橘先生のコラム、夫婦愛を育むより、紹介します。


「堕落した世界は、マル(○)の世界ではなく、
 バツ(✕)の世界です。

 マルには数億のバツが入ることができますが、
 バツの世界にはマルが入る場所がありません」


(『真の父母経』1494頁13)
真のお父様が2009年5月5日に語られたみ言です。

以前にこの部分を訓読した時は深く考えることもなく読み進めたのですが、
今回は心に留まりました。

そこにはマル・バツに関するそれ以上の説明がありませんので、
これから先は私個人の解釈・受け止め方として読んでいただくようお願いします。


マルは相手を受け入れ肯定すること、
バツは相手の不足部分に目を向けて否定すること、と感じました。

相手を受け入れれば、相手の不足部分が見えても許容し成長を待ちます。
マルにはバツが入れるのです。

愛から受け入れることもあるでしょうし、
受け入れていく中で愛が育つこともあるでしょう。

でも、相手の不足部分に気を取られていると、葛藤し、愛せません。
良い部分(マル)すら見えなくなりがちです。


西洋社会を舞台にした物語を読んでいると、同じクリスチャンでも、
彼はA教会、彼女はB教会と、しばしば宗派の違いが出てきます。

そんな中、「義理の母はC教会に所属していて、厳格で裁きやすい人だったので、
反りが合わなかった」という表現に出合いました。

どこかで聞いた話のように感じるのは私だけでしょうか。


私の親しい友人の嫁ぎ先は、夫だけでなく義理の母や姉も
同じ信仰を受け入れていました。
それを聞き、「良かったね」と送り出したのを覚えています。

が、やはりその環境なりの苦労があったようです。
異なる生活習慣などから来る一般的な義理の家族との葛藤に加えて、
信仰面から来る難しさがありました。

より信仰熱心な側が、自分の基準を相手に期待(無言の要求)するのです。
当然その期待に添わなければ、失望し、その波動は相手に伝わります。
相手は「裁かれた」と感じることもあるでしょう。

信仰が、一歩間違えばバツを生んでしまうのです。
夫婦間ですら、信仰姿勢の違いで闘うのですから、
ましてや義理の親や兄弟となると余計に難しいことと想像します。


幸せな家庭づくりを通して理想世界実現を目指す私たちは、
まずは家庭の中でこそ、真理をもって裁くことのないよう、
バツを付けることのないよう自戒し、
柔らかい心で相手を受け入れることを心掛けていきたいものです。

私たちが復帰しようとするのは、
創造本然の世界、マルの世界なのですから。

夫婦愛を育む 87
「バツの世界にはマルが入る場所がありません」
ナビゲーター:橘 幸世


表題の文言は、橘先生の言葉でなく、
お父様のみ言だったのですね。。。

お父様が言わんとされていることは、
橘先生の解釈でいいのだろうと、私も思います。

お父様は「〇」と「✕」という文字を使って、
心の受け入れる度合いを見事に表現しておられます。

このように考える人は、お父様以外にはいないのではないでしょうか。
まさに、「言葉の天才」です。

先生は、西洋の家庭を例に取り上げておられましたが、
これは、かつての私たちにも当てはまるような内容だと思います。

昨日、み言を訓読しているとき、
1992年、イスラム教の信仰を持つ人たちが、祝福を受け
そのあと、3万双の時から、「祝福の世界化」が始まった。
そんな部分がありました。

すでにその時から、お父様は祝福を受ける人の資格を
家庭連合(当時は統一教会)の信仰を持たなければ、
祝福を受けることができない、ということでなく、
真の父母様を受け入れていれば、受けられる、
そのように変えていかれたのでした。

足りない私たちを「〇」として受け入れてくださっている
真の父母様に、改めて感謝したいと思うのです。





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