2019年10月03日

相手の言葉は、神のメッセージ、これは創造原理or復帰原理?! 《蝶野部長・夫婦講座9》



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蝶野部長の夫婦講座。
続編です。


で、そこ(相手の何か)にえーっと思うということは、
それは自分の中にあるものなんです、わかります?

「これこれこうなんです、おかしいと思いません?」と
うまいこと言うんです、女性って。
ご主人を悪者にします。

自分がいいということを言いたくて相談に来ているのですから
一方の話を聞いたらそうですが、
よーくご主人の方に聞いてみるとこれは奥さんかなと、
人間って都合がいいですね。

口から出るのは、みんな自分の自己正当化だってことはよくわかるんですね。


でもね、俯瞰(ふかん)してみた時に、
お互いのテーマを克服するためにお互いの個性があるのかと。
(精誠篇ではその話をしています。)
自分が引っかかることはその人の罪の内容がある。
清算するためにある。

教区長の話のここに引っかかる人、横に座っている人は「別に?」
一言一言にいちいち引っかかる人と、全然気にならない人、
この壁紙は…ということばかり気になる人、その人の癖があるのです。
清算するために気になるようになっている。。。

夫婦で神になるため。

自分が成長して完成実体にならなければならないということは、
自分のクセを愛に変えるために、相手の性質があるんです。

こういう話を、「神様を中心に夫婦が一つになるんですよ」
というみ言だけでぱっと悟るべきなんですよ、そこまで。
この説明、本当はいらないんですよ。

しかし私たちは原理を人に適応し、
信仰とか神様というものが吹っ飛んでしまって、
男女の違いを学ばなければ、心理学的に心を開くことができなかった。。。


一方の話を聞いたら
本当に苦労してきて、父母様のみあとを慕って、
家を捨てて献身して摂理に貢献しながら残るものは何でしょうか。

夫婦で完成実体になろうとするものだけは残さなければならない。
夫婦で裁き合って、何が残っているのかということになるかと思います。

ぜひ創造原理の価値からもう一度夫婦を見直して、
一つになっていけたらいいなと思います。


相手からくる言葉は、すべて神様からのメッセージですねこれ。
創造原理か復帰原理ですから皆さん。

「お前を愛しているよ」というのは、創造原理だから。
「お前、もうちょっと化粧何とかしたら」というカチンとくる言葉は復帰原理です。

創造原理は愛のためでしょ。

復帰原理も愛を復帰するためですが、
なぜそんなことをぐさっとくること言うかな、
しかもそれを人の前で言うかな、ぽそっと言えばいいのにというムラムラが出てくる。
それは実はわたしの為にあるんです。

だからわざわざ人の前で言うデリカシーのない人が配偶者になっているんです。
それはわたしの為なんですよ。
そういう蕩減がない人は、そういう体験がないです。別なものがあるんです。

配偶者からわいてくる私の心を、神様からのメッセージだととらえなさい
というのはそのためです。


光の子園に昨日行ってきましたが、村上先生も言われていますよ。

子供がね、泣き叫ぶこと、
子供からバカとかウンチとか死ねとか殺すとかいう言葉がでてくる、
でもそれはすべて神様の言葉だと分かっていらっしゃるのです。
すべて原理的に歩むと分かって来るというふうに思うんですね。

まして私たちは夫婦、親子で一つになり、夫婦で神様にならないといけない。
親子で一つとなって天国にいく。

神様の実体は、親子ではなく夫婦ですよ。

相手から感ずるものを謙虚に受け止めながら、
私の愛のためにいてくださる貴い神様の半分、私の神様だ、
と価値視して接すれば、
すべての言葉、しぐさ、いろんな欠点というものも、
愛という性質の基盤の上に昇華しながら、
またそれを相手から感じる時、もっと相手からの愛もくるでしょう。

そういう原理に帰って夫婦で出発していけたらなぁと思います。



人間関係の中で、夫婦関係というのは、
特別な関係です。

夫婦が一つになることは、神様になることである、
お父様のこのみ言は、あまりにも衝撃的です。

先日、ある伝道部長が証しをしていました。
前線メンバーたちに伝道を勝利させようと思い、
家庭書写会で復興している高崎家庭教会に研修に行きました。
そこでの出来事です。

「伝道を勝利させたいと思って、
副教会長にどうしたら勝利できるか質問しました。
そうしたら、衝撃的な答えが返ってきました。
『妻を100%愛することですよ』」

伝道部長は、なんでそうなのか、よくわからなかったけれど、
実践したそうです。
具体的な内容は、省略させていただきますが、
妻を愛することは私の責任だと思っていく中で、
要求の思いがなくなり、心情が転換されたといいます。

家庭を犠牲にして、み旨に投入する時代から、
家庭を愛し、配偶者を愛することがみ旨である、
そのような時代がやってきました。

私も妻といざこざがあったとしても、
このブログがあるおかげで、
軌道修正させていただいています。

夫婦が一つになり、神様を証ししていきたいですね。。。




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posted by ten1ko2 at 11:47 | Comment(1) | 夫婦講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月22日

一つになるため、私がガマンすれば。。。 これは違う! 《蝶野部長・夫婦講座8》



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蝶野部長の「カップルセミナー」
続編です。


夫婦のいろんな講話という形でやっていく時にですね、
「わかりました、じゃ夫婦がひとつになります。
じゃあ私が我慢すればいいんですね」
という霊界に入る方もおられるんですね。

けなげでいいんだけど、
ただ、我慢ってよくないですね。
(かといえば、それを聞いて)羨ましいっていう人もいますね。
「でもうちもそれくらい我慢してくれたら、俺もがんばるのにな」

県民性もあるからね、データはありませんが。
県によって違うね。ここ(千葉について)は知らないですね。

(たとえば)妻が「あんた!」なんて言って、
ここはとても男性が信仰的だなぁと(という県があります)。

そしてある県に行くと、男が仁義なき戦いのようで、
妻の方がぐっとこらえるんだけど、時々我慢できなくなってドッカ―ンみたいな。。。
男性が強くて、女性は「私さえ我慢すれば」と、
自分のセンチメンタルな世界に入っていって、
「これが信仰よ、お父様〜」みたいなね。


でも親、神が見たいのは、夫婦が一つになっているのを見たいんですよ。

という話をしたら私が我慢して一つになろう
という話になる(のですが、そうではありません)。

だいたいどっちかの意見が強くて、最後どっちかが折れて一つになる、
というのは一つになっていないからです。

「いやーご夫婦で話されないんですか」と聞くと、
「いつも主人が切れる寸前で、私が折れるようにしています」

喧嘩にならないのはどっちかが折れているから。
それは子供は感動しませんよ、ということです。(この内容は世界家庭に掲載)
それは結局一つになっていないのです。
どっちかが我慢して一つになるというのは、一つになっていないということです。

なんでそうなる?
私さえ我慢すればというのは情が離れているのです。
つまり二つになる取り組みなんです。
どちらかに合わせるということが一つになることではありません。


意見が合わないからこっちかが我慢する、これは愛でも何でもない。
でも喧嘩はない。。。
喧嘩がないからよいわけではないです。

お互い冷めきったら喧嘩もしないからね。
だから冷め切ってる場合には喧嘩をした方がいいですね。
冷め切っている場合はですよ。
理想は喧嘩がない方がいいでしょうけどね、もちろん。

喧嘩さえできないんだったら、それはした方がいいんですよ。
問題発言か。
(そういう夫婦は)情を出し合っていないのです。
授受作用にはならないんだけどね、喧嘩は。

でも、その手前で自分の言いたいことを出していれば、
自分が言えた、聞いてもらえたのがあれば、だんだん本音が出てくるし、
「ちょっと言いすぎたけど本当はこういう気持ちだったんだ」
と話すようになるんであれば、喧嘩したほうがいい。。。

どちらかに合わせるんじゃないと言うことです。

私たちは、一つになりなさいといったら、
配偶者に対して自分を否定しようとするんです。

うーん。相手は神様の半分だから自分も譲歩しなければならないか、
(というように)我慢する世界。。。
相手もそれがよいと思っている、かというと、これはそうではないのです。


(私たちは)相手を中心ではなく、神様を中心に結婚したんです。
配偶者を下さったのは天の父母様ですから。
だから配偶者から感じることは、天の意図があるんですよね。

もうわかっている、話すまでもなく知っていることですよね。
だけどここを毎日確認した方がいい。

皆さん、偶然ではないですよ、配偶者のクセ、性格、こだわり。
「内の主人潔癖症なくせにトイレ後に手を洗わない」とか…。

そこに引っかかるあなたの癖がある、
見つけるためにそのこだわりがある、
心理学ではない、偶然はないんです。

ですから、なぜこの相対者を与えたか、
「天の配在」を配偶者から感じることは、天の意図があるんですね。

「天の配在」を相対者から感じなければならない、悟る、
これが神様を中心に相手を見るということなんですよ。


祝福に幻想を抱いて、ある2世は
「神様が与えた祝福だったらどんな王子様がくるんだろう」
そして受けてみたら「普通の人じゃん」って
後光でも差していると思ったか、
「なんか普通」と言っているんですよ。

(祝福の相手・相対者は)普通の人じゃない、
私にとっては神様が与えた、「お前の相手はこの人だ」と。。。
めちゃくちゃ神秘的な人です。
人から見たら普通の人かもしれないが、
奥さんから見たら旦那さんは、神秘の、神秘の、神秘の人ですよ。

なんで神秘的?
神様がお前用だと言われた、「お前が完成するための
お前とこの妻で私になるんだよ、その相手だよ」と。
(だから)めちゃくちゃ神秘的なんですよ。



先日、あることで(内容は忘れてしまいました)
私と妻が、それぞれの意見を話していました。

会話を聞いていた娘が一言、
「こりゃあ、お父さん、お母さん、合わないわ」
でした。

このように物事の捉え方は、
夫婦で見解が合わない時があると思います。

一般的にも、「男性と女性は、人間だけれど、
別の生き物であり、お互いが宇宙人だと思う」
そんな解釈をしている人も、たくさんおられます。

でも、だからこそ、配偶者を愛することが、
面白みがあるというか、私の成長に繋がるでしょう。

神様もそうやって夫婦が一つになることを
願っておられるにちがいありません。
神様を中心として見つめていくことが、
何よりも重要であると思うのです。





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posted by ten1ko2 at 12:00 | Comment(1) | 夫婦講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月12日

「信仰基台」が立てば、「実体基台」は自動的?! 「親心」に入る 《蝶野部長7》



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サントメ・プリンシペ 孝情真の家庭祝福式(2019.9.6)☆


蝶野部長の夫婦講座、
続編です。


(堕落したのちの復帰原理の信仰基台ではなく)
人間の本来の成長期間の信仰基台だったら、
(それだけで、すでに)愛になっています。

人は苦労すれば愛に転ずるのです。
信仰基台だけで、愛がからっからだとしたら、
(それは、本来の信仰基台ではありません)。

メシヤのための基台としては、
外的な象徴的、数理的な内容なので、
よしとすることもできるでしょう。

失ったものを取り戻すのが、信仰基台です。
しかし失ったものが何だったのか、
よく我々はわからなかったということになるかもしれません。


信仰基台とは親心に達することです。

間接主管圏は、神様を愛する喜びで成長していきます。

親心の中に入っていくと、
目の前にいる人、横にいる人を愛したくなるんです。
つまり信仰基台が立てば、実体基台は自動的なんですね、ほんとは。


ところが原理講論では、
「信仰基台は成功して実体基台は失敗した」と書くので、
私たちは、「信仰基台を立てたから、あとは実体基台ね」
(という言い方をしますが)
それは信仰基台の立て方が間違っているので
展開しないということなんです。

なぜ、「信仰基台」が成功したという風に表現されたかというと、
「メシヤを迎えるための条件」だったからです。


みなさん、本当は自分作りのことなんですよ。
自分を作る話なんですよ、信仰基台、実体基台は。
自分を作る条件なのにお百度参りのような感覚に日本人はなっている。

何かを起こすために立てる条件。
違います。

創造原理は、信仰基台は、「成長して完成」だから、
私を作る条件のことなんですよ。
(そういう意味では、統一原理から)
統一思想に切り替えていかなければなりません。

信仰基台の立て方が間違っている。
メシヤを迎えるための条件だから、
成功、失敗(という言い方が出てきます)。


ですから皆さん、
子供がお母さんをめちゃくちゃ愛して成長していたら
お母さんの情に立つでしょう。
そしたらブーブー言う兄貴を愛することができるわけなんですよね。

なぜかというと親心に入っているからです。
それが信仰基台、実体基台です。
だからめちゃくちゃ親を愛してるんだけど、兄貴は愛せません
というのは、絶対ないです。

ですから復帰原理においては、堕落性を脱ぐための蕩減条件というのが
ここに加わって来るんですね。
男性を立てるために信仰基台を立てるからです。


一連のことを考えてみた時、信仰というものがそれなりにあるならば、
必ず愛という形に展開しているはずです。

もし愛せないという思いがあるならば、信仰基台が弱い、
あるいは間違って立てている、
あるいは、立てることによって自分が強くなっている。
おれは昔このようなことをやってきたんだ
というのが強くなってきている。。。

これは信仰基台とは逆の立て方になっています。
自分がなくなっていくというのが、(本来の)信仰基台です。

親を愛する、親の気持ちに入っていくから、
困った兄弟がいれば親の気持ちで愛します。
(それが)原理です。

信仰基台というのはめちゃくちゃ簡単よ、
皆さん、親心の話です。

親を愛して愛して、親の心に入ったら困っている人を
親の気持ちで愛せる親の愛する兄弟を愛せるでしょう。

本当の親孝行というのは、親を愛する子ではなくて、
親が抱えて困ってる、
「お前はいい子で家にいてくれて教会にも行ってくれる。
だけど長男は家を出ていない」
そういうお兄ちゃんを、親の心がわかって訪ねていく子供が
実体基台を立てようとする子供の位置なんですね。


だから私たちは配偶者に対して、真のものが出てこないというときに、
神様を愛していないということがバレているということなんですね。

こういう話は、ぱっと初めて聞いてもわからないが、
原理を通してみれば、明白にわかるようになるのです。



信仰基台が一番重要である、ということ。

確かに復帰原理では、「信仰基台が成功した」
そのように講論では記述されているし、
私たちもそのように習ってきたし、
そのように教えてきてしまいました。

しかし、よくよく考えたら、
蝶野部長の語られるように、
メシヤを迎えるための基台造成のため、
あくまでも条件的、象徴的勝利であり、
本当に信仰基台が立っていたら、
(ほぼ自動的に)実体基台が立つのです。

そして、「親心に入る」ということ。
天一国時代に入り、
また、二世、三世、と信仰を相続するにおいて、
このことは、本当に重要だと思いますし、
今の日韓問題にしても、
お互いに親心があれば、解決できるのにと思わされます。
やはり、お母様の語られるように、
神様に対する信仰、心情圏を持つことが
重要であると思うのです。

続きます。







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