2019年07月13日

幸せになれない人類の現状、浅川節で語ると。。。 《自叙伝講話+自叙伝のみ言》



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浅川先生の自叙伝書写講話。
今回から、後半部分(10話)がスタートします。
第一章として、
「苦しんでいる人類を救い、
神様を喜ばせてさしあげなさい」
を紹介します。


今、あなたは幸福ですか?

人は誰でも幸福を求めて生きています。
結婚するのは幸福になるためです。

この伴侶と結ばれたら
誰よりも幸福になれると確信して結婚するのです。
あえて不幸になるために、親族を集めて
披露宴をするカップルがいるでしょうか。
誰も参加したがりません。

女性は陣痛の痛みを乗り越えて子女を出産します。
しかも、母親は子供が夜泣きをすれば起き、
大小便の世話までしてあげます。
そんな苦労をしてまで子供を育てるのも幸福になるためです。

そして、子供が青年になったら、親の願いはただ一つ、
子供が幸せな結婚をすることです。

男の子が結婚すれば、嫁を迎えます。
そして、かわいい孫を育てます。
多くの孫に囲まれて最高の晩年を過ごすのです。
老後こそ人生で至福の時なのです。

では、死後はどこに行くのでしょうか?
決まっています。
天国、極楽浄土です。

このように、人はこの世でも、あの世でも、幸福を願っています。


でも、その願いは果たされていますか?
あなたは、今、至福を家族で味わっていますか?

あなたのお父さん、お母さんは、とっても幸せそうでしたか?
ご先祖様たちは、この世で幸福を味わい、
あの世でも、喜びを満喫しているのでしょうか?

答えは「……」です。

大半の奥さんたちの悩みは夫婦関係です。
幸せになるはずだった夫との関係が
一番の苦しみになっています。

お客様からは評判の良いというご主人でも、
妻からは忌み嫌われている方もいます。
仕事が終わって、帰途では、体を温めて正気を失わなければ、
家に帰れないご主人さんもいます。


血を分けた親子関係はどうでしょう。

親の大半の悩みは子供から生じています。
かわいかったのは物心つくまでで、
言葉をしゃべられるようになってから、
親は子供の言葉や態度で傷つくことが多くなります。

思いどおりに育たず、親の苦しみの種となる子供もいます。
子供もまた親の愛情不足で悩んでいます。

「世界で一番怨(うら)んでいるのは母親です」
と言った娘さんもいるそうです。
親子が怨讐(おんしゅう)関係になっているのです。

 
嫁姑(しゅうとめ)の関係はどうでしょう。

嫁は実の娘より大切だといわれますが、ある姑は言いました。
「気が利かない嫁は腹が立つ。
気が利きすぎる嫁はもっと腹が立つ」。

ある嫁は、姑が挨拶に来ても家に上げないで、
お土産の品物だけはしっかり頂くそうです。
「お土産は靴棚の上に置いて帰ってください」。

姑は嫁の心をつかむためには金しかない、と悟って言ったそうです。
「地獄の嫁も金しだい」。

東京から名古屋までは新幹線で一時間半で着きますが、
幸福という名の駅には、
始発から何十年走り続けても到着しないようです。
では、どうしたら、幸福になれるのでしょうか?


自叙伝「平和を愛する世界人」より

祈りでずっと夜を過ごした後、明け方になって、
イエス様が私の前に現れました。
風のように忽然(こつぜん)と現れたイエス様は、
「苦しんでいる人類のゆえに、
神様はあまりにも悲しんでおられます。
地上で天の御旨(みむね)に対する特別な使命を
果たしなさい」と語られたのです。

その日、私は悲しい顔のイエス様をはっきりと見、
その声をはっきりと聞きました。
イエス様が現れた時、私の体は
ヤマナラシの木が震えるように激しく震えました。
その場で今すぐ死んでしまうのでないかと
思われるほどの恐れ、そして
胸が張り裂けるような感激が一度に襲いました。

イエス様は、私がやるべきことを
はっきりとお話しになりました。
苦しんでいる人類を救い、神様を喜ばしてさしあげなさい
という驚くべきみ言(ことば)でした。
(自叙伝62〜63ページ)


神様が十五歳の私に現れたのは、
人類始祖の犯した罪の根が何であるかを伝え、
罪と堕落のない平和世界を築こうとされたためでした。
人類が犯した罪を贖罪(しょくざい)し、
太古の平和世界を復元するように、というのが、
私が神様から授かった厳重なみ言でした。

神が願う平和世界は死んでから行く天国ではありません。
神の願いは、私たちが生きるこの世の中が、
太古に創造されたその場所のように、
完全に平和で幸福な世界になることです。


(自叙伝89ページ)

浅川 勇男・著
(光言社・刊『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ〜心のあり方』より)
第一章 苦しんでいる人類を救い、
神様を喜ばせてさしあげなさい



今回は、導入部分を紹介しました。
原理講論の総序にある、
「人間は何人といえども、不幸を退けて幸福を追い求め、
それを得ようともがいている」
その件(くだり)を浅川節で語られていますね。

家庭における、理想と現実の違いを
わかりやすく説明してくださいました。

私たちはみ言を知っていますけれど、
人にわかりやすく伝える、というのは、
なかなか簡単なことではないですね。

そういう意味においては、
み言を知らない人に対しても平易に語られる、
浅川先生の講話を参考にしていきたい、
そのように思わされます。

ともに学んでいきたいと思います。




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2019年06月22日

お金を引き寄せる幸運な人 お父様のいう3つの条件とは?! 《浅川先生》



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浅川先生の愛天愛人愛国講座、
『感謝献金』のところがとてもわかりやすかったので、
皆様にも紹介したいと思います。


「あなたにとって、幸福になるために
絶対必要なものは何ですか?」と質問されたらどう答えますか。

ある人は、「決まっているでしょう。お金ですよ」と答えました。

確かにお金ほど生活に密着したものはありません。
食品を買うのも「お金」、電車や車で移動するのも「お金」、
家を建てるのも「お金」、ガス、電気、水道の使用も「お金」。
何でも「お金」が必要です。
 
毎日、資金繰りに追われている経営者は、
「お金は空気である」と言いました。
この方はお金を呼吸して生きているのかもしれません。


しかし、見方を変えると、お金ほど役に立たないものはないのです。
例えば紙幣。まず、メモ用紙としてすら使えません。
紙一面に印刷されていて文字を書く隙間がありません。
せめて、紙幣の右横でも空欄になっていれば、メモできますが、ありません。
トイレットペーパーにもなりません。

また、人はお金を食べて生きているわけではありません。
お金が食べられるなら、料理の手間が省けます。
お皿に百円玉や千円札を置いておけば、立派な夕食になるからです。

夕方帰ってきた子供やご主人が、
「おいしそうなお金だね、味付けのために、
もうちょっと醤油をかけて食べようかな」と言うかもしれません。

人間はヤギではありません。
紙幣を食べて生きているわけではないのです。

そんなに役に立たないのに、燃やすことができません。
一万円札にマッチで火をつけるのは勇気が要ります。
寒い野外で、体を温めることさえできないのです。

「紙幣など全く役に立ちません。とてもやっかいなものなのです」
とは、一生に一度は言ってみたい言葉です。


ところが、そんなに役に立たないはずの紙幣が、
何十枚、何百枚になると、人の心が変わります。
血眼になって争いを起こします。

憎しみや怨みが湧き出て人間関係が壊れます。
愛を捨てる人、命を粗末にする人が現れます。
なぜなら、お金は、土地、家、
高い地位まで手に入れることができるからです。
そのため、多くの不幸はお金に起因しています。


では、お金をどのように使用したら、
幸運を引き寄せることができるのでしょうか?

年末年始になると、多くの人が神社仏閣にお参りに行きます。
健康祈願、家庭円満、商売繁盛、無病息災、などを神仏にお願いします。

ただ、すぐに合掌してお願いはしません。
必ず、お賽銭(さいせん)を捧げてから、
手を合わせます。

なかには、お母さんが子供にお金を渡している、ほほえましい光景もあります。
どうやら、日本人の心には、お賽銭を捧げてから、
神仏にお願いする風習があるようです。
それは、ひょっとして人間の本性かもしれません。
 
お金は衣食住のために使いますが、
お賽銭は、神仏に感謝して捧げます。
神仏への報恩感謝の心ともいえるのです。


文鮮明先生は、お金を神様に捧げる貴さを語られています。

「献金とは何かといえば、世界のために、
 神様のために祭物として使うものです。
 
 お金は、万物を身代わりするもので、
 そのようにすることによって、
 すべての万物が嘆息することなく、
 天のみ国に行ける道が開かれるのです」
(『愛天愛人愛国』、130ページ)



では、万物が嘆息する、とはどういう意味なのでしょうか。

文鮮明先生は、お金の心になってみると、
それが分かると言われるのです。

神様が創造した全ての万物は、
人類の幸福と平和のために存在しています。
万物たちにも潜在的な心があって、
人類のために使われることを願っているのです。
そのように使われたときに、喜びを感じるのです。

お金の心はこうなのだと文鮮明先生は言われます。

「お金は必要ですが、全体のために、
 愛を実現するために必要なのです」

(『愛天愛人愛国』、128ページ)



桜の花は満開となって人々を喜ばせます。
ご飯、野菜、果物は、栄養素になって人々の命を養います。
電気は家の機能を稼動させて、住人の生活を保護します。

ところが、お金はどうでしょうか?
意外なことに、お金は、
「私の行ってとどまる所では、いつも人が変わっていってしまう」
と嘆き悲しんでいるというのです。

確かにそうです。
お金をめぐって親子や兄弟が争いを起こしています。
保険金詐欺のように父母や兄弟を殺す事件も起きています。
お金の奪い合いで戦争、搾取が世界中で起こっています。

どんなに良い人でも、「お金」を手にすると、
人間性を失ってしまうこともあります。
お金に万物の霊長である人間が弄ばれているのです。

このため、「お金」の歴史は最も醜い歴史になってしまったのです。
それでお金が悲しみ嘆いていると、文鮮明先生は言われるのです。

 
では、お金はどんな人に使われたいと願っているのでしょう。

お金に感謝される人、お金から尊敬される人、
お金が使われたいと願っている人とはどんな人なのでしょうか。
まさに、その人こそ、幸運を引き寄せる人なのです。
 
その人を文鮮明先生は、三つの条件を備えた人だと言われます。
 
第一に、お金をたくさん持っても、心の清さを失わない人
 
第二に、お金をたくさん持っても、愛の変わらない人
 
第三に、お金を全て失っても、何も失っていない豊かな心を保てる人

お金を持っても、人類愛が少しも変わらない人なのです。
お金を失っても人類愛が豊かな人なのです。
そういう人に会ったとき、お金は幸福を感じるというのです。


神様に捧げて世界平和に使っていただくお金を“献金”と言います。
献金は、神様と人類を愛する心を捧げることなのです。

では、いつ捧げたらよいのでしょうか?

最初の水を神聖なものと考えて神仏に捧げる美しい風習があります。
初水です。最初に使うお金を神様に捧げるのが良いのです。
そして、残ったお金で生活させていただくのです。

文鮮明先生は次のように言われます。
 
「最初のものは、
 神様の前に捧げなければならないのです。
 聖なる物は、
 神様の前に捧げなければならないのです」


(『礼節と儀式』(文庫版)、135ページ)


浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸せを引き寄せる〜「愛天愛人愛国」家庭生活講座』より)
第三章 国を愛する
感謝献金


お金というのは、いくらあっても足りないし、
逆になかったとしても、
感謝して生活できる場合もあるでしょう。

前者の例を挙げると、
日産の前会長、カルロスゴーンがそうですよね。
経営トップの報酬がものすごいにも関わらず、
なお、不正していたという事件。
お金が欲しくてほしくてたまらない、
その代表的な例だと言えるでしょう。

また、後者においては、
マザーテレサがそのうちの一人だと思います。
彼女の私物は、
歯磨きとサリーを洗うバケツ
サリーと聖書とロザリオ、
これだけでした。

お父様が語られた三つの条件、
これをしっかりと
心に刻んでいきたいと思います。






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2019年04月11日

平和を求める世界人とは?! 真のリーダー、文鮮明(ムンソンミョン)師の生き様 《浅川先生》



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浅川先生の自叙伝書写講話。
今回は、「全人類の幸福が個人や家庭の幸福をもたらす」です。


グローバルリーダーは、地球上のあらゆる問題を
自分の問題と考え、それを解決しようとする
開拓者の精神を持たなければなりません。

安定的で固定的な所得に執着したり、退職後の年金と
平安な家庭生活を夢見たりする人は、
グローバルリーダーになることができません。

未来に何が待っているかよく分からなくても、
世界がすべて自分の国であり、全世界の人類が
すべて自分の兄弟だという意識があってこそ、
グローバルリーダーになることができるのです。

兄弟とは何でしょうか。
神様はなぜ、私たちに兄弟を下さったのでしょうか。

兄弟は全世界の人類を象徴します。
私たちは家庭の中で兄弟を愛する経験を通して、
人類を愛する人類愛、同胞愛を学びます。
兄と姉を愛する心がそのように広がるのです。

お互いに愛を分かち合う家庭の姿は、
人類が互いに融和する姿と同じです。
たとえ自分が空腹でも、兄弟のために
ご飯を残すことのできる愛が兄弟愛です。
グローバルリーダーは、まさに人類を相手に
兄弟愛を施す人です。


(自叙伝、334ページ)


人間は誰でも幸福を求めて生きています。

大抵は自分の幸福か、家族の幸福を求めています。
なかには、自分と家族さえよければいいと、
他人の人生には無関心の人もいます。

また、自分と家族や一族の幸福のみを追求するあまり、
他の家族を犠牲にしてしまう人もいます。


歴史的に見れば、日本国内の争いも、自分と家族、一族の幸福のために、
隣人の幸福を奪い取ってしまう自己中心的な行動でした。

自分と家族さえよければいいという幸福の求め方は、
他者を苦しめる場合もあるのです。

では、隣人の幸福に無関心でいたり、苦痛を与えてまでして得た幸福は、
本当の幸福と言えるのでしょうか?

結果的に、築き上げた自分と家族の幸福は、
砂の器のように消えていくのではないでしょうか。

事実、争いに勝って栄華を得た一族は、結局は他の勢力に滅ぼされています。
人を犠牲にして立てた建築は基礎が弱いため、
怨念の土石流で流れてしまうようです。


文鮮明(ムンソンミョン)先生は自分と家族の幸福ではなく、
世界人類の幸福と平和のために生きてこられました。
そのために幾たびも自分と家族を犠牲にされました。

もし、幸福が他人の犠牲の上に成り立つものであるならば、
これほど不合理な生き方はありません。
自分には何の得にもならないことに全身全霊を注いでこられたのです。

文鮮明先生は自叙伝で

「『私さえ幸せに暮らせばよい、
 私の家庭さえ守ればよい』という言葉は、
 私の辞書にはありません」


(自叙伝、229ページ)
と言われています。


人間とは、全世界の人々が幸福にならない限り、
私と家族の本当の幸福にはなれない存在なのです。
そのような宿命を背負って神様から創造されているのです。

なぜなら、人類は神様の子であり、互いに兄弟姉妹であるからです。
兄弟の誰かが苦痛を受ければ、他の兄弟は心配で心が安らげないように、
一人の痛みがすべての人類の苦痛となるのです。
まさにそれこそが、人類が神様の子女である証拠なのです。

 
ある詩人の歌があります。正確とは言えませんが、こんな詩句でした。

 「四方の壁から嘆きの声が聞こえるとき、
  私一人の幸せはありえない」


世界の誰かが悲しんでいれば、私一人の喜びはあり得ないというのです。
人間は世界人類がすべて幸福になってこそ、自分と家族が幸福になるのです。


浅川 勇男・著
(光言社・刊『心の書写〜文鮮明師自叙伝に学ぶ〜』より)
【第六章】全世界の人類がすべて自分の兄弟


真の父母様の心情は神様と全く同じです。
だから、自分の家庭を犠牲にされて、
公的な愛の精神をもち、全世界の人を愛し、
自らの子女と同じ思いをもっておられるのでしょう。

私たちも神様に近づけば近づくほど、
万民を愛する心情を持てるのだと思います。

人を愛する心情を持てないというのは、
神様を観念的にしかみていない、
そういうことなのだと思います。





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