2021年02月09日

最強の「鬼滅の刃」は、真の愛の心から生じる?! 見えない鬼の存在 《浅川先生》



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サンデー世界日報に浅川先生の
「家庭円満を招くいのちの言葉」が掲載されています。
今後、不定期に紹介したいと思います。
今回は、『鬼滅の刃は真の愛の言葉』です。


漫画「鬼滅の刃」が空前のヒットとなっている。
アニメも大人気で、2020年はコロナと
「鬼滅」の年だった、と言っても過言ではない。
 
「鬼滅」は、鬼に親を惨殺され、
妹を鬼にされた主人公・炭治郎が、
妹を元の人間へ戻すために鬼たちと戦って、
数々の試練を乗り越えていく物語だ。

そもそも「鬼」とはどんな存在だろうか。
人間の幸せな姿を見るといたたまれなくなり、
不幸に落とし込め、地獄の底に叩き込んで、
立ち上がれないようにして、ほくそ笑む存在である。

なぜ、主人公は鬼に勝てるのか。
簡単に言うと、目に見えるからである。

鬼がいかに凶悪な存在でも、
目に見える限りは退治できる可能性がある。
動きが見えれば対応できる。
左右であれ上下であれ、鬼の動きを防ぎ、
攻撃することができる。


しかし、「鬼」が目に見えず、心の内にいたらどうか。
「鬼滅の刃」のように、人の目に見える「鬼」だけならば、
人類はとっくに平和と幸福を享受したであろう。

ところが、2021年現在でも、世界的に対立や葛藤は消滅せず、
家庭の悲劇は続いている。

SNSの普及は新たなる犯罪を生み出している。
科学の驚異的発展にもかかわらず、
なぜ不幸は絶えないのか。


人の目に「鬼」が見えず、そして
その「鬼」は人間の心を住処としているからである。

人間の自己中心性、嫉妬妬み、憎悪、怨み、
蔑視などの心に住み着き、
その居心地の良さに根を張っているのだ。

しかも、「鬼」は生命力があるので、取り憑いた人間が死ねば、
子供に、孫にと、先祖代々移行していくのである。

しかも、人間の心が醜悪でさえあれば、
場所をどこでも移動できる。
「鬼」には国境がない。
人を不幸にするためなら、いつでもどこでも、
誰の心の中にでも侵入する。

嫉妬心や憎悪の火種があれば、燃え上がらせ、
囗から暴言を出させ、手足を操作して暴行を働かせ、
破滅させていくのである。
夫婦、親子、嫁姑を喧嘩させ、
心と体を傷だらけにしていく。

このように「鬼」は古今東西、
悪と不幸を人々に感染させてきたのである。
有史以来、戦争と殺戮がない時代は無かったと言うほど、
人類は見えざる内なる「鬼」に翻弄され、苦しめられてきた。


では、どうしたら、難攻不落の見えざる
「鬼」を退治できるのだろうか。

「鬼」が恐れるものがただ一つだけある。
それが、真の愛である。
与えて忘れる無我無心の真の愛である。

人間の心に「我」が少しでもあれば、「鬼」は入り込むことができる。
しかし、全く無心無我の真の愛には、入り込む隙がない。
退散するしかない。

真の愛のこもった言葉はまさに、「鬼滅の刃」なのである。


あらゆる「鬼」の攻撃でもひるまず、
真の愛を実践された文鮮明先生は言われている。


「神は、愛の心を持って生き、
 苦難にぶつかっても
 愛の刀で苦悩を断ち切れる人を求めて、
 私を呼ばれたのです」

(文鮮明自叙伝67P)


自叙伝書写とは、真の愛の言葉で
内なる「鬼」を滅して、幸福の道を開く実践である。

家庭円満を招くいのちの言葉237
自叙伝書写講師 浅川勇夫
鬼滅の刃は真の愛の言葉


確かに鬼は目に見えますが、
悪魔(サタン)さらに、悪霊は、
目には見えない存在です。

昨年は、コロナと鬼滅の刃の年だった、
よく言われますけれど、
コロナが厄介なのは、
コロナウィルスが目に見えない、からですよね。

霊的存在、というのは、目に見えません。
ある意味、コロナウィルスよりも厄介だといえます。
コロナウィルスは、ワクチンもできるでしょうし、
いずれは、消滅するのではないでしょうか。

悪霊、サタンは、いまもなお存在しています。
歴史始まって、今日に至るまで、
私たちの心に働くのです。

浅川先生のご指摘の通り、
根絶させる唯一の方法は、一つ、
『真の愛』を持ち、実践するしかない、というのです。




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posted by ten1ko2 at 07:53 | Comment(0) | 自叙伝書写(浅川先生) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月30日

自粛での明暗 コロナ離婚と「48年ぶりの新婚生活」 《浅川先生》



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浅川先生の「『平和の母』から学ぶ人生の道しるべ 」
今回は、『幸せな家庭を築く上で
最も大切な要素が真の愛です』。


新型コロナウイルスが猛威を振るい、
自宅で仕事する夫たちが増えました。
政府によるコロナ対策の結果でもあります。

コロナにはある程度対応できましたが、
新たなる本質的な問題が噴出しました。
家庭内暴力、DV(ドメスティック・バイオレンス)です。

国家の基盤は家庭です。
政府が国家の方針として外出を規制し、家庭待機させる事態は、
家族円満、夫婦円満の絶好のチャンスともいえました。
だからこそ、仕事や家事、子育てなどの忙しさを理由に、
曖昧にしてきた夫婦関係を見つめ直す時だったのです。

“コロナ離婚”や、家庭に居場所を失った
“コロナ難民”などの言葉が流布される中で、
「コロナ円満」という夫婦が多数現れなければなりませんでした。

酒場やパチンコに出歩かず、夫婦の愛を
殺菌消毒する環境浄化の時でもありました。


「私は今、48年ぶりで新婚生活を味わっています。
毎日、幸せ満杯です」
と語るのは、結婚以来、家庭にいることが少なく、
日本全国はもちろん世界を回って、
生涯の大半を仕事に費やしたある壮年のかたです。

子供はすでに結婚しており、孫もおり、
現在は、妻と二人暮らし。

新婚以来、二人だけの生活はほとんどありませんでした。
ところがコロナのために生活は一変して、
彼は毎日家にいることに…。

感染を防ぐために、妻は毎日、夫の下着や寝具を洗濯しました。
布団も数日ごとに干しました。
そのため、太陽の暖かさと妻の愛がコラボして、
いい香りと豊かさが家の中に溢れました。

毎日、朝、昼、晩と、夫婦は同じ食卓に着いて
向かい合って食事をしました。
全て妻の手料理でした。

コロナの前は、彼は仕事の故にいつも外食でした。
豪華なレストランで接待されることもあれば、
吉野家や松屋で牛丼を食べることもありました。

しかし最上のレストランの料理も、
妻の料理にはかなわないと、つくづく夫は思ったのです。
愛とは不思議な食材です。
ご飯とふりかけ、キュウリと豆腐だけで、
極上の料理に昇華するのですから…。

ふと振り向くと、そこに妻がいます。
一生懸命針仕事をしている、その姿を見るだけで、もう十分なのです。
いかなる観光地の大自然であっても、
これより美しい光景は地球上に存在しないでしょう。
エプロンをした妻の姿こそ、絶景です。

彼は思わずつぶやきました。
「48年ぶりの新婚生活だね」
妻はにっこりとうなずきました。

夫婦が愛で一つになれば「災い転じて福となす」。

 
世界平和のために、比類のない夫婦愛を完成させた
韓鶴子夫人は語っています。

「夫婦が愛の神聖さを信じ、責任を果たすとき、
 幸せが宿る家庭が築かれます。

 …幸せな家庭を築く上で
 最も重要な要素が、真の愛です」


韓鶴子総裁自叙伝
『人類の涙をぬぐう平和の母』274ページ

『平和の母』から学ぶ13の人生の道しるべ 7
幸せな家庭を築く上で最も大切な要素が真の愛です
浅川 勇男


素敵なご夫婦、素晴らしい証しですね。。。

わが教会の婦人代表のご主人も、
テレワークになり、いつもご自宅におられます。

もともとご夫婦仲がいいのですが、
ご主人は、役職をされていることもあり、
今までは、深夜帰りが多かったそうです。

ところが、今は、いつも家にいてくれるので、
家事も手伝ってくれるし、
宅配の荷物も受け取ってくれるし、
いろんな意味で助かる、と婦人代表の弁。

婦人代表の表情も、
なんとなく穏やかな感じがします。

唯一、とも言ってもいい悩み事は、
「夫のお腹周りが大きくなった
ことでしょうか(笑)」

コロナ禍での生活には、
家庭の重要性を教えてくれる、
貴重なメッセージがあるのかもしれませんね。




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2020年07月06日

いつでも無料『幸せ教習所』、最高の教官は・・・?! 《浅川先生・自叙伝講話》



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浅川先生の、真のお父様の自叙伝講話より
「良心は幸福の先生」です。


では、人生を正しく導く先生はどこにいるのでしょうか?

もう子供も孫もいる人は、父母も、先生も、
友人も数少なくなっています。

真の幸福教習所があれば、すぐにでも
行きたいところですが、ありません。

(まこと)の父母、先生、友人がいなければ、
幸福になれないのに、どこにもいない。
どうしたらいいのでしょうか?

心配ご無用です。
幸福に導く真の先生はいます。

それもあなたのすぐそばにいるのです。
いつでも会えます。
そして的確に指導してくれます。
あなたが謙遜に耳を傾ければ、ではありますが……。

それが、あなたの良心なのだと
文鮮明(ムンソンミョン)先生は言われるのです。


「自分の最も親しい先生は自分の良心です。
 最も親しい友人よりも貴く、
 父母よりも貴いものが自分の良心です」


(自叙伝、234ページ)


私たちを最も愛し幸福に導こうとしている真の先生。
それが、「良心」だというのです。


運転免許や英会話習得のように教習所に通って、
授業料も払わなくてよかったのです。
ある意味では、とってもお得なことではありませんか。

必要なことは、良心に耳を傾ける謙遜さと、
それを実践する勇気さえあればいいのです。

良心は、私たちの事情を熟知していて、
直ちに「これをしなさい、それはしてはならない」
と指導してくれます。

時には温かく、時には厳しく指導してくれます。


したがって、真の幸福になるためには、

「『良心』に、『私は今、
 正しく生きているか?』
 といつも尋ねなければなりません」


(同、234ページ)

それゆえ、良心が「やるな」と絶叫しているのに、
あえて実行すれば、良心を泣かせることになります。

自分のために二十四時間働き続けている良心を
悲しませ、傷つけることになるのです。
それは、自分の人生を不幸にすることになるのです。

文鮮明先生は

「良心を悲しませることは、
結局、自らを悲しみに陥れることです」

(同、234〜235ページ)

と警告されています。


ところで、良心は、いつも
「真の愛に生きなさい。
 自分を犠牲にして、神様と人のために生きなさい」
と命じます。

この良心の命令に、私たちは素直に従えないときがあります。
なぜなら、もう一つの心があるからです。
私を不幸に陥れる心、すなわち自己中心の心です。

この心は自分のために人を犠牲にすることさえ要求します。
「自分さえよければいいではないか」と強調します。
この心を、良心に逆らう心なので、邪心といいます。

邪心は、人のために生きようとすると、
「面倒くさい」、「何の得になる」、「時間の無駄だ」、
「疲れる」、「ばかくさい」、「もっと自分を大切にしろ」
などとささやきかけ、良心の行く手を妨害します。

確かに、良心の命じることは、「ばかくさい」、
「何の得にもならない」ことが多いのです。

 
文鮮明先生の若き日の逸話があります。

「学校に行く途中、息も絶え絶えの人に
 出くわしたことがあります。

 かわいそうに思うと足が止まってしまい、
 その人を背負って二キロほど離れた
 病院に向かって走り出しました。

 運良く財布に入っていた学費の残りで
 治療費を払うと、
 あとはもうすっからかんです。

 今度は自分の学費が払えなくなり、
 学校から督促を受けることになりました。
 それを見て、友人がお金を
 一銭、二銭と集めてくれました。
 その時の友人は生涯忘れられません」


(同、121ページ)
文鮮明先生は常に良心に従って生きてこられて、
「平和を愛する世界人」になられたのです。

浅川 勇男・著
(光言社・刊『心の書写〜文鮮明師自叙伝に学ぶ〜』より)
【第七章】私は今、正しく生きているか
良心は幸福の先生


自己牧会プログラムでも紹介しているように、
良心は誰にでもあるものであり、
良心を中心として行動することにより、
善なる生き方を送ることができるし、
平和な世の中、天国実現への道が開かれます。

ただ、お母様も語られているように、
「万民が天の父母様を知らなければならない」のです。
なので、厳密に言えば、神様を中心とした良心、
すなわち本心を中心に生活することが必要であると思います。

真の父母様の言われる「良心」と「本心」は一致しています。
しかし、私たちの「良心」は、原理講論によると、
「自分が善であると考える」ものです。

神様の願われる「良心」
正確に表現すれば、「本心」に従って、
生きる者になっていきたいですね。。。




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posted by ten1ko2 at 08:32 | Comment(0) | 自叙伝書写(浅川先生) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする