2021年08月11日

私とお母様にとっての「聖和」とは 孝進様との9年間、父母様の52年 《文ヨナ様2》



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2015.8.16


文姸娥(ムン ヨナ)様の2015年の
メッセージの続きです。


  52年もの間、喜びも悲しみも全てお父様と共にされたお母様

私たちが真のお父様から学んだ
「聖和(ソンファ)」の基準とは何でしょうか?

霊界においては新しい誕生日であり、
花嫁が嫁入りするときのような、ときめく気持ちで
霊界に入城する喜びの日であるということです。

私はそのみ言を守ろうと、孝進様を霊界にお送りしたとき(2008年)、
個人的な悲しみに陥るまいと多くの努力をしました。
孝進様の行かれる道を損なってはいけないと思ったのです。

ですから真のお父様が聖和されたとき、
私は夫を亡くしたという同じ経験を持つ身として、
少しは真のお母様のお気持ちが分かるはずだという
傲慢(ごうまん)な考えを持ってしまいました。
ところが、それは大きな思い違いだったのです。

そのことを知ったのは、真のお父様の聖和2周年
(2014年8月12日)の朝、天正宮(チョンヂョングン)博物館での
記念敬拝式で上映された映像を見たときでした。


それは、お父様がダンベリー連邦刑務所(米国・コネティカット州)に行かれる直前に、
アメリカの食口(シック)たちにみ言を語っておられる映像でした。

そのときの真のお父様のお姿は、これから刑務所に
入ろうとする人のようではありませんでした。

「この道を行けば、この山を越えれば、その後に
天が準備した新しい世界が開かれる」
という、
この上なく大きな希望とエネルギーに満ちたみ言を、
しかも笑顔で語っておられたのです。

そうして食口たちの勇気を奮い立たせてくださったお父様でした。


でも皆様は、真のお父様のお気持ちを
痛いほど分かっていらっしゃるはずです。

そのときのお父様の置かれた状況は絶望的なものでした。

右も左も分からない幼い食口たちを置いていかなければならないのです。
「どうにか生き残ってくれ、離れていくな」という切実なる思いが、
その笑顔の向こうにあったことを私たちは知っています。

しかも当時は、まだおむつをして、よちよち歩きの子女様も
いらっしゃったのです。
お兄様、お姉様に手を引かれて、真のお父様に
お別れの敬拝をささげる、あどけないお姿を覚えていらっしゃるでしょう?

父母であるならば、どれほど心配であられたことでしょうか。


そのような映像を見ながら、
「私は真の父母様を表面的に捉えて、
分かったつもりになっていなかっただろうか」
と考えさせられたのです。

私は、孝進様が聖和なさったときの自分自身について振り返ってみました。
私が孝進様と一緒に生活したのは9年余りにすぎません。

その間も孝進様は、ベルベディア(米国・ニューヨーク)のスタジオで作曲したり、
映像を制作したりと、いつも忙しく過ごしていらっしゃいました。
ですから実際に共に過ごした時間はさらに短くなるわけです。
そういう中でも私は、孝進様からたくさんの貴重な教えを頂きました。


孝進様は常々、「真の父母様のみ旨を
どんなことをしてでも助けてさしあげたい。
音楽と文化とメディアを通して、天のみ旨を
成し遂げるためにお役に立ちたい」と語っておられました。

孝進様が聖和された後、私はその願いを成し遂げてさしあげたい
という思いをずっと胸に抱いてきました。
にもかかわらず、それを進めることができずにいました。
なぜなら、私は音楽やメディアの専門家ではないからです。

それでも私が思ったのは、たとえ私ができなくとも、
子女たちのうちで素質のある子女が父親の遺志を
継いでくれるかもしれないということでした。

さらに、たとえ直系の子女ではなくても、
二世圏の中で継いでくれる人が出てくるかもしれない
という希望も持っているのです。
もしそういう二世が出てきてくれるならば、
私はどんなことをしてでも協助するつもりです。

こういう思いを持つのは、私が孝進様をおそばで見ていたからです。
1万曲を作曲するとき、どれほど精誠を投入されたか。
皆様の前で公演するとき、どれほど苦しみながら舞台に立たれたか。

よく知っているからこそ、その孝進様の願いを放棄できないのです。
9年しか共に暮らせなかった私ですら、そのような思いが強く湧いてくるのです。

 
では真のお母様はどうでしょうか?

真のお父様と共に金婚式を越えて
52年もの間、過ごされたではありませんか。

お母様は全ての良い瞬間、悪い瞬間を、お父様と共にされました。
お父様が喜ばれるときも泣かれるときも、
つぶさにごらんになってきたお母様なのです。

ご存じのように真のお父様は、
ただ温和なだけのおかたではありません。
み旨の前に、どれほど真剣で、すさまじいおかたであることか!

天の父母様と約束した「孝」の道を全うするためならば、
子供だろうが妻だろうが、全てを犠牲にしてこられた
お父様だったではありませんか。

そのような真のお父様のおそばで暮らしながら、
愛なしに越えていくのは容易なことではないでしょう。
そんな真のお母様が、お父様のみ意(こころ)を忘れることがおできになるでしょうか?

「どんなことがあっても、お父様が成し遂げようとされた
み旨の完成を見てからでなければ、
霊界に行くことはできない」と思われたに違いないのです。

私でさえ、孝進様の願われていたことを
何とか協助してさしあげたいと思っているのですから。

そう考えると、「ああ、真のお母様は、
真のお父様が聖和されてから、
『大変だ』と思う時間すらなかっただろう」と思うようになりました。

では、真のお父様の願いとは何でしょうか?
それが正に、「天の父母様が思う存分、運行したいと思われ、
主管したいと思われる国を探し立ててさしあげること」
であると思うのです。

国際祝福家庭の集い
2015年8月15日東東京教区新宿教会
(『世界家庭』2015年10月号に掲載)

私たちの真の父母様
〜文姸娥様のメッセージ〜
真のお母様は今、何を見詰めていらっしゃるのか(2)

(blessed lifeより)


貴重な証しをありがとうございます。

真の父母様は、壮絶な歩みをしていかれました。
それは、妍娥様も同じような歩みをされたからこそ、
そのご心情がわかるのではないでしょうか。

私たちも足りないながらも、
み旨の道を歩み続けることは、
簡単なことではない一面もあります。

しかし、どこまでも感謝であり、
幸せな道であると感じます。

私だけが苦労している、と思うのではなく、
真の父母様はどのような思いで乗り越えていかれたか、
父母様の心情を相続するための歩みであると思いつつ、
困難を乗り越えていきたいと思うのです。




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2021年07月28日

私たちは真の父母を信じるのではなく、知っている・・・! 《文ヨナ様*傑作選》



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真のご家庭の中にあって、
現在もお母様を支えておられる文姸娥(ムン ヨナ)様。

2015年に来日された時のメッセージ。
blessed lifeに新連載で紹介されます。


  文姸娥(ムン・ヨナ)様(文孝進〈ムン・ヒョウヂン〉様令夫人)が
  8月14日から18日、真のお母様の願いを受けて来日され、
  各地を巡回して親しくメッセージを語ってくださいました。

  文姸娥様は一貫して、真のお母様のご心情に寄り添いながら、
  「真のお父様の願いを成し遂げようとされるお母様と共に、
  天に孝行を尽くしていきましょう」と訴えられました。

  ここでは、東東京教区新宿教会で8月15日に開かれた
  国際祝福家庭の集いで、首都圏の国際祝福家庭630人を前に
  語られたメッセージ(翻訳し、整理したもの)の一部を紹介します。
 
 なお、タイトルは(『世界家庭』)編集部で付けました。
(文責・『世界家庭』編集部)


  真の父母様を通して初めて、本当の天の父母様のお姿を知った私たち

皆様、こんにちは。
お会いできてうれしいです。

先ほど、25年前に孝進様が新宿教会に初めて来られて
聖別式をされたときの写真を見せていただきました。
それで、孝進様がいつも語っておられた言葉が思い出されました。


「自分自身の限界を知らなければならない。
 その限界の中で最善を尽くし、
 その限界を超える欲を持ってはいけない。
 自分がいくら努力してみても、
 真の父母様の子女であるだけだ」

「真の父母様の前に、私はただ通り過ぎる人にすぎない。
 どんな実績があったとしても、それは真の父母様によって
 与えられたものだから、真の父母様にお返しするものだ。
 全ては真の父母様を中心として始まったものだから、
 私という存在はないのと同じだ。
 全ては真の父母様に帰結されていくだろう」

 
このような孝進様のお考え、姿勢は、
正に真の父母様から来たものです。

真の父母様こそ、どのような誇らしい実績があったとしても、
全ては天の父母様(神様)の導きであるとして、
栄光をおささげになったではありませんか。

真のお父様のご在世時、アメリカでの大きな大会を
勝利された翌日の訓読会のときだったと記憶しているのですが、
お父様はこう語られました。

「全ては神様がなさったことだろう」と。
お父様のご生涯とは、
「天の父母様に孝行をするために最善を尽くされた」、
これに尽きると思います。

ここで、真のお父様のみ言を紹介しましょう。

  
「真の父母を知る、ということですが、
 皆さんは、真の父母の家庭については、
 信じるのではなく、真の父母様を知り、
 真の父母様の家庭を知っているのです。
 信じているのではありません。

 ですから、“真の父母様を信じている”
 と考えてはいけない、というのです。 
 “知っている”と考えなければなりません。……

 真の父母と生活しなければなりません。
 “知った”のですから、共に暮らさなければなりません。
 そうして、真の父母のように
 生きなければならないのです。……

 真の父母を知ることによって、神様を知り、
 この宇宙を知り、愛の世界を知り、
 それらすべてのものを知るというのです。……

 再臨主が来ることによって、
 真の父母が来ることによって、
 このようなすべてのことを知るようになった
 ということは、驚くべき事実です。

 皆さんは、神様の愛がどのようなものであり、
 宇宙がどのようなものであるのか知っているのです。
 統一教会は、すべて知っているというのです。
 それ以上、教えてあげることがありません」


(1997年9月14日、米国ニューヨーク・ベルベディア)
 
私たちは今、どうしてこの群れにいるのでしょうか?
この世の人たちには理解できなくとも、私たちには分かるからです。

真の父母様を通して初めて、本当の天の父母様のお姿、
その愛を知ることができたのだということを。

もう一つ、み言を紹介します。
私が訓読する中で、真の父母様のご心情について
深く考えさせられたみ言で、「精誠と愛」というタイトルです。

 
「自分だけの一生ではありません。
 私が死んでも、永遠の人類解放のために神様の前に
 精誠をささげた度数は残される
 ということを考えるとき、それを心配し、
 精誠をささげて愛さなければなりません。

 こうすることによって、皆さんが霊界に行けば、
 神様と関係したその世界を、昔、愛して
 精誠をささげたので、解放圏が広がるというのです。

 それを考えるとき、み旨を知った以後の道
 というものは、楽なことはないのです。
 個人のために精誠をささげ、
 家庭のために精誠をささげなければなりません。
 
 もちろん、自分の家庭ですが、それは世界を代表して
 精誠をささげる一つの祭物です。
 生きた祭物の家庭のように、このような立場で
 進んでいくべきなのが、皆さん、祝福を受けた人々の
 解放的完成圏に到達することだということを、
 いつも考えなければなりません。

 ですから、疲れることのできない道です。
 心が足らず、涙なしに行くことができない復帰の道だ
 ということを考えなければなりません。

 何か良いものがあれば、私が先に食べると
 考えてはいけないというのです。
 孝子の道、忠臣の道とはそのようなものです。

 天を考え、世界人類を考え、私が持つ、
 このおいしい物を、私だけ食べるのではなく、
 神様を通して食べるので、その世界を心配する
 神様の眷属(けんぞく)になるのです」


(1999年1月5日、ウルグアイ・プンタデルエステ)
 
真のお父様は、どれほど熱心に天の父母様のために生き、
努力されたことでしょうか。

どのような思いで祈られ、どのような思いで食事を召し上がり、
どのような思いでお休みになったことでしょうか。

それらのことを私は、自身の足りなさゆえに
見過ごしてきたのだなあと、このみ言を読みながら思いました。

私は真の父母様のご家庭と縁を持って、おそばで生活しましたが、
おそばにいながらも、見ることも感じることもできなかったのです。

遠くにいて学んだり経験したりできない皆様に
お伝えすべき責任があったのに、
それができなかったことを本当に申し訳なく思っています。

(『世界家庭』2015年10月号「文姸娥様のメッセージ
真のお母様は今、何を見詰めていらっしゃるのか」より)

私たちの真の父母様
〜文姸娥様のメッセージ〜
真のお母様は今、何を見詰めていらっしゃるのか(1)

(blessed lifeより)


真の父母様を「信じている」のではなく、
「知っている」私たちである。
だから「ともに暮らさなければならない」
とても重要なみ言だと思います。

また、真の父母様は、
常に神様を中心に生活されている・・・
そのことを生活の中心に置かれています。

一挙手一投足を神様とともに成す。
真の父母様は、無意識の中で歩まれています。
私たちは、もっともっと意識して生活をなし、
無意識でも歩めるようにしていきたいと思います。



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posted by ten1ko2 at 09:29 | Comment(0) | ご子女様・真のご家庭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月20日

ご子女様を感動させた質問の答えとは?! 《神明先生のUTS時代の神体験》



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神明先生のエッセイ、今回は、
「あるご子女様との対話:悪をどのように解決するのか?」です。


あるご子女様が1994年の春学期にUTSに入学されたときのことでした。
それは私が総長になる直前でした。

その日は、そのご子女様は私の「キリスト教組織神学」の授業を
受けられた後、教室から出た私を呼び止めて、
次のように言ってこられました。

「あなたは神学者でしょう。
だから、この質問に答えてほしい。
私たちが不十分な人間なので、
私たちの組織の中にさえ悪が起こっているようであるが、
それをどのように解決したらいいですか」

この問題について相当深刻に考えておられたらしく、
真剣なお顔でした。
私もこの問題については自分なりに考えてきたので、
具体的にどのような悪を指しておられるのかを
訊かずとも、すぐにその意味が分かりました。

神学においては、道徳的悪 (moral evil) と自然的悪 (natural evil) の
二種類の悪を考えるのですが、
そのご子女様は、地震やハリケーンなどの自然的悪のほうではなく、
利己主義や権威主義、傲慢、汚職などの
道徳的悪のほうを心配しておられたのです。

それで、私はご子女様の顔を見詰めながら、
泣きそうになってしまいました。
そして、答えをしっかりと書いてさしあげることを約束して、
そこでは別れました。

週末に家に帰ってから、タイプライターに向かって書き始めましたが、
この問題に対する思いが高まり、
神様の臨在を感じつつ、次のように書きました。


「悪をなくす最良の方法は、その悪を行う人を憎まずに
愛をもって接してあげ、その人の所に赴いて、
その悪をあたかも自分自身の悪だと思って背負ってあげ、
責任を持って解決の努力をすることです。

その犠牲的な行為には神様も必ず感動されて、
神様の愛の力が無限に働くようになり、
もはや、この地上では誰もその神様の干渉を
食い止めることができないようになります。

そのようにして悪がなくなり、
その悪を行った人までも変わって行くようになります」


次の週の月曜日にUTSに出勤したときに、
その書いた答えをご子女様に手渡しました。

それを読まれたご子女様はいたく感動されたらしく、
「私はこのような答を今まで聞いたことがなかった。
でも実はこのような答えを知りたかったのだ」
と言われました。


キリスト教でも、今まで悪とは何かという定義は
それなりにされましたが、
悪は消えずに依然として存在する、
という新たな問題にぶつかっていました。

ところが、1970年代頃からようすが変わってきて、
実際に悪をなくすには、その悪の現場に赴いて
責任を持ってそれを背負うという
新しいアプローチが提案されるようになったのです。

それは 「実践的神義論」(practical theodicy) と呼ばれています。
例えば英国の神学者ケネス・スリンによる
『神学と悪の問題』(Theology and the Problem of Evil)という本がそうです。
その本を見つけたとき、私は跳び上がって喜んだものでした。


話を元に戻しますと、そのご子女様は
イーストガーデンにその週末に帰られて、
私との対話の内容を真のお父様に興奮しながら報告し、
私の名前をしきりにお父様に向かって
口にしておられたとのことです。

それが、私がUTS次期総長になるように
お父様が推薦される一つのきっかけになった、
と金孝律先生から後で聞きました。

ドクター神明の信仰エッセー:UTS時代の神体験
神明忠昭
(*ただいま「世界家庭」に連載中です)


神明先生の真摯な信仰と
純粋で温かい心情が、
ご子女様に通じ
それが、真の父母様の耳にまで届き、
この後、UTSの総長になられたわけです。

このようにして悪がなくなっていくと、
断言された神明先生ですが、
これはいつも、学生や教授たちに対しても
そのように実行しておられたからこその
実感のこもった言葉だったことでしょう。

このようにあきらめない姿勢は、
真の父母様の信条にも通じるものがあると思います。

「たとえ だまされたとしても 信じなければなりません。
 たとえ 裏切られたとしても 赦さなければなりません。
 憎む者までも ことごとく愛してください。
 涙を拭いて 微笑みで迎えてください……」

お父様の詩、「栄光の王冠」を思い起こした
今日の証しでした。
神明先生、ありがとうございました。






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