2021年04月08日

お父様と劉孝元先生、稲妻と閃光の出会い 《篠崎部長》



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篠崎先生の「喜びと幸せの生活伝道」より、
劉孝元先生が、真のお父様と
原理に出会った証しです。

劉孝元先生の苦悩と探究の道

劉孝元先生は真のお父様と同じ定州(チョンヂュ)出身です。
そして京城帝国大学(ソウル大学の前身)医学部に
数学満点で入学しました。

この学校始まって以来の出来事に、
「定州に天才が現れた」と言われ、
「こんな田舎(いなか)の中学校でも
彼のように努力すれば京城帝国大学という
立派な大学に入ることができる」
という学校の教訓になったというのです。

しかし6年間の医学部をあと2年で修了という頃、
突然、脊椎(せきつい)カリエスにかかりました。

誇り高い、希望に満ちた青年であった劉孝元先生は、
希望と夢を遮られ、自殺まで考えたといいます。
しかし、信仰深いお母さんの涙の祈祷のゆえに、
それはできませんでした。

劉孝元先生は善と悪の問題に悩み、
聖書に真理があるのではないかと、
ラテン語を8カ月で習得してカトリック聖書を原本で読みました。

それでも真理を見つけることができず、慟哭(どうこく)し、
悲しみ嘆きながら生きたのです。
そして40歳(数え)を過ぎた1953年に「原理」に出会ったのです。


最初に入教したのは劉孝元先生の親戚である
梁允永(ヤンユニョン)先生の妹さんでした。

その人が「私の親戚にとても信仰深い者がいます。
彼は病床の身ですが、とても熱心に聖書研究をしているので
一度訪ねてください」と願い、
ある婦人と二人で劉孝元先生を訪ねました。

そして劉孝元先生の部屋に入るや否や祈り始めたのです。
劉孝元先生は、それまで人間的な同情は癪(しゃく)に障ると
思っていましたが、その祈りが終わった時に
こみ上げてくる思いにきまりが悪くなるほど泣いたのです。

そして劉孝元先生は、
「あなたたちは何か真理を持っているのではないですか?
話してくれませんか」と熱心に願いました。

しかし婦人はみ言をぽつぽつと話すだけなので理解できません。
興味を持った劉孝元先生が釜山(プサン)教会を訪ね、
「何か、その先生が書かれた本はないのですか?」
と尋ねると、釜山教会の信徒が大切そうに持ってきて
貸し与えたのが、真のお父様が釜山で書かれた『原理原本』でした。

『原理原本』は科学的な表現が多く、非常に難しい内容です。
普通の人なら深く理解するのは困難です。
しかし、劉孝元先生は一気に読んで感動し、
そのうれしさで『原理原本』を抱いて泣いたそうです。


劉孝元先生はその思いを真のお父様に手紙で伝えました。
それは、「一片丹心、私は
生涯あなたに付き従っていきます」という
切実な思いを込めた内容でした。

お父様はその手紙を読んで感動されたのですが、
同時に、今までつながったものの、
やがて離れていった食口(シック)たちのことを思い、
この人は神様と私に永遠に付いてくるだろうかと案じたのでした。
そのような深刻な思いで劉孝元先生と会われたのです。

しかし二人が会った時、
もうお互いを紹介し合う必要もなく、
すぐに原理講義が始まったのです。

篠崎 幸郎・著
(光言社・刊『氏族伝道講座
喜びと幸せの生活伝道 み言の原点に立ち返る』より)
第一章 原理のみ言があなたに届くまで
二、『原理講論』のできるまで
劉孝元先生の苦悩と探究の道


真のお父様と劉孝元先生の出会い。。。
このお二人の出会いがなかったら、
原理講論は存在していなかったかも知れない、
そう思うと本当に奇跡的であり、歴史に永遠に残る、
天宙的な出会いであったと思います。

お二人とも、お互いの出会いに感謝したことでしょう。
「すぐに原理講義が始まった」とありますけれど、
この日は、ほぼ丸一日お話をされた、と聞いています。

この証しを通して、
「絶対的な主体が立つと、
絶対相対が生まれる」という
お父様のみ言は、まさに真理である、と感じます。

『お父様と劉孝元先生、稲妻と閃光の出会い』
心から感謝いたします。




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2021年03月26日

マインドコントロールよりすごい、原理の力?! 人を作り変えるわけ 《篠ア先生》



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篠崎先生の氏族伝道講座「喜びと幸せの生活伝道」
今回は、『原理講論』のできるまで です。


『原理講論』は劉孝元(36家庭・韓国初代協会長)先生が、
真のお父様のご指導を受け、
全身全霊を懸けてまとめたものです。

約3年間、朝から晩まで、自分の部屋もなく、
ご飯もろくに食べられない貧しく苦しい環境で
耐え忍びながらまとめられました。

正に血を絞るごとく、
自分の頭脳を完全に燃やして生まれたのです。

そして劉孝元先生は3年8か月間、
1日18時間、原理講義をされたのです。


「原理」の力による蘇生

『原理講論』の冒頭に、

「人間は何人(なんぴと)といえども、
 不幸を退けて幸福を追い求め、
 それを得ようともがいている。

 個人のささいな出来事から、
 歴史を左右する重大な問題に至るまで、
 すべては結局のところ、等しく、
 幸福になろうとする生(せい)の表現に
 ほかならないのである」

とあります。
さらに総序の最後には、

「暗い道をさまよい歩いてきた数多くの生命が、
 世界の至る所でこの真理の光を浴び、
 蘇生していく姿を見るたびごとに、
 感激の涙を禁ずることができない。

 いちはやくこの光が、全世界に満ちあふれんことを
 祈ってやまないものである」
とあります。

このように、原理のみ言によって
人は生まれ変わり、幸福になることができるのです。


「原理」の力について、
真のお父様は次のように語っておられます。

 
「原理には、神の直接の啓示にはるかに勝って、
 人間を指導し、つくり変える
 偉大な力があるので、原理を知ること自体が、
 啓示や高い良心基準の役割を果たしたのです。

 ……とにかく何のゆえにか、幸運にも、
 たまたま先生と巡り会ったことによって、
 あなた方の上に大きな変化が起こり、
 あなた方は急に献身的な信仰生活を
 送るようになったのですが、それも
 原理の力によって、あなた方の心の中に
 何か奇跡的な内的変化がもたらされたからこそ、
 喜んで献身生活のできる人間に
 変えられたのだといえます」
(『祝福家庭と理想天国(U)』608ページ)



伝道は人の心に変化をもたらす奇跡です。
それは「原理」の力によってのみ可能なのです。

氏族伝道講座
喜びと幸せの生活伝道〜み言の原点に立ち返る(5)
篠崎 幸郎・著

第一章 原理のみ言があなたに届くまで
二、『原理講論』のできるまで


「劉孝元先生は3年8か月間、
1日18時間、原理講義をされた」
これはどれほどの基準でしょうか。

先生は、脊椎カリエス、という病気にかかっておられました。
講義は杖をついてされ、
ある時は椅子に座って講義をされ、
さらに横になって講義をされた、と聞いています。

おそらく、講義をする相手がいなくても、
講義演習のように、講義をし続けられたのだと思います。

お父様の原理原本を読まれて
伝道された劉孝元先生。
1ページ1ページ、涙なくして、
読むことが出来なかった、と言います。

「骨を削って、粉にしてさらして得た結晶」
お父様が血と汗と涙を流して、解明した貴いみ言
その原理原本を劉孝元先生は、
「原理講論」という形で体系化してくださいました。

そのような精誠が積まれているみ言なので、
力が働かないはずがありません。

そのような貴いみ言を与えられていることに
心からの感謝を捧げ、
私たちも精誠をもって、訓読し、
講義をしていきたいと思うのです。





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2021年03月25日

自己中か神(かみ)中か、創造本性と堕落性本性は紙一重・・・! 《阿部先生》



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阿部先生の「家族の絆づくり」
今回は、『創造本性と堕落性本性は紙一重』です。


二つの本性の分岐点は?

堕落は「神と同じ立場に立てない」
ということから始まりました。

言い換えれば、「神中心ではなく、
自己中心の動機を持つようになった」ということです。

このように動機は「神中心」と
「自己中心」という二つに大別することができます。

この「動機の善しあし」で人生が大きく左右されます。

創造本性でも自己中心になると堕落性本性になり、
堕落性本性のように見えても
神中心になると創造本性になります。

まさにこの二つは紙一重であると言えます。


それって本当に堕落性本性?

「嫉妬心」を堕落性本性のように捉えがちですが、
『原理講論』には「創造本性から誘発されるところの、
不可避的な副産物であり」(122ページ)
と記されているように、創造本性から出てきた心です。

この「嫉妬心」は神中心の動機であれば、
「優れたものに憧れる心」
「優れたものを目指す向上心」になります。

しかし、自己中心の動機になると、
恵まれた人の「足を引っ張ろうとする心」や
「攻撃しようとする心」という堕落性本性に変わります。


また、「自信と誇り」を持つことは
神の子女として大切な創造本性ですが、
自己中心になると自信過剰の「傲慢」になり、
過度に自己主張する「自己顕示欲」という
堕落性本性に変わります。


堕落性本性の2番目の「自己の位置を離れる」
という堕落性本性の例えとして
「血気怒気」を挙げることがあります。

「怒り」は堕落性本性でしょうか。
義憤という正義のための怒り、愛のための怒り、
さらには防衛本能からの怒りなどは創造本性です。

『原理講論』では、
「神は…御自分の性相と形状のとおりに、
喜怒哀楽の感性をもつ人間を創造され、
それを見て楽しもうとされた」(64ページ)
と説明しているように、神にも怒りがあるということです。

しかし自己中心の動機になると、
相手を攻撃したり、裁いたり、要求する
「破壊の衝動の怒り」になり、
その瞬間、堕落性本性になります。

このように動機に敏感になり、
常に創造本性で生きていきたいものです。

家族の絆づくり 160
創造本性と堕落性本性は紙一重
ナビゲーター:阿部 美樹

(blessed lifeより)


私自身に起きる様々な感情も、
神中心か自己中心かによって
評価され、ふさわしい結果が
導き出される、ということになります。

思いが言葉になり、
言葉が行動になることを思うと、
どんな思いを持つかが重要です。

真の父母様は、ご自身の思いすべてを
「神中心」で歩んでこられました。

気がつけば自分の思いばかりになって、
神様のことはそっちのけで歩んで
しまいやすい私たちではありますが、
神中心の動機をもって、
創造本性で歩む、このことに常に
立ち返っていきたいと思うのです。




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