2020年10月17日

神のために涙した女性はいなかった?! 《平和の母が流した7つの涙-浅川先生》



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浅川先生の
「平和の母」が流した七つの涙 の最終回。
第七の涙:神への涙 です。


戦争、飢餓、貧困に苦しむ人類のために涙し、
国境と民族を超えて世界平和のためにまい進した
女性指導者たちがいました。

しかし人類のために涙しても、
神のために涙する女性はいませんでした。
人類の苦痛を見つめて、顔が腫れ、
涙が枯れるほど泣き続けた
悲しい父母である神を慰める女性はいませんでした。

それは、人の悲哀を感じることはあっても、
神の悲哀を感得する本性的感性がなかったからです。
神が人を通して誕生させた独り娘ではなかったからです。

韓鶴子夫人は生まれながら神の心情を感得できた、
神の独り娘でした。


「私も子供の頃から、神様といつでも
 会話を交わすことができました。
 困難にぶつかったり、決断を迫られたりするたびに、
 神様は私を導いてくださったのです」

(韓鶴子総裁自叙伝
『人類の涙をぬぐう平和の母』112ページ)

 
神は宇宙を創造した後、エバと名付けた独りの娘を生みました。
神が父母として初めて抱いた女の子だったのです。

娘は神の愛を受けて成長し、やがて聖婚し、
聖なる子供を出産して人類の真の母となるはずでした。

しかしエバは堕落して、神に悲痛をもたらす女となってしまったのです。
原罪を宿す堕落人間を生み、人類罪悪史をつくり出していったのです。

それ以来、神は痛ましい心を慰める本然の独り娘に出会えませんでした。
神の心には、純粋だった16歳までのエバの姿だけが
むなしく残存しているだけでした。

韓鶴子夫人の誕生と成長は、神に比類のない希望を抱かせ、
神の独り子・文鮮明先生との聖婚は歓喜をもたらしました。


韓鶴子夫人は聖婚に際して決意されています。


「私は文総裁を独り子として迎え、
 神様のみ旨を成し遂げてさしあげると決心しました。
 それは神様が私に下さった、天の新婦、
 宇宙の母としての使命でした」


(同114ページ)


韓鶴子夫人は見事に、エバによって傷つけられた数千年の傷痕を
神の心の底から払拭したのです。
ついに神が生きた母として人類を主導できる道が開かれたのです。

人類の涙を拭う「平和の母」は、
神の涙を拭う「独り娘」だったのです。

韓鶴子夫人は、孝女として神の恨(ハン/恨み)を溶かすために、
生涯をささげておられます。


「神様に対する孝情(ヒョヂョン)の精神で、
 東から西、南から北へと飛び回りながら、
 私は休むことなくみ言(ことば)を伝えました。

 口の中がただれ、足がむくみ、時には
 立っていることすらできないこともありましたが、
 『必ず私が成し遂げる』という約束を守るため、
 地球の至る所を訪ねて回りました。

 神様の願いと理想を成し遂げるため、
 一度としてまともに休むこともできないまま、
 ひたすら歩いた涙の路程でした」


(同353〜354ページ)

「平和の母」が流した七つの涙 7(最終回)
【第七の涙】神への涙
浅川 勇男


最近の真のお母様は、「神様」「天の父母様」
とみ言を語られる際には、いつも涙ぐまれます。

お母様には大変失礼かも知れませんが、
昔はそういうことがあまりなかった気がします。

もちろん、お父様が地上におられたときには、
いつもお父様がみ言を語られていましたし、
お母様が前面に出られることも少なかった、
そういうこともありました。

お父様が聖和され、お母様がすべての責任を負われる立場になり、
困難なことがあまりも多くありました。
神様御自身と同じような立場を通過されて、
さらに神様の心情が近くなられた。。。
そんな思いがしてなりません。

改めて感じることではありますが、
私たちは、孝情の心情で歩むのみ、だと思うのです。

浅川先生、七つの涙を解説してくださり、
本当にありがとうございました。






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あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
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2020年10月10日

地球の片隅で感じる苦痛は、全人類の苦痛;; 《平和の母が流した7つの涙 浅川先生》



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浅川先生のシリーズ、
「平和の母」が流した七つの涙より、
第六の涙 人類への涙を紹介します。


「地球の片隅で感じる苦痛は、地球全体の、
 全人類の苦痛となることを忘れてはなりません」


(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』250ページ)


人間の生存にとって最も重要なのが食生活です。
 
飢えの危機に瀕している人々は、
2018年には世界で8億2,160万人に及び、
実に世界人類の9人に1人が飢えに苦しんでいることになります
  (2019年「世界の食料安全保障と栄養の現状」、日本ユニセフ協会)

「平和の母」韓鶴子夫人は、世界的飢餓に対して、
アキンウミ・アデシナ博士の言葉を引用しています。

「世の中に、食事を提供し、飢餓と
 栄養失調をなくすことよりも重要なことはありません。

 飢えというのは、人類にとってまさに害悪です。
 白、黒、ピンク、黄色、いかなる肌の色の人も、
 飢えてはいけません」
(同41ページ)



人類はさらに深刻な問題を抱えています。
国内外の紛争のため、土地住居を追われて流浪する難民問題です。

強制的に住む場所を追われた難民、避難民は、
世界で約7,080万人もいるのです。
そのうち紛争や戦争、迫害から逃れるために
国外に脱出した難民は2,590万人に及びます。

毎日、37,000人の新たな難民避難民が生まれているのです
  (国連難民高等弁務官事務所〈UNHCR〉、2019年報告)

この悲惨な現実の犠牲者は子供たちです。
避難を強いられた人々の約40%は18歳未満の子供たちなのです。

親兄弟と離反し、誰にも守られることなく
暴力や虐待を受け、教育は全く受けられず、
少女たちは10代前半で結婚を強いられこともあります。
乳幼児たちは栄養失調で弱り果てて死を待つばかりです。


この惨状に心を痛める「平和の母」は語られます。


「私たちが家で、心安らかに温かい御飯を
 食べている時でも、多くの人々が
 故郷から根を抜かれて追われ、流浪しています。

 自分の家から追い出される苦痛と悲しみは、
 人生を根底から揺さぶります。

 その胸痛い悲劇を、私たちの世代で
 必ずや終わらせなければなりません」

(同39〜40ページ)


「私は南米に行って、何度も涙を流しました。
 広大な地で苦労しながら生きる人々の苦しみに涙し、
 学習意欲にあふれながらも文字すら
 学ぶことのできない子供たちを見ながら、
 心が張り裂けそうになりました」

(同345ページ)


韓鶴子夫人は「平和の母」として、全人類の「真の母」として、
悲惨な人類のために涙を流し、自らを完全に犠牲にして、
与えて忘れる愛の実践をされているのです。

「平和の母」が流した七つの涙 6
【第六の涙】人類への涙
浅川 勇男


浅川先生のこの記事のタイトルは、
「平和の母」が流した七つの涙、ですが、
改めて涙にもいろいろな涙があることを感じます。

普通は自分のためにも涙を流すこともありますが、
お母様はそういう涙を一切流されてこなかったのかもしれません。

母の慈愛。。。子供の苦痛に涙を流し、
幸せのために祈りを捧げてくださり、
貴い涙を流されるお母様。

その涙によって、神様を感動させ、
私たちの罪は洗い流され、
人類すべてが活かされていくのだと思うのです。







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2020年09月24日

想像しがたい「覚悟」の連続、真のお母様がいなければできなかった! 《「平和の母」感想文》



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自叙伝感想文。
49歳・男性の佳作受賞作品をご紹介いたします。
題名は、「『覚悟』の連続であった真のお母様の人生をつづった本」です。


私たちの家庭は、真の父母様(文鮮明・韓鶴子総裁夫妻)を通して
36万双の日韓交叉祝福として家庭を出発させていただきました。

それゆえ祝福式に参加させていただいた時も、
会場の真の父母様を見ながら、「真の父」と「真の母」がおられるので
私のような不足な者も「子女」として
祝福家庭を出発できるのだという思いが強くありました。

しかし信仰生活を送りながら、
「真の父」のことについて知るための機会や環境はありましたが
「真の母」について深く知る機会がなく、このままでは
「真の父母」によって始まった私たち自身の「祝福の価値」を
深く知ることができないことはもちろん、
私たちの祝福結婚を通して生命が与えられた5人の祝福二世たちの価値も
正しく知ることができないのではないか?という漠然とした不安がありました。

私自身、実際の信仰生活においては何の実績もなく、
天の前に何ら報告できる立場でもありません。

しかしながら36万双の交叉祝福を与えていただいた家庭として、
「真の母」を正しく知り、本当の意味で
真の父母と一つになることのできるまたとないチャンスだと思い、
自叙伝を読み進めました。

自叙伝の内容は、真のお父様(文鮮明総裁)と常に一緒に
歩み続けてこられた真のお母様が、例えば
アメリカでのワシントン大会や真のお父様のダンベリー収容所への収監などのような
いくつもの重要な摂理や局面において、
それをどのような心情で捉えどのような行動によって
越えてこられたのかについてつづってくださっています。

そもそもこれは驚くべきことではないのかもしれませんが、
それら一つ一つがあまりにも真のお父様と同じ次元で発想し
決断してこられた数々であったことをこの自叙伝は教えてくれました。

例えば、これまで「真のお父様の生涯路程」としてだけ学んできた
私の浅い知識では、真のお父様がダンベリー収容所に入られた後の真のお母様は
突然全ての責任を一身に背負いどれだけ大変だったろうか?
という次元でしか想像できていませんでした。
しかしそうした想像は全く的外れであったことに気付かされました。

実際の真のお母様は、いかなる時も真のお父様と同じ次元で
親なる神様の解放のために歩まれているおかたであり、
真のお父様がダンベリー刑務所におられる期間も、
「統一教会は消え去ってしまう」との外部の反応を意にも介されず、
さらには科学の統一に関する国際会議(ICUS)や世界平和教授アカデミー(PWPA)などの
世界大会の開催をちゅうちょする内部の声も一喝される
真のお母様の歩みであったということです。

結局は、そうした真のお母様の「神様の独り娘」としての姿があったからこそ、
ダンベリー刑務所の期間においても逆に伝道が進み、
教会の基盤が強固になったことを自叙伝を通してはっきりと知ることができました。


一方でそのように真のお父様と同じ方向、同じ次元で歩まれる真のお母様が
不思議ですらありますが、お母様の血統やご聖婚前に通過してこられた
真のお母様の路程について知ることを通して、その理由を深く理解できました。

特に祖母、母、孫である真のお母様の三代を通し、
愛天・愛人・愛国を実践し体恤(たいじゅつ)してこられたことが
「真の母」の土台になっていることも、この自叙伝は分かりやすく教えてくれています。

それゆえ真のお父様の聖和(逝去)後も、
その困難さからすると事業の中止を決断してもおかしくない日韓トンネル
および国際ハイウェイ構想に再び生命を吹き込んでおられる姿や、
真のお父様と人類へのプレゼントとして「鮮鶴平和賞」を設立されている歩みなどを通し、
真のお母様によって神の摂理は切れ目なく、
逆に発展を続けている内容を確認させられています。


また単なる事実の確認だけでなく、この自叙伝を通して
真のお母様による神様と真のお父様への
「孝情に溢れた言葉」の数々が胸に染み込みました。

本の中には、
 
「その胸痛い悲劇を、私たちの世代で
 必ずや終わらせなければなりません」
(韓鶴子総裁自叙伝
『人類の涙をぬぐう平和の母』39〜40ページ)

「行く道がどれほど困難でも、
 私の代で復帰摂理を終わらせます」
(同114ページ)

「『命が尽きる日までに、天一国(てんいちこく)
 この地に安着させる』と約束したからです」

(同369ページ)

などの言葉が出てきます。

表現を変えれば、この自叙伝は人類の母、神様の独り娘として、
想像し難い「覚悟」の連続であった
真のお母様の人生をつづった本だと言えるのかもしれません。


最後に、これは少し余談になりますが、自叙伝の中で説明してくださっている
「多文化家庭」の話題では、真のお母様が交叉祝福・国際家庭についても、
その“痛み”も含め理解してくださっている愛情の深さを感じさせていただきました。

改めて、真の父母様に与えていただいた祝福と、
今まさに真のお母様と同じ時代に生かされている“奇跡”に感謝をささげ、
私自身も氏族圏への覚悟や私の使命分野での覚悟をもう一度固め直して
再出発していきたいと思います。

『平和の母』読者の声 35
「覚悟」の連続であった真のお母様の人生をつづった本


真のお母様は、天の父母様聖会を発表されました。
それは、単なる思い付きからくるものではなく、
基元節7周年において、一つの勝利圏を打ち立てられた、
その土台により、発表されたものです。

天の父母様聖会を宣布された時、お母様は、
「歌い踊らなければなりません」
そのようにおっしゃいました。

今回の方の感想文においても、
お母様の存在がお父様を中心とした摂理において、
どれだけ多くの役割を果たされたのか、
そのことが綴られています。

お母様の勝利がどれほど貴く、
さらには偉大なものであるかを
改めて感じるのです。





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教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
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