2021年01月21日

神様がたった一度だけこの腕を動かして下さるとしたら *『平和の母』から学ぶ:浅川先生



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しばらく浅川先生の講話を紹介していませんでしたが、
再開したいと思います。
今回は、「『平和の母』から学ぶ 人生の道しるべ」より
『温かい心の持ち主になる』をお届けします。


幸せになるために、何を持ったらいいのでしょうか。

ある人は「それは、健康な体でしょう」と答えました。
では、健康でなければ、
幸福は、夢のまた夢、なのでしょうか。


群馬県に、名誉県民として尊敬されている、
星野富弘さんというかたがいらっしゃいます。

群馬県勢多郡東村に誕生し、
健康でスポーツマンで、
中学校の体育教師をしていました。

放課後、前方宙返りの指導をしている時に、
星野さんは頭から床に転落して首の骨を折ってしまいました。
そのため、足が動かず、
天井を見るだけの人生になってしまったのです。

もし「健康な体を持たなければ、幸福になれない」
というなら、彼の人生は絶望です。

しかし彼は、絶望ともいうべき状況の中で、
三つの光を見いだしたのです。


第一の光は、母の愛でした。

彼は若い頃、毎日愚痴ばかり言っていた母を
軽蔑していました。

しかし、動けなくなった彼の世話をしたのは、
その母だったのです。
母の献身的な愛に目覚めて詩を作りました。

  神様が
  たった一度だけ
  この腕を動かして下さるとしたら
  母の肩をたたかせてもらおう


 
発見した第二の光は、咲く花たちの美しさでした。

  私の首のように
  茎が簡単に折れてしまった
  しかし菜の花はそこから芽を出し
  花を咲かせた
  私もこの花と同じ水を飲んでいる
  同じ光を受けている
  強い茎になろう


彼は花の美しさに感動し、
筆を口にくわえて花たちの絵を描いたのです。

 
そして、第三の光に出合いました。

神の愛によって生涯の伴侶と出会ったのです。
妻の愛の光を見いだしたのです。
 
アジサイの絵と共に、妻の愛を詩に託して添えました。

  結婚ゆび輪は
  いらないと
  いった
  朝、顔を洗うとき
  私の顔を
  きずつけないように
  体を持ち上げるとき
  私が痛くないように
  結婚ゆび輪はいらないといった

  今、レースのカーテンをつきぬけてくる
  朝陽の中で
  私の許(もと)に来たあなたが洗面器から冷たい水をすくっている
  その十本の指先から
  金よりも
  銀よりも
  美しい雫(しずく)
  落ちている


彼は結婚して、すでに40年がたちました。
母がしていた絵作業を、今は妻がしています。
彼の詩画には夫婦愛が溢れています。

幸福になるために持つべきものは、
愛に溢れた、温かい心、だったのです。


「平和の母」、韓鶴子夫人は言われます。

「幸福は、あらゆるものがそろっている状態で
 訪れるとは限りません。

 不足なものがある中でも感謝の思いを持てば、 
 知らず知らずのうちに訪れてくるものなのです。
 
 …本物の人格を備えた、
 温かい心の持ち主となることが、
 最高の配偶者になる道なのです」


(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう
平和の母』280〜281ページ)

温かい心の持ち主になる
浅川 勇男
「『平和の母』から学ぶ13の人生の道しるべ」


星野富弘さんの詩画は、
本当に心を打つものがありますね。。。
今回、紹介した詩と絵ですが、
何度見ても胸が熱くなってきます。

人は、心と体からできています。
そして、心が主体であり、体が対象であるのです。

星野さんの姿を通して、
たとえ体が不自由であっても
心を通して、人を感動させることができる
そのことを改めて感じます。

お母さんの献身的な愛がなければ、
星野さんの人生はどうなっていたでしょうか。

親の愛、母の愛、というのは、
見返りを求めない、無償の愛です。

その愛を私たちに与えてくださっているのが、
真のお母様なのです。

人類の母、平和の母、
真のお母様を求め、その愛を受けて、
多くの実を実らせる、
そのような者になっていきたいと思うのです。





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2020年12月07日

「平和の母」の祈り すべての人が、野の花のように美しくあれ 《浅川先生》



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浅川先生の真のお母様自叙伝講話
今回は、「野の花のように美しく、松のように強い心を持つ」です。


人生は、思いどおりにはいかないものです。

自動車の運転は、カーナビをセットすれば
目的地に到達できますが、
人生は目的が不明瞭であり、
数多くの困難が道を遮っていくものです。

信じた天にだまされ、愛した人から裏切られる。
夫婦でも、言葉で傷つけ、傷つけられる。
病気、事故、経済的問題、自然災害、
最近ならコロナ災禍などが襲い掛かることもあります。

純粋に夢と希望を抱いて出発した人生が、
日々の生活の中で、不信と不満と猜疑心に苛まされ、
心が傷つき、汚れが付き、なえてくるのです。

会社や親族、町内の人間関係の煩雑さで、
天からどう思われ、どう評価されるかを
気にするようになり、自分らしさを見失い、
心の美しさと強さを失っていきます。

そのため、ひどく臆病な人生を歩むようになることがあります。


では、どうしたら、心が汚れず、美しさを保って、
何事にも動じない強さを持って生きることができるのでしょうか。

そんなときは、道端で健気に咲いている
野の花を見ればいいのです。

花にも、人間の手を介して咲く花と、
人の世話を受けずに、自然のままで咲く花があります。

花壇で咲く花、花屋に陳列される花、温室で手厚く育てられる花は、
大が丹精を込めて育てるので、日照りで枯れたり、
なえたりする心配はありません。

もし彼らに、「あなたが一番信頼する方は誰ですか」
と問えば、きっとこう答えるはずです。
「私を育ててくださるご主人さまです」

野の花に、同じ質問をしたら、こう答えるでしょう。
「私か信頼する方は、天の父母様、神様です。
神様は、いつでも、私を愛してくださいます。
暑いときには風を吹かせて揺らしてくださり、
渇きを感じるときには雨を降らせてくださいます。

私は、ひたむきに天の父母様を信じ、すべてゆだねています。
疑ったことは一度もありません」


人生は、神様なしに人だけを見つめていると、
一喜一憂し、心配で、疲れるだけです。

しかし、天の父母なる神様を信じてゆだねていけば、
必ず道は開かれるのです。

純粋に、神様の愛を信じて疑わず、誠を尽くす。
神様の道をひたむきに歩んでいく強さがあれば、
すべての困難と障壁は消滅するのです。

神様は、信じて求める人を決して失望させないからです。

世界平和の実現という最も困難な道を歩まれた、
文鮮明先生と韓鶴子夫人は、すべてを
神様にゆだねて精誠の道を歩まれました。

お二人は、野の花よりも美しい心と、
松よりも強い心を持たれていました。

人類の涙をぬぐう「平和の母」、韓鶴子夫人は言われます。

「私は世の中のすべての人が
 野の花のように美しく、
 松のように強い心を持ち、
 この芝生のように清く生きていけるように、
 一人、祈りを捧げるのです」

(『人類の涙をぬぐう平和の母』31ぺージ)


自叙伝書写小冊子より
「野の花のように美しく、松のように強い心を持つ」


自然を通じて、私の人生に語りかける
様々な教訓があります。

真のお父様も自然から、
神様の声を聞きましたように、
お母様も野の花を通して、
松を通して、神様の声を聞きました。

お母様ご自身が、野の花のように美しい心、
松のように強い心を持たれているので、
そのようなみ言を語られたのだ、と思います。

毎日の業務で忙しく、
このブログもようやく作っているような、
そんな状況ではありますが、
こういう時ほど、自然を見つめ、
神様のメッセージを受け止める、
心の余裕を持っていきたいと思わされます。。





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2020年10月17日

神のために涙した女性はいなかった?! 《平和の母が流した7つの涙-浅川先生》



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浅川先生の
「平和の母」が流した七つの涙 の最終回。
第七の涙:神への涙 です。


戦争、飢餓、貧困に苦しむ人類のために涙し、
国境と民族を超えて世界平和のためにまい進した
女性指導者たちがいました。

しかし人類のために涙しても、
神のために涙する女性はいませんでした。
人類の苦痛を見つめて、顔が腫れ、
涙が枯れるほど泣き続けた
悲しい父母である神を慰める女性はいませんでした。

それは、人の悲哀を感じることはあっても、
神の悲哀を感得する本性的感性がなかったからです。
神が人を通して誕生させた独り娘ではなかったからです。

韓鶴子夫人は生まれながら神の心情を感得できた、
神の独り娘でした。


「私も子供の頃から、神様といつでも
 会話を交わすことができました。
 困難にぶつかったり、決断を迫られたりするたびに、
 神様は私を導いてくださったのです」

(韓鶴子総裁自叙伝
『人類の涙をぬぐう平和の母』112ページ)

 
神は宇宙を創造した後、エバと名付けた独りの娘を生みました。
神が父母として初めて抱いた女の子だったのです。

娘は神の愛を受けて成長し、やがて聖婚し、
聖なる子供を出産して人類の真の母となるはずでした。

しかしエバは堕落して、神に悲痛をもたらす女となってしまったのです。
原罪を宿す堕落人間を生み、人類罪悪史をつくり出していったのです。

それ以来、神は痛ましい心を慰める本然の独り娘に出会えませんでした。
神の心には、純粋だった16歳までのエバの姿だけが
むなしく残存しているだけでした。

韓鶴子夫人の誕生と成長は、神に比類のない希望を抱かせ、
神の独り子・文鮮明先生との聖婚は歓喜をもたらしました。


韓鶴子夫人は聖婚に際して決意されています。


「私は文総裁を独り子として迎え、
 神様のみ旨を成し遂げてさしあげると決心しました。
 それは神様が私に下さった、天の新婦、
 宇宙の母としての使命でした」


(同114ページ)


韓鶴子夫人は見事に、エバによって傷つけられた数千年の傷痕を
神の心の底から払拭したのです。
ついに神が生きた母として人類を主導できる道が開かれたのです。

人類の涙を拭う「平和の母」は、
神の涙を拭う「独り娘」だったのです。

韓鶴子夫人は、孝女として神の恨(ハン/恨み)を溶かすために、
生涯をささげておられます。


「神様に対する孝情(ヒョヂョン)の精神で、
 東から西、南から北へと飛び回りながら、
 私は休むことなくみ言(ことば)を伝えました。

 口の中がただれ、足がむくみ、時には
 立っていることすらできないこともありましたが、
 『必ず私が成し遂げる』という約束を守るため、
 地球の至る所を訪ねて回りました。

 神様の願いと理想を成し遂げるため、
 一度としてまともに休むこともできないまま、
 ひたすら歩いた涙の路程でした」


(同353〜354ページ)

「平和の母」が流した七つの涙 7(最終回)
【第七の涙】神への涙
浅川 勇男


最近の真のお母様は、「神様」「天の父母様」
とみ言を語られる際には、いつも涙ぐまれます。

お母様には大変失礼かも知れませんが、
昔はそういうことがあまりなかった気がします。

もちろん、お父様が地上におられたときには、
いつもお父様がみ言を語られていましたし、
お母様が前面に出られることも少なかった、
そういうこともありました。

お父様が聖和され、お母様がすべての責任を負われる立場になり、
困難なことがあまりも多くありました。
神様御自身と同じような立場を通過されて、
さらに神様の心情が近くなられた。。。
そんな思いがしてなりません。

改めて感じることではありますが、
私たちは、孝情の心情で歩むのみ、だと思うのです。

浅川先生、七つの涙を解説してくださり、
本当にありがとうございました。






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