2020年08月12日

サタンが恐れるもの・・・ 第8の奇跡、世界の宗教者がついに結束! 《平和の母》



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神統一世界のための世界キリスト教聖職者希望前進大会
(2019.12.28) アメリカ・ニューアーク市☆


浅川先生の
『平和の母』に見る10大奇跡 より、
第8奇跡〜「宗教者の結束」WCLC創立。
記憶に新しい昨年末、ワールドツアーの
有終の美を飾った内容です。


神の理想は人類一家族世界実現にあります。
その主導的役割を果たすのが宗教でした。

世界宗教は、国家、民族を超えて拡大しました。
しかしその宗教同士が自己の教義を絶対化して、
神の名の下に武装して戦い、多くの血を流し合ったのです。

キリスト教とイスラム教が
聖地エルサレム奪還を懸けて戦ったのが十字軍戦争です。
キリスト教の敗北によってローマ法王の権威は地に落ち、
この戦争の結果は、宗教改革の要因となりました。

そしてキリスト教徒同士、
カトリックとプロテスタントが30年戦争で血を流しました。

神の名の下に平和を求める宗教同士が争い合いました。
さらに宗教の腐敗と堕落は人々の神への不信を高め、
ついに共産主義の出現をもたらします。

共産主義は腐敗したギリシャ正教国ロシアで
革命を起こし、神なき国家、ソ連を成立させます。

この勢いは中国へ伝播し、
北朝鮮を成立させ、朝鮮半島を分断させました。

神の国を建設するはずの宗教にサタンが侵入して、
人々の神への不信を喚起させ、
ついには共産主義を台頭させていったのです。

宗教同士の争いこそ、サタンの思うつぼなのです。
神の悲しすぎる涙は、宗教者同士の争いがもたらしました。


韓鶴子夫人は、すでに17歳の時、
聖婚を前にして決意しました。

「神様の名のもとに起こっている宗教的な分裂は、
 神様が最も胸を痛められることです。
 それを必ずや、解決してみせます」


(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』
119〜120ページ)


夫、文鮮明先生の聖和後、世界的な宗教の和解活動を展開します。

天の驚くべき役事によって、
「平和の母」はどの宗教国でも歓喜をもって受け入れられたのです。

イスラム教のニジェールとセネガルで歓迎されました。
キリスト教国のジンバブエでは、
600万信徒を有するウンダンガ牧師が賛同し、
南アフリカ共和国では、
ハデべ預言者の数百万信徒が祝福を受け入れました。

そして2019年12月28日、宗教一致の集大成として、
アメリカで世界聖職者指導者会議(WCLC)が創立されるに至ります。

アメリカ全土と世界中から聖職者および
キリスト教信徒約2万5千人が結集する中で創設されました。


「平和の母」韓鶴子夫人は涙ながらにメッセージを伝えました。

「キリスト教がイエス様の再臨だけでなく、
その相対である独り娘に対して関心を持つべきであったこと、…


独り娘、真の母が行うこの祝福こそ、
 六千年間、人類が待ちに待ってきた夢であり、
 天の父母様の願いであることを
 知らなければなりません
』」
(同、399ページ)


サタンの恐れる宗教者の結束が
「平和の母」によって開門したのです。


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『平和の母』に見る10大奇跡 8
第8奇跡〜「宗教者の結束」WCLC創立
浅川 勇男

「平和の母」シリーズ第1弾
(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』関連記事)
自叙伝書写の第一人者、浅川勇男氏による
「『平和の母』に見る10大奇跡」をお届けします。
(Blessed Lifeより)


サタンが宗教者を恐れるというよりは、
神様を中心として、
完全に一つとなることを
恐れるのでしょう。

誰もが平和を願い、一つになることを願っても、
お互いの主義を主張し、結果的には、
分裂の道を行かざるを得なかったのが、人類歴史でした。

政治を見てもよくわかります。
与党に反対すべく、野党が結束し、
『打倒しよう!』と、一旦は一つになりますが、
当の本人たちは、意見がばらばらで、
一つになることができません。
責任をもたず、批判するだけです。

真の父母様は、宗教者たちを、
一つに束ねる歩みをしてこられました。
キリスト教をただ批判するだけでなく、
一つになることを前提にみ言を語られました。

その思いにキリスト教指導者たちが呼応して、
WCLC創立の奇跡が起こったのでしょう。

このような奇跡的勝利の恩恵を
共に受けさせていただけることを
感謝しながら、真の父母様と
一つとなっていきたいと思うのです。





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2020年08月05日

「ありがとう、任せたよ」真の父の聖和、第2教主として「中断なき前進」! 第7奇跡



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浅川先生の『平和の母』10大奇跡
今回は、「第7奇跡〜文鮮明先生の聖和と中断なき前進」です。


サタンは有史以来、人類を不幸に落としめ、
完全に支配してきましたが、
最初に到来した危機は神の独り子であるイエス・キリストの降臨でした。

しかしサタンは弟子の不信につけ込んで
イエスを十字架で殺害し、人類の完全救済の道を閉ざしたのです。

以来2000年、内乱と戦争によって人類を翻弄(ほんろう)し続けてきました。

しかし神の独り子、文鮮明先生と、
神の独り娘、韓鶴子夫人の誕生と聖婚により、
人類の祝福結婚の道が開かれ、
サタンの築き上げた基盤は崩壊の危機にひんしているのです。

共産主義国家ソ連は解体し、東西ドイツも統一され、
残るサタンの牙城は北朝鮮と中国だけとなりました。


この時期、サタンにとって最高の望みは、
最大の危険人物、文鮮明先生が他界することによって
神の世界摂理が中断し、
神の基盤が弱体化することでした。

しかし文先生は、サタンの意図を見抜いていました。

1990年3月、ソ連のゴルバチョフ大統領との会談を前にして、
文鮮明先生は自身に何かあった場合に備えて、
韓鶴子夫人を「第2教主」とする後継者宣言をされました。

さらに北朝鮮の金日成主席との会談を前にした1991年6月には、
「顧命性宣誓宣布(国王の遺言)」を行い、
韓夫人を後継者として確定したのです。

以来21年間、文鮮明先生夫妻は
世界摂理進展のため完全投入されましたが、
この期間に韓鶴子夫人は「第2教主」として成熟していかれたのです。

 
2012年、文鮮明先生は90歳を超えてなお、
米国8カ所の巡回をされるという激務の中で倒れます。

一時入院し、退院された8月13日。
清平の施設を巡回した後、文先生は祈祷されました。

 韓鶴子夫人の回想です。

 「少しの間、苦しそうに呼吸をした文総裁は、
 私の手をぎゅっと握りました。
 『ありがとう! 頼んだよ!』

 息苦しそうにしながらも、
 『本当にすまない。本当にありがとう』
 と立て続けに話す文総裁。

 私はその手をさらに固く握りしめ、
 慰労の言葉と眼差しで、安心してもらえる努めました。
 『何も心配しないでください』」


(韓鶴子総裁自叙伝
『人類の涙をぬぐう平和の母』28〜29ページ)


 「2012年9月3日、
  文鮮明総裁は数え93歳を一期として、
  神様の懐に抱かれました」


(自叙伝『平和の母』、29ページ)


 
文鮮明先生の聖和によって世界摂理が中断し、
停止することは、サタンの悲願でした。

しかしその策謀は、韓鶴子夫人の決断と勇壮によって
木っ端みじんに粉砕されたのです。

韓鶴子夫人は

「『中断すれば失敗であり、
 中断せずに前進すれば、
 勝利に至る』という信念」

(自叙伝『平和の母』、389ページ)
を固くその胸の内にとどめました。

そして韓夫人は全世界に向かって堂々と
中断なき前進を宣言したのです。


 「夫の聖体の前で、私は
 『命が尽きる日までに、
  この地に天一国を安着させる』
  と涙で誓いました。

  この決意を、事あるごとに
  心に刻んできました」


(自叙伝『平和の母』、403ページ)


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『平和の母』10大奇跡
「第7奇跡〜文鮮明先生の聖和と中断なき前進」
浅川 勇男
「平和の母」シリーズ
(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』関連記事)
Blessed Lifeより


神様と人類のために生涯を捧げられたお父様。
地上で夢を果たすことができずに、
ご自身を供え物にされながら、
お母様にその願いを託されました。

お母様の決意は凄まじいものです。
「中断なき前進」という一言の背後に、
さまざまな思いが込められているのだと思います。

今も変わらぬ思いをもって歩まれるお母様。
コロナ禍の状況でも、
全人類にみ言を伝えんとして、
今度の日曜日には、100万人の
希望前進大会を予定しておられます。

お母様をお支えすることが
お父様の悲願を果たすことである、
そのような思いをもって歩んでいきたいのです。








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2020年07月25日

地獄の三重苦の新婚生活、お母様が7年路程で勝ち取ったものとは 《平和の母に見る10大奇跡》



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浅川先生の「『平和の母』に見る10大奇跡」
今回は、『第5奇跡〜愛の減少感の克服』です。

 
韓鶴子夫人は聖婚後、多くの困難と試練に立たされました。
平穏な新婚生活とは全く無縁でした。

17歳(数え)で、教会の指導者にして再臨主・
文鮮明先生の妻になったことを、
多くの人が心から祝福したわけではありませんでした。

文先生の聖婚に相手として、
当初、韓鶴子夫人の名前は候補者名簿にさえなかったのです。

「当然、自分が妻になるべき」
と思い込んでいる女性もいました。
文鮮明先生の聖婚の相手が韓鶴子夫人に決定した瞬間、
「なぜ、どうして?」「妻として大丈夫なの?」といった、
さまざまな懐疑心、不満、ねたみ、嫉妬が渦巻きました。

 
それも耐え難いものでしたが、韓鶴子夫人は
夫である文鮮明先生からも耐え難い試練を受けたのです。

文先生は、韓夫人を母親と別れさせ、
さらに母親に対しては「これから三年間は私の前にも
姿を見せないでください」と厳命し、
親戚との関係も全て断つようにしたのです。
(光言社 文庫判 文鮮明先生自叙伝
『平和を愛する世界人として』219ページ)


そのため、韓鶴子夫人の心情的支えとなる人は
身近に全くいなくなりました。
出産の際に母親がサポートすることもできなかったのです。

 
さらに文鮮明先生は、新婚にもかかわらず妻とは同居せず、
妻を他の家に間借りさせ、教会に来ることも
一日に一度しか許可しませんでした。

しかも韓鶴子夫人は夜に教会を訪れ、帰る時には
裏門から静かに出ていくように命じられたのです。

文鮮明先生は、事あるごとに、妻の韓鶴子夫人をとがめました。
言葉を一言間違えただけでもとがめ、
「うれしい」と言ってもとがめました。

韓夫人は薄氷の上を歩くがごとく、
大変な日々を過ごしたのです。

文鮮明先生は、当時を振り返って言われています。

「妻の心の中の悲しみはさぞや大きかったことでしょう」

「その苦労たるや言葉で言い表せないものが
 あったに違いありません」


(光言社 文庫版 文鮮明先生自叙伝
『平和を愛する世界人として』221ページ)。

 
 
サタンがサタンになったのは、
愛の減少感を越えられなかったからです。
サタンは愛されているのにそれを感じ取ることができず、
愛の減少感や疎外感を克服できませんでした。
そして神に反抗するようになったのです。

最大の試練は愛の減少感です。
サタンが越えられなかった愛の減少感を越えてこそ、
「真の母」になれるのです。
それができなければ、サタンは永遠に讒訴(ざんそ)し続けます。

文鮮明先生が韓鶴夫人に与えた試練は、
サタンを屈服させ、
夫婦が完全に一体化して真の父母の道を歩むだったのです。

 
その真意を韓鶴子夫人は悟っていました。
この試練の期間を見事に乗り越えて、

「やがて目を見るだけでも
 お互いを理解できるようになりました」

(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』128ページ)。


そして聖婚後の試練は韓夫人を飛躍的に成長させたのです。

 
「忍耐という苦い種が一つ一つ実を結び、
 いつの日か、光輝く誇りとなるのです」


(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』130ページ)


『平和の母』に見る10大奇跡 5
第5奇跡〜愛の減少感の克服
浅川 勇男
「平和の母」シリーズ
(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』関連記事)


お母様の信仰の強さ、と表現したらいいのでしょうか。
本当に愛の減少感を勝利されたお母様です。

お母様の自叙伝には、
『忍耐・・・』という記述がありますが、
お父様の自叙伝に書いてあるような、
結婚初期の詳しい様子は書かれていません。
『辛かった、苦しかった』という言葉はありません。

むしろ、
「どれほど大変な環境だったとしても、
私はそれをしっかりと受け止め、
楽しみを見いだしながら、
幸せに過ごしました。
背後で役事していらっしゃる神様のみ手を
片時も忘れることはありませんでした」
(平和の母123ページ)

「私は自分が果たすべき使命を
よく理解していたので、
祈りをもって、それらの苦難を乗り越えていきました」
(同、125ページ)

祈りをもって、
神様とともに乗り越えていかれたお母様でした。

お母様以上に愛の試練を通過された人はいないと思います。
なので、厳しい試練の時は、
お母様を思い、ともに乗り越えることができるのだ、と思うのです。






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