2022年11月25日

苦労の中でも、神は私たちを救おうとされる 脱北前の40日路程 《金元弼先生》




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1950年9月ソウル☆


金元弼(ウォンピル)先生のみ言。
今回は、「四十日間の弟子訪問」です。


先生はそれから後、平壌で因縁をもっていた
弟子たち一人一人を訪ねられました。

霊能者やメンバーたちが教会から離れていたことを
よく御存じでありながら、直接訪ねて行かれました。
直接行けない時は、人を遣わし、
私が行くこともありました。

年を取って病気になっている人にさえも、
「先生が無事に牢屋から出られた」ということだけでも、
一々全員に知らせるようにしました。

このことは、大変重大なことです。
なぜか分かりますか。
人と人の交わりではなく、神の前で
永遠を誓って交わった関係だからです。


その人たちは一人も牢屋に訪ねて来ませんでしたが、
霊的にも先生は知っておられました。

面会に来る弟子から、メンバーたちが離れていった
ということを聞いて御存じでしたけれども、
先生は相変わらず二年八か月の間、
一日も抜かさないでお祈りされていました。

その人たちとは、先生が直接因縁をもったのですから、
直接会ってみて先生を受け入れるならば問題はないのです。

受け入れられなくても、直接会って確かめない限り、
因縁を切ることはできないのです。
それは本当に難しいことです。


平壌にとどまっていた期間は四十日でしたが、
先生はお帰りになっても、どういう苦労の
生活をしたかということは全然お話しにならないのです。

その間ずっと弟子を訪ねて、先生が帰って来られた
ということを知らせて回ったのです。
中には反対する人もいましたが、
先生は全員を訪ねてお話しされました。

それゆえに、そういう人たちが霊界へ行っても、
讒訴することはできないのです。

 
先生の父母、兄弟、親戚は故郷にいるのに、
そういうことは全然気にかけていないように
振る舞っていらっしゃいました。

三日もあれば訪ねていける所に
いらっしゃったのですが。
先生の心情の中には父母、親族を思う気持ちは
誰よりもあると思います。

けれども先生は、み言によって、
天の因縁で結ばれた食口たちを
見舞うということを先に立てたのです。

 
先生は、刑務所から出て平壌に帰られてから
三日ほどして、二、三人を周りに集めて、
牢屋から持って来られた米の粉を出しました。

それは先生に外から差し入れられたものでした。
牢屋の中に米を差し入れる時には、
焼いて粉にしました。

牢屋での食事の問題は、非常に重要な問題です。
先生は牢屋を出て平壌に来るまでの道のりを、
ひもじくとも食べ残したものをそのまま持って来て、
私たちに分け与えてくださったのです。

普通の人だったら全部なくなっているはずなのに、
先生はそれを残したのです。

「牢屋の中ではね、名日(節日、祝祭日)なんかには、
米の粉でもちを作って、分けて食べるんだよ」
と説明されながら、先生御自身が
その米の粉に水を混ぜて練られました。

練るのは手ではなく、先生が刑務所の中で
作られたおはしで練ったのでした。

もちを作ってから、残っている食口に
一つ一つ分けてくださいました。


こういうのを私たちに見せるのは、
御自分がそのように苦労なさった
ということを見せるのが目的ではないのです。

苦労の中にあっても、神が私たちを救おうとされるように、
御自分が食べたいものも全部食べずして、
食口たちに食べさせてあげたい
という心情で分けてくださったのです。


それを見ていると、先生の刑務所での生活は
追われる生活ではなく、もっと苦しい生活を
追求する生活だったということをつくづく感じました。

苦しい生活の中にあっても、自分の生活、
生命はどうなるのだろうかという
危機迫る生活ではありませんでした。

人類をどういうふうに救おうかと考えられ、
また人類をして復活の忠誠を示させんがための
余裕ある生活をしたいという思いで
生活されたことが感じられました。

牢屋の中では、人類を救わんがために、
どういうふうにしなければならないのだろうかと、
ひたすら天のみ旨に走っておられた
ということをつくづく感ずるのです。


先生が残っている者たちを呼び集めて、
その米の粉でもちを作って食べさせてくださった
という話をしました。

「ああ、そのようにしたんですね」と
皆さんは受け取るかもしれませんが、
そこには深い意味があります。

囚人たちは、生命よりも食べ物を大事にします。
けれども、先生は食べたくとも食べないで、
残っている者に何かをおみやげとして
あげたいという心をもたれたのです。

私たちはそのお心を
とても大事にしなければならないと思います。

死ぬか生きるかという中にありながら、
自分と因縁を結んだメンバーに、あるいは
霊の子女に何かをあげたいという心、
大事な物をおみやげとしてあげたいという
先生の心を、最も学ばなければならないと思います。


皆さんが教会員に、あるいは兄弟に、
本当に大事にしているものをあげたとしたならば、
その教会員や兄弟は、どのように考えるでしょうか。

私たちは大抵、使って余ったものや、
持っている物の中から贈ります。
先生の場合は、ないところから
あげようとするお心なのです。

聖書の中にも、お金持ちのたくさんの献金よりも、
貧しいやもめのレプタニつの献金の方が、
もっと価値あるものだといわれているのは、
そういうところからなのです。(マルコ一二・四一〜四四)。


レセプションなどに行ってみると、
ドネーション(寄付)という箱があります。
開けてみると中には何もありません。

これは神が喜びません。
そういう心を基台としては、
神は教会を祝福することはできません。

センターに行けば、ドネーション・ボックス(献金箱)もありません。
祝福を受けるためには、
受ける器を作らなければいけません。
心のドネーション・ボックスを作るのです。


兄弟に与える先生の贈り物が、
どれほど貴重であるか分かると思います。
自分のポケットの中からというのは、
これはギフト(贈り物)ではありません。

ギフトというものは、あらかじめ
全部聖別して、人にあげる時にも、
「これは本当に少なく、足りないものです」
という心を合わせて差し上げるものです。


先生のなさることは、すべて一つ一つが
原理的な生活であることが分かるようになったと思います。

私たちが子女の立場に立っている限り、
絶対に先生は安息できないということを、
皆さんは考えなければいけないと思います。

子女を持っている父母は、休む時間がないのです。
子女が父母の身代わりにならない限り、
父母を絶対に休ませることはできません。

父母の身代わりになるには、
父母の心情を自分のものにすることです。
そういう立場に立てば、
先生を絶対的に安息させてあげることができます。

ですからぜひとも早く私たちが、
先生自らが私たちに示してくださった
勝利の路程を勝利して、栄光を先生に
返さなければいけないと思います。

先生が御苦労されて得たこの栄光を、
神と先祖と子女に返そうというのが父母の心情です。
私たちは逆に、その栄光を
先生に返す心情をもちましょう。

平壌開拓から興南解放
第六章 興南解放と釜山伝道
「四十日間の弟子訪問」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
一部誤字誤植編集(文責:ten1ko)


神様を何よりも愛していかれたお父様。。。

だからこそ、神様との因縁によって出会った人たちを
貴く、大切にしていかれたのだと思います。

私たちも、この道に導かれなければ、
決して出会うことのできなかった人たちとの
交わりがあります。

私も公務をさせていただいていますと、
日常茶飯事的に、様々な人たちと
接する機会があります。

それは、とても感謝すべき環境ですが、
時には、人間的な思いで、見てしまったり、
裁きの思いで見てしまうこともあります。

その都度、反省はしていますが、さらに
もっと深く反省しなければならないと思います。
その人は神様が送ってくださった人である、
そんな思いで見つめ、
接していきたいと思うのです。




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2022年11月17日

興南から徒歩10日間、平壌に戻られた主をお迎えする 《金元弼先生》




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金元弼(ウォンピル)先生のみ言
今回は、「平壌で先生をお迎えする」です。

 
先生は生き残ることができないような状況下で
牢屋から出られて、平壌まで400キロを歩いて帰るのに
10日間かかりました。

先生が出られた時には、お一人ではなく、
牢屋の中でお弟子になった方が、自分の家に帰らないで、
先生に生涯侍るということで、
そのまま平壌までついて来ました。

そういうことを見ても、先生をどのように理解していたか
知ることができると思います。
自分の家庭を持っている人なのに、
そして家が牢屋から近い所にあるのに、
その家に行かないで、そのまま先生についてきたのです。

 
平壌までの10日間の生活は、戦争の真っ最中でしたので、
共産軍は北の方に逃げ、UN(国連)軍が
追いかけてくるというものでした。

逃げ遅れた者は南の方に行き、
誰が誰やら分からないような時でした。

共産軍は全員頭を刈っているのですが、
先生御白身も牢屋に入っている時に頭を刈られていました。
ややもすれば、国連軍や韓国の国軍に会っても誤解されて、
何回も処刑されそうになったのですが、
乗り越えて生きて帰ることができました。

 
また、食べる物が全然ありませんでした。
冬の初めでしたから、山に行っても農家の人は
みんな避難して、食べ物も何もありません。

あるのは腐って凍ったジャガイモくらいなもので、
それを食べながら平壌まで何とか無事に帰って来ました。

 
一つ不思議なことがありました。

先生が訪ねようとされたのは、玉世賢という
霊能者の家ですが、そこに私が一緒にいました。
先生はその霊能者の家が分かっていたのです。

それで先生と一緒に来た弟子が玉さんの家に
送られてきたので、その人について先生の所に行くと、
そこには数多くの刑務所から出てきた人たちがいました。

先生はそこから四キロ離れたおばさんの所におられました。
私はそのお弟子に連れられて、先生がいらっしゃる所へ行って、
先生をお迎えして玉さんの家に戻りました。

 
その時、私は「どうして先生は、直接
玉さんの家に来られなかったのだろうか」と考えました。
皆さんはそういうことに対して、
何も不思議に思いませんか。

私たちが先生を本当に先生として信じて侍るならば、
戦争の時であっても、自分の生命よりも
先生の生命を考えて「先生はどうなったんだろう」
と案じながら、興南まで行って、
先生を迎えなければならなかったはずです。

皆様だったらどうでしょうか。
先生は牢屋の中におられますから、それを案じて
「いつ出られるか、無事に出られるか」
と思いつつ待って、先生をお迎えして、
平壌まで帰らなければいけなかったと思います。

ところが私たちは、そういうことが
全然分からずに家にいたのです。

先生が直接訪ねて来られなかったのは、
先生のおられる所まで訪ねて行って
先生を迎え入れたという立場に
私たちを立たせんがためだったと思います。

平壌開拓から興南解放
第六章 興南解放と釜山伝道
「平壌で先生をお迎えする」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題


「先生を迎え入れたという立場に
私たちを立たせんがためだった」
なるほど、こんな摂理があったのですね。。。

中心人物として立つためには、
迎える条件が必要なのだな、と思いました。

条件をもって備えないと
立つことができないのではないか、と思います。

主の代身として立たれている方にも
お迎えする心情を持つことが大事なのだ、と感じます。




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2022年10月22日

約束を守る男、文鮮明──そうすれば、代わりに新しい人が現われる 《金元弼先生》




221022-saigonokitou2012.0813.jpg


金元弼(ウォンピル)先生のみ言
「天情と人情」の最終回、
「約束の永遠性と誠意」です。


約束が成し遂げられるまでには、
必ずある期間を経過しなければいけません。
約束は、未来の目的を成就しようとして、
今するのです。

時同性があるのです。
ですから約束をした主体と対象の二人の人は、
必ずその約束を守っていかなければならない
過程をもっているのです。

相手が途中で破ったとしても、こちらが
目的地まで完全に守ったというところまで行くならば、
完全なるプラスには完全なるマイナスが
自動的に現れるのと同じく、
神はその代わりに新しい人を準備するのです。

ですから、アダムが上まで上がったとして、
エバは途中で堕落した場合に、神は
もう一人のエバを採用してくれるということになります。

だから約束を破った人が問題なのではなく、
約束を守る人が問題になるわけです。

神から見れば、一方の人が最後まで約束を守ったならば、
別の人を立てることができるのです。

ところが、どちらも守れない時には、
神の基盤がありません。
そこでまた二人を造って出発しなければならない
ということが起こるわけです。

すると神の摂理は延長されますか、短縮されますか。
それは延長されます。
一人だけでも守ってくれれば、その人によって
延長しないで、順調に進めることができるのです。

一人が約束を完全に守るならば、
相手がたとえ守らなかったとしても、
もっといい相手が現れるということです。


夫婦でも同じです。
一方が約束を守らなかったとしましょう。

しかし片方は「私はこの相対者を求めて
幸せな家庭をつくる」という心を変えずに、
約束を守っていくならば、代わりの者が現れて、
理想家庭をつくるという目的が、
結局は成り立つようになるのです。

ところが、「世の中はむなしい、信ずるものがない」
と言って、二人ともそうなれば、
その家庭から幸せは生まれないでしょう。

ですから、先生が今まで歩んでこられた道は、
たとえ兄弟が先生を信じないで教会を出ていくとしても、
常に約束を守られたので、人は代わっても、
いい人がどんどん現れて、摂理が成し遂げられてきたのでした。


先生と私たちの約束には、必ず神とサタンがいる
ということをお話ししました。

その例え話として一つ挙げましょう。

一九六七年、先生は韓国の幹部の一行を連れて、
日本に行かれた時に、当時、日本の兄弟に祝福を予定していました。

ところが先生は日本を離れる時に、
一つの儀式を行いました。

それは神の前で、「日本の祝福を
延長しなければならない」という儀式でした。

先生も神様に、「これをこうします」と必ず報告して、
それがそのとおりにならない時には、
必ずその理由を説明して、変えていかれるのです。

教会員がリーダーと約束して、
「私はきょう、いつまで、どこどこへ行ってまいります」
と言いながら、事情によって
それができない場合はどうしますか。

世の中でも、それができなかった理由を
必ず話さなければいけません。
それもできなければ、リーダーは教会員を信頼できなくなります。

 
韓国で、先生は聖日の五時に敬礼式をされて、
必ず私たちに説教してくださいました。

本部教会から相当離れた所に清平があります。
そこにおいでになりました。
その次の日は聖日でしたので、そこから出発して
本部教会の礼拝に参加されることになりました。

その日は、たくさんの人たちが集まるようになっていたのです。

先生は早めに出発しましたが、
雨が降って船やもろもろの状況によって、
何分か遅れるようになりました。

そこで先生は、約束の時間に遅れる時には、
約束を守れないことに対する
お祈りをするとおっしゃいました。

その日、先生は、「公的な約束の時間を守れない時には、
その時刻から悔い改めの祈りをしなければいけない」
と話してくださいました。

このように約束とは大変なことなのです。
先生御自身がそのようにして守っておられるのです。


二番目に、「あなた方は時間を約束したにもかかわらず、
まだ全員集まっていない」と指摘されました。

心情的にも時間的にも外的にも、
先生御自身としては約束を守っているということを、
はっきり証してくださったのです。

事情が変わって遅れたけれども、
先生はその前に既に出発していたことを、
はっきり証されているのです。

分かりやすく言えば、オックスフォードから
ランカスターゲートまで、一時間半かかるのでしたら、
先生は、一時間半前のさらに十分前に、
もう出発しておられるのです。

しかし、途中で車が故障して遅れました。
それで約束した時間になりますと、
先生はその時から悔い改めのお祈りをされるということです。

「私が遅れたがゆえに、この人たちは今、
この時間に待っているでしょう」と言って、
その人たちのためにお祈りをするのです。


ところが私たちはどうでしょうか。
より上の立場の人は遅れるのが普通だと思うし、
それが権威あるものと考えています。
先に来るのは下の者だと考えるのです。

皆さん、そういうことはありませんか。
約束を守らなくても、何の呵責も感じないでしょう。
私たちがそうだから、メンバーもそうなるのです。

にもかかわらず、メンバーが遅れたら、
「なぜ遅れたのか」としかります。

先生は、こういう外的な時間の約束も
そのようにされるとするならば、私たちは
永遠なる生命を懸けての約束に対しては
どうすべきか、考えてみてください。


足の折れた朴正華さんのことを聞いたでしょう。

先生が牢屋から出られて、平壌に帰られた時には、
その人は足を打たれて骨が折れて歩けない状態でした。
彼は自分のお姉さんの家に一緒にいて治療していたのです。

そしてお姉さんの家庭が避難する時に、
足が折れている彼を連れていくことができないので、
置いたまま行ってしまったのです。

一人で残されたら殺されてしまいます。

それで先生は心配して、彼の故郷まで問い合わせて、
居所を調べ出しました。
そして私が彼を連れてきて、先生に会わせました。

その後、その太った人を自転車の上に乗せて連れてきたのです。

ところが、先生の愛する母親、父親、兄弟姉妹は
全部、北におられました。すぐ近くの所でした。
しかしその人たちを連れてこないで、
朴さんを連れてきたのです。
そういうことは、できることではありません。

先生は神との約束を守ったのです。
朴さんとの約束を生命を懸けて守ったのです。


約束というものが、どんなに難しいか分かると思います。
世の中のすべての問題は、
約束を守らないことから起こるのです。

そして、いつも考えなければならないのは、
約束はお互いが幸せになるためのものだということです。
それゆえに、約束をする時には、一方的にしてはいけません。

ややもすればリーダーになった人は、
一方的に約束を強要することがあります。
そうではなくて、相手を「そうしましょう」
という立場に必ず立たせて約束をするのです。

ですから必ず相手の話を十分に聞くようにしてください。

皆様はいいアイデアをもっていて、
教会員が全然頭も上がらないような人であっても、
教会員の意見を先に聞いて、それから自分の意見に納得させ、
「それじゃ、私の考えよりも、
あなたの考えはもっといいです」
という立場に立たせて話していくのです。

自分がしたくてしたような立場に立たせなければなりません。
そうでないとプッシュされたという印象を与えます。
プッシュというのは、自分の意志がないということです。

平壌開拓から興南解放
第四章 天情と人情
「約束の永遠性と誠意」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題


「世の中のすべての問題は、
約束を守らないことから起こる」
これは大変重い言葉だと思います。

個人的なことですが、私はある約束を放置していました。
とんでもないことをした、と深く反省しています。
もちろん、清算するための条件が必要であります。

文先生は約束を守るために、
真剣であり、切実です。

果たせなかった場合、
それが自分の責任でなかったとしても、
神様にとりなしの祈りをささげられるのです。

「約束」ということに対して、
誠意をもって、対していく。
改めて考えさせられました。






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