2019年07月17日

聖火の郷に集められた40万枚の願いが、七夕の天に昇った! 《徳野会長etc.》



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北海道・帯広『聖火の郷』
神日本天運相続孝情奉献聖火式☆


7月7日の七夕の聖日に、
世界で唯一といわれる聖火式がありました。

今日は、徳野会長が主催者挨拶の中で語られた、
最近の真のお母様のみ言のポイントを紹介します。

その後語られた李命官副苑長は、
真のお母様が関心を持って迎える式であると話されています。

「7月1日、修錬苑に来られた真のお母様に、
きょうの聖火式についてご報告しました。
お母様は『雨が降らないとよいですね』とおっしゃり、
本式典を祝福してくださいました」

それでは、以下、徳野会長の挨拶(要約)です。


真のお母様は、火を使って罪や穢(けが)れを浄化する
日本の伝統文化を尊重し、世界で唯一、
この「聖火の郷」での「聖火式」を許諾してくださいました。
日本民族に対する
真のお母様の愛情と配慮に心から感謝を申し上げます。

初めに、お母様のみ言を基に、
私たちに対する天の願いを3つのポイントでお伝えします。


第1は、私たちが三代圏の祝福家庭理想の実体になることです。

私たちは、両親や子女たちに愛情を注いで祝福に導き、
天国の縮図≠ニ呼ぶにふさわしい、
幸せにあふれた家庭を築いていかなければなりません。


第2は、神氏族メシヤの使命を全うし、
天寶苑に登載される名門家庭になることです。

縦的に430代の先祖解怨・祝福を進めるとともに、
横的に430家庭を祝福に導き、
「天寶入籍祝福式」の恩恵に与る家庭になってまいりましょう。


第3は母の国・日本の救国救世基盤造成です。

6月、お母様は南アフリカ共和国、米国で
天の勝利圏を打ち立てられました。
お母様は体力の限界を超えて全世界を巡回し、
2020年までに最低7か国を天の前に復帰する
「ビジョン2020」勝利のために孤軍奮闘しておられます。

お母様をお支えするためにも、日本は
父の国・韓国、長男の国・米国と一体となり、
アジアのみならず世界の平和と発展をリードしていくのです。


最後に、お母様が最近、発表された内容についてお伝えします。

1つは、「天地鮮鶴苑」(2023年完成予定)は、
単なる真の父母様の生涯博物館ではなく、世界各国を導く
中央庁≠フような役割をしなければいけないということです。

お母様は、天地鮮鶴苑を新たに「天苑宮」と命名されました。
天正宮博物館を「至聖所」とし、
天地鮮鶴苑が世界的摂理の実務を担っていくのです。

もう1つは、韓国で11月に出版される予定のお母様の自叙伝です。
この自叙伝によって、真の父母様の歴史的価値と、
天が独り娘として送られたお母様の位相について、
より深く正確に理解することができるようになります。

日本の1億2000万の国民、76億の人類に自叙伝を配付しながら、
自信と確信をもって真の父母様の顕現を伝えてまいりましょう!

神日本天運相続孝情奉献聖火式
天一国7年天暦6月5日(2019年陽暦7月7日)
北海道 北海道・帯広『聖火の郷』



全ての霊的中心地であり、
成約聖地である、清平は、
どんどんと規模が拡大しています。

そして、いよいよ「天地鮮鶴苑」の建設が本格化し、
お母様は「天苑宮」と名付けてくださり、
聖所の立場になっていきます。

本来は、天苑宮は、2020年の建設予定でしたが、
3年間延長しました。
しかし、ようやく建設許可が降りたので、
急ピッチで工事が進められると思います。

完成すれば、徳野会長が語られているように、
天正宮は「至聖所」の立場になります。
ということは、
誰もが入ることができる場所ではなくなる、
ということになります。

聖所、至聖所が定められる、
このことは、摂理的に
大きな転換点になると思われます。

神様がそこに向かって、
お母様を中心として、
さらに摂理が拡大されていくに違いありません。

お母様は次のように語られています。

「私とひとつになれば出来ないことはありません。
責任を果たしなさい。
そうでなければ未来がありません。
誇りをもって前進あるのみです」

お母様にオールインして歩む時です。

お母様の自叙伝も早く読みたいですね!





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posted by ten1ko2 at 09:24 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月15日

愛と神霊に満ちた教会になるためには?! 会いたくてたまらない 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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苦痛を越えていくと、
感謝の心、嬉しい心がわいてくるといいます。
そして──

李ヨハネ(イ ヨハン)先生の説教
「苦痛の価値性」より『見せてあげる教会』です。


今やこれらのことを知って、
人に見せてあげる教会になるようにしなければなりません。
神が共にいてくださる教会にならなければなりません。

この地上に教会はたくさんあります。
統一教会も多いですが、神と関係のない教会になることもありえます。
原理はあるけれど、神霊がないということです。

それはどういうことかというと、
聖霊とは関係のない教会だということです。
統一教会という看板はついているけれど、
実情は統一教会でないこともあるということです。

だれでも基台をなせばお互いに連結でき、心と心が通じ、
願いが一致できてこそ統一教会といえます。
聖霊が降りてきて、多くの人が来て復活する希望の場所、悔い改めの場所になり、
どんな人が入ってきても打ち解けることのできる教会として、
神の前に、人間の前に現れうる教会にならなければならないのに、
今まではそうできていません。

これからそれを共になそうというのです。
ですから私たちの教会は神の前に、そして万民の前に
現して見せることのできる教会になりましょう。
これを忘れてはなりません。

 
それではどのようにすればよいのでしょうか。
私たち一人一人がいなければ現れることができません。
お互いの間に現れなければなりません。

家族なら家族として、教会の食口なら食口どうし、
記憶される人、お互い慕い合うことのできる人にならなければなりません。
会わないでいれば会いたく、お互い相手を誇りたく思う人、
これを見せてあげようというのです。

私たちがお互いに見てよければ、
人にもよく見え、天にも伝わります。

今日これが実現されていなければ、統一教会の信仰も無駄です。
この世の教会と全く同じです。
み言だけ聞きに行ったり来たりするなら、何が違いますか。
私たちはみ言だけ聞きに来る人たちになってはいけません。

会いたくて来る人にならなければなりません。
食口が慕わしくて来るのです。
一人でも来なければどうして来なかったのかと気になり、
だれか一人でも見えなければ、
だれがいないかを見つけ出せなければなりません。

これから聖日の朝には、家を出るとき礼拝を受けに行くという
過去の観念を捨てて、慕わしい人に会いに行くと思いなさい。

これからこの場は、私だちという人が集まる場ではなく、
神が臨在することのできる祭物が集まった場だと思わなければなりません。
ここは金なにがし、朴なにがしが集まったところではなく、
神の運勢が降りてくることのできる、
祭物が集まった場であり、み旨を中心とした集まりであるよう、
お互いに努力してみましょう。

私たちはお互いに会いたくて、誇りたくて来る人にならなければなりません。
父の家での生活を誇ることができてこそ、
父の事情を知る者になり、
父の事情の中の悲しみを通して喜びを見つけることができます。

礼拝を受けに来たり来なかったりしてはいけません。
縦的心情を心に持ち続けなければなりません。
それができなければ、祭物の資格を失うようになります。

1977年7月24日(日)中央修練所
聖日の礼拝
苦痛の価値性


ヨハネ先生は、天一国時代を迎え、
今、天が願われている教会を目指していますが、
そのことを予見するようなみ言を
すでに40年以上前に語られていました。

以前の記事にも書いたことがあると思いますが、
お父様のみ言の中に

   統一教会の教団は氏族です。
  「私」の血が共に動くのです。
  私が涙すれば、氏族が涙しなければならず、
  私が喜べば、氏族が喜ばなければなりません。
  それは血族です。
  五色人種を越え、文化背景の異なる
  すべての国家基準を越え、
  壁を取り払って一つのまとまった、
  新しい天の国創建のための民族です。

(天聖経 968ページ)

お父様は『血族』である、と語られています。
これは、私自身も含めて、
食口一人一人が問われる内容だと思います。

足りない私たちに対して、
お父様がそう思ってくださっているのですから、
お父様に感謝しつつ、
私たちもそういう心情圏に入っていきたいと思うのです。




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2019年07月05日

心理学から見た、天使長の「堕落の動機と経路」?! 《大知先生のカウンセリングルーム》



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1973.7.12


大知(おおとも)先生の「氏族伝道の心理学」より
「不安と怒りから見た堕落の動機と経路」を紹介します。

 
まずは、具体的に「不安」と「怒り」という観点から、
堕落の動機と経路について、第1章の内容を踏まえ、心理学的に解釈していきます。

『原理講論』の第二章第二節㈡の⑴「霊的堕落」には、
天使長ルーシェルの堕落の動機が、「愛の減少感」という言葉で説明されています。

天地創造の最初から神様のそばで仕えてきたルーシェルは、
神様がアダムとエバに三大祝福を与えられたことを知り、
愛の減少感を感じ、エバを誘惑して堕落した、ということです。

その時、ルーシェルはどんな気持ちだったのでしょうか。
「あぁ、神様は自分なんかどうでもいいんだなぁ。
アダムとエバが居さえすれば、
神様にとっては自分なんかどうでもいい存在なんだ」
と感じたに違いありません。

つまり自尊感情が大きく下がり、孤独を感じた、ということです。

ところで先に、恨みと怨みの違いについて述べました。
では、天使長ルーシェルが愛の減少感を感じたときに、
「恨み」をもったのでしょうか、「怨み」をもったのでしょうか……。

もし、「恨み」を感じたとしたら、堕落は起こらなかったと思います。
「恨み」は、基本的に悲しみの心情ですから、
ルーシェルは神様から愛されない悲しみを感じ、
その恨みを晴らすためには、神様から愛されるか、神様に代わる誰かから
神様と同じように愛してもらわなければならないからです。

そのような恨(ハン)の心情であったならば、
ルーシェルは、神様からさらに愛されるように努力するか、
神様に代わって自分を愛してくれる者を探すしかなく、そして、
神様の代わりになるものがアダムとエバしかいないことがわかり、
アダムとエバが成長するのを待って、
二人から神様から受ける愛と同じ愛を受け、恨を晴らしたでしょう。

しかし、おそらくルーシェルは、愛の減少感を感じた際に、
「怨み」をもったのだと思います。
つまり、悲しみにプラスして怒りをもってしまったのです。

神様がアダムとエバに三大祝福を与えるのを見て、
自尊感情が傷つき、孤独を感じ、自己の存在意義への不安となり、
その不安が怒りに変わったということだったのでしょう。

怒りは破壊衝動ですから、ルーシェルは、
自分を傷つけた神様を傷つけたいと思ったかもしれません。
しかし、神様自身を直接傷つけることはできません。
なにしろ神様ですから……。

そうした時に目に入ってきたのがエバだったのでしょう。
神様から愛を受けるエバは、『原理講論』の「堕落論」にもあるように、
ルーシェルにとっては美しく見えたに違いありません。

しかしそこで、ルーシェルがエバに対して、
本然の愛を感じて接していたのならば、
エバがどんなに美しくても、堕落することはなかったと思います。
本然の愛は、相手の幸福を願うものですから。

しかし、ルーシェルは、怒りをもっていたので、
エバを愛すると同時に
破壊衝動も一緒にエバにぶつけてしまったのだと思います。
そして、堕落が起こってしまった……。

私は最初に「統一原理」の講義を聞いたときに、不思議に思ったことがあります。
それは、ルーシェルがエバを愛しているのならば、
なぜアダムまで堕落させたのかということです。

ルーシェルにとっては、アダムは恋敵になるはずです。
普通考えれば、ルーシェルは、エバと二人でどこかに逃げていき、
二人で暮らそうと思うのではないでしょうか。
でも、エバがアダムに近づいて、時ならぬ時の愛の行為に及ぶのを
ルーシェルは知っていたにもかかわらず、止めようとしませんでした。
それが不思議でした。

でも、このように考えていくと、ルーシェルは怒りをもっていたので、
本当は神様を傷つけたかったのです。
そのため、エバだけでなく、アダムも堕落するのを止めなかったのです。

その結果、神様の創造理想は破壊されました。
そして、ルーシェルは、神様に深い悲しみの傷を負わせたのです。

もちろんルーシェルも被造物ですから、
自身も一緒に破壊されてしまいました。
天使長の本然の位置を離れ、神の愛の主管圏から逸脱し
霊的に死んでしまったのです。
つまり、ルーシェルは今で言う「自爆テロ」を行ったのだと言うことができます。

自爆テロをして死んでいくパレスチナの若者のことを考えてみてください。
彼らは、地上には希望がなく、それは怒りとなってイスラエルに向けられます。
しかし、イスラエルの背後には米国があって、
圧倒的に強いので、どうすることもできません。
そこで彼らは、自分の体に爆弾を巻き、
自分の命と引き換えにイスラエルの人々を傷つけていきます。

ルーシェルも、愛の減少感から来る悲しみの中、
圧倒的な神様に対して怒りをぶつけるために、
神様の最も愛するアダムとエバを堕落させ、創造理想を破壊して、
自らも死んでしまったのです。
神様は、ルーシェルを愛していたにもかかわらず……。

大知 勇治・著
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第2章 心の問題と復帰歴史
不安と怒りから見た堕落の動機と経路


ルーシェルの行為は自爆テロだった。。。
なるほど、わかりやすい表現ですね。

エバを奪い、アダムの位置を奪いましたが、
標的は神様だった。。。

自分を殺してまでも、
神様を憎み、怨む、そして、神様の創造した世界を
根底から崩した、すごい破壊性です。
その堕落性は今の私たちにも受け継がれています。

今の人類が抱えている問題が、
堕落の血統にゆえに起きた問題である、
そのことを私たちのみならず、
全ての人たちに認識していただかないといけない、
そんな風に思わされます。






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