2010年11月16日

「監禁の同時性」棄教するまで続くキリシタン迫害の拷問


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以前、キリスト教の日本宣教と殉教の道を何度か記事にしました。
キリスト教の日本宣教と殉教の道(1~4)
継続しつつも、別の観点からいろいろと記事をつくっていきたいと思います。

日本にキリスト教が伝えられてから、少しして迫害が起こりました。
1597年2月に長崎26聖人の殉教事件が起こりました。
それから長いキリシタン迫害時代が始まっていきます。
特に、徳川幕府までの期間は、あまりにも激しい迫害だったといいます。

ローマ帝政時代にもキリスト教迫害は行なわれていましたが、
皇帝によって寛厳があったり、迫害が中断されたこともあったといいます。
迫害は教皇や神父には及ばなかったそうです。

しかし、徳川幕府の迫害は、神父も殉教しつくして、
ひとりの聖職者もいない時代があったといいます。

日本のキリシタン迫害は、ローマなどで行なわれていた「殉教の道」を選ばせるのではなく、
棄教するまで監禁して拷問し続けるという方策を取りました。
しかも拷問も陰湿であり、残酷なものでありました。
あまりにも酷いので、具体的には記述しませんが、
棄教するまで監禁するというのはどこかと似ていると思いませんか?

徳川幕府の指導の下、迫害者がキリシタンを棄教目的で監禁した如く、
迫害を受けてきたクリスチャンの、しかも指導的な立場の牧師達が、
統一教会信者に対して、親の関与を隠れ蓑としながら、
棄教するまで監禁するということをしているのです。

しかも彼らの行いを全く見て見ぬふりをし続ける法治国家日本の姿。
やはり問題があるのではないでしょうか。

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(参考:踏みにじられた信教の自由 太田朝久著)



2010年07月26日

〜藤田孝子さんと全ての殉教者に捧げる歌〜 キリスト教の日本宣教と殉教の道(4)

今日は、藤田孝子さんと全ての殉教者の方たちに
『主よ御許に近づかん』という讃美歌を贈りたいと思います。

ステパノやペテロが殉教をした後、
キリスト教への迫害はさらに増加の一途をたどります。

暴君と言われたローマの皇帝ネロは、
ただキリスト教徒であるという理由でクリスチャンたちを殺しました。
彼らの殺し方は、言葉に表すことが出来ないほどに悲惨で凄絶なものでした。

当時のローマは腐敗し、堕落していました。

クリスチャンたちが殺される姿をコロシアムで楽しんでいたというのですから、
狂気の沙汰としか言いようがありません。

しかし、良識者たちは彼らの姿を見て、心を動かされたと言います。
中には、異教であるキリスト教の信仰を持った者たちもいました。

そして、何よりも、悲惨な立場にあった、初期キリスト教徒たちが
殉教を通して、イエス様と出会っていたのです。

殉教するということをクリスチャンたちは誇りに思っていたのです。

むしろ、殉教を通して、イエス様と同じ道を辿ることが出来るし、
天国でイエス様と出会えるという栄光を受ける立場にあったわけです。
ですから、考えられない困難を乗り越えて、殉教の道を勝利しました。

彼らの殉教の姿、そして7/4に昇華祝祭を行った藤田孝子姉の姿を思い浮かべていたら、
「♪主よみもとに…」のフレーズが浮かんできました。

殉教したクリスチャンたちは、天国でイエス様に出会ったでしょうし、
そして、藤田孝子姉も天国で霊的に真の父母様に出会ったと思います。

天国に行った方たちのために、
讃美歌320番『主よ御許に近づかん』を贈ります。

主よみもとに 近づかん
のぼる道は十字架に
ありともなど 悲しむべき
主よみもとに 近づかん
さすらう間に 日は暮れ
石の上のかりねの
夢にもなお 天を望み
主よみもとに 近づかん
うつし世をば はなれて
天(あま)がける日 きたらば
いよよ近く みもとにゆき
主のみ顔を 仰ぎ見ん 




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posted by ten1ko2 at 18:50 | Comment(2) | キリスト教の日本宣教と殉教の道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月23日

〜主よいずこに行き給う〜キリスト教の日本宣教と殉教の道(3)

日本では、キリスト教が広がるようになったにもかかわらず、
殉教の道をたどるようになります。

今日は、日本での殉教に触れる前に、
初代キリスト教において殉教した、2名の人物を紹介したいと思います。

最初の殉教者はステパノです。
彼は、12弟子ではなく、イエス様の復活後、
エルサレムの教会で選出された7人の執事の一人でした。
感じたことを黙っていられない正義感の強い人でした。
エルサレムの神殿は神と出会う場所であるのに、
神がいないと嘆きを叫んだステパノの言葉が、
ユダヤ人の怒りを買うこととなり、石打ちの刑によって殉教しました。

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その場面が新約聖書使徒行伝第7章に表されています。

人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り、
ステパノにむかって、歯ぎしりをした。
しかし、彼は聖霊に満たされて、
天を見つめていると、神の栄光が現れ、
イエスが神の右に立っておられるのが見えた。
そこで、彼は
「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える。」
と言った。

人々は大声で叫びながら、耳をおおい、
ステパノを目がけて、いっせいに殺到し、
彼を市外に引き出して、石で打った。
これに立ち合った人たちは、自分の上着を脱いで、
サウロという若者の足もとに置いた。

こうして彼らがステパノに石を投げつけている間、
ステパノは祈りつづけて言った、
「主イエスよ。わたしの霊をお受け下さい。」
そして、ひざまずいて、大声で叫んだ。
「主よ。どうぞ、この罪を彼らに負わせないでください」。
こう言って、彼は眠りについた。


ステパノの見事な最期は、
この場に居合わせた、パウロ(サウロ)の後の人生に
大きな影響を与えたと言われています。
ステパノによって、キリスト教大発展のきっかけが成された
と言っても過言ではありません。

この後、クリスチャンの道はさらに厳しいものとなります。
筆舌に尽くしがたいローマでの大迫害の中、
弟子たちはペテロにローマを脱出するように願います。
「ペテロ様、あなたの存在は私たち数万人にも等しいものです。
どうぞ逃れてください」。

ついにローマを後にして郊外に出たペテロは向こうの空に輝く光を見ます。
弟子たちの目には何も見えないのに、
ペテロの目にはその光の中にイエス様が見えました。
ペテロは問います。
「クオバデス」“主よいずこに行き給う”。
イエス様は答えられます。
ペテロよ、あなたが私の羊を捨てて逃れるなら、
私はローマに行ってもう一度十字架に掛かろう

「主よ申し訳ありません」
老ペテロは驚く弟子たちを尻目にローマに帰ります。
そしてついに捕らえられ十字架につくのです。
その時、
「私は三度も主を否定した者だ。
主と同じ十字架に掛かることなど出来ない」
と彼は逆さ十字架にかかって殉教したのです。

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クオバデスは小説として有名で、映画化されています。
若い時に見たことがありますが、とても感動したのを覚えています。
イエス様と霊的に出会った場面は、実話ではないのかも、知れませんが、
ペテロの歩みはこのようなものであったに違いありません。

二人の殉教者だけでなく、多くの殉教者によって、
ローマが生まれ変わっていくのです。

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posted by ten1ko2 at 21:20 | Comment(0) | キリスト教の日本宣教と殉教の道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする