2010年08月03日

被害者の妻から見た「拉致監禁」 3「婚約者からの訴え」を聞いてください!

◇妻の立場から、
今日はKさんの「婚約者」と、
ブログをご覧の良識ある皆さんへのメッセージです◇


このブログでも紹介した、拉致監禁中のkさんの
「婚約者からの訴え」を読ませて頂き、心を動かされました。

どうして、こんな二人を引き裂くのか、と憤りたくなりますが、
改宗屋たちは、本当に容赦がありません。
多くの若い兄弟姉妹たちの信仰を奪い、
たとえ祝福を受けていたとしても、家庭を持って幸せにしていたとしても、
妊娠中であったとしても、
子供がいたとしても、彼らには関係がないのです。
(実際、多くの祝福カップルを壊し、家庭も奪ってきました。)

統一教会の信仰を持つということが、
おぞましい最悪のことだと考えているので、
どんな非道な手を使っても、信仰をやめさせることしか眼中にないようです。

それを、どうして、やめさせられないのか!

kさんが「うちの家族が拉致監禁なんてありえない」と、
以前笑っていたというように、
そういう家族が拉致監禁ということを実際に起こすのです。
どういう家庭でも起こりうる、いえむしろ、
結束力の強い家庭ほど実行に至るところがあるのです。

私の主人の家庭もそうでした。(それはまたお話いたします。)

婚約者の訴えは、本当に空しいくらいに何も実っていないように見えます。
しかし、必ず道は開けるはずです。

私の主人が還ってきてくれたのは、
私の方の立場から見て、二つの要因があったと思っています。
これはきっと今回も有効ですし、それしかないでしょう。

一つは、多くの人に祈ってもらうこと
できるだけ多くの霊的なパワーをもってしか対抗できませんから。

そして、もう一つは中心につながることです。
教会や、教会の立てた中心者を通していくことが
解決のもう一つの鍵であると思います。
それは受身的ではなく、積極的に働きかけていくものとして。

そして、彼がしっかり闘えるための、支える立場というのは、
とても大切だということを、書くまでもありませんが付け加えておきます。

彼にとっても彼女の存在が、きっと支えになっているはずです。

ただ、霊的に彼が大変な状況にあることは間違いありません。
少しでも早い解決をお祈りしていきましょう。
そして、署名運動でもなんでも、
できることがあるなら具体的にも動いていきたいですね。

監禁中のkさんの婚約者に、言ってあげられる言葉はなかなかみつかりません。
み言葉ですら、空しく聞こえそうな、深刻な状況でしょうから。
でも、必ず二人と共に神様もおられます。


お父様(文先生)のお祈り

天のお父様!
私たちに力が足りなければ、あなたの力を与え、
勇気が足りなければあなたの勇気を与えて、
ヨシュアとカレブに対して強く大胆であれと言われたごとくに、
このひととき、
私たちと座を共にしてくださるよう心からお願い申し上げます。

そうして、すべての人々の運命をあなたの祭壇の前に捧げ、
あなたの生命と連結させて、
たとえ、サタンの勢力がこの絆を断ち切ろうとして襲いかかろうと、
いかなる犠牲を払っても、最後の最後まで戦う天の息子、娘と
なさしめてくださいますようお願い申し上げます。

今日も淋しく全国の各地に散らばるあなたの息子、娘たちは、
悲しい心情を抱いてみ前にひれ伏し、涙を流しながら訴えています。
なにとぞ天のお父様、彼らの友となり、
心の揺籃(ようらん)となってくださいますようお願い申し上げます。

悲しきこの路程において、
人間が人間に対して慰め合うことのできる環境を持たず、
辛く寂しい境遇にあったとき、
その心情を打ち明けることのできる兄弟姉妹の少ない
あなたの息子・娘たちを哀れんでください。

このひととき、集いし私たちの心情と心情が触れ合うことによって、
お父様の心情の世界においては、
時間と空間と距離を超越して動いていることを知りました。
天の心が動ずるゆえに私たちの心も動ずることを知っておりますから、
私たちの心を打ち、
あなたの心情に触れて感激に浸るひとときでありますよう
心からお願い申し上げます。

「こころの四季」より


「婚約者からの訴え」を
まだご覧でない方は、ぜひアクセスして、できれば力になってあげてほしい、
と思います。アクションの仕方も追記されていますので、参考に。
下記まで ↓
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-201.html火の粉を払え

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2010年07月30日

被害者の妻から見た「拉致監禁」2

妻の手記二回目です◇


海外宣教に行った頃の、私の好きな御言葉のひとつが、これです。

私の一生の目的は唯ひとつです。
すなわち、私はいかにしたら昨日よりも、
感謝の念で今日を生きるかということです。
今日はもっと感謝し、
明日は今日よりも
もっと感謝して生きるということです。
これが私の人生の目標です。


女性として最も尊敬している文総裁の奥様、
私たちがお母様と慕う韓鶴子(ハン・ハクジャ)女史の御言葉です。

この御言葉を、きっと心底味わわれた末に語られた御言葉でしょうが、
その頃の私には「感謝」という言葉の重みも、
貴さもわかっていなかったと思うのです。

理想に燃えて、まだ共産化時代の爪痕が深く残る、東欧の地に行きました。

思いもかけないことに、たくさん遭遇しましたが、
前の年の八月に祝福を受けたばかりの相手(主人)が、
拉致監禁で奪われそうになった時ほど、深刻な時はなかったかもしれませんし、
今思うと、そういう試練の中だったからこそ、
逆に最も輝いた期間だったかもしれません。

東欧の任地で私は、主人が拉致監禁に遭う前から、
御父母様(文先生ご夫妻)の夢を再三見ました。
それは、決まって日曜の朝だったように記憶しています。
三週連続で夢を見たことになります。

神様は、すでに主人の監禁をご存知だったんでしょうね。

最初の夢の中で、ご夫妻は私と主人に向かって
「信じ合っていくんだね」と、言ってくださいました。

私はそういう夢をあまり見るほうではありませんし、
夢の中のご夫妻の様子が優しくて、なぜ、そんなことを、
と不思議にも思ったのですが、
そんな中を私は慣れない宣教地での歩みをしていました。

その頃、早朝に起きて、ベランダで祈るのが私の日課のようになっていました。

祈りの中で、「この活動は三年を全うしなければならない」と思わされました。
私はまだ家庭を持つ前の身軽な立場でしたし、
日本と行き来するにはそれなりの資金が掛かりますから、
三年間ヨーロッパに留まるのは、わたしには適った内容でもあったと思います。

電話は日本には通じないと言われ、電話局に行くにも慣れない現地のこと、
言葉も英語すら通じないので、日本への連絡は手紙だけという感じでしたが、
航空便は一週間掛かるし、メールもインターネットも存在はあったのでしょうが、
パソコンも一台もない地方都市のセンター(住居及び、事務所)でしたから、
まるで違う時間が流れているようでした。

私が日本へ送った手紙は届いたでしょうが、まだ彼からは返事がなく、
心待ちにしているそんな頃でした。
夢での恵みを受け、内的な決意も固まって、
現地メンバーと関わりながら、活動している最中に、
1本の日本からの電話を受けたのです。

また不定期に連載します。続きをお楽しみに。



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2010年07月24日

被害者の妻から見た「拉致監禁」1

今日は、私の妻が、拉致監禁被害者である私を
支えた側の立場からお話します。


私が、主人と3万双で祝福を頂いて、海外ボランティアに出発してまもなく、
彼が二度目の拉致監禁の被害に遭いました。
幸い、彼は戻ってきてくれ、三年後に私が海外から帰ってすぐ家庭を持ち、
子供にも恵まれましたが、
もしも主人が還って来なかったとしたら…と考えると、
その当時のことが思い出されて、胸が詰まるような思いになります。

私たちは、拉致監禁という手段を選ばされた親族たちを、
もはや恨んではいません。
今はお付き合いを再開することもできました。
まだその時のことにはお互い触れることはできませんが…。

私が、初めて「拉致監禁」というものについて知ったのは、
教会で献身的な活動をしている頃、主人と出会うもっと前のことです。

私の所属する地方の青年支部でも、拉致監禁は他人事ではない重要な事柄でした。

拉致監禁の説明会にも出ましたし、
森山牧師に批判する本も読んで私なりに勉強していました。
私は、母を通じて教会に来ていましたから、
私自身が被害者になることはほぼ可能性がなかったのに、
それは後々の準備だったのかなぁと思います。

また、何人もの、拉致監禁被害者を見てきました。

簡単に棄教して、荷物を取りに来た人もいました。
反対牧師、改宗屋はおかしいと家族まで説得して、見事生還した兄弟もいました。
拉致被害者が出た時には、教会を挙げて祈りました。

最初に挙げた棄教した女性は、まだ学び始めたばかりで、
御言葉に触れ、活き活きと輝いていたのに、
棄教後のその時は、別人のように、顔が曇って、暗い雰囲気でした。
霊的に、別人のようになっていました。
私はその時のギャップが忘れられません。

神様の霊によって、魂が輝いている状態と、
教会を離れ、魂が死んだような暗い状況になるということを知って、
ショックでした。

その時の教会の責任者が、以前は彼女の成長をとても喜んでおられたのに、
一言、それは私にしか聞こえなかったのですが、
「彼女は基準がなかったんや」と呟いたことも忘れられません。

私たちが彼女を守ってあげられなかったのに、
そのように、心痛を抑えて言い聞かせるように言うしかなかった責任者の気持ち、
それは神様の気持ちと同じだと思いました。

「教会を離れることは、神様を悲しませることだ」
とその時、私は悟りました。

二番目に挙げた兄弟は、その当時、私も同じ部署だったし、
毎日みんなで必死に祈っていたら、自分で親を説得して帰ってきたのです。
彼は飄々としたタイプで、とても理性的な人でしたが、
そういうこともあるのかと、
それにしても彼にしか出来ないよ、と話したものです。

そして今度は私たち青年の教会にとって、
責任者を支えるチャーチ・マザーという大事な立場の先輩女性が、
拉致監禁の被害に遭ってしまいました。
どれだけ真剣に祈ったか、わかりません。
彼女も見事に生還されましたが、
身元を隠さないとまた被害に遭う恐れがあるということで、
私たちも知らないところに行かれました。
その前に一度だけ、挨拶に来てくれ、
青年部の夕拝でお話をしてくれました。

その時の彼女は精霊に満たされたように、
とても美しくまるで別人のように見えました。

試練の場に神様が共におられるということを、
その先輩の姿を通して、感じたのです。

神様は人類の親、ということは、拉致被害者にとっても親です。
今は統一教会を離れて、反対活動をしている人にとっても、
生還したとしても、まだトラウマを抱えている人たちにとっても、
そして、拉致被害者と祝福を受けた私のような立場やその家族、
ひいては、改宗屋の意見を聞いて、わが子を拉致監禁するに至った、
加害者の立場に立つ親や、家族、親族たちにとっても。
そして、その憎い改宗屋たちにとっても。神様はすべての人の親なのです。

いつか、真実は明らかにされます。
私たちは、今できる事からしていきたいですね。

まずは、現在拉致監禁されている兄弟への祈りを、
更に強いものにしていきましょう。

これから、シリーズで時々お送りできたらと思います。


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