2011年09月08日

反対派・分派もある統一教会カテゴリー、反対批判を受けても生存発展する統一教会


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私のブログにも、何度かコメントを寄せてくださっている、
「かんごさん」という方が、「統一教会の真実」と題してブログを作っておられますが、
今日、ブログ村の統一教会カテゴリーに参席してくださいました。

統一教会カテゴリーは、他の宗教団体とは違って、
統一教会員だけでなく、反対派や元教会員の方たちも、
精力的に記事を書いているという、とても稀有なカテゴリーだと思います。

その中で、シンパの方のブログはなかったように思いますので、
かんごさんが、ブログ村に参加してくださったというのは、
とても嬉しい限りです。

反対派が書いている本もたくさん読まれて、
なおかつ矛盾点を指摘し、論破されているので、
反対派の記事を見て、変に心動かされている食口たちにとっては、
有益なブログであると思います。
http://kurokango.blog50.fc2.com/

統一教会は、昔も今も多くの迫害を受けてきました。
「迫害なんて大袈裟な」といつぞやコメントしてくださった方もいましたが、
拉致監禁・強制改宗を迫害と呼ばずして何と表現することが出来るでしょうか。
法治国家であり、先進国である日本ではありますが、
拉致監禁を放置し続ける限りは、人権後進国と言わざるを得ません。

しかし、それでも統一教会は存在し続けてきました。
何故かといえば、生きた神様が働いておられるからです。
反対、批判をうけながらも、神様がともにおられるからこそ、
世界に広がっているのです。

最後の分岐点で、困難な課題も多くある中ではありますが、
神様の守りの中で生かされて、そしてこの時に、
理解を示してくださり、応援してくださる方が現れているのです。

生きて働いてくださっている神様を証すためにも、
私も「統一教会の真実」を書き続けていきたいと思います。

ちなみに、かんごさんも「六マリアの悲劇」に関して、
その出鱈目な内容を指摘しておられますが、
私も「朴正華氏のシリーズ」として、記事を書いていますので、
ご参考にしてくださればと思います。


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posted by ten1ko2 at 21:35 | Comment(6) | TrackBack(0) | 朴正華氏のシリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月02日

一連の記事・最終章


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表題に『六マリアの悲劇』という言葉を載せるのが、あまり気分的によくないし、
朴正華氏も否定した本ですから、止めることにしました。

改めて、私見を述べさせていただいて、今回のことは終わりにしたいと思います。

『六マリア』と呼ばれた人たちの中で、
東京に来られて責任を持たれた方がいらっしゃいました。
私は拉致監禁を受けていた立場ということもあり、
個人的にも少しお世話になりました。
何度もお会いしたので、名前を覚えていただきましたが、
もう20年近く前のことですから、もちろんご自身の記憶にはないでしょう。

その方が、集会でこんなことを話されました。
「いろんなうわさが流れていますけど、うわさというのは、あくまでもうわさです。
そこには、本人がいません。
うわさが本当なのか、どうなのかは、本人に聞いたら一番早くわかります。
ですから、私は過去のことを聞かれたら、こう答えます。
『うわさのようなことは一切ありませんでした』と。」

これが全てではないでしょうか。
もちろん、この先生から直接お話を聞く前から、
そんなことがあるとは思っていませんでしたけれど。

今回、なかったことをあったかのように書かれたので、
義憤の思いで何回か記事を作ってしまいました。
ですから、世界会長が認めたのだとかいうことも単なるうわさに過ぎません。

誤解して欲しくないので、一言だけ言わせてください。
講義案うんぬんを書いたのは、そんなことがあり得ないから、あえて書いただけです。
世界会長が講義案を作ってから議論しましょうと書いたのは、
作らないから議論する必要がないという意味です。
コメントを書いた人を慮って書いたのですが、逆効果だったようです。

かつてダンベリーに文先生と共に入られた、
神山会長の証しを直接聞いたことがあります。

先生は、ともに生活している囚人たちから、「ヘイ、ムーン」と呼び捨てにされたり、
キッチンを綺麗に雑巾がけしているところに汚いタオルを投げつけられたり、
様々な仕打ちを受けたといいます。
神山会長はその囚人たちに向かって、「何をこの野郎!」と言葉を浴びせかけ、
あるいは手を出す寸前の状態でした。

その時、文先生は「神山やめるんだ、いいからいいから」と神山会長を制したといいます。
自分の尊敬してやまない先生、いや父親以上の存在になっている文先生が
仕打ちを受けているのを許すことなど出来ない、その思いが神山会長の思い全てでした。
しかし、先生は神山会長の心を収めて、
何事もなかったかのように、黙々と仕事に励まれるのでした。

今の私の思いとしては、その時の神山会長の姿そのものです。
しかし、ここは矛を収めます。
拉致監禁の件に関しては、今後とも体験談を含めて訴えていきますが、
それ以外に関しては控えさせていただこうと思っています。

最後に今の気持ちを歌に載せることにして終わります。




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posted by ten1ko2 at 00:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 朴正華氏のシリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月30日

〜朴正華氏の人生を通して学ぶこと〜反対派にのせられて書いた『六マリアの悲劇』(たぶんこれが最終回)


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朴正華氏は、自分の書いた本により、多くの兄弟たちが傷ついていること
(『六マリアの悲劇』が監禁現場で、反対派が食口を説得する時に用いていること)
に対して、どれほど胸を痛めたことでしょうか。
そして文先生に裏切り行為をしたことに対して、
どれだけ申し訳ないと思ったことでしょうか。
悔い改めた土台で、彼は祝福式に参加したいと心から願いました。

教会の旧友と会った時、
「私が本当に悔い改めて、過去の過ちを清算する道は、真の父母様を通して祝福を受け、
神様の真の子女になることだと分かっているのだが、
心の中に内在するサタンがいつもそれを妨害してきた。
しかし今度は、本当に悔い改めて新しく決意したので、必ず祝福を受ける」
と話しています。

1996年10月20日にソウルで挙行される祝福式に参加することを約束し、
そのために必要な祝福申請書を持って希望に満ちた姿で仁川の自宅に向かったのですが、
仁川駅の階段で足を滑らせて脚の骨が折れてしまい、
この時は、祝福式に参加できませんでした。

その後、肺炎で入院した時にも、
「私は興南の労務者収容所で文先生に会ってメシアだと信じ、
祝福の貴重さを知ってからは、切実に祝福を受けることを願ってきたが、
その機会がくるたびにサタンの妨害で願いを果たせなかった。
死ぬ前に必ず祝福を受けて、文先生のお許しをいただきたいのだが、
こんな体では祝福式に参加できないので、
妻が私の写真を持って参加できるようにしてほしい」
と言いました。

朴氏のたっての頼みから1997年1月19日、仁川のオリンポスホテルで挙行された祝福式には、
夫人が朴氏の写真を持って参加しています。

その2ヶ月後、慶州の病院で亡くなりました。
亡くなる直前に地上で祝福を受けることが出来て、本当に良かったと思います。

朴正華氏の人生は、私たちに多くの教訓を残してくれていると思います。
私たちは、神様から愛されていると実感している時は、
全てが感謝であり、全てが喜びになります。
しかし、誰からも見捨てられ、神様からも見捨てられていると思う時には、
神様は自分のことを愛してくれていないと思ってしまいがちです。
朴氏も文先生から直接愛された立場です。
しかし、その期間が終わり、遠くから見つめざるを得ない状況になった時、
文先生の愛が冷めたと錯覚し、文先生を裏切るようになりました。

先日、教会長がある食口と面接をした時のことを話してくれました。

ある婦人が「私は○○さん(食口)に一生懸命尽くしてきた。
でも、尽くしても尽くしても、愛しても愛しても、返ってこない。
私の人生は、いつもそうなんだ」と泣きながら、訴えてきました。
教会長は、「あなたの流している涙と思い、それこそが神様が6000年間流してこられた涙であり、
神様の心情なんですよ」と言いました。
しかし、責任者である教会長の声に彼女は耳を傾けませんでした。

「何故でしょうか。このことは彼女自身が悟らなければいけないからなのです。
自分が尽くしてきたけれど、返ってこなかった。
自分の思いにとどまっていては、神様に結びつきません。
神様がたどってきた道はどうだったか。
そのことを深く祈っていけば、自分の思いと神様の思いがひとつになるのです。」
と、言われた教会長の言葉が心に残りました。

やはり悟るのは自分自身です。
でも越えることは簡単ではありません。
朴正華氏しかり、そして最近話題になっている教会の大先輩しかりです。
さらに、私がその人たちの立場だったらどうだろうか、と考えた時に、
私の信仰は彼らの試練を乗り越えるくらい強いものであるだろうかと思わされます。
朴氏が帰ってきたように、私たちは大先輩のことを批判するだけでなく、
帰ってくるように祈らなければならないと感じます。

その祈りこそ、私自身が神様に近づく祈りになるからだと思うからです。



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posted by ten1ko2 at 23:42 | Comment(2) | TrackBack(0) | 朴正華氏のシリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする