2020年05月30日

永遠のNo1 聖歌「復帰の園」 死の収容所で生まれた希望の歌



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花盛りの天正宮2020.5


千歳(ちとせ)の願い荒れの園に
勝利の基(もとい)を求めて
尽くし来られた血のみ跡
これが父の賜う愛
これが父の賜う愛



「聖歌のゆかり」から、
『聖歌1番、復帰の園』の
エピソードを紹介します。



強制労働下にあっても
天の父の理想と希望をうたわれました


文鮮明先生が北韓で共産政権に捕らえられ、
興南の肥料工場で強制労働に服しておられたころ
作詞されたものです。

初めは日本の軍艦マーチのメロディーで、
うたっていたそうです。
現在のメロディーは1950年代後半に作曲されました。

興南の強制労働者収容所で文先生に伝道された
朴正華氏はこの歌について、次のように語っています。

「(肥料を詰める)カマスには、
重量などが書いてある紙の荷札が付いていました。
文先生はその荷礼の数枚に『復帰の園』の歌を書かれ、
その歌を一週間以内に覚えなさいと言われました。

そのメロディーは日本の軍艦マーチから取ったものでした。
統一教会が創立された後に、
私の学友が新しいメロディーを作曲しました。
それが今うたっている曲です」
(「TODAY'S WORLD」1983年12月号、
1984年3月号より抜粋)



聖歌の中でも屈指のこの歌は、
ご自身は死の収容所にあってもなお、
天の父の埋想と希望を中心とした
喜びの世界を伝えるものとして感慨深いものがあります。

二番と三番の直訳を記してみましょう。


  幸せの花咲く、自由の摂埋
  幸いなるかな、希望の花が咲いている
  楽しくうれしい摂埋の香りよ、
  これが父の待ち望む願いである。

  咲きほころぶ自由の園、幸福の花
  楽しくうれしいわれらの本郷
  永遠に生きる美しい花の園、
  これが父の与えたもう花の園である。



韓国語の原題は「復帰の東山(トンサン)」といいます。

冬の寒さの厳しい韓国では、春を待ち望む心が強く、
それは再臨を待ち望むキリスト者の
切ないまでの心を象徴しているといわれます。

東の山は一番早く春の兆しが見えることから、
東山は「園」(エデンと同じ意味)を表す言葉として使われています。

「園の歌」として親しまれている三十九番も、
原題は「東山の歌(トンサネノレ)」といいますが、これも同じ意味からです。


歌をうたうとき、文先生は
「もうここに理想は実現している。
ここに天国は来ており、勝利はすでにわれらのものである」
という確信を持ってうたう人が好きであるといわれています。

歌詞の内容に心を合わせてうたっていくと、
そういう思いが込み上げてくる歌です。

苦難の峙期であればあるほど、先生が喜びの歌を作られ、
うたわれたことを知るとき、力強い励ましを感じます。

聖歌のゆかり 1 復帰の園



聖歌1番「復帰の園」【世界平和統一家庭連合】
歌詞は下に掲載しました


『聖歌のゆかり』作者の天野照枝先生が
かつて金元弼先生を訪ねられた時、
軍艦マーチに合わせて、復帰の園を歌われていた、
そんな動画をみたことがあります。

苦難の中で歩まれた興南監獄。
歌詞からは、そんな地で作られたとは
思えないような、希望の思いが伝わってきます。

どん底にいたとしても、未来に対しては、
希望をもっていこう、
私たちに訴えかけてくださっているようです。

お父様がどんな思いをもって
興南を乗り越えていかれたのか、
また、困難な状況でも、希望をもって乗り越えてほしい、
お父様の思いを胸に賛美していきたいと思うのです。




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   「復帰の園」

1.
  千歳(ちとせ)の願い荒れの園に
  勝利の基(もとい)を求めて
  尽くし来られた血のみ跡
  これが父の賜(たも)う愛
  これが父の賜う愛

2.
  幸の花咲く自由の道
  楽しい望みの花咲きて
  喜びうれしい園の香り
  これが父の望む理想
  これが父の望む理想

3.
  咲きそむ自由 幸の園
  うれしく楽しい父のもと
  とわに生きゆく花の園
  これが父の願う園
  これが父の願う園

4.
  永久(とわ)の願いのこの理想
  父が立てたもう本然(もと)の国
  たのしく香りて誉(ほま)れ帰(き)せ
  これが父の創(つく)る善(よし)
  これが父の創る善






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2020年05月08日

本日9:30より中継、一ヵ月遅れの御聖婚60周年記念式! 聖歌誕生秘話♪「宴のとき」


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慶 御聖婚60周年、おめでとうございます 祝


新エデンの園に蒔かれし生命よ
芽生え、今育ち咲き誇り装いぬ
父なる神よ、聖きこの日を
祝しませ、愛の絆を
ハレルヤ栄えある日





今日は家庭連合においては、特別な日です。

「天地人真の父母様天宙聖婚60周年記念特別集会」
が、ひと月遅れで、
天正宮博物館にて行われます。

9時半からインターネット中継があり、
お母様が特別な宣布をされるそうなので、
可能であれば、報告させていただきます。

ご聖婚にまつわる歌ということで、
聖歌「宴のとき」の
由来を紹介します。


原題を「愛の春の園」といい、
梁允永(ヤン・ユニョン)女史によって作詞・作曲されました。

初めこの曲は聖歌9番「朝日に輝く」のために作曲されました。
しかし曲をお聞きになった真のお父様が

「この曲は愛らしい感じがする。
少年少女向きの曲だ」


とおっしゃられ、聖歌9番には使われませんでした。

曲自体は良いものであったためこの曲に合わせて歌詞が作られ、
「宴のとき」という素晴らしい聖歌として実りました。

梁女史はお父様のお言葉にヒントを受け、
未来の希望に胸を膨らませる少年少女たちを
イメージしながら歌詞を作っていきました。

「その時、お父様も一緒に考えてくださいました。
作っては歌い、歌っては直していった楽しさは忘れられません」



1960年の真の父母様ご聖婚の際、この歌を合唱してささげました。

それ以来、祝福式で合唱隊によって歌われたり、
新郎新婦の入場曲として演奏されたりしました。

日本においては、久保木修己会長(当時)夫妻が
日本で初めて祝福の恵みを受けられた
1968年2月の430組の祝福の時に
感謝を込めてこの聖歌の訳を公募し、
久保木会長によって「宴のとき」と名付けられました。

こうして日本においても、祝福の種がまかれた恵みと
感謝の記念として、この聖歌が歌われるようになったのです。

(参照:『聖歌のめぐみ』)
シリーズ聖歌 25
聖歌 第一部 29番「宴のとき」
BlessedLife



歌詞はお父様も共に考えられて、作られたのですね。
曲はもともと「朝日に輝く」のために作られたといいますから、
お父様の意見がなければ、出来なかった曲であり、
いろんな意味で、梁先生とお父様の
「合作」ともいえるのではないでしょうか。

くしくも初めて発表したのが、ちょうど今から60年前、
ご聖婚の時だったというので、
なんだか感慨深いですよね。

少年少女の向きと言われイメージしたというのが、
ちょうどご聖婚の時、17歳だった
お母様の姿と重なります。

また、韓国ではコロナウィルスがほぼ収束し、
今回ひと月遅れではありますが、
式典を行うことができることは、
二重に喜ばしいことであると思います。

また、日本語聖歌も邦題が素晴らしく
(さすが久保木会長!)
歌詞も公募したものだったとのこと。
これも、日本で初めての22双(12双と既成10双)での
お披露目だったのですね。

教会で行う祝福式典でも、
この聖歌を合唱したり、BGMでかけたり、
やはり、祝福式に縁のある曲です。

曲の由来を知りましたので、
これからは当時の様子を振り返りつつ、
聖歌を賛美していきたいと思います。




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29.宴のとき
1.
新エデンの園に蒔(ま)かれし生命(いのち)よ
芽生(めば)え、今(いま)育ち咲き誇り装(よそお)いぬ
父なる神よ、聖(きよ)きこの日を
祝しませ、愛の絆(きずな)を
ハレルヤ栄(は)えある日
2.
緑の野辺(のべ)に美(うる)わしき花よ
生命を注がれ春の野(の)舞(ま)い踊り
御使(みつか)い諸人(もろびと)、誉(ほ)めよこの日を
祝しませ、愛の交(まじ)わりを
ハレルヤ栄えある日
3.
御前(みまえ)に立ちて誓いし汝(な)が身
変わらぬ愛もて仕(つか)え侍(はべ)らなん
わが主よ、わが神、この妹背(いもとせ)を
祝しませ、愛のむしろを
ハレルヤ栄えある日
4.
御恵(みめぐ)みあふるる永世(えいせい)の朝
天地(あめつち)よ囲(かこ)め真(まこと)の父母(ちちはは)を
歌えやこぞりて主の愛の香(か)を
永久(とこしえ)の春は来たれり
ハレルヤ栄えある日



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2020年05月01日

この道を最後まで! どんな試練も、必ず終わりが来る 《♪聖歌 わが身の十字架》



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わが身の十字架を
(たれ)に担わさん
主はこの道を先駆けしを …

十字架背負いてわれは行かん
ゴルゴダかなたに勝利が歌う




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Blessed Lifeでは、1番から順に、
聖歌の解説を掲載しています。

今回は、「わが身の十字架」を紹介します。


作詞者の柳光烈(ユ・グァンヨル)先生は詩人で、
長年韓国統一教会の文化部長を務めた人です。

作曲者の金斗琓氏は既成教会の有名な作曲家で、
その弟子を通じて作曲を依頼することができたのです。

1959年8月28日の朝、柳先生は
例えようもなく神が慕わしく心情的に近く感じられ、
熱い感慨が胸に溢れて
「お父様に何か申し上げたい。何か書きたい」
という思いがしたそうです。

その思いを書き留めようとして紙に向かうと
言葉が後から後から湧き出してくるので、
感動しつつ泣きながら書いたのがこの詩です。

その時胸に込み上げるものは
「最後まで行かなければならない。
いくら教会にいたとしても、
最後まで行かなければ何にもならない」という思いでした。

そのころを思い出しながら、柳先生は次のように語っています。


 これは長年み旨の経験を積んだ人ならだれでも、
 わが気持ちとして実感できるでしょう。
 
 いくら手柄を立てても、いくら苦労をした実績があっても、
 最後まで行かなければ何の意味もないということになる、
 そんな気持ちを強く表した詩です。

 だから長年歩んできた人を、
 さらにさらに前へと激励する内容の歌です。

 迫害や風当たりの強い時代であり、お父様も
 非常に気を付けながら兄弟を育てていかれた苦しい時でした。

 私たちは果てのない道をいつまでも歩くような気持ちが
 いくらかあるのです。

 でも結局は必ず終わりが来るのです。
 力を尽くして歩めば、必ず成就する日が来ます。
 歩き尽くした時、行き着くのです。



(参照:『聖歌のめぐみ』)
Blessed Lifeより


*歌詞は下に掲載しました


私も試練の時、何か壁にぶち当たった時、
この聖歌をよく口ずさみます。

聖歌の紹介を見ると、
韓国で文化部長をされた柳光烈先生が、
神霊に高まり、啓示のごとくに
与えられた聖歌だということ。
本当に素晴らしい聖歌です。

以前、日本の総会長をされた先生が、
「私がみ旨を離れたい、と思う時には、
神様に『どうか私が離れそうになったなら
離れる前に、自分を霊界に送ってください』
そのように祈っています」
ということを語られていたことを思い出します。

貴いみ旨、歴史的にも真の父母様が、
地上におられる時に、ともに歩めるという、
最大の恵みの中にいる私たちです。

柳光烈先生のメッセージを読みながら、
この世界的な新型コロナウィルス禍も
逃げ場がない難局ではありますが、
必ず終わりがある、とのお言葉に
力を頂きました。

もしも、何か心に傷を受けるようなことがあったとしても、
この聖歌を賛美しながら、
当時の先輩方の困難・試練を思いつつ、
さらには、真の父母様の歩みを思いながら、
感謝して乗り越えていきましょう。







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聖歌第一部28番
「わが身の十字架」

1.
わが身の十字架を誰(たれ)に担(にな)わさん
主はこの道を先駆(さきが)けしを
(たまわ)りし御旨(みむね)果たせずして
千歳(ちとせ)の歴史は血と涙
十字架背負いてわれは行かん
ゴルゴダかなたに勝利が歌う

2.
身ニ過ぎし重荷、負わすべきや
強く歩まばわれは着かん
御旨に捧(ささ)げしこの身なれば
などてためろうや生命(いのち)の道
十字架背負いてわれは行かん
ゴルゴダかなたに勝利が歌う

3.
御旨成すが為(ため)、耐え来し(たえきし)
子もまた共に戦わんや
成さずば苦労も無に等しく
戦い勝てば永久(とわ)の幸を
十字架背負いてわれは行かん
ゴルゴダかなたに勝利が歌う


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