2017年08月18日

私のことは心配しないでください! 食口を愛しなさい! ──真のお母様 《善進様のみ言》1



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私のことは心配しないでください。
それよりも世界の食口を慰め、
愛さないといけません


真のお母様



昨日の妍娥ニムのみ言をあげてから、
かつて、善進世界会長が、
「真のお母様が水圧につぶされそうで。。。」
そんなみ言を語られたことを思い出しました。

3年前のみ言ですが、今も色あせない、
お母様を証しする貴いものです。
とても長いので、何度かに分けて紹介します。


私は真の父母様の直系の子女でありますが、
真の家庭の兄弟姉妹は真の父母様から
直接の教育を実際に受けた者は誰一人いません。

私が幼少期を通じて覚えているのは、
父母様が教会の食口を集め、み言を語っていらっしゃるお姿と、
または世界各国の食口に会いに行くために家を出発されるお姿だけでした。

真の父母様の娘ではありますが、
皆様が真の父母様とともに歩まれた苦労の道のりは、
私にはおぼろげにしか見えていません。


ここにくる前に、私はお母様に、
私が真の父母の代身として皆様の前に立つには
不足な者であるし、不適切だとお伝えしました。

すると、お母様は、

「心配するな、真の父母が常にともに導く」

と言ってくださいました。

「ただ誠を尽くして、
真のお母様の指示と
神様のみ旨に従いなさい」


と指導してくださったのです。


私の人生において、最近の二、三年ほど、
娘として真の父母様とともに過ごせた時間はありませんでした。

真の父母様と過ごす貴重な一瞬一瞬を通して、
多くのことを学ばせていただきました。
また、皆様との時間を通しても学ばせていただいています。

世界平和のためにすべてを捧げてこられた皆様の信仰の深さ、
純粋なる決意、精誠、そして揺るがない忍耐力について学びました。

こうした内容を私たちは決して忘れてはいけないと思います。
今日は、私のような不足な者が、
お母様の皆様への感謝と愛をお伝えする役割を担って
ここに立ちご挨拶せざるをえないこと本当に申し訳ありません。
皆様には配慮と忍耐をしていただき感謝いたします。


韓国語で「ありがとう」「愛しています」を
なんというか皆様、ご存知ですね。

真のお母様が皆様に伝えようとしておられた愛と心情のメッセージは、
この二つの言葉に集約されます。

真のお父様の聖和以来、この二つの言葉の意味の深さについて、
お母様はいつも強調しておられます。


お父様が聖和されたとき、私たち家族全員はとてつもなく
大きな痛みと悲しみに襲われ、お母様もその波に吞み込まれました。

霊的にも、情的にも消耗されていた真のお母様を見て、
私はどうしたらお慰めすることができるのか、お母様にお伺いしました。

するとお母様はおっしゃいました。

「私のことは心配するな。
それよりも世界の食口を
慰め、愛さないといけない」

と。


一つの会社を経営するだけでも相当の時間と
エネルギーが必要とされることを、私たちは知っています。

しかし、真のお母様が抱えていらっしゃったものは、
危機にさらされた統一運動をいかに発展させるのかという、
はるかに大きなものでした。

さらには、無秩序と混沌の中で、もつれて絡まった糸を
解くような複雑な問題もありました。
お母様にしか解決することのできない問題をお一人で扱ってこられました。


お父様の聖和は、私たち家族全員の心に大きな穴を残しました。
皆さんもそう感じたかもしれません。

自らの心の痛みを慰める方法を探しましたが、
結局のところ、真のお母様のご心情の痛みをともに抱こうとすることしか、
その方法がみつかりませんでした。

今でもなお、お父様の聖和によって真のお母様が
背負われることになった重荷の大きさを、私は想像することもできません。

お母様は、そのとてつもない重荷に対し、
世界の海の底で何トンもの水圧に
押しつぶされているようだとたとえられました。

悲しみに暮れたとしても、やむを得ない状況において、
真のお母様は、真のお父様の使命を引き継がれ、進展させるために、
勇敢に舵をとり、悲しみの台風の中で、神様の摂理を静けき海岸へと導き出し、
錨を下ろして私たちを守ってくださったのです。

真のお母様は、数えられないほどに何度も命を危機にさらしながら、
苦しまれる神様の心情を解放し、
お父様の偉業に栄光を捧げるために歩んでこられたのでした。


母に侍りながら、常にお母様の知恵、
奥深いご心情と驚異的な強さに感銘を受けます。

いかなる困難の中でも、お母様は、真のお父様との深い霊的交流を通して、
解決策を探され、神様のみ旨のために昼夜を問わずに
自らを犠牲にされていらっしゃいます。

今、真のお母様は統一運動の中心として
この地にしっかりと立たれていらっしゃいます。
お母様は生きた奇跡です。

お母様はより強く、より早く、より健康になられています。
そして、霊肉の健康の模範を見せてくださっています。
真のお父様と二人三脚で、
一歩一歩確実に道を開き、導いてくださっています。


先日の秋夕(チュソク)のとき、家族が集まり、
真のお父様への感謝と追慕を捧げました。

秋夕の満月の夜、やさしい月の光に照らされながら、
真のお母様と家族全員が一緒に歌を歌いました。

家族みんなが、夜空を照らす真のお父様の愛とエネルギーを感じ、
月の表面に見えるクレーターに
真のお父様の笑顔が舞っているように思いました。

天との一体感によるその祝福と恵み、
そして純粋な喜びに浸されながら、真のお父様の聖和二周年を越え、
私たちは、全ての苦しみが解けていくように感じました。


過去一年は、とても荒廃し、難しい期間でした。
しかし、そのとき、新しい一日が始まるということを実感しました。

真のお母様の決意、リーダーシップ、そしてその神性の光のためです。
私たちは、天の父母様、そして真の父母様のもとの一つの家族として、
再び生まれ、再生し、再び一つとなれたのです。

真の愛を中心とすれば、すべてのことが
天の父母様のもとに戻っていくのだということを実感しました。

天の父母様の前に全人類を復帰すること、それが皆さん、
そして私たちの教会の使命なのです。

真の父母様が皆さまを救い、皆さんが私たちを救い、
未来の世代のために燃やし続けている世を照らす光を
私たちが守っていかなければ、
いかなる救済も可能とはなりません。


この秋、私たちは、全ての困難と犠牲が過ぎ去り、
真なる収穫のときが来たことを感じました。

歴史的な伝記の新しいページを今、ともに書いているのです。
気がつけば蕩減から解放され、豊かな祝福に囲まれているのです。

許しによる絶対的な感謝と愛、
万民と万物をつつむ真の愛と団結・・・

私たちは今、歴史の新しい栄光の章を
ともに書き始めているのです。



真のお母様が最初の聖和式の時に、
おそらく、涙に濡れた日々によって、
目を腫らせた中にありながら、
「中断なき前進」を語られた、
そのような姿を思い出しました。

どんな状況にあろうとも、お父様の願いに応えたい。。
そのような一念で前進し続けていかれたお母様。。。

その決意は、日が経ってからも
なお一層のこと、強くなっているに違いありません。
ですから、聖和5周年に向け、
さらなる精誠を捧げているのだと思います。

明日に続きます。




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2017年08月17日

聖和5周年まで21日!! けっして揺るがない真のお母様! 《文妍娥様のみ言より》



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薫淑様と妍娥様☆


真のお父様の聖和5周年まで、
あっという間に残り21日となりました。

今から3年前になりますが、
文妍娥(ヨナ)様が、お父様が聖和された頃の
お母様の様子を語られたみ言があります。
少し編集して紹介します。


その当時、真のお母様は眠ることができず、
無理に寝ようとしても眠れなかったために
睡眠薬に頼っていたとお話しされました。

私も真のお母様が何ヶ月もの間眠ることができず、
辛そうにしておられるお姿を横で見ていました。

真のお母様が公に語られれば、
食口が心配し懸念するといって、
公にすることもできなかったのです。

今は普通にお話しされますが、
真のお母様が何故眠ることができなかったのか
何もお話しになられませんが、
考えてみると本当に多くの考え、多くの決心、
その多くをお一人でなされたのだと思いました。

真のお父様が逝かれて二周年になり、恥ずかしながらも今になって、
真のお母様の決意について再び考えるようになったのでした。

また真のお母様が基元節において
涙で祈られた内容は、長くはありませんが、
その単語の背後には本当に色んな事情が多かったのだと感じました。

当時、私たちは真のお父様が霊界に行かれるとは、
誰も想像もできなかったので皆が辛く、皆が心を痛め、
その痛みがあまりにも染みて肉体にも影響を及ぼし
病気になった食口もたくさんおられました。

このようにそれぞれが辛く心を痛めましたが、
それでも真のお母様の心に周波数を合わせて、
「私たちがそれほどにも愛した真のお父様のために
私たちは一生懸命励みます。
真のお父様の行かれた道が、
無駄にならないように更に輝かせていきます。」
と心に決めておきながらも立ち上がることが出来なかったこと、
そのように決意を固めて
それを行動でお見せできなかったこと、
本当に申し訳ありませんでした。



最近、私は個人的に、時間が過ぎれば過ぎるほど、
真のお母様は本当に真のお母様なのだと確信します。

一度も真のお母様はご自身について揺るがれたことがありません。
最初お母様が、「誰も私を教育しなかった。」と言われた時、
何故そのような言葉を言われるのだろうかと不思議に思いました。

最近になり、本当に真のお母様はそのように生きてこられたのだな!
真のお父様と聖婚することを決定される前、
真のお父様にお会いする前から摂理に対する決心をされて、
神様を考えられ、私の代で全ての人類の蕩減復帰を、
エバが失敗した蕩減復帰に終止符を打つと決心された
お母様だったということを悟るようになりました。

本当に天が準備し育てた独り娘なのだということを切実に感じます。

最近、真のお母様は今後の摂理をお考えになりながら、
真のお父様が三度も真のお母様と清平を周りながら、
この場所について真のお母様がすべきことについて
約束された内容をもう一度心に刻み、
特に生涯博物館についても2020年になる前に、
真のお父様の100歳の御聖誕記念日以前に
完成して差し上げようとお考えになっておられます。

こういう時、それらを全て出来なかったとしても、
真のお母様を応援し、私たちがいるから元気を出して下さいと
少しでも表現すれば、真のお母様は元気が出ると思います。

一世代の食口、指導者たちの次の世代が
続いていけないなら全てが無駄になります。
それらをどう収拾しなければならないかを案じておられる
真のお母様でいらっしゃいます。


多くの方々が私を見ながら、真のお母様のお体は
大丈夫なのかと関心を持って尋ねられます。

以前はただ「はい、大丈夫です。」と答えていましたが、
最近はそのような質問を受けるとき
「真のお母様はお強いです。
ご心配にならないでください。
真のお母様は本当にお強いです。
何があっても真のお母様は最後まで貫いていかれるはずです。」
と答えます。

だから皆様にもお願いです。

真のお母様に、
「お母様、ご心配にならないでください。
世の中全てが反対しても私たちがいます。
私たちがお母様の味方です。」
という心情で、お母様の力になられることを切に願います。



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真のお母様が抱えておられる重荷以上に
重い荷物を持っている人は誰もおられません。
自分の抱えている内外の問題も
お母様のことを思うと、あまりに小さいものに感じられます。

ご自身の子女様たちがお母様を無視し、
お母様を批判している状況でありながら、
み旨を推し進めている立場。。。
それは計り知れないほどの強さがあってのことだと思います。

だからこそ、今、お母様が一番願っていること、
神氏族メシヤ活動と救国救世に向けて、
み旨の最前線で歩みつつ、教会でも家庭でも、
次代に続く、具体的に喜んでいただけるものをお見せしていきたいと思います。
どれだけお母様の願いが切実であるか、
そのことを肝に銘じて、21日間投入していきたいと思います。




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2017年08月16日

神様と和睦する?! 一番の要因は、「絶対信仰」!! 《李ヨハネ先生》和睦1



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苦痛、試練、悲しみ、十字架・・・

李ヨハネ先生の先回の講話では、
それは宝物であるといわれていましたが、
それでは、「苦痛」を越えていくには
どうしたらいいでしょうか?

新シリーズは、「苦痛と和睦」です。


「苦痛と和睦」という題目で、神と和睦するための人間の責任と、
また、私たち人間が互いに和睦できる方法について
み言を分かち合いたいと思います。

「和睦」というのは、私たちがよく知っているように、
互いに意志が通じ合って仲が良いということを意味します。

この和睦という言葉は原理ではあまり出てきませんが、
「復帰」という言葉が「人間と神との和睦」を意味するのです。

そして、神と和睦しようとすれば、
まず人間からサタンを分別しなければなりません。


こういう立場から見る時、復帰摂理は
神の怨讐だった人間がサタンを分立して
再び神と和睦しようとする、
本来の創造目的を成就するための摂理だといえるでしょう。

み言の前に祭物となり、宗教儀式や法の前に絶対的に従順に従い、
屈伏するようになさる神の摂理は、
例えば旧約時代の律法などは、結局それを通して兄弟の愛を築き、
その基盤の上で、神と人間のむつまじい父子の関係を回復なさろうとする
過程的な摂理だったのです。

イスラエル民族に契約の箱を与えたのも、
その契約の箱をエホバの神のように思って、
これを与えた神のみ意に、絶対的に従順屈伏することによって、
神の選民となり、神の祝福を受けることのできる、
むつまじい関係をもった立場に引き上げようとする意図があったと思います。

私たちの信仰路程も、普段の生活で和睦するための基盤を築き、
神との和睦という目的地に向かって歩む過程だといえるでしょう。

きょうのみ言の題目も「苦痛と和睦」ですが、聖句を見ると、
イエス様は神と人間との和睦のために十字架の祭物になられたとあります。

それなのに、人間が神と和睦できずにきた理由は何でしょうか。
一言でいって、絶対的な信仰がなかったからです。



神と和睦する原則


絶対的な信仰で、一つの中心をつかんで自分を否定すれば、
神と和睦することができますが、
そうできなければ失敗してしまいます。

ノアの家庭を見ると、息子たちが父であるノアを、
神が立てた人として絶対的に信じたなら、神の願いを成就し、
また、その家庭も破壊されなかったかもしれませんが、
息子たちに絶対的な信仰がなかったので失敗してしまいました。


ところが、アブラハムの妻サライからは、
絶対的な信仰について素晴らしい手本を見ることができます。

「エジプトにはいろうとして、そこに近づいたとき、
彼は妻サライに言った、
『わたしはあなたが美しい女であるのを知っています。
それでエジプトびとがあなたを見る時、
これは彼の妻であるといってわたしを殺し、
あなたを生かしておくでしょう。
どうかあなたは、わたしの妹だと言ってください。
そうすればわたしはあなたのおかげで無事であり、
わたしの命はあなたによって助かるでしょう』。」

(創世記一二・11〜13)

という聖句があります。

アブラハムは自分が死にそうなので、異国の王に嫁げというのです。
妻サライに、耐えられないようなことをさせたのです。

ところが彼の妻は耐えられないことにも従順に従いながら、
復帰摂理の一つの結び目を解いていったのです。

サライは、エジプトの王やアブラハムにはもちろん、
神にも恨んだり不平を言ったりせず、夫と神に対して
絶対的な信仰をもっていたので、
神は彼女を助けることができました。

怨讐の懐にいる自分を、神が再び訪ねてこられるように、
サライが自らの責任を果たしたので、
神が彼女を救うことができたということです。


こういう絶対的な信仰をもった信仰者になれるのでしょうか? 
これが、私たち皆の関心事です。

自分を否定して初めてそうなれるといえるでしょう。
自己否定ができなければ、絶対的な信仰が生じるはずがなく、
したがって、神と和睦することもできません。

神は、私たちを導くにおいて、
私たちの考えや立場にぴったり合うように導く方ではありません。
自分の計算や考えには合わないことも、
信じて従順に従ってこそうまくいくように導かれるので、
自分を否定しなければならないのです。

自己否定には本当に大きな苦痛が伴います。


ところで、自分を否定してこそ和睦できるという、こういう原則は、
人間相互間の生活にも同じように適用できます。

私たちの生活で互いに不和になる出来事をよく調べてみると、
自分自身を先に立てて計算し、勘定するので問題が生じるのです。

では、これをどうすべきでしょうか。
信仰感情が良くなければなりません。

信仰感情、平和の心情があふれるようになれば、
理論や計算に合わなくても、心情には合うものがあります。
打算的に考えれば明らかに不可能なことなのに、
情ではそうしようとするのです。

私たちの生活では、このように、自分自体の内でも
情と理性が全く食い違う時があります。

自体内でもそうなのに、ましてや他人との和睦は易しくないのです。
ですから、他人との和睦が、どこでも、いつでも問題視されてきました。



神様は目には見えません。
そういう意味では、厳密にいうと、
一人一人の神観は異なるものになってしまいます。

それで、神様はご自身の代身として、
人を立てて、背後の神様を見つめさせながら、
「絶対信仰」を願われてきたのだと思います。

「私は神様を信じているが、人は信じない。
だから組織にも入らない・・・」
そのように言っている方も実際おられますが、
それは違うと私は思います。

背後の神様を見つめないと、
サタン分立されません。
また、神様は喜ばれるはずはないでしょう。

神様は人を関与して摂理なさいます。
だから、やはり「絶対信仰」が重要なのだと思うのです。

不定期に続きます。






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