2018年07月14日

お母様の美しさとオーラ  《御聖婚初期のお母様:池生蓮先生》2



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池生蓮(チ センニョン 지생련)先生
「真の愛の勝利者」よりお母様の証し、続編です。



真のお母様の学生時代とご聖婚初期を前後して

この証を書きながら
当時のお母様のお姿が写っている写真を再び注意深く見ました。

いつも感じることなのですが、
お母様はずば抜けた美人の容貌をおもちになっています。
韓国人は概して顔が丸かったり、角ばった四角型ですが、
お母様の顔はあごのほうに下がるほど顔の線が
柔らかく内側に集まる、いわゆる卵型です。

それとともに、顔の左右のバランスが完璧に取れており、
容貌の一つ一が繊細にして全体的な調和を成しておられます。

お母様が人々の間におられたら、まずこのようにずば抜けた美しさのために、
あたかも鶏群の一鶴のような光を発せられるのではないかと思います。
お母様の名前の鶴子は、
当時の容貌と感じをとてもよく表現していると思います。


私が神様に祈祷を捧げながら夢うつつの中に想像していた真のお母様の姿よりも、
はるかに幼いかたが、いざお父様のお相手に選ばれたことで、
私は初めは腑に落ちずに心配にもなりました。

「あのように幼いかたが、かくも困難なメシヤのみ旨の道を
お父様と共に歩むことができるのだろうか」。

佳約式(夫婦になる口固め)に出てこられたお母様は、
きわめて慎重で注意深かったです。

天の摂理の道の第一歩を踏み出されるお母様の姿には、
天が六千年の復帰摂理を通じて準備しておかれた
宇宙の母としての品位が滲みでていました。

私はそのようなお母様の姿を見ながら、
神様が私の祈祷を聞き入れてくださったようで、
とてもほほえましく感じました。


お母様はこの日、
「春が来ると山野につつじの花が咲く。
つつじの花が咲く所に私の心も咲く…」
と歌われましたが、声が玉のように澄んで清らかでした。

お父様は今でもお母様にこの歌を時々歌うようにおっしゃいますが、
たぶん私のように
そのときの清らかな美しさを覚えておられるからなのでしょう。


お母様はご聖婚初期にはほとんど話をされることなく、
いつも静かで落ち着いた態度で私たちの前に姿を見せられました。

各種の教会行事や食口たちの集いで、
お父様の傍らや後ろに従順に座っておられ、
沈黙を平安に守られるのはもちろん、
喜怒哀楽の感情の変化を少しも表にお出しになりませんでした。

終始一貫という言葉で表現することのできるある落ち着きと沈黙の印象が、
当時のお母様の周りを常に包んでいました。
周囲に起こる変化をすべてご自身の心の中で深く観察されて、
経験と直観を心の内にのみ積まれていかれるようなお母様の内性的な姿勢は、
むやみに干渉することのできないある種の威厳に感じられたりもしました。

このようなお母様の一様な威厳は、
四十年過ぎた今日にいたるまでそのままであり、
慈しみ深い品性を知りながらも人々は、
お母様に対して控え目になるし近づきがたく感じるのです。

時間が流れるにつれて、私はお母様のこのような一様な威厳と言行が、
どれほど大きい力で
教会とお父様の仕事を助けてきたかを悟るようになりました。



真のお母様はお父様がおられる時には、
お父様の完全相対に立たれて、
お父様をお支えする立場で歩まれました。

しかし、お父様は未来のことを予測されて、
お母様を最前線に立たされました。
お母様への訓練、教育だったと思います。

そして、今は、お父様の代身として、
お父様の願いに応えるように、
必死なる歩みをしておられます。

お父様とともに歩まれたことを思い出すように、
お二人で行かれた場所を優先されて、
お父様を常に意識しておられる、
真のお母様であることを知らなければならないと思います。

さらには、表に立たれなかった時にも、
お母様でなければ乗り越えることのできなかった、
女性としてのすべての蕩減を清算する道を歩まれた、
真のお母様であったことも知らなければならないと思うのです。






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<池生蓮(チ センリョン)지생련先生プロフィール>
池生蓮巡回師は1931年9月25日(陰)慶尚南道金海出生、
2018年4月15日(天暦2月30日)、享年88歳で、アメリカで聖和(ソンファ)。

1955年1月10日、入教した。同年11月、
梨花女子大学法学政治学科4年在学中に、統一教会の信仰をすることを理由に、
信仰か学校かを選択せよとの学校側の不当な措置に、勉強を放棄して信仰を選択した。
1961年、李起錫氏と36家庭として祝福を受けて、文鮮明先生のみ言により、
1977年、アメリカ・サンフランシスコに渡る。

全国特別巡回師として活動した池女史は、アメリカで進児韓国学校、
理事長兼校長として20年間アメリカの子供たちを対象に韓国語と文化を教育。
1990年代後半以降も、先生の公館であるイーストガーデンで
祝福家庭の信仰指導と韓国語教育、そして聖地祈祷をされる。

真の父母様は、み旨に捧げた崇高な生涯を称え、
「祝・祖国光復必勝奉身代表」の揮毫を授けられた。
(4月25日原殿式、聖和式)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
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2018年07月13日

お母様のすごさは?! 真実を宣布だけでなく、実行 《世界で最も美しい言葉オモニ》5



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李成萬(イ ソンマン)副会長の寄稿文、
「世の中で最も美しい言葉 オモニ」の続き
『天の父母様と真のお父様が役事される天運の中心』です。


昨年(2016年)、アメリカワシントンの上院議員会館に
国会議員たちをはじめ、60余か国から400人余りの
国会議員と各界指導者が集まりました。

その場で真のお母様は、自らメシヤ、真の父母であることを
堂々と宣布されました。

そして、アメリカが行くべき道は、
まさに真の父母と一つになって世界のために生きることであり、
それが天の御意であると強調されました。

政治の力、経済力、軍事力、またほかのいかなる力でもなく、
ただ真の父母様だけが世界の難問題を
解決することができると力説されました。

お母様は平素、いつも真実を明らかにしなければならない、
真実には怖いものがないとおっしゃいます。
そのみ言を実行されたのです。


私もその時間、その場に同席しました。
心の中で、真のお母様に大きな拍手を送り、
応援をしました。

お母様のパワーと偉大さを今一度実感するとともに喜びも感じました。
しかし一方で、申し訳ないという思いを禁じえませんでした。
その場に参加していた教会指導者や食口も同様だったことでしょう。

お母様が宣布される前に、祝福家庭である私たちが、
真の父母様の代弁者、証し人に
なってさしあげなければならなかったのに、
そうできなかったという事実のゆえです。

真のお母様は政治家、事業家、芸術家など、
分野を問わず、機会があれば
直接み言をお伝えになり、伝道されます。
ほとんどが初めてお会いになる人々です。

私は、真の父母様の偉大さの一つは、
み言を語られるだけでなく、
自らそのみ言を実行されることだと思います。


真のお母様は昨年(2016年)11月末から12月初めにかけて、
ワシントンとニューヨークで
さまざまな行事と集会を主管されたあと、
ラスベガスに移動されました。

そして、到着された翌日、
国際平和教育センターでの朝食会に
韓国の芸術監督を一人招請されたのです。

み言をお伝えになり、真のお父様の
聖和5周年記念ミュージカルについて研究をさせるためです。
彼はカトリック信者でした。

真のお母様は食卓で、そのおひとりのために
アダムエバの堕落からイスラエル民族を中心とした復帰摂理、
イエス路程、真の父母様の生涯まで、1時間にわたり
滝のような勢いで、み言をお伝えになりました。

「カトリックは、責任を果たせなかったマリヤを
実母としてあがめ、イエス様は今も十字架に架けられています。
そのようにイエス様を信じて、
天国に行くと言っていますが、行けると思いますか?」

その方は、私のすぐ横の席に座っていましたが、
食事をまともにできませんでした。
私は内心、心配し、一方では痛快でもありました。

ところで、その後、その方は、ほぼ食口になりました。
真の父母様を心から尊敬し、
真のお母様が願われることならば、
昼夜を問わず最善を尽くしています。



改めてお母様って本当に素晴らしいですね。。。
み言を具体的に実行、実践しておられます。

クリスチャンに対しても堂々と語られるお母様。
私だったら、そこまで伝えられるかな、と。

万民にあまねくみ言を伝えていかれるお母様。
子女として孝情の心情をもって、
相続して歩んでいきたいと心から思うのです。





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2018年07月12日

兄弟を神と思って生活 関係が悪いと力を失う?! 《李ヨハネ先生のベスト・アンサー➂》



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李耀翰(イ ヨハン:李(リ)ヨハネ)先生のみ言、
食口の信仰生活に関する質問の回答、続編です。


(質問三)
  霊人体が成長するために、
  どのような交わりが必要でしょうか


例えば、人と会った時、この人とどう付き合うべきかと、
いつも自分に反問して暮らすのです。

いつも反省しながら暮らさなければ、
仕事に支配される僕になるのです。
ほとんどの人が、そうなのです。


ぶどう園の例え話を知っていますか。

朝九時から来て働いた人と、午後三時から働いた人がいて、
朝来た人にも、あとに来た人にも、
五時に帰る時には同じ金額を払ったのです。
すると、朝来た人が不平を言ったのです。
「人をばかにするにもほどがある」と。

しかし、主人の立場では、後者に、
「これは気の毒」と思って善を施したのです。
彼はどれだけ感謝して働いたか。

朝から来た人は、やむを得ず「早く終わらないかなあ」と思うし、
あとの人は、「仕事にあぶれるかと思っていたのに」と喜んでやったというのです。

主人は、その情を見たのです。
情の世界を見たのです。
きっと聖書は、こう解明しなくてはならないのです。

時間さえ過ぎればお金をもらえるのだと、
やむを得ずにやった人と、喜んで二時間やった人とを
神様が見た時に、喜んで二時間やった人のほうに愛が行くのです。
その人に祝福を与えたい、これが親の愛、愛の心です。
 

だからこれは信仰の本質を言っているのです。
主体者に対してどれほど引かれて暮らすか、
どれほどみ旨を喜んで暮らしているか、これが本質なのです。
この心を奪おうとするのが、サタンの側です。

私たちの霊人体は、どういう時に成長するかといえば、
希望に燃えてみ旨に刺激を受けている時は、
霊人体が成長しているのは間違いないのです。
そういう時は、分別しやすく、未来を知るのです。

そうでない人、線のゆるんでいる人には、
急にびっくりするような事件が起こるのです。
それが戒めなのです。
そして、「自分と主体者との関係をはっきりせよ」と、
気づかされるのです。


統一教会の人たちは、最初精神的刺激を受けた動機があるから、
それをゆるめると、自分自身もそう感じて、体も重くなり、変なのです。

夢もおかしいのです。
追いかけてくるようなものを見る。
それを放置しておくと、御飯の味が変になるのです。

病気だからといって休む。
病院に行くと、「病気ではない」と言われるのですが、
その時に、すぐ敏感に悟らなくてはいけないのです。

大先生は、「私たちにはアンテナがある」と言われるのです。
そのアンテナにごみが付いたら、すぐ分からなければいけないのです。


兄弟関係においても、四位基台的関係において
霊人体は成長するようになっています。

カインとアベル関係において、(関係が悪くなれば)必ず力が失われます。
主体と対象関係によって、必ず力が来るのです。

兄弟をいかに貴重に思うか。
貴重に思える時は、相手が相手と見えないで、
神から派遣された者に見えるからです。
そこに四位基台ができ上がるのです。

だから、目に見える人を神となったその人と思って付き合わないと、
相対基準とならないのです。

そういう兄弟には反発がない。
兄弟を無関心に見ないのです。
そういう人は、草一本でも、無関心に見ないのです。



神様を中心に物事を見つめる
李ヨハネ先生だからこそ、
与えられるものが大きいと思わされます。

家庭が壊れ、人間関係が希薄になったこの時代、
私たちも、常にアベル・カイン、人との関りで一喜一憂し
難しさを抱えてきました。

本質が問われる時代となり、
内面を成長させ、本物になっていかなければならないと
切実に感じます。

そのために何より大切なのは、
神様の目で見て、神様の体となって愛することなのかと思います。







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posted by ten1ko2 at 07:42 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする