2023年03月14日

歴史上初めて、「神様の解放」を訴えた方 《人間・文鮮明師 朴普熙先生》



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神様の真実の姿は、
傷ついて、失意と心痛と
悲しみに打ちひしがれた姿でした──

朴普熙(パク ポーヒ)先生の
「真のお父様の身近に侍って
 人間・文鮮明先生」より
「お父様の理想は『神様の解放』」の
後編をお送りします。


一、お父様の理想は「神様の解放」

私たちは解放という言葉をよく使います。
人類の解放、何らかの抑圧からの解放、
貧困からの解放、疾病からの解放、植民地からの解放、
それらの解放はすべて素晴らしい言葉です。

ところで、お父様の教えを一言に集約するならば、
「神様の解放」であるということができると思います。


しかし、突然「神様の解放」ということを
論ずるようになる時は、一体その意味が
何なのか理解することが難しいのです。

その解放が「神様の解放」という時、
私たちは戸惑います。

どんな哲人も、どんな宗教家も、
「神様の解放」という言葉を語ったことがなく、
本に書かれたこともありません。

ところが、お父様はしばしばその説教の中で、
説教の結論として、「神様の解放」を訴えられます。
これは新しい言葉であり、新しい思想です。


それでは、神様を何から解放しようというのでしょうか。

神様は一体誰の捕虜になっているのでしょうか。

お父様が語られるには、
「神様を悲しみと苦痛から解放しよう」というのです。

子供たちが、ちょうど病床で呻吟する父母を
病苦から解放してあげようと尽力するように、
神様を解放しようと身悶えしながら生きておられるかたが、
お父様であられるのです。

さらに、神様をその苦痛から解放しなければならない、
という運動を提唱されたのです。

それがまさしく、お父様の神様解放運動なのです。
統一教会のその運動は、
今、世界的に広がっているのです。

それならば、どのように神様を
解放しようとされるのでしょうか。

堕落した人間を罪悪世界から救援して、
完成の領域に導いていく道のみが、
神様を苦痛と悲しみから解放する道なのです。

この運動が、まさしくお父様の教えであり、
統一教会の運動なのです。

神様を苦痛と悲しみから解放するという言葉は、
結局この地上に本然の地上天国の理念を
実現するということです。

ですから、神様がこの地上に降りてごらんになる時、
歓喜と喜びで高笑いをすることのできる世界に
戻しておこうというのです。

この運動は、まさしくお父様の思想を
集約した内容であり、
その思想を一言で言うならば
「神様解放主義」ということができるでしょう。

このように歴史上初めて、
神様の解放を訴えて現れるようになったことは、
まさしく歴史以来初めて、本然の神様を
徹底的にご存じのかたが現れたためであり、
そのように徹底的にご存じである所にのみ、
このような主義と運動は誕生することができるのです。

神様を苦痛と悲しみから解放するという言葉は、
結局この地上に本然の
地上天国の理念を実現するということです。

ですから、神様がこの地上に降りてごらんになる時、
歓喜と喜びで高笑いをすることのできる世界に
戻しておこうというのです。

この運動は、まさしくお父様の思想を
集約した内容であり、
その思想を一言で言うならば
「神様解放主義」ということができるでしょう。

このように歴史上初めて、
神様の解放を訴えて現れるようになったことは、
まさしく歴史以来初めて、本然の神様を
徹底的にご存じのかたが現れたためであり、
そのように徹底的にご存じである所にのみ、
このような主義と運動は
誕生することができるのです。

真のお父様の身近に侍って 人間・文鮮明先生
朴普熙
(ファミリー1994年 5月号)
ブログ記事に合わせ
構成を一部組み替えて紹介しています
文責:ten1ko2


真のお父様は、
神様を愛することに
気が狂われた方であります。

さらには、その神様が
悲しんでおられることを
知っておられるがゆえに、
神様を解放するために、
気が狂われた方である、
ということができると思います。

「神様解放主義」
それを、生涯実践していかれたお父様。。。
私たちもあとに従う群れに
なっていきたいと思うのです。


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2023年03月13日

「負けたらお前のせい」と言われて ネガティブ夫だった(元)世界チャンピオン 《夫婦愛を育む*橘先生》



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橘幸世先生の「夫婦愛を育む」
不定期で再開されています。

今回は、『ネガティブ夫が責めてきたら』
を紹介いたします。



ボクシングにはほぼ興味がなく、
録画したきりだったNHK「逆転人生〜全米熱狂!
夫婦でつかんだ逆転KO」(初回放送日:2020年10月12日放送)

今年に入り、ようやく視聴しました。
「早く見ればよかった」と後悔しています。

2011年、ラスベガスでジェームズ・カークランド対
石田順裕(のぶひろ)の試合が行われました。

カークランドはそれまで27戦全勝24KO。
マイク・タイソンの再来とも。

度重なる強盗・暴行事件で2年刑務所にいた後、
出所したカークランドが世界王者への
階段を上るためのかませ犬(引き立て役)
として選ばれたのが、石田選手でした。

オッズ(勝算)は17対1。
下手すれば殺されるとさえいわれていました。


そんな危険な相手に挑む石田選手は、
対照的に根っからのネガティブ人間。

工場で働きながらボクシングを続ける35歳、
引退の瀬戸際にありました。

試合前、緊張から体の震えが止まらず
ほぼパニック状態に。

そんな彼から妻に放たれた言葉は、
「この試合、おまえがやれ言うたんやからな。
負けたら、全部おまえのせいやからな」。

理不尽で情けない夫の言葉、
皆さんだったらどう反応しますか。

もちろん妻がその試合を
セッティングしたわけではありません。

妻の麻衣さんは、「なら、勝ったら
全部私のおかげやな」と答えます。

その一言で冷静になれた石田選手は
大番狂わせをやってのけます。
彼は一躍ヒーローになりました。


高校で全国大会優勝。大学で国体2位。

周りは当然プロになると思っていましたが、
ネガティブ人間の彼は、
プロになっても食べていけないと、
卒業後は児童福祉施設の職員になります。

施設の子供たちに時々ボクシングを教えていたところ、
その子供たちから背中を押されてプロに。

夢を持つ、一生懸命になれることを持つ
大切さを子供たちに教えられたら、
その姿を見せられたらと、プロボクサーとして励みます。
が、パンチ力が弱く、プロとしては苦戦続き。

昼は工場、夜はジムでトレーニング、
しんどくて「もうやめたい」が口癖でした。
 
「もうやめようかな」と愚痴ると、
臨床心理士でスクールカウンセラーの妻は、
「好きにしたら」と返します。

「ボクシング嫌いになったの?」
「いや、嫌いになってない」
「続ける? やめる?」
「続けます」

やめたら夫は将来絶対後悔する、
「やっといたらよかった」と愚痴るのが、
彼女には目に見えていたのです。

夫が「やりきった」と思えるところまで
行ってからやめてほしいと思っていました。

夫がぐちぐちする情けない姿を見たら、
多くの妻はどう感じるでしょうか。

イライラしてきつい一言をぶつける女性も
少なくないかもしれません。
しかも、それが日常だったら。

こんな対応をできる麻衣さんは、
職業柄とはいえ、見事としか言いようがありません。

夫がぶつけてくる負の感情を、いい意味で
真正面から受けずに(それにのみ込まれることなく)、
ちょっと引いて、距離を置いて見る。

とても大切なことだと思います。

石田選手は、ラスベガス後、世界中のトップ選手と対戦。
完全燃焼の末、40歳で引退し、
現在は夫婦でボクシングジムを運営しています。

子供たちの手本になりたいという夫の思いと、
夫の本心に働きかけ続けた妻が、
一緒に成し遂げた偉業でした。

続・夫婦愛を育む 1
ネガティブ夫が責めてきたら

ナビゲーター:橘 幸世
わかりやすく読んでいただくため、
段落や節の区切りを再編集しています。
文責:ten1ko2


否定的な言葉に対して、
切り返す言葉は本当に難しいな、と思います。

このボクサーの奥さんは、
あえて否定的な言葉で切り返されました。

その時に、ボクサーは
自分に返ってきた言葉を受け止めて
冷静に自分を見つめ、
見事に実践し、勝利していきました。

気持ちの切り替え、というのは、
本当に紙一重ですよね。。。

その人を愛するがゆえに、
本心に切り込んでいく。。。
愛の言葉を投げかけられる
言葉の達人を目指さなければ、と思うのです。




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posted by ten1ko2 at 07:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 夫婦講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月12日

まさしく、ここが天国! 統一教会員が行く「統一霊界圏」 《李相軒先生の霊界メッセージ》



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李相軒(イ・サンホン)先生が霊界から
送ってこられたメッセージ。

今日は、家庭連合の信徒たちがいく
「統一霊界圏」についてです。



統一霊界圏を説明するなら、
「ここは、本当に天国です。
 ここは、本当にエデンです。
 ここは、本当に平和です。
 ここは、本当に幸福です。
 ここは、本当に希望があふれる所です。
 ここは、本当に愛の園です。
 ここは、本当に恍惚(こうこつ)です。
 ここは、本当に愛の芽が芽生える所です。
 表現できない美しさの絶頂をなした至聖所です」
と言うしかありません。


ここで興進(フンヂン)様は、いつも静かで謙遜に、
そして細やかに、すべてを先頭に立って
なさろうとしています。

そして、すべてのことは、いつも
神様に尋ねながら解決なさっています。

階層別にもれなく回られながら、
事情を聞いて、慰めたりもなさいます。

ここでは、朴鍾九(パクチョング)宣教師が、
いつも興進様に仕えて随行して回っていますが、
あまり大変な所は行かれないようにしながら、
代わりに仕事を処理したりしています。


また、大母様(テモニム)はいつも祈って、
興進様のために精誠を捧げていらっしゃいます。
ただひたすらに、父母様の寿命が
永遠なることを願われる一念で暮らしていらっしゃいます。

忠母様(チュンモニム)は、いつも大母様のそばに
ついて回られながら、「大きなお母さん」と言い、
一つ一つ小さなことまでも習おうと努力されています。


ここで実に興味深い光景がありました。
大母様御夫妻と忠母様御夫妻が集まって
話を交わされて、互いに見つめながら、

「サドン(姻戚)同士、互いに楽しく過ごしましょう。
互いに気兼ねするので、私たちの間に
あまりにも距離があるようです」
と大母様の夫が言われるのです。

すると横にいらっしゃった大母様が
「サドンがどうしてさらけ出して
過ごすことができる間柄なのですか。
気兼ねして過ごすのが当然ではないですか」
と言われました。

忠母様は、いつも気兼ねしながら、
学ぼうととても努力していらっしゃいます。

 
劉孝元(ユヒョウォン)協会長は、
立っても座っても原理講義をなさいます。

食口(シック)同士、楽に座って話をしても
再び原理講義をする姿に戻ってしまう方であられます。

原理講義それ自体が、その方の生命だといいます。


このような良い雰囲気の中でも、
良くないこともあります。

また、食口たちがここにたくさんいても、
すべてが幸福ではないのです。

あらわにされた自分の罪名をぶら下げて回るので、
それが蕩減(とうげん)されるまでに
経験するその蔑視と痛みは、
口に出して言えないものです。

 
天国に高低がないのではありません。
そこにも、いくつかの高低があります。
しかし、これ以上のことは省略します。

簡単に言えば、地上生活の延長が天上生活です。
霊界という所は、自分の人生の実をもって、
倉庫に入っていくことに例えることができます。

ところで、穀物より貴重なものは、
相手のために生きようとする姿勢です。

原理で習った授受作用の根本が、
相手のために生きることです。
自分より他のために生きる人生に
ならなくてはならないのです。

(1997年8月21日)

李相軒院長が終わりに下さったメッセージ

霊界の法は、地上のように値引きは全くありません。
この法度に引っ掛からない基準となるのは、
天上の生活ではなく、地上の生活です。

いつも霊界の生活を準備する心で、
私が行くべき霊界はどこだろうか
という心で生きなければなりません。

もし、この法度から逸脱すれば、
自分の霊魂が行くべき所は、天道に従って、
そのまま落とし穴に引っ掛かるしかありません。

ですから、地上の生活を正しく生きなければなりません。

李相軒(1914〜1997)(光言社刊
『霊界の実相と地上生活』【霊界の様相編】より)
第一部 霊界の実相と地上生活
第三章 原理から見た霊界の暮らし
十八 統一霊界圏

霊界の実相と地上生活(35)
統一霊界圏
Blessed Lifeより
わかりやすく読んでいただくため、
段落や節の区切りを再編集しています。
文責:ten1ko2


天国というところは、
言葉で表現できないくらい
素晴らしいところである、といいます。

また、統一霊界圏、というところも
素晴らしいところではありますが、
李相軒先生は、「高低がある」と言われています。

やはり、地上生活の歩みが
重要であるということなのですね。。。

毎日毎日を感謝の心情をもって、
ために生きる生活、
悔いのない歩みをしていきたい、
今日もそんな心情をもっていきたいと思うのです。

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posted by ten1ko2 at 07:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする