2021年10月17日

(証し)「信仰は火と燃え」る前の、松本ママ 少女時代に来日・結婚・神に出会うまで



1940zengo.jpg
▲世間知らずだった20代(左が筆者)


「信仰は火と燃えて」
松本ママの韓国での幼少時代から、
訪日し、結婚され、
教会に出会うまでの証しです。


  教会員に「松本ママ」と慕われ、
  烈火のような信仰を貫いた松本道子さん(1916〜2003)。
  同シリーズ(「信仰は火と燃えて」)は、
  草創期の名古屋や大阪での開拓伝道の証しをはじめ、
  命を懸けてみ旨の道を歩まれた松本ママの
  熱き生きざまがつづられた奮戦記です。


来日・結婚・悩み

私は、韓国の慶尚南道(キョンサンナムド)のはずれの片田舎で生まれました。上の兄が亡くなり、すぐ上の兄と私とは10歳年が違ういわゆる年寄り子で、両親の愛を一身に受けて育ちました。母は熱心なクリスチャンで、私は小さい時から母に背負われて教会に行っていました。

母はとても気の弱い人でした。
昔、母の友達で、のどに魚の骨がささって、苦しみながら死んでいった人がありました。母はその姿を見て、「あの人を誰も救えなかった。自分もあんなに苦しみながら死ぬのではないだろうか。生きるとは何だろう。死んだらどこへ行くのだろう」と絶望と悲しみのあまりノイローゼになってしまい、一日中泣き続けるという状態でした。

父は何とかして治そうと思い、医者にみせ、いろいろなところに連れて行って八方手を尽くしましたが、原因不明でどうしようもありませんでした。そこで仕方なく、愛島(エト)という静かな島に静養に行かせました。その島にキリスト教が入ってきたのです。

神とキリストと聖霊の名によって悪霊を追い出して、救いを祈ってくださる牧師の言葉に感動し、神を知り、キリストを知って、自分が救われていることを知るようになると、母の病気はすっかり治ってしまいました。


そうして熱心なクリスチャンとなって、10年後に私が生まれたのです。1916年旧暦1月7日のことでした。父は男の子を望んでいたので、正道という男のような名がつけられました。

母は、毎朝4時ごろになると、家の庭の300年もたった木の下でお祈りをしました。甘えん坊の私は、その祈りが終わるまで母のそばで待っているのです。寒い日は母の長いスカートの中に入って、ひざを枕にして寝てしまうのでした。「主よ来たりませ。私の民族を救ってください。遠い日本で苦学している息子を守ってください」と祈る母の声を、毎日子守歌のように聞いていました。

日曜日になると、母におんぶされて教会に行きました。当時、韓国は日本の統治下にあり、私の家から教会に行くのに、日本人町を通って行きましたが、子供の私の目的は教会ではなく、この日本人町にあるお菓子屋でした。家が貧しい百姓なのでお菓子など食べたことがなかったのです。

お菓子が食べたい。あめ玉がなめたい。それが子供の私の最大の願いだったのです。


10歳の夏のある日のことでした。同じ村の、日本に留学していたお金持ちのお嬢さんが、夏休みに帰省しました。私の兄が日本に留学していたので、母は息子の消息を聞くために、そのお嬢さんを訪ねました。その時、私も母について行ったのですが、そのお嬢さんが、私の心を非常に引きつける話をしました。

「あなたの息子さんは、セロハンの袋にお菓子を詰めて、いろいろな劇場に卸す仕事をやっています。だから夏休みになっても帰ってこられないんです」と言うのです。

私はお菓子と聞いてびっくりして、胸がドキドキしてきました。自分はお菓子を食べたくて病気になりそうなのに、兄はそのお菓子を取り扱っているというのです。私はうれしくて、よし、お兄さんのところへ行こう、と子供心に決心してしまいました。母は、息子が苦学をしていることを聞いて泣きながら歩いて帰りましたが、私は、お菓子が食べられると思うとうれしくて、希望に胸をはずませて帰ったのでした。

ところが、日本に行きたいという私の願いを、父は絶対に許さないと言います。兄さんがいるから大丈夫だと言ってもだめでした。けれども私は行きたくて行きたくてたまらないものですから、御飯も食べず、熱を出して3日間泣き続けました。お菓子が食べたくて、「兄さんに会いたい」とだだをこねるのです。とうとう父母はあきらめて、このままではこの子は死んでしまう。仕方がないから行かせようということになりました。


生まれて初めて乗る長い列車に3時間ほど揺られ、一日かかってやっと釜山(プサン)に着きました。10歳の子供が親元を離れ、海を越えて遠い日本に渡るということは、いくら肉親がいるとはいえ、普通では考えられないことです。けれども子供の私にとって、お菓子の魅力はその不安を越えるものであり、神はきっとお菓子をもって私を日本へと導かれたのでしょう。

翌日下関に着き、何時間も列車に乗ってやっと東京に着きました。結局、それからずっと日本に住むようになったのです。

 
やがて兄は、アルバイトで始めた仕事が本職になり、たくさんの人を使い、一流劇場に卸すようになって、26歳で既に社長でした。またグリコ会社の宣伝部長として、どんどん責任ある立場に立ってやるようになり、そこの一番優秀な社員に私をお嫁に行かせました。ちょうど不景気な時ですから兄は、妹を生活能力のある男のところへ嫁がせるのが、自分の責任だと思っていたのでしょう。
満17歳、夢や理想がたくさんある私を、女学校2年で中退させてお嫁に行かせたのでした。

12月25日クリスマスの日に結婚し、新婚旅行もないままに、翌日から新しい生活が始まりました。夫の家は、父母兄弟、雇い人を含めて15人くらいの家族でした。ところが私は家では甘やかされて育ち、10歳から兄の手で育てられたので、御飯の炊き方も針の持ち方も知らず、まだ少女クラブを読んでいた子供だったのですから大変です。夫は、半年くらいは自分で炊事をし、私を訓練しなければなりませんでした。

夫は韓国人ですが、私よりも幼い時に日本に来ているので、趣味も日本的で武士のような人でした。24、5歳で人を使う立場に立ち、長男でもあったのでいろいろと苦労も多く、年のわりに精神年齢の高い人でした。それに比べ私は、両親に愛され、兄に愛されてきた甘えん坊で、まだ夫の弟や妹とかくれんぼをして遊ぶほうがいいような子供だったのです。

夫とけんかをすると私はすぐ兄のところへ帰ってしまいました。すると夫が迎えに来て、兄に「道子はこうなんだ。とても一緒に生活することができない」と訴えるわけです。それに対し、兄が「まだ子供なのだからお前が育てながら暮らすんだよ」と言っているのが聞こえました。それで夫は、兄が妹をなだめるように私の好きなものを買って、自転車に乗せて帰るのでした。

 
結婚して10年、一男二女が生まれ、そして27歳の時に戦争になりました。
韓国に帰りたいという夫の両親の願いにより、夫は、両親と長女を連れて先に韓国に帰りました。それが夫との永遠の別れでした。戦争が終わってから、夫がパラチフスで死んだという知らせが届いたのです。

私は夫の死を確かめるために韓国に行き、そこで夫の日記を見つけました。日記の中には、私のことばかりが書かれていて、その時初めて、私の帰りを一日千秋の思いで待っていた夫の気持ちを知ったのでした。


世間知らずの私は、結婚してから様々な苦労がありましたが、そのほかにも、人に知られざる悩みがありました。

私は、母がクリスチャンでしたから、日本に来てからも自然に教会に通い始めていました。けれどもそのうちに、聖書に疑問をもつようになったのです。人間はどこから来たのか。神は泥で人間を造ってどのように息を吹き込んだのか。天国はどこにあるのかと、数々の疑問を牧師にぶつけました。

「聖書に書いてある」と牧師が答えると、「聖書は人間が書いたものじゃないですか」と言い、「聖霊が書いた」と言えば、「聖霊をあなたは見たことがありますか」と追求していきました。

けれども結局「あなたは理屈屋だ。ただ信じさえすれば天国へ行くんです。そういうことを言うもんじゃない」と言うだけで、誰も答えてくれません。誰と話してもけんかになってしまい、ついに私は考え込んで、3日も口をきかないこともありました。


また、私が苦しんだことは、信じるものが何もないことでした。おそろしい空襲の中で、防空壕(ごう)に隠れ、私は神を否定しながらも必死に神に祈っていました。

共産主義者の友達が、「神なんかいるもんですか。あなたは見たことないでしょう。神は人間がつくりあげたものなんですよ」と言えば、なるほどと思います。けれども神がいないのに、どうして人間は生きているのだろうと思うと、また分からなくなって悲観してしまうのです。母の生き方も間違いだったのでしょうか。人間も信じられず、聖書も心の支えとはなりませんでした。

とはいうものの聖書をよく読んでいました。私の行っていた教会の牧師は、そういう私を信仰のあつい婦人だと褒めて、とても信頼してくれました。そして、教会の開け閉めをする任務を私に与え、鍵(かぎ)を預けてくれました。

聖書の詩篇に「常にあなたは、私を求めよ。そうすれば、私に会うであろう」とありますが、私は、「こんなにあなたを求めています。あなたはどこにいるんですか」と毎夜泣いて祈りましたが、神を捨てることもできず、完全に信じることもできない苦しい毎日でした。

松本 道子・著
(光言社・刊『信仰は火と燃えて
―松本ママ奮戦記―』より)

信仰は火と燃えて 1
来日・結婚・悩み

(blessed life)
一部割愛しました
文責:ten1ko2


「信仰は火と燃えて」は以前読んだことがありましたが、
改めて読み直すといろんな発見と感動があったので、
皆様とも共有しようと思い、紹介させていただきました。
何よりも、BlessedLifeの編集者の皆様、ありがとうございます。。。

それにしても、松本ママのエピソード、
日本に来るまでのいきさつが波乱万丈ですよね。

お菓子が食べたくて、日本に行くと決め
3日3晩泣いて熱をだして、
親からの許しをもらった・・・

この肝が据わった性根というんでしょうか、
どんなことがあっても曲げない気質が、
のちの松本ママの、伝道師としての基盤を
築いているような気がします。

今後の歩みも楽しみです。。。




にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 00:00 | Comment(0) | 私と御父母様 ・信仰の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月16日

天の秘密の中の秘密、人生と宇宙の存亡がかかった『原理講論』 《小山田先生》



211016-2008.0520.jpg


小山田先生の自叙伝より。

原理講論の翻訳に携わった小山田先生。

今日は、原理講論発刊の意義と価値。
お父様が語られた原理講論に関するみ言も
紹介してくださっています。


『原理講論』と『原理解説』との違い

『原理講論』が発刊された意義と価値はどこにあるのでしょうか。
まず、『原理解説』と異なる点を挙げてみましょう。

『原理解説』は、読んでいただくと分かるように、檄文(げきぶん
;自分の主義や行動が正しいと人々に主張し、同意を求め、人々の決起を促す文書)
です。
啓示的内容が宣言文のような形で著されています。

劉孝元先生は、 和漢混交の名文家、名筆家ですから、
啓示集そのものと言ってもよい内容です。
しかし、これを一般大衆に広めていくには、極めて難解な文です。

ましてや、多くの人々を対象にした講義用のテキストとなると、
もっと論理的でなければならず、
説明や解説を加えないと理解し難い部分もあります。

お父様は、劉孝元先生に
『原理講論』を執筆するように指示なさいました。

『原理講論』を拝読してみると、情緒的な側面が不足していると言えます。
それを補うため、 たとえ話や引用を挿入すれば、
とても六○○ページには収まりません。

ですからお父様は、 原理講義を担当する講師は必ずみ言をたくさん読み、
補足しながら講義をするようにとおっしゃったのです。


自分の生命よりも大切な「原理」のみ言

真のお父様が語られた『原理講論』についてのみ言です。

まず、
み言の価値は、
 自分の生命よりも大切なものである

ということです。

ここに人生と宇宙の存亡が懸かっている
と言えます。

お父様は、
(み言は)先生が語ったのではない。
 先生を通して、神様が語られたものである。
 だからこのみ言を書いている

とおっしゃっています。


最初の『原理原本』もそうですが、啓示的に語られています。

『原理原本』は、一九五〇年代にお父様が、
机にたくさんの鉛筆を並べて書き綴られたもので、
啓示のような形で記されています。

「これは人の言葉ではない。
 特に堕落論を書いたときは、
 サタンがありとあらゆる試練と
 誘惑をもって妨害してきた」
というのです。

原罪の本質が、
 淫乱と不倫の愛だと分かった瞬間に、
 原理の全てが分かった

といいます。

だから(サタンは)決死的に反対してきた。
 人類歴史上の秘密の中の秘密である

いわゆる天の秘密です。

「その一切が、
 この『原理講論』の中に秘められている」

ということです。

自叙伝「真の父母様の御跡を慕って」
小山田秀生


原理原本→原理解説→原理講論・・・。
劉孝元先生の檄文の原理解説は手にしたことがないので、
可能ならば、読んでみたいと思いました。

また、原理解説ののちに原理講論という
奇跡的な書物にまとめ上げられたことに関しては、
いろいろなところで紹介していますように、
劉孝元先生が本当に精誠を込められているものであります。

一章、一節、一頁ごとに
真のお父様が許可されてようやくできあがったといいます。

その背後にあって、原理を解明し、
原理原本を啓示的に執筆された
真のお父様の精誠の賜物があることを
再度、認識していかなければならないと感じました。






にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)

posted by ten1ko2 at 07:17 | Comment(0) | 私と御父母様 ・信仰の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月15日

イエスの十字架で、その身を犠牲にする殉教の時代がやってきた 《奈田先生》



200820-Christ.jpg


西暦の始まりはイエス様、
それは「殉教の時代」の始まりでもありました。

奈田先生のみ言。
「実体の蕩減時代」の後半です。

(2)実体の蕩減時代

神がそれはどの期待を懸けて送り込まれたイエス様を
人間が足げにしたために、神は前よりも
もっとつらい時代を過ごされることになりました。

殉教の道となって現れてしまったのです。

殉教の歴史は、日本のクリスチャンの道だけを見ても、
本当にひどい例がたくさんあります。

例えば、引き潮の時に海辺に子供を十字架にくくりつけておいて、
母親に刀を突きつけながら、改宗を遣るのです。

潮が満ちてきて、子供が海に飲まれていくのを見せながら、
心を変えるか変えないかと遣るのです。
あるいは、耳をそがれたりもしました。
このような例は数知れません。


殉教者の姿を見て、遠藤周作の小説『沈黙』にあるように、
人は「神はそんなにむごい状況になっても、
出てきてくれなかった。神は沈黙していた」というのです。

「序」でお話したニーチエも、
「神を求めてこんなに苦悩したのに、神はいない。
結局、神がいると考えた出発点が間違っていたのだ」
という結論になってしまったのです。

そのような人間もかわいそうですが、それを見ている神は
どんなにつらかったことでしょうか。
手を出すことも口をきくこともできなかったのです。
時を待たなくてはならなかったのです。


そういう中で、神とイエス様の苦悩の世界を見せられたのが、
クリスチャンの殉教なのです。

この地上に、これほどの犠牲は他にありません。
神ご自身が血を流し、十字架にかかったほうが
まだ楽かもしれないのです。

何千年も続いてきたキリスト教の歴史を見たときに、
文先生は、「柱にしがみついて、慟哭して、何日も泣いた」
と言われますが、神とはそういうところにおられた方なのです。

それが犠牲の時代の意味、祭物精神の意味であり、
理論的に神がそうであるから自分もこうしようというのではなく、
自然の発露から自分はこうあるべきだ、
となってくるのが本当の祭物精神なのです。

犠牲になることを誇りにするのではなく、
“当然”と見る立場が祭物精神なのです。


祭壇に立つ者の心については、詩篇二四篇4節に、

「手が清く、心のいさぎよい者、
 その魂がむなしい事に望みをかけない者、
 偽って誓わない者……」

とありますが、私たちはそういう
旧約的次元の祭物精神にもまだ達していません。

イエス様は自分が十字架にかかることが問題ではなくて、
神がそのしかばねをどう用いられるか、
その条件をどう残すことができるか、
その涙の一片を神がどう受け取ることができるか、
神が今後、私の信仰の一片を歴史を懸けて
どう用いることができるか、これが重要な課題であったのです。

私たちはそういうイエス様の祭物精神からは
ほど遠いと言わざるをえません。


ですから、イエス様を見るときに、

@死の苦しみの中にあっても、神を信じて、
 最後までその使命を果たしていこうとする精神(ルカ二三・43)

A大衆の前でいかなる辱めを受けても、訴えられ、
 侮辱されても、沈黙と忍従を通し抜く精神(同二三・9)

Bサタンにその身に対する非を認めさせない(同二三・4)。 
(それは、神の子であるという権威のもとにです)

C自分自身の死の苦しみを忘れるほどに、
 神のみ旨を愛し、人類や民族を思ってこられたイエス様であった(同二三・28)

D迫害する者のために祈られ、
 彼らの罪の赦しを神の前に乞うていかれた(同二三・34)。

こういう供え物の精神を、
具体的に聖書から学んでいきましょう。

第三章 父母観(その二)
三 祭物精神
(2)実体の蕩減時代

父母と共なる生活 信仰生活の真髄をつかむ」
1991年5月1日 初版発行
奈田壽美子(なだすみこ)
(1940.1.5〜1989.3.7)


み言を訓読しながら、
イエス様のことを思い、涙を流されて説教された
お父様のことを思わされました。

お父様以上にイエス様のために泣かれた方はいないのに、
イエス様を信じてきたクリスチャンたちは、
お父様をもっとも迫害してきたのでした。

「イエス様の祭物精神からはほど遠い」
そのように言われる奈田先生ですが、実際には、
イエス様のご心情を求めに求められた方だと感じます。

先日、ある国家メシヤの先生が、
「聖書の土台の上に、原理がある」
と語られていて、日々、聖書を精読しておられるそうです。

イエス様、キリスト教に対しての認識を深める
必要性を感じましたし、
このあと、真の父母様の時代の祭物について
語られるわけですが、
新約に精通した上でこそ、
よく理解できると思います。





にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 06:30 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする