2023年03月11日

今、日本で最も迫害を受けている宗教は、家庭連合 だから発展します 《大陸会長4》



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今日は3月11日、東日本大震災から12年。
あの時は、本当に大変でした。
本当の復興はこれからともいわれますが──

方相逸(バン サンイル)・大陸会長のメッセージ
「み言の力を確信して歩みましょう」
の続きです。



民主主義が共産主義に侵され、
行き過ぎた個人主義が蔓延する

以前は、現場から上がってくる証しをまとめて
手紙を書き、真のお母様にご報告することが、
うれしくてたまりませんでした。

お母様も、日本の食口たちの証しに
力を得ていらっしゃったと思います。

しかし、この五か月は、手紙を書くのが
つらくてしかたがないのです。
書き終わる頃には倒れ込みそうになるぐらい疲れます。

何とか力を振り絞り、決意を込めて、
「マスメディアからどれだけたたかれたとしても、
日本の食口たちはびくともしません。
お母様と共にある私たちには、恐れるものは何もありません。

地区会長、教区長、教会長、婦人代表が、
現場で先頭に立って頑張っていますから、
ご安心ください」と記すのです。

皆さん。宗教は、
楽に信仰生活をするところが発展しますか? 
違います。

キリスト教は、ローマ帝国から厳しい迫害、
弾圧を受けながらも国教となり、さらに、
その版図を世界に広げていきました。

日本において、今、最も迫害を受けている
宗教団体はどこですか?(「家庭連合です」)
それなら、私たちが発展することは間違いありません。

真のお父様は、興南の収容所、ソウルの西大門刑務所、
米国のダンベリー刑務所など、六度の牢獄を通過されました。
そのたびに神様が恵みを施され、教会は発展してきたのです。


真のお父様は、無実の身でありながら、
ダンベリー刑務所に入っていかれました。

そのとき、米国の食口たちに、
「私のために泣かないで、米国のために
祈ってください」と訴えられました。

米国は、神様の祝福を受けて建国されたにもかかわらず、
その願いからどんどん離れた方向に向かっていました。

お父様は、左傾化していく米国を守るために、
「ワシントン・タイムズ」を創刊するなど、
あらゆる手を尽くされ、
米国のために大きな貢献をされたのです。

それまで、米国の民主主義は共産主義に侵され、
国中に個人主義が蔓延するようになっていました。

共産主義には、神様の存在を否定するという
問題がありますが、真のお父様は、
共産主義と同じくらい、個人主義は
問題が大きいとおっしゃいました。

米国は、自国のことだけを
考えるようになっていったのです。

人類の親なる神様のことを証しし、人のため、
国のため、世界のために生きることを
指導してこられた真の父母様のどこに、
人々から非難を受ける余地があるのでしょうか。

昨今のマスメディアは、共産主義に支配され、
行き過ぎた個人主義を助長しているとしか思えません。

神様を愛した足跡は決して消えない

1620年、英国の清教徒たちが信仰の自由を求め、
彼らを含む102人が、メイフラワー号に乗って
北米大陸に渡りました。

9月にプリマスをたち、到着して
いかりを下ろしたのは、11月下旬に差しかかった頃です。

冬の間、船内で過ごした彼らは、
飢えや寒さで半数近くが亡くなったそうです。

そのような厳しい環境で、彼らはために生き合い、
最初に建てようとしたのが教会でした。

そして、国の未来を担う子女を教育するための
学校を造ってから、自分たちが住む家を建てようとしたのです。

真の父母様が私たちに教えてくださった
「愛天・愛人・愛国」の精神を実践していたのです。

米国の歴史は建国以来、二百数十年です。
日本の歴史と比べたら、どれほど短いでしょうか。
にもかかわらず、経済や軍事など、
あらゆる面で世界一の国になりました。

皆さんは、エンパイア・ステート・ビルディングを
ご存じでしょう。
ニューヨークにある、米国を象徴する建物です。

それは、メイフラワー号に乗って海を渡り、
建国の礎を築いた彼らの偉業を称えて、
102階にしたと言われています。


神様を求め、愛した足跡は、
歴史から決して消え去りません。

日本家庭連合は今、冬の季節を通過しています。
マスメディアから総攻撃され、
心無い言葉も投げかけられます。

それらは、私たちの成長のために必要なことなのです。
真摯に受け止め、私たちの至らなかった点があれば見直して、
教会改革を果敢に推し進めましょう。

方相逸・大陸会長のメッセージ
み言の力を確信して歩みましょう
(世界家庭2023.1月号)

https://familyforum.jp/2023020248092
Family Forum.Jp
(世界平和統一家庭連合会員の合同ニュースブログ)


大陸会長のみ言を読みながら、
お母さまに手紙を書かれるご心情は、
いかばかりかと思いました。

孝行息子が愛するお母さんに、
大丈夫です、心配しないでください!
そんな思いを込めて書かれている印象を受けました。

お父様は、ダンベリーに入られるとき、
「私のために泣かないで、米国のために祈ってください」
と熱い思いを兄弟姉妹たちに叫ばれました。

今私たちも同じ心情圏に立って、
困難な時を乗り越えていきたいと思うのです。

(これは大陸会長が昨年福岡で語られたみ言ですが、
どこも省くことができないほど
素晴らしいので、最初数回と言いましたが、
あと一回で〆とします。)



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2023年03月10日

世界を束ねる主 段階に応じ適切に、春夏秋冬を知らない人に教えるように  《金元弼先生》



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金元弼(ウォンピル)先生の講話
「何よりも神のものを愛す」より、
『段階に応じて語られるみ言』です。



先生が語ってくださるみ言を聞く時、
それはただ頭や口から出るみ言ではない
ということを、まず分かってほしいのです。

長年、先生のみ言に接していますと、
先生は従来の聖人、哲人、神学者の話を
そのまま話しているのではない
ということが分かります。

先生は神学をよく御存じです。
神学者たちが今まで解決できなかった
いろいろな根本問題を、
聖書を通じて教えてくださいました。

どうしてそれが可能なのでしょうか。

統一思想を学んでみれば分かるように、
哲人たちが解決できなかったいろいろな
問題に対して、先生は的確に説明されています。


どうして先生が「科学の統一に関する国際会議
(ICUS)」を考え、主催できるのか
ということを考えてごらんなさい。

先生は博士の資格をもっていません(当時)。
そういう方がどうして、ノーベル賞を
獲得している学者を集められるのでしょうか。

日本で、我々はテレビとか街頭で共産主義者との
公開討論を提起しました。
どうしてそういうことができるのでしょうか。

先生はそれをいつ習ったのでしょうか。

 
韓国には、キリスト教系統、仏教系統、
儒教系統などの会合があります。

しかし今、韓国では霊界に通ずることを迷信視し、
非科学的なことだと言っています。
学校でもそう教えています。

それでも、最高学府を出た人であっても、
国会議員の選挙になると、占い師の所に訪ねていって、
「今度私が国会議員の選挙に出れば、
当選しますか」と尋ね、その占い師の話を聞いて
立候補したりすることがいくらでもあります。

結婚のことから事業のことまで、
全部を相談してやっています。
政治家はいわばそういう人を背景にもっているのです。

 
昔、王様が英国を治めていた時には、
必ず王様の近くに霊能者がついていました。
宗教家を顧問にして政治を行ったのです。

政治をする人たちは、宗教家が必ず隣にいて、
アドバイスを受けたのです。

雑道の霊能者も時代によっては
真理のごとく感じられ、受け取られたわけです。

 
現在、宗教と科学は相反するもののように
受け取られていますが、政治家は
宗教の教えに大変依存する傾向があるのです。

占星術の人たちは、人の運命をよく証してくれます。
それゆえに、何か自分に難しいことがあれば、
そういう人を訪ねるようになるのです。

韓国にはそういった人たちがたくさんいて、
それぞれ天から「私は仏様だ」「私は再臨主だ」
「党主だ」と、いろいろなお告げを受けます。

そういう人たちは、人の病気を治したり、
心霊の状態がよく分かっているのです。

そういう人によって、お金をたくさんもうけ、
成功した人もいます。
ですから社長であっても、霊能者のアドバイスを
常に受けていることがあるのです。

 
私たちの霊能者の中にも、霊能者たちの
集いである霊友会を指導している人がいます。

一週間に一度ずつの集会があり、
そこに行けば大変おもしろいことがたくさんあります。

彼らは自分のことだけを話し誇ります。
全然人の意見を聞きません。
自分の意見が絶対だという雰囲気なのです。

ところが不思議なことに、彼らは私たちの教会員である
一人の霊能者に対しては、そうではないのです。

「私たちの指導者はあなたです」と話します。
どうしてそうなるのでしょうか。

 
避難の路程の際に、そのことに関して
先生が話してくださったことがあります。

先生は私たちの知、あるいは心霊が成長するにつれて、
適切なみ言を下さいます。

未来に起こりうる理想の世界のことを
お話ししてくださり、私たちはそれによって、
明るい未来を見付けたのです。

また、それに反して、二つの現実に
厳しく適応するように教えてくださいました。

先生のなさっていることを見つめていると、
私たちには見えなくともある計画があって、
その計画どおりに進めておられるような感じを受けました。

 
一つの例えを言いますと、伝道しても
人が全然来ていない時に、先生は
「今年の十月になれば、人がたくさん入ってくるだろう」
とお話ししてくださいました。
そしてそのごとくになったのです。

それはちょうど春夏秋冬の季節をすべて体験してみれば、
春の次に夏が来て、その夏は暑く、
いろいろな花が咲いて、
厚い着物を着ることができなくなることを知ります。

そのようにして春夏秋冬のすべてが分かるのです。

先生が語られることは春夏秋冬が
全然分からない人に教えているようなものです。

 
その当時先生は、「これからは、
どうしてどうする」とは具体的に話されませんでした。

それで私たちは、時が過ぎて
その時が来てみないと分かりませんでした。

当時、私たちは「どのようにしたら神を
喜ばせることができるのだろうか」
「親の心を休ませることができるのだろうか」
と考えて、自分なりにみ言を応用して、
「こんなことをしたら喜ぶだろうか」
「ああいうことをしたら喜ぶだろうか」
というふうに気を遣った時期がありました。

ある時は、「先生が喜ぶだろう、神が喜ぶだろう」
と思ってやったところが、失敗した人たちもいました。

 
先生は、私たちに必要なことであれば、
必ず教えてくださいます。

しかしながら、人によって成長の段階が違うわけです。
旧約以前の人もいれば、新約時代に当たる人、
成約時代に当たる人もいるのです。

そういう人たちに同じ形で教えるということは、
大変難しく無理を生ずると思います。

先生は全体にお話しなさるほかに、
いつも個人的によくアドバイスしてくださいました。
そういう意味で日曜日の説教の時間よりも、
かえって平常の時間の方が重要でした。

U 先生の道は我々の伝統
第七章 何よりも神のものを愛す
「必要に応じて語られるみ言」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
わかりやすく読んでいただくため、
段落や節の区切りを再編集しています。
文責:ten1ko2


人類の誕生は
宇宙誕生の年月と比較すると
あまりにも短いものです。

ですから自然の法則、摂理は
私たち人類が誕生する、
はるか昔から存在していました。

人間の叡智を結集しても
神様には敵わない
とも言えるのではないでしょうか。

教会創立以前における
お父様と食口たちの心温まるやり取り。

今、お父様は地上におりませんが、
使徒行伝のように、貴い歩み、
歴史に残る歩みをしているのです。
一日一日を感謝していきたいと思います。




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2023年03月09日

「ぜったい感謝できない!」──くさくて堪らない時、どうする 《蝶野部長*精誠篇2》G 



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蝶野知徳(ちょうの とものり)本部家庭教育部長
「精誠篇(せいせいへん)」の続き。

感謝できない、愛せない、許せない、
そういう状況の時──
メシヤの実体験です。



【感謝すること愛すること
 完全自己否定と蕩減】

【感謝して自分の思いを
内的に蕩減】しましょう。

これは、「御旨と海」という、み言です。

【一度我々はたくさんの腐った黒っぽい魚を
 獲ったことがありましたが、
 その臭いはアンモニアのようでした。

 先生は船酔いはほとんどしたことがないのです。
 しかしその臭いをかいだ時は
 胃がおかしくなり始めました。

 最初先生は「自分はこの魚に対して
 あまりにも悪い思いを抱いています。
 自分はしようがない人間だ」】

お父様が自分でそのように【思ったのですが、
 しばらくして別の考えを持ち始めました。
 すなわち「自分は」】○○(何々)
【「しなければならない」と思うようになりました。】

その時にあまりにもくさくて、
お父様でさえもその時に、
『もうこの魚…』と思いそうになりました。

ようするに、不平不満の思いになりそうになった。
その時にお父様このように思われます。
【「自分は蕩減しなければならない」】

最初はその魚のせいにしようと思ったぐらいでした。
ところが蕩減しなければならないと思うようになった。

お父様は、ちょっとしばらく考えられるんです。
なぜ自分がこの魚を釣ったのか。

『あぁ、これを蕩減するんだ』そう思った時、
【悟ったとき、その臭いを愛することが
できるようになったので船酔いがなくなってしまいました。】

なぜ、くさい臭いを愛されたか。
皆さん、蕩減出来るからですよ。
沢山の罪が蕩減できるからです。

蕩減と関係のない方が感謝したら、
ものすごい(蕩減が)晴れるのです。

ですから、罪のない人が、罪を許す、
お父様がこのようなものを感謝するというのは
地球の裏側のどっかの摂理の条件が立つということでしょう。

その臭いを愛することができるようになったら、
船酔いがなくなってしまいました。

【それは何かのために、また誰かのために
蕩減することができるという意味だったのです。】

【その臭いに感謝の気持ちを持つことができたので、
先生は船酔いを乗り越えることができました。】


お父様もこれコツコツやっておられる
ということですよ、皆さん。

『お父様も感謝できないことあるの?』
と思うかも知れませんけど、
お父様も肉体があります。
臭いものは臭いそうです、やっぱり当たり前ですね。

ただ私たちと違うのは、最後は絶対、
愛とか感謝にいくんだそうです。
我々はいく時と、いかない時があるんです。

お父様はどんなに拷問されても、痛いんだけども、
最後は絶対「愛と赦し」にいくのです。
それが完成している人間と私たちの違いなんですよ。

くさい臭いも、「わーい愛する愛する」
というんじゃないんですよ、皆さん。
お父様もくさいのは、くさいのです。


これを話したら、「いいことを聞きました。
船酔いを治す方法わかりました」
と言った人がいますが、そういう教えじゃありません。

悪いものを蕩減として受け止めて、
『あ、これで晴れるんだ』と思ったら、感謝できるのです。


(私たちの蕩減と清算は)減償法だから、
だいたい私たちが出くわしたことよりも
大きいことが晴れるんですよ。

増償法っていうのは、報償法よりも小さいのです、
知ってますよね。
報償法といったら、そのままです。

増償法というのは、言ってみれば
減償法に失敗した時に付け加わるものなんです。
ですから、(増償法は)
減償法の中での増償法です(例:アブラハムのイサク献祭)。

我々、報償法だったら命ないですよ。
私たちの先祖が一人、人を殺してたら、
自分が死んで、それでもう終わっちゃいます。

(だからすべて)減償法です。


遠いものほど象徴的になるかもしれません。

(アブラハムの象徴献祭、三種の供え物をみてみると)
アブラハムが鳩を裂くのは、20代前の先祖の内容でした。
羊は十代前なんです。
一番大変な牛が、自分です。

ですから、遠い先祖のものは、
象徴的になる場合もあるわけです。

だから私たちも、(愛して、赦して、感謝すれば)
出くわした苦痛よりも多くのものを清算されます。

蝶野知徳・精誠篇2 

父母による子女の家庭教育 精誠篇より
「内的蕩減と生活信仰」
摂理される私、実体基台のために
2018年に蝶野部長が広島の家庭教育部長だった頃
全国の教区から要請があり出張して語られた講義より
(文責:ten1ko2)


結局は、すべての事象に対して、
「感謝する」ということが、
一番重要なことなのだ、と思います。

お父様ご自身の感情、感性において、
不平不満の思い、感謝できないような思いに対して、
「それは何かのために、
また誰かのために蕩減することができる」
そう思って乗り越えられました。

すべてが、神様の解放と、人類の救い、
神様のため、人類のため。

ですから、牢獄に入るような、
そんな立場にあっても、
すべてを感謝していかれたのですね。

腐った魚のにおいを愛するとか、感謝するとか、
そんなことは、普段の生活の中で
考えたこともないことです。

くさいものは、くさいし、
悪いものは、悪い…。
自分とは関係ないし、
遭遇してしまったら不運と思っていました。

私たちも、難しい時や、
愛せないこと、許せないこと、
感謝できないことがある時ほど、
どこかの誰かのためになる、
あるいは、何かが清算される条件だと、
感謝する心情をもっていきたいと思うのです。




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posted by ten1ko2 at 11:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 蝶野部長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする