2013年03月22日

ハラスメントに抗議! 千葉大に調停の申し入れ?! 勇気ある学生にエールを!!


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統一教会に対して、
拉致監禁の迫害とともに、
学生たちも
統一教会の信仰を持っているということで
様々な迫害を受けています。
いわゆる『アカハラ』
アカデミックハラスメントです。

迫害をする大学の中でも
代表格にあげられるのが、
国立の千葉大学です。

私は千葉県在住なので
大変残念に感じていますが、
千葉大は統一教会の信仰を持つ
学生に対して、
徹底的な迫害をします。

個別に面談しながら、
一人ひとりに屈辱を
強いてきました。

それを直接受けてきた
二世の姉妹が、学生代表として、
千葉大学に調停を申し入れました。

実名を挙げて公開されていますが、
内容のみをそのまま紹介します。


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大学ではもうご存知の方も多いですし、
この記事を見て驚く方もいると思いますが、
自身は一般に言う「統一教会」の二世として
生まれました。
現在は千葉大学の学生であり、
同時に千葉CARP(原理研究会)の学生代表です。
もちろん、二世として生まれたからと言って、
最初から信仰者であるはずがありません。
今もこうした家に生まれたことを悩んだり、
疑ったりしながら、
「何が正しいのか」、
そして自身は「どう生きていくべきか」
を模索しながら生きています。

長い記事になりますが、
真剣に書こうと思います。

このたび、千葉大学に
調停を申し立てました。
それは千葉大学が、
統一教会を始めとする新興宗教を、
その実態を知らずに危険視し、
批判を繰り返したからです。
さらには、その批判は、純粋に学問の上で、
社会貢献を目指して活動途上だった
千葉CARPのメンバーにまで飛び火しました。
詳しい内容は、今まで多くの方々の理解を求めて、
あらゆる場所で語らせていただきましたから、
ご存知の方も多いでしょう。
学生の呼び出しがあり、
一部の教授による進路の妨害や脅しがあり、
個人的ないじめもありました。
私たちの多くは今までそれに耐えて、
沈黙してきました。
大学と、地道に話し合いの場を設け、
お互いの理解を求めて努力してきました。
しかし、学生一人の努力では、
極めて困難な取り組みでした。
そこで、第三者の協力を得て、
弁護士さんのご尽力と合わせて、
今回の調停に踏み切りました。

結果は不成立。
千葉大学は学生の意見、
話し合いに、一切応じる気はない、
という返答でした。

とても残念に思います。
大学とは誰のためにあるのか。
私は将来、大学教授を目指していますが、
本来大学とは、純粋に学問を探求し、
高めあう場ではないのでしょうか。
それは教授だけではなく、
大学の保身のためでもなく、
学生の意欲や熱意に支えられるものでは
ないのでしょうか。
今回、大学に意見したことは、
個人の信仰を守るためだけでなく、
今後、学生たちが本当の意味で、
自由な信仰や表現が守られ
保障されるためです。
それが日本のためになると思ったからです。

いまのところ、これが正しかったのか、
まちがっていたのか、私にはわかりません。
もし私が間違ったことをしたのなら、
私はこれまでの生き方から見直し、
反省すべきでしょう。
新しい人生を考えることもできるかもしれません。
でももし、私が今回行った主張が、
人として当然すべき権利に当てはまるなら、
たとえどんなに反対があったとしても、
出来る限りの努力をし、
足掻(もが)いてみようと思います。

もし同じように悩みを抱える人がいるなら、
こんな一人の学生がいるということが、
希望になるよう願っています。


実際、2回調停を申し込みましたが、
2回とも不成立に終わったそうです。

彼女とは昨年会う機会があり、
学生たちが
迫害されてきた内容も聞きました。

例を挙げるとこんな感じです。

「脱会しなければ教師になれない」
と教授に脅された。
(実際、脅された学生は
この言葉を受けてCARPを辞めた)

「文鮮明の自叙伝を燃やせるか」
と脅された。
(この学生も結局脱会に至った)

「やめなければ退学」と言われ、
精神的に病んでしまって、
カウンセリングを受けている。


以前、書いた記事に詳細がありますので
ご覧ください↓
  大学側の脅しの実態、「このままいけば就職できないよ」CARPメンバーに個別面談

統一教会の信仰を持つことは
日本国憲法第20条
信教の自由によって
保障されているはずです。

それを破る行為をする
千葉大学は
国立大学法人でありながら
犯罪行為をしている、
と言っても過言ではありません。

私は立ち上がった二世の姉妹の
勇気ある行動に
エールを送ります。

そして、アカハラが
これ以上おきないように、
今後もブログで取り上げるとともに、
具体的な行動を起こしてまいります。

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お父様のみ言

これから深刻な時が訪れることを知って、
きょうを期して、明日から皆さんが行く方向を、
視覚から、感覚から、歩みから、
戻っていかないようにしなさい。
もう迫害はありません。
今から迫害を受けるならば、
それこそ一族が数カ月以内に
屈服するようになっているのです。
歩みも堂々と最頂上の道を越えて行くようになる時は、
サタンの因縁をみな、
切ってしまうようになります。
みな、けっ飛ばしてしまうのです。
サタンに対して、自分が貴く思ってきたものを
全部、分けてあげ、
手を空にして訪ねていかなければなりません。
手を空にして、涙とともに心情をもって、
大罪を犯した子供を歓迎するために
苦労された父母の前には、名目もなく、
大声で痛哭できなければなりません。
私もそうしたのです。


(神様祝福永遠宣布式のみ言より)


※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
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(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)


2013年03月21日

〜「復帰の心情」の原点〜 お父様が最後に行きたかった地、野牧(ヤモク)とは?!


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ファミリーフォーラムに
 〜お父様が聖和される前、最後に行かれたかった場所〜野牧(ヤモク)
という題目で記事が掲載されていました。

記事の内容を紹介します。


真のお父様が、最後に、み言を語られた場所は、
ソウルの五山中高等学校ですが、
実は、その時、お父様は、
五山中高等学校ではなく、
”野牧(ヤモク)”という場所を
訪問されたかったと言われています。

何故、野牧へお父様は行かれたかったのでしょうか?
野牧は、日本ではあまり馴染みのない場所ですが、
実は、お父様にとっても、
そして統一教会にとっても、
非常に重要な場所なのです。

第二の定州と言われている。
お父様は、定州へ行きたい時、
野牧へ来られたと言われています。
そして、豊かな自然を持つ野牧は、
エデンの園に似ているとも語られています。
亨進様も、北朝鮮へ行かれる前、
お父様の指示で、この野牧で
1週間精誠を尽くされました。
また、野牧は、四大聖地
(釜山ボンネッコル、黒石洞、原殿、そして野牧)
の一つとして指定されています。

統一教会の出発点と言える場所である。
お父様は、今日なされた全ての摂理を、
この野牧で構想されたと言われています。
1957年には、野牧にいた120名のキリスト教信者が
一気に統一教会へ改宗しました。
そして、第2回全国伝道師40日修錬会を受けた人たちが、
世界宣教へ出ていくなど、
野牧は、伝道発展の出発地と言える場所です。

聖歌16番「復帰の心情」が誕生した場所

何よりも、何よりも、お父様が生前、
最後に行かれたかった場所が、この野牧なのです。



聖歌16番「復帰の心情」が誕生した
ということですが、
『聖歌のゆかり』という本があります。
見ると、野牧の内容がありましたので、
その一部を紹介します。


作詞者の李容熙(イヨンヒ)さんは
七二家庭の婦人です。
この詩は、李容煕さんが
十六歳ごろ初めて原理のみ言に触れたときに知った、
天の父の切々たる心情を書き表したものです。

李さんの故郷の、野牧という所
(田舎で、水原という地に近い)で
伝道復興会が開かれたのは一九五五年、
初秋でした。会場は車牧師の営む教会です。
車牧師はかつて平壌で文先生の弟子となりましたが、
北韓で別れ、再び南で文先生に出会って、
既成教会の伝道師をしながら歩んできたかたです。


この車牧師についての話を
以前聞いたことがあります。
まとめてみますと──

「平壌で文先生の弟子となりました」
と書いてあるように、
お父様から直接み言を受け、
様々な知識を得ていきました。

故郷である野牧に帰り
お父様から学んだみ言を
語っていきました。

その中でも聖書に対しての解釈は
ずば抜けたものがあり、
牧師になったらどうか
そのような話があって、
長老教会の牧師になりました。

車牧師は、
お父様からおそわった
原理と聖歌を
信徒に教えていきました。
おそらくこの地で生まれた
聖歌16番も
何度も歌われたことでしょう。

そして、約120名の信徒になり、
みなが、信仰生活を送っていったのです。
当時、たくさんの役事がおきたといいます。

実は、信徒たちは
車牧師が語っている内容が
統一教会のものとは知りませんでした。

ところが、ソウルで基督教を学んだ
ある青年が、故郷の野牧に帰ってきて、
長老教会の礼拝に参加するため
車牧師の教会に行きました。

話を聞くと、
何と統一教会の原理だったわけです。

青年はびっくりしました。
「この教えは統一教会の教えだ。
悪いところだから、止めたほうがいい」

しかし、だれもびくともしませんでした。
ついにはその青年は裁判を起こします。

『ただちに統一教会の信仰を捨てるように、
さもなければ、長老教会から
出て行くように』
車牧師は、
そんな命令を受けたようです。

そうして、
最終的には123名の信徒の中で、
120名がついていきました。

野牧という地は
聞いたことがないし、
行ったことのない、
そんなところではありましたが、
場所としても
とても素晴らしいところのようです。

さらには、証しのように
信仰の出発の原点としても
素晴らしいものがあります。

そういう意味で、真のお父様が
最後に行きたかった場所だったのではないか、
そのように推測します。

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お父様のみ言

野牧修練会での話を一つします。
貯水池に蓮があったのですが、
とげがあって恐ろしい姿をしていました。
その真っ青なとげに毒があり、
ちょっと刺しても全部膿むのです。
こういう所に、男性、女性を問わず
全部入って魚捕りをするのですが、
先生が先頭に立って全部引っ張って入りました。
ところが、
「やあ、あそこにどうやって入るのか。
風邪を引いたらどうする」と言う人がいます。
ですから、
「お前の好きなようにしろ」と言いました。
そう言った人を、今も記憶しています。
名前は言いません。
その人に野牧でのことが思い出されるかと尋ねると、
「もう一度そういう時があればいい」と言います。

しかし既に時は過ぎ去りました。
もう十回でなく、百回やって蕩減すると言っても、
本物にはなりません。
本物は一つです。
二つではありません。
いくら気勢のいい人も、
野牧修練会の話さえすれば、
良心があって恥ずかしがります。
良心は本当に良く、
素晴らしいものです。
恥ずかしいことをすべて知っているからです。
その恥ずかしさが救いです。


(牧会者の道『野牧修練会であったこと』より)



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posted by ten1ko2 at 10:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月20日

トラウマを超えて理想家庭を目指そう!! 拉致監禁体験者のはれない闇?!


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おとといの会議
拉致監禁撲滅プロジェクト
責任者会議の続きです。

教区担当者の方などから
報告がありました。

印象的なものを
一つ紹介します。


他教区ですが、
2ヶ月に一度
集会をしているそうです。

担当の方は拉致監禁の体験者に対して、
「被害者」と呼ばず「生還者」
と呼んでいます。

それくらい体験者に気をつかっています。
公表するときにも
一つ一つを確認して、
掲載してほしくないものがあれば、
それを出さないようにしています。

カウンセラーの先生を交えての
交流会、食事会などを通して、
心が溶けてきました。

そして、「自分たちで
何かできることはないか」
そうなって、外に向かいつつあるということです。


食口を大切にする文化
これが本当に大事だと思います。

実は私も
二回拉致を受けました。
そのときの衝撃があまりにも強烈で、
もう父も亡くなっているし、
母も高齢だし、
拉致監禁は絶対にやらないだろう、
そう思っていても
それでも何か怖いわけです。

この前もあることで
実家に帰る際には、
捜索願を書いてから帰りました。

深層心理というか、
深いところで昔の恐怖感
これが残っているんです。



この方がこんな風に思っているなんて、
教会の食口はほとんど知らないでしょう。

またもし、教会長に言っていなければ
教会長も理解できないかも知れません。

私自身は
すでに両親が他界していますし、
拉致監禁は120%ないと思います。
そういう意味でこのブログも書いているわけです。

後藤代表が報告していましたが、
ある韓国の婦人は
久しぶりに実家に帰ることができ、
お父さんとも話すことが出来ましたが、
「もう二度と来るな」
そう言われたそうです。

こういう方の気持ちを癒すのは
本当に簡単なことではありません。

もちろんこれは、
拉致監禁に関することだけでは
ないのかも知れません。

さらに言うなら
闇の内容を抱えているのは、
末端の食口だけではないのかも
知れません。

生意気な発言で申し訳ありませんが、
天国を築くのはまず私から
私の家庭から。

家庭盟誓にもあるように
「天の祝福を周辺に連結させる家庭」
これを目指すことが
何より重要なのではないでしょうか。

そのためにも
真の父母様がいてくださることは、
感謝に絶えません。

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お父様のみ言

家庭は天国の母国であり、
理想は愛にある。

我々においては家庭が出発である。
呼吸する穴(空気穴)のようなものが家庭である。

孝子は笑うとしても
父母の顔を見ながら笑わなければならない。


「御旨の道」より


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