(教区本部の入り口に咲いている花たち)
♪世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい☆
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい☆
昔、学生部にいた頃のことです。
入教する兄弟たちの人数が多いこともあり、
ホームがとても狭いので、
全員が 一人一つの布団に
寝ることが出来ませんでした。
しかし、それが楽しいのです。
「今日は〇〇兄と一緒に寝よう!」
そんな感じで一枚の布団で寝るのが
今でも懐かしい思い出です。
私は大学を卒業してから、いったん就職したのですが、
通勤電車があまりにも混んで
辟易したことがありました。
汗臭かったり、化粧臭かったり・・・。
東京の満員電車というのは、
何でこんなに混むのかとよく思いました。
そのときふと、
「一緒に乗っているのが
学生部の兄弟だったらどうだろう」
そんな風に思ったことがありました。
そう考えたら
一緒に満員電車に揺られるのが、
きっと楽しいだろうな、
ぶつかってもぶつけられても
また、もし汗臭かったとしても
全部笑いに変えられるだろうな、
そう思えたのでした。
まさにこれが天国なのではないか、
そんな風に思いました。
全人類が兄弟姉妹である、
そのことを本当に感じることができれば、
どれだけ素晴らしいだろうか、
そう思います。
しかし、現実的には、
難しい部分も正直あります。
学生部時代、あるいは献身生活をしていると
ともに歩むメンバーが慕わしいのですが、
家庭を持って、そこで信仰生活をすると、
お互いをどれだけ兄弟姉妹である
そう思っていくことができるでしょうか。
先日北千葉教区の教区本部教会に行きました。
会議に参加したのですが、
教会の敷地のフェンスに
色とりどりの花が咲いた
プランターがいくつも
掛かっていました。
「綺麗だな」
そう思ってみると、
プランターに名前が書いてありました。
スタッフに聞くと、
自分の好きな花を買って、
自分で飾るように
教区長が指導されているとのことでした。
「教会は誰の教会ですか?
皆さんの教会、私の教会なのです。」
そう言われながら、
みんなが教会に来ることを願って、
このようなことをされているそうです。
そうしながら実際は、教区長自ら
毎朝、丹念に雑草を摘み取ったり、
一番綺麗に咲いている花を
玄関の手前に配置したり、
精誠を捧げておられるのでした。
まさに食口を愛する心情で
花の手入れをされているのだと思います。
神様、父母様に侍るとするなら、
教会に来るということが
どれほど貴いことでしょうか。
そのような縦的関係を確立した土台で、
さきほどのような心情関係を築くことが出来たなら、
それこそが本当の天国なのだと思います。
お父様のみ言
統一教会は信じて天国に行くという人間が、
集まる所ではありません。
天国を造って暮らして、あの世に行くと言うのです。
ですから思想的な根拠をもって、
そんな確固とした信念を持って、
風が吹き、世の中が変わっても変わらず、
指導的な活動をせよと言うのです。
そのようにしても基準もなく率いて、
風が吹くたびに倒れていたら何事をしたことになりますか?
自分が風に倒されるのですか?
そして自分が苦労をしないというのでしょうか?
文鮮明先生み言選集 No.21
「天の国の宗孫となれ」
1968年11月24日(日) 前本部教会
統一教会は信じて天国に行くという人間が、
集まる所ではありません。
天国を造って暮らして、あの世に行くと言うのです。
ですから思想的な根拠をもって、
そんな確固とした信念を持って、
風が吹き、世の中が変わっても変わらず、
指導的な活動をせよと言うのです。
そのようにしても基準もなく率いて、
風が吹くたびに倒れていたら何事をしたことになりますか?
自分が風に倒されるのですか?
そして自分が苦労をしないというのでしょうか?
文鮮明先生み言選集 No.21
「天の国の宗孫となれ」
1968年11月24日(日) 前本部教会
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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