2013年04月05日

二度と不幸を生まないために、後藤裁判に応援を! 「これ以上耐えることはできません」一度信仰を捨てた壮絶な証し!!


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後藤徹さんの民事裁判。
今回、MKさんが原告側の証人として
4月8日に証人台に立ちます。

アメリカのルーク樋口さんが
MKさんのことを報告してくださいましたので、
すこし編集して紹介します。


Mkさんは特別な証人です。
後藤徹さんと同じアパートで監禁され、
同じ脱会屋宮村峻によって
教会を一旦脱会させられました。

彼女の脱会表明後に、脱会屋宮村峻は、
既に脱会したメンバーと共にMKさんを
後藤徹さんの部屋へ脱会説得に同行させました。 

MKさんが後藤さんと同じ大学を卒業している、
そのことも理由の一つだと言います。

MKさんは、後藤さんの部屋を訪れた時の様子を
こう語っています。

『彼は、部屋の隅で膝を抱えて、
うな垂れまま数時間に及ぶ
脱会屋の罵倒を聞いていた。』

MKさんはそんな後藤さんの姿を見て
胸が痛む思いで自分は一言も話せずに
部屋から出たといいます。

MKさん自身の拉致監禁経験談も
悲惨なものです。

彼女は小さなアパートに2年7ヶ月もの間
監禁されていました。

肉体的、精神的、霊的にも疲れ果て
彼女は神様にこう祈ったと言います。

『神様、私はこれ以上耐えることは出来ません。
ここで信仰を捨てますが、
もしあなたが私を必要とするならば、
もう一度私を召し下さい。』

そして彼女は一度、教会を脱会したのです。
彼女は一旦、本当に信仰を捨てました。
しかし、脱会屋宮村峻は彼女を自由にはしませんでした。

その時、彼女は韓国人の旦那さんと結婚していました。
彼女の脱会の決意は旦那さんとの離婚をも
意味するものでした。

脱会屋宮村峻は婚姻無効裁判を
起こすように話を持ちかけました。

裁判を起こすまで自由にさせてもらえないことを
理解したMKさんは裁判を起こしました。

そして裁判が終わるまでの約2年間、
彼女の監禁生活が続いたそうです。

婚姻無効裁判が終わって、
両親に裏切られたショックと人間不信から
彼女は韓国での生活を選びます。

それからPTSDと言われる鬱病を伴う
様々な症状を克服する為、
カウンセリングに通いながら、
翻訳などの仕事に従事しました。

そうする中、唯一の友人(統一教会員)から連絡が入り、
清平修練院で人材募集していると聞き、
応募したところ採用されたそうです。

韓国での生活をする中、
彼女はまた真理探究のために
様々な宗教を尋ね歩いたといいます。
しかし、たどり着く結論は、
『原理と真の御父母様のみ言葉』が正しいと
いうことだったのです。

彼女の監禁中の祈祷が聞かれ、
もう一度召された彼女の使命は
この後藤徹さんと出会う為だったのかもしれません。

この時に彼女が後藤徹さんと共に
信仰の自由のために戦うことを
神様は計画されていたと感じているのは私だけでしょうか?

皆様、この宗教の自由の為に戦う
2人の戦士の為に祈って下さい。

そして、この2人の『人生』を
ここまで犠牲にしてでも拉致監禁を無くして、
統一教会の義を立て摂理を進めようとされる
神様の心情はいかばかりでしょうか・・・・?

私はこの2人の『人生』を考えると・・・
何もやっても足らない気持ちで一杯です。




ルーク樋口さんも語られているように、
後藤さんとともにMKさんも
本当に犠牲の道をいかれました。

MKさんは教会に戻ってこれましたし、
裁判の証言に立つという
勇気ある立場をとられていますから、
過去を考えると本当に悲しい道ですが、
今はPTSDも克服されて
心情的にもしっかりしておられると思います。

しかし、教会に戻ってきても、尚
苦しい思いを抱えたままの人もいるだろうし、
教会には戻ってこれずに、
心身が傷つき、
恨みの思いが残っている人も多くいるでしょう。

今回の裁判は
後藤さんが勝利することで
二度と不幸な人を起こさないように
そのための闘いなのです。

裁判を起こすことは
必ずしもよいことであるとは思いません。

しかし、これは後藤さんが
報復の思いでしているのでは
けっしてなく、
拉致監禁を根絶させるための闘いです。

そして、彼らを憎むのではなく、
愛し許すための
闘いなのだと思います。

是非、第2番目の天王山ともいえる
このMKさんの証言が導かれるように
皆様も祈りの協助をお願いいたします。


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お父様のみ言

信仰する人は 喜びの時には
最高の悲しみの一点を迎える
心の準備をしておかなければなりません
最高に忍耐力を高めて
神様の絶対的基台になりうるというような
決意を内心に固めておかなければなりません
たとえ今が
泣いている時であっても
神様が喜ぶ瞬間であれば
満面の喜びで迎えるような
心の準備をしなければなりません
もし今が喜びの立場に立っているとしても
辛い悲しみを感じることのできるような
そういう極に通じる
異なる
立場を考えなければなりません


「ひかりの中へ」より



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