2013年04月11日

先日の証人喚問の結果は?! 「親が出してくれなかった」被告側元信者の大失言!! 【後藤裁判】


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後藤徹さんの民事裁判ですが、
今週の月曜日に原告側(後藤さん側)MKさんと
被告側OB氏の証人尋問が行われました。

本部の公式HPには以下の通り出ています。

 後藤徹氏の民事裁判、原告側・被告側双方から1名ずつ証人尋問

また、今朝は『拉致監禁by宮村の裁判記録』
に様子が伝えられていました。

 証人尋問の報告―追い詰められ涙で訴える被告側証人

量が多いので、
かいつまんで紹介します。


主尋問でのひとつ印象的な場面は、
(原告側の)福本弁護士が(MKさんに対して)
「(あなたの)弟のMさんが、あなたに対する保護説得なるものは
被告宮村指導による拉致監禁であったという
内容の陳述書を書いているのですが・・・」
との質問をした時に、
(被告側の反対派)山口広弁護士がいきり立って
「異議あり!そんなこと書いてないでしょ!」
と叫んだシーンでした。
福本弁護士がMM氏(弟)の陳述書を見せながら説明をすると、
まさに、福本弁護士が発言した通りの内容が書いてあったため、
山口弁護士は沈黙せざるをえなくなりました。

また、MKさんの場合、偽装脱会ではなく
統一教会を完全に離れた立場で宮村一派と接していたので、
強制説得により価値観が崩壊してしまった元信者が
カリスマ性を帯びた宮村に依存せざるを得なくなること、
その結果として宮村とその取り巻き女性元信者達が
醸し出す異様な雰囲気の話は、説得力がありました。

次に被告側証人OB氏(統一教会元信者男性)の証人尋問です。
被告側弁護士の主尋問のあと、
原告側の福本弁護士による反対尋問がありました。
はじめに職歴を尋ね、被告宮村が経営する
タップに勤めていたことを答えると、
弁護士の「宮村はどんな人物か」との問に、
OB氏はもちろん宮村を褒め称える答えをしました。
福本弁護士が「宮村の説得を受けて逃げ帰ってきた人達に聞くと、
宮村は強引で横柄なヤツだと言うが?」と問うと
OB氏は「それは、統一教会的な見方」と反論。
そして、福本弁護士が「タップを辞めた理由は何か?」と問うと、
OB氏の表情が明らかに変わり始め動揺の色が見えました。

実は、OB氏は●●●●のペンネームで10冊以上の書籍を
執筆、出版していて、
その中に、「自身が勤めていた広告代理店のワンマン社長」
として宮村のことを書いていたのです。
OB氏が自著で書いた宮村像は、一言で言うと
「強引で横柄で理不尽なとんでもないワンマン社長」で、
OB氏がその広告代理店を辞めた理由についても、
社長のあまりの理不尽さに耐えかねて、
大喧嘩して会社を飛び出した、
といった経緯が詳細に記されていたのです。

福本弁護士がOB氏の書籍を引用して読み上げ、
OB氏に突きつけると、
被告側席の面々は代理人弁護士らをはじめ
凍り付いたような表情になり、
OB氏もしどろもどろになりながら
「書きましたよ〜」
「一面だけを捉えたらだめです」などと弁明。
明らかに動揺し、取り繕って答弁していることが
明らかに見て取れました。

この最初の時点での動揺が後を引いたのか、
その後のOB氏の証言は、
自分の証言に対してまで矛盾する答弁を行う場面もありました。
「いつ、そんなことを言ったか」と開き直る態度に、
福本弁護士から「それじゃあ、後で山口先生から
尋問調書を見せてもらって確認して下さい」と言われていました。

拉致監禁の事実はなかったということを
証言し続けたOB氏の口から、
「親が出してくれなかった」という言葉が発せられたときは、
OB氏の動揺が半端なものではなかったことを感じさせられました。



また被告側の弁護士からは
MKさんの婚姻無効訴訟(一度脱会したときに起こしたもの)
に対しての証拠が提出されたようですが、
裁判の本質である
後藤徹さんが、拉致監禁されていた
その事実を覆す内容には至らなかったようです。

被告側はあくまで
『拉致監禁はなかった』
そのことを訴え続けますが、
うそは覆い隠すことは出来ません。

今回の裁判中に
アメリカの日本人食口たちは
リレーで徹夜祈祷会をしていたと聞きました。

日本からするとアメリカは半日遅いので
裁判の時間はちょうど夜中になるわけです。

一度体験した被害者にとって見れば、
『拉致監禁はなかった』
そういう判決は考えることが出来ません。

それはたとえ脱会した元信者であっても
その本心に尋ねたらわかることでしょう。

今回の裁判は
本当に公平に判決を下して欲しい、
心からの願いです。


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お父様のみ言

先生がこの道を歩みだしたとき、
足を伸ばして楽に床に就いたことがない。
なぜならば責任を果たし得なかった場合、
どうして安らかに休むことができようか。
それと同時に初めに父を大事にし、愛するという心情基準を
サタンに奪われないために必死の闘いを続けてきた。


「御旨の道」責任感より



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