2013年04月13日

「拉致監禁はなかった」という反対派のために?! 〜「拉致監禁はあった!!」証拠文献の一例〜 後藤裁判では・・・?!


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「『マインド・コントロール理論』
その虚構の正体」という本を見ていたら
「拉致・監禁による強制的暴力改宗活動の実態」
という箇所において、
脱会した元信者ふたりが「拉致監禁」を認めている記述がありました。
そのうちの一人はあの有名な山崎浩子さんです。

一部、紹介します。


「反対牧師」が親や親族を操作して行っている拉致・監禁は、
CANの活動と同様に非常に強制的・暴力的なものであり、
明らかに犯罪性が認められることは
多くの証言によって明らかになっています。

『週刊文春』(一九九三年四月二十九日号)
に掲載された山崎浩子さんの手記にも、
彼女が強制的に連れさられたことが書かれています。

「『しまった、やられた』私のこわばった頬を、
とめどなくあふれ出る涙が伝う」
「みんなの視線が、私に突き刺さっている。
逃げることはできない。
いや、逃げてはいけないと思った」
「姉達が拉致・監禁をするなんて――」

「私を真ん中にはさむようにして、姉と叔母がシートに身を沈める」
「車はどこにむかって走っているのか、全然分からない。
これからどうなるのか、それもまた、全く見当がつかなかった」

元統一教会員で、現在は反対活動を行っている
田口民也氏の『統一協会からの救出』(いのちのことば社)には、
彼の指示によって両親から拉致・監禁されたN君の手記が載っていますが、
そこには到底逃げ出せないような環境に
無理やり連れて行かれた様子が描写されています。

『そのうちに、あるアパートまで連れて行かれた。
それが、逃げられないように頑丈にしてあるのを見て初めて、
私はここまで来た意味がわかった。
こうして数か月間のアパート生活が始まったのである。』

この本にはN君を拉致した父親の手記も載っていますが、
そこには息子を拉致するためにロープやガムテープなどを
用意したという生々しい記述があります。

『親戚に初めて息子の状態を伝え、協力を願う。
十名の協力を得ることができた。
連絡があってから、一週間が過ぎる。
移動用ジャンボタクシー、
身につけるロープ、ガムテープなどそろえる。』

これらは父兄が主体的に思いついてやるのではなく、
明らかに牧師が事細かに指示してやらせているのです。

田口氏は著書の中ではっきりと、
「まず、体を集団ナルチシズム(集団生活および彼らの監視)から
隔離する必要がある」
「救出は、その組織から、体を引き離すことはもちろんであるが、
体だけを統一協会からだしても、それで安心してはいけない。
体だけではなく、心や霊までも解放しなければ本当の救出にはならない」
と書いており、信者の改宗にはまず物理的な隔離が必要だとの主張をしています。

そしてこの本には「第三章救出のためのテキスト」と称して、
牧師が親に出している具体的な指示が述べられており、
これは改宗のためのプログラムが牧師によって作られた
マニュアルに従って行われていることを示唆しています。

信者は監禁された状態のまま、
反対牧師による長期間の棄教の強要と説得を脱会するまで受け続けます。
長い場合は数カ月に及ぶこともあります。
そしてまず現状では本人が拉致・監禁された場合の救出、
あるいはそこからの脱出は不可能な状態なのです。



後藤さんの裁判においても
こういう書物はすでに証拠として
挙げられているに違いありません。

また先日お伝えしたように
教会を離れた元食口が
証人喚問の席で
すでに拉致監禁を認めています。

本来あったものを証明するのは
難しいことではなく、
次々に証拠は出てくることでしょう。
反対に
ないことを証明するのは、
骨が折れることでしょう。

今回の裁判においても
「拉致監禁はなかった」
そう反対派が主張するのですが、
「ない」というのは「ありえない」
ということになりますね。。。


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お父様のみ言

先生の心情をしのび
少しでも感じてください。
当時それは
不可能に近いほど困難な道でした。
また何と
寂しい孤独な道だったでしょうか。
当時先生は頻繁に取調べを受けながら
苦難の道を歩んでいました。
先生の 本来果たすべき
天宙的使命を知る者もなく
一人先生自身のみ
人知れず自分が何者であり
未来に何を成し
どこに行かんとしているかを知っていたので
ひとたび天の前に成した誓いと決意を
不変のものとしながら
ここまで歩み続けてきたのです。


愛のシンフォニー3
「主の道」より



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