2013年04月18日

私は守られている?! 日々の小さな「気づき」が私を変えた!! 《自叙伝書写の証し》


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自叙伝心の書写──
書写を通して、私たちの心を清め、
正し、お父様の魂を移植する、
つまりお父様の精神を相続していくのです。

書写を通じて起こったささやかな証し、
そして心に起こった「気づき」を喜びとし、
感謝してさらに
書写を継続する・・・。
一見、ご利益のようにも見えますが、
愛天愛人愛国の精神を根付かせ、
お父様に似ることを目指して行うのが、
自叙伝心の書写です。

当教会での証し(気づき)をいくつか紹介します。


〇 お彼岸にお墓参りに行きました。
姉のところに行ったとき、「お墓参りに行けなくて、ごめんね」
と言われ、「うんいいよ」と答えて、
当たり前のように一人で行ってきました。
今朝になって、「そうか遠くに いる人や
足の悪い人など行けない人も沢山いるのに、
自分は元気だから行けるんだ」そう思えました。
今回、気づいたのも、書写をしているからだと思えました。
ありがとうございました。


〇 書写をすると自分がただされる思いがしています。
今まではけじめのない生活で、
仕事も夜遅くに帰ってきて、
そのまま寝てしまうこともありました。
でも書写をするようになって、
朝気持ちよく出発できるので、生活が少し変わってきました。
毎日頑張ります。


〇 仕事に新しい人が入ってきました。
そして、私が指導する立場になりました。
とても傲慢な方で、仕事の方針にとても気に入らない様子で、
とても反発しています。
その気持ちに反発の思いになりましたが、
書写でいつも書いてある『真なる愛は与え与えても・・・』
という言葉が思い浮かんできました。
なので、何も言い返さずに受け止めることが出来ました。
書写のおかげだと思います。

〇 掃除の証しをしている方がいらっしゃいましたが、
私もそのうちの一人で、本当に掃除がなかなか出来ずにいました。
でも書写をしたあとだと掃除をしようという気持ちになるのが不思議です。
祭壇をまず綺麗にしてから、掃除をすると、
御父母様が喜んでおられるような気がして、
少しずつですが、掃除をすすめています。
ありがとうございます。



毎日、継続してやり続けることが精誠です。

もう何年もやっている婦人は、
一日三度の食事のように、
やることが当たり前のようになり、
書写をせずにはいられない、
そんなことをいわれていました。

毎日精誠を込めて書写をして、
何の証しが立たなくても、
それでもやり続けている婦人もいます。

書写をやると気持ちが
前向きに明るくなってきます。
どことなく
お父様の心情姿勢に
似てきているのかもしれません。

その姿に神様の祝福があるだろうし、
また、なんの証しがないと思っていても
そうやって感謝で生活して
健康で過ごしている、
それ自体、守られている、
ということになるのかも知れません。

今後も継続して頑張っていきたいと思います。


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お父様のみ言

先生は人を愛し
人との出会いの一刻一刻を
楽しむようにしています。
それは先生が
なさなければならない仕事なのです。
先生はそのことを
最も効果的かつ完全に成し遂げています。
というより
それが先生の人生そのものなのです。


愛のシンフォニー3
「主の道」より

*心の書写とは*

白紙の書写の用紙は
真っ白な私の心。
そこに、お父様の魂であるみ言を
書き写します。
み言を目で見て、口に出し、
それを耳で聞き、そして筆で書く。
私の心に
お父様のみ言を書き写すのが、書写です。



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posted by ten1ko2 at 10:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 浅川先生 自叙伝書写 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする