真のお母様は
2020年に向けて
精力的に歩まれています。
そのすべては、
真のお父様の願いを果たしたい、
真のお父様を喜ばせたい、
そういう強烈な思いから来ているのでしょう。
そんなお母様ですが、
史吉子先生の書籍
「原理に関するみ言の証」の中で、
『お母様のために、祈祷もしてあげることのできないお父様』
そのような箇所がありました。
一部引用いたします。
☆
お父様は京畿道・龍仁にあるメッコール工場で、
このようなみ言を語られました。
私は最高の理想的な夫婦の愛、真の夫婦の愛は、
かくも徹底した法度に従って行かなければならないのだと思うと、
申し訳なくて、身の置き場もありませんでした。
長い間を生きてきながら、暇さえあればこんなことについて
考えるようになるのですが、
お母様が可哀想で、どれだけ涙を流したかわかりません。
このようなみ言を語られました。
「私が多くの人を、一言の祈祷で生かしてあげた。
ところが、お母様のためには祈祷をしてあげられない。
なぜならば、お母様はこの世の女性の代表だ。
どんな理由であろうとも、
涙を流す女性がこの世にいたなら、
彼女たちの苦難の路程が全て終わるまでは、
お母様のために祈ってあげることができない。
お母様の娘の立場である義なる女性たちが、
この世の暗い片隅で
解放されないまま生を維持しているので、
お母様はその娘たちのために、
共に苦しむ一部分でも無ければならないのだ。
それで、お母様は苦労しなければならない。
このような理由のため、
私がお母様のために深刻な祈祷を一度すれば、
お母様の体が綺麗に治るのをはっきり知っていながらも、
祈祷をしてあげられない」
ところが、お母様のためには祈祷をしてあげられない。
なぜならば、お母様はこの世の女性の代表だ。
どんな理由であろうとも、
涙を流す女性がこの世にいたなら、
彼女たちの苦難の路程が全て終わるまでは、
お母様のために祈ってあげることができない。
お母様の娘の立場である義なる女性たちが、
この世の暗い片隅で
解放されないまま生を維持しているので、
お母様はその娘たちのために、
共に苦しむ一部分でも無ければならないのだ。
それで、お母様は苦労しなければならない。
このような理由のため、
私がお母様のために深刻な祈祷を一度すれば、
お母様の体が綺麗に治るのをはっきり知っていながらも、
祈祷をしてあげられない」
私は最高の理想的な夫婦の愛、真の夫婦の愛は、
かくも徹底した法度に従って行かなければならないのだと思うと、
申し訳なくて、身の置き場もありませんでした。
長い間を生きてきながら、暇さえあればこんなことについて
考えるようになるのですが、
お母様が可哀想で、どれだけ涙を流したかわかりません。
☆
胸に詰まるような証しです。
お母様はお父様のスケジュールに合わせようと
生命を賭けて苦労してこられました。
慢性の胃潰瘍になり、
少しお腹がすいただけでも
お腹が痛むことがあったといいます。
そんなお母様の姿を
何にも知らない真のお父様ではありません。
むしろ一番敏感に
その痛みを感じられたのだと思います。
しかし、そんなお母様のために
祈りをささげることのできないお父様だったのです。
そういう試練を全て乗り越えて
勝利したお母様は
まさに「真の母」であると
改めて、確信いたします。
まさに、筆舌に尽くしがたい
苦難の路程を勝利してこられた
真の父母に侍ることができることを、
心から感謝していきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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