愛しています、ありがとうございますという言葉を毎日起きて、
生活しながら、寝ながら言いなさい。
これにより、天運が来るでしょう。
真の母
☆
生活しながら、寝ながら言いなさい。
これにより、天運が来るでしょう。
真の母
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今日は9月18日。
毎朝、子供たちと一緒にする訓読会は
お父様の自叙伝「平和を愛する世界人として」
を訓読しています。
ちょうど長男が訓読したところが
お父様のワシントン大会のくだりでした。
1976年の9月18日、ワシントン記念塔前広場で
30万人を集めた大会が行われました。
今日はご存知のように、
かつてキリスト教の基盤をすべて失った絶望の日でしたが、
このワシントン大会の成功ですべてを取り戻し、
摂理の礎、基台(ファウンデーション)を成したことから、
ファウンデーションデーと呼ばれるようになりました。
その箇所を訓読したわけですが、
あまりにも奇跡的なタイミングにびっくりしました。
というのは、9月18日は
昨年亡くなった義父の誕生日でもあるのです。
生前の義父は、教会に積極的ではありませんでしたが、
今は祝福家庭として絶対善霊となって、
私たちを協助する礎となってくれていると感じます。
義父といえば、思い出したことがありますので、
今回は、長男と義父のちょっとした証しを紹介します。
☆
今年のお盆に家族で実家に行ったときのこと。
妻と義母、甥、姪とで、夜に四方山話をしていたら、
いつの間にか遅い時間になってしまいました。
さあ、もうおしまいにしようという前になって、
義母が「じゃあ明日の晩は、〇〇食堂に行こう」と言い出しました。
近くの、お袋の味の店で、手軽に行けるので、
生前、義父も好きでよく家族と行っていた店です。
反対する理由もないので、そうしようということになって、
次の日に確認すると、義母は「私は言っていない」というのです。
妻だけでなく、高校生の甥も、中学生の姪もしっかりと覚えていました。
義母は4000万双の既成家庭であり、
実際には妻を導いた霊の親なのですが、
少し霊的なところがあります。
それで、妻いわく、
「父がみんなと一緒に行きたかったから、
母の口を通して語ったのではないか・・・」
まさに私もそう思いました。
そしてその店で、義父が必ず注文していたという卵焼きを
妻が注文しました。
その時に、長男も食べたのですが、
実は長男は生まれてすぐに、
卵アレルギーでアトピーになってしまい、
生まれてこの方、卵焼きを食べたことがありませんでした。
アトピーが出てしまうので、小さい頃は
卵はいっさい摂っていませんでした。
年齢がたつにつれて、改善されてきて、
卵の入った料理(ケーキなど)も
食べられるようになっていたのですが、
卵料理そのものを食べたことがありませんでした。
ところがこの日はなぜか、妻が長男に促したら、
「食べてみようかな」
ということになりました。
生まれて初めての卵料理でしたが、
「うまい!」
本当に嬉しそうに平らげました。
15年目にして、初めての卵料理、
しかも義父の大好きな食堂で、
義父の好きな卵焼きを食べました。
義父が長男と一緒に食べたのだ、
そういわざるを得ません。
ちなみに、長男はそれ以来、
頻繁に、卵を食べています。
長男が卵料理を作ったり
食べたりするのを見ながら、
義父が喜んでいるのを感じます。
折りしも明日は秋夕(チュソク)を迎えます。
韓国では、丁寧に先祖を祀りますから、きっと準備で忙しい日でしょう。
霊界は天暦で回っているといいますし、
韓国の伝統は天の伝統にとても近いといいますから、
今日、明日、霊界の人たちを偲んでいくのがよいと思います。
昨年のお母様を中心とする秋夕の行事を思い出します。
お父様は、いかにお過ごしでしょうか。。。
真のお母様の昨年・秋夕のみ言より
私はどれだけ深刻であるか、眠れませんでした。
もう70歳なので20年を持ちこたえるかわかりません。
何歳まで生きると思いますか?
口先だけ死生決断せずに実績を兼ね備えなければなりません。
実績を見せなければなりません。
愛しています、ありがとうございますという言葉を毎日起きて、
生活しながら、寝ながら言いなさい。
これにより、天運が来るでしょう。
私はどれだけ深刻であるか、眠れませんでした。
もう70歳なので20年を持ちこたえるかわかりません。
何歳まで生きると思いますか?
口先だけ死生決断せずに実績を兼ね備えなければなりません。
実績を見せなければなりません。
愛しています、ありがとうございますという言葉を毎日起きて、
生活しながら、寝ながら言いなさい。
これにより、天運が来るでしょう。
昨年の秋夕の様子はこちらから↓
秋夕節本郷苑参拝式
秋夕節本郷苑参拝式
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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