多くの方がご存知かと思いますが、
韓国MBCnetで、南北統一と世界平和に関する
統一運動に関して、ドキュメント番組がありました。
ファミリーフォーラムで紹介されています。
内容を2回にわたって、紹介したいと思います。
見ていただければ一目瞭然ですが、
映像や写真など、インタビュー以外は、
ほとんど、統一教会から提供されたと思われます。
また、そのほとんどは自叙伝に掲載されているものであり、
本当に客観的に報道されていることがわかります。
批判的な内容は一つもありませんでした。
なので、「内部の人が作ったのかな」
そんな風にも思ってしまうくらいです(笑)。
今回、金日成主席が死去したときに、
朴先生が弔問のために訪朝したのですが、
このときの事実が、今回初めて証されました。
自叙伝には以下のようにあります。
☆
その後、一九九四年七月八日、
突然金日成主席が死去しました。
当時、南北関係は最悪の局面でした。
韓国の地にパトリオットミサイルの配備が計画され、
アメリカでは寧辺の核施設を破壊しろという強硬派が力を得て、
今にも戦争が起きるような状況でした。
北朝鮮は一切の外国の弔問客を
受け入れないといいましたが、
私は兄弟の義を結んだ金主席の死を
哀悼するのが当然だと考えました。
私は朴普煕を呼びました。
「今すぐに弔問使節として北朝鮮に行きなさい」
「今、北朝鮮は誰も入れない状況です」
「難しいことは分かっている。
しかし、何としても入っていかなければならない。
鴨緑江を泳いで渡ってでも、
必ず入っていって弔問してきなさい」
朴普煕は北京に飛んでいき、
命がけで北朝鮮と連絡を取りました。
すると、金正日国防委員会委員長が、
「文総裁の弔問使節は例外とし、
平壌にお迎えするようにしなさい」
と指示を下したのです。
平壌に入って弔問を終えた
朴普煕に会った金正日国防委員長は、
「文鮮明総裁はお元気ですか。
このたびはこのように難しい中を来ていただいて、
本当にありがとうございます。
われわれの偉大なる主席も文総裁の話をいつもしていました」
と丁重に挨拶をしました。
☆
その後、一九九四年七月八日、
突然金日成主席が死去しました。
当時、南北関係は最悪の局面でした。
韓国の地にパトリオットミサイルの配備が計画され、
アメリカでは寧辺の核施設を破壊しろという強硬派が力を得て、
今にも戦争が起きるような状況でした。
北朝鮮は一切の外国の弔問客を
受け入れないといいましたが、
私は兄弟の義を結んだ金主席の死を
哀悼するのが当然だと考えました。
私は朴普煕を呼びました。
「今すぐに弔問使節として北朝鮮に行きなさい」
「今、北朝鮮は誰も入れない状況です」
「難しいことは分かっている。
しかし、何としても入っていかなければならない。
鴨緑江を泳いで渡ってでも、
必ず入っていって弔問してきなさい」
朴普煕は北京に飛んでいき、
命がけで北朝鮮と連絡を取りました。
すると、金正日国防委員会委員長が、
「文総裁の弔問使節は例外とし、
平壌にお迎えするようにしなさい」
と指示を下したのです。
平壌に入って弔問を終えた
朴普煕に会った金正日国防委員長は、
「文鮮明総裁はお元気ですか。
このたびはこのように難しい中を来ていただいて、
本当にありがとうございます。
われわれの偉大なる主席も文総裁の話をいつもしていました」
と丁重に挨拶をしました。
☆
私もセミナーの講師などで、
「お父様が朴先生に
『鴨緑江を泳いででも渡れ!』
と言われたので、決死的に訪朝した。
そのあと、韓国政府から目をうけられて
しばらく、国外追放された」
こんな講義をしたことがありました。
河を泳いで渡れ、
と言われたのは本当でしたが(笑)、
訪朝するときの逸話は初めて知りました。
実は訪朝することは、
安企部の部長に許可をもらっていたのですが、
韓国に帰ってきてから、こんなことがあったのです。
ドキュメンタリー「文鮮明、統一と平和のための生涯」(日本語字幕)
23分50秒くらいからです。
☆
記者会見しなければならないのに、
記者会見をする前に、
5分間だけ会ってほしいという人がいました。
だれかと思ったら、安企部課長でした。
今も格別に親しい課長です。
まあ敵になる理由はないですよね。
その課長が私に別の場所で
単独で話したいと言い、
なぜ来ましたかと聞いたところ、
「政府も社長が北朝鮮に行ったことを
知っているという話や
私たちが許可したということは言わないでください。
一人で決めて自分の意志で
行って来たものにしてもらえませんか」
「政府が願うようにして差し上げます。
私一人で責任を負います。
ご心配なくお帰りください」
そして、そのときから安企部と相談したとか、
安企部から言われたなどの話を
どの記者にも話したことがありません。
この秘密を今日ここで初めて話します。
☆
朴先生が罪を一人で被ったわけです。
非国民扱いされた朴先生でしたが、
実際は、政府に認められて
訪朝していたのでした。
まさに真実の道を歩みながらも
誤解されているお父様の姿
そのもののように思えます。
明日に続きます。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)