今日は自叙伝書写の証しを掲載します。
2件ともお子さんが変わった、という証しです。
☆
私の息子は、中学二年の時にひどい“いじめ”に遭い、
担任の先生にも恵まれず家に引きこもり、
お金を使っては自分の行き場を探したりすることも多々ありました。
そんな元気のない息子を見ては私自身も苦しくなり、
“何があったのか”を聞く事しか出来ませんでした。
今思えば息子を本当に理解してあげることが出来ずに、
煩わしさを強めてしまう事をしてしまったと反省しております。
そんな日々がしばらく続き、支援センターの先生と相談をし、
中学三年生の時には支援センターに通うことになりました。
しかし、中学校に通っていた日数が足りないから、
“定時制か私立しか無い”と先生に言われ、
経済的には定時制しか無く、
高校へ行くと本人が決めるまでにはとても大変でした。
息子の事でいろいろある中で『自叙伝書写』に出会い、
ずっと『自叙伝書写』を続けるようになり、
最近は「誰かの為に何か出来る事を教えてください!」
という思いで書いていました。
そんな中、ある日突然、息子が私に
「何か手伝えること無い?早く起きたいんだけど・・・」
と、照れ臭そうに言ってきたのです。
私は、息子が毎日出来ること必ずやれることを思い浮かべ、
とっさに「じゃあ、ご飯作る?」と聞いたのです。
ご飯作りなどしたことが無い息子なのですが、
「やってみる!」と直ぐに言葉を返してくれました。
本当に驚きました。
あの日から、息子は一日も休んだ事はなく、
朝の時間に起き、何と自分の昼食と私達家族の夕食を作り
冷蔵庫にしまってくれているのです。
(それから学校に通っています。)
これも、『自叙伝書写』を続けて来た御陰と本当に感謝しております。
ありがとうございました。
☆
中学生になる娘は、
「適応障害」と「睡眠障害」で家から外出できず、
学校にも行けない状態でした。
しかし、毎日毎日『自叙伝書写』をする事で、
買い物ならば簡単に行けるようになりました。
それまでは、月に一度は心に表現出来なかった
いろんなモヤモヤ等が原因で暴れたりもしていましたが、
それもなくなりました。
かなり明るくなった娘に希望を感じるようになりました。
そして、ずっと『自叙伝書写』を続けていたら、
何とある日、その娘が学校に行くことができたのです!
私が娘を残し学校を出た後、一時間友達と先生と過ごしました。
その時先生が娘に、「今日はなぜ学校に来たの?」と聞いたそうです。
すると娘は「ママがかわいそう、慰めたい…」と言ってくれたそうです。
それを先生から聞いて、私も先生も泣けてきました。
娘が私の事をそんな風に思っていてくれたとは
一切思っていなかったからです。
感動的でした。
「まだ慣れないから慣れるまでママが私と学校に行って欲しい」
と娘は話してきました。
そして今では、週に一回ですが学校に行けるようになりました。
娘が少しずつ成長してくれる姿に希望を感じます。
これも『自叙伝書写』を続けて来たおかげであると感謝しております。
これからも家族みんなで心を合わせて自叙伝書写を続けていこうと思っております。
ありがとうございました。
☆
お母さんが書写をする中で、
心情転換された世界が一番大きいと思いますが、
子供も書写をすることで、
お父様の運勢をいただいて、
霊的に開かれていると感じます。
改めて自叙伝書写の力の大きさを感じるとともに、
やはり継続することの重要性も感じます。
個人的には毎日継続していますが、
子供たちに続けさせるのは簡単ではありません。
教会でも書写を継続的にやっている子がいます。
毎日当たり前のようにやっています。
個人的な感想ですが、
やはりそういう子たちは霊的にしっかりしていると感じます。
「私の家の子供たちは・・・」
と証しを出来るのには、もう少し時間がかかりそうです。。。
お父様のみ言
家に帰ってきたとき、妻が横になって寝ていたとしても、
「私が責任を果たせないので待っていないのだなぁ」と、
このように思わなければなりません。
ご飯を作らずに、寝てばかりであったとしても、
そのように考えなければなりません。
対人関係も、すべてそのように考えなければならないのです。
【文鮮明先生のみ言葉】
天運を呼ぶ生活
(対人関係) より
家に帰ってきたとき、妻が横になって寝ていたとしても、
「私が責任を果たせないので待っていないのだなぁ」と、
このように思わなければなりません。
ご飯を作らずに、寝てばかりであったとしても、
そのように考えなければなりません。
対人関係も、すべてそのように考えなければならないのです。
【文鮮明先生のみ言葉】
天運を呼ぶ生活
(対人関係) より
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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