アリ(蟻)というと、
お父様が、「ありがじゅう(十)」と、日本人にしかわからない
冗談を言われていたのを思い出します。
そうやって日本を愛してくださったのでしょう。
黒い頭、黒い瞳、黒っぽいスーツで無個性の集団。
一般的にも日本人は、まるでアリのように、
よく働くと言われてきました。
今日は、虫偏に「義」と書く
蟻(アリ)の話です。
お父様が、「ありがじゅう(十)」と、日本人にしかわからない
冗談を言われていたのを思い出します。
そうやって日本を愛してくださったのでしょう。
黒い頭、黒い瞳、黒っぽいスーツで無個性の集団。
一般的にも日本人は、まるでアリのように、
よく働くと言われてきました。
今日は、虫偏に「義」と書く
蟻(アリ)の話です。
☆
教会のHPにニュースレターの紹介がありました。
このニュースレターはどれも
とても得られるものが大きいです。
写真も満載で、嬉しい内容となっています。
12号『「一つになれば成せないことはない
真のお母様が日本を愛される理由をアリから解く!』
から、アリ(蟻)の話を紹介します。
☆
「日本人はアリのように働く!」という言葉は
全世界に知られており、全人類が認めることです。
真のお母様もこの言葉を御存じです。
しかし、真のお母様がこの言葉を認められる理由は、
「アリが単純に仕事ばかり熱心にする」からではありません。
アリは昆虫の世界、広くは動物の世界の中で、
最も同僚に気を配り、ために生きる存在であるため、
真のお母様はやはりそのように歩む日本を愛しておられるのです。
何がアリを気配りとために生きる昆虫にするのでしょうか?
その理由は、アリの胃にあります。
アリは、二つの胃を持っています。
一つは自分のための「個人的な胃」であり、
もう一つは「社会的な胃」といって、自分ではなく、
疲れて倒れそうなアリにあげるための餌を貯めておく胃、
つまり一種の「救援倉庫」があるのです。
さらに、「社会的な胃」は「個人的な胃」より上の方にあり、
もっと大きいというのです。
時々、アリたちが互いに向き合って
口を合わせているのを見かけることがありますが、
これは相手に餌を分け与える行為だといいます。
このように、アリは互いに助け合いながら、
世の中を生きていくのです。
真のお母様が日本、特に日本の祝福家庭と食口を愛しておられる理由を、
私たちは正にこのアリの胃から解明できます。
父母、特に母親は、子供がおいしそうに御飯を食べるのを見るだけでも、
「お腹がいっぱいになる」といいます。
このような点において、真のお母様は、
摂理的な母の国としての日本をご覧になると、
正に御自分のことを眺めているように感じられるのです。
今回、日本を公式的に訪問された真のお母様は、
日本国家が二つの胃を持って為に生き合う
アリのようになることを望まれています。
真のお母様は、日本の祝福家庭と食口を通して、
日本国民と指導者にその「社会的な胃」の価値と
重要性を悟らしめてくださるため、今回日本を訪問されたのです。
☆
アリに二つの胃があるなんて、
初めて知りました。
しかも、社会的な胃が大きく、
助け合って生きている姿は、
授受作用の原理に適っています。
『アリ』という言葉は、単に
西欧において、日本人が働き過ぎるのを
風刺した言葉のように思っていましたが、
日本人の特性にあう言葉だと思うし、
アリを創造された神様の偉業を感じます。
虫偏に「義」と書いて蟻(アリ)。
ただの働きアリではなく、
神様の義のために惜しみなく働く、
個人の目的を果たすと共に、
より社会的(公的)な目的のために働く
そんな、お母様の愛される日本食口でありたいです。
また、日本を愛するお母様は、
私たち食口を見ながら、
ご自身を投影されているのだ、
そういうことも改めて感じました。
日本食口の姿を愛おしく思うのは、
自分を越えて、天のために歩む食口たちを見て、
お母様ご自身が神様と全人類のために
生涯を捧げていかれる姿に共鳴するところがあり、
会って、慰労し、励ましてあげたい姿があったからなのです。
しかし、本当にお母様が喜ばれる基準に至っているのか、
自分自身を見つめると
まだまだ足りないと感じます。
今日、真のお母様は神戸で最後の大会をされます。
成功されることを心から祈りつつ、
「一つになれば成せないことはない」
という言葉を肝に銘じていかなければと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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(もちろん、善なる目的で
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