礼拝で説教を受ける前に、
祈祷する時間があるのですが、
その中で教会長が
「今日は霊の親のために祈りましょう。
もしその人が離れていたら、また帰ってこれるように、
祈りを捧げていきましょう」
そう話されました。
私も祈りを捧げましたが、
実際、霊の親は離れています。
もう20数年になるでしょうか。
私の霊の親は大学の同級生です。
もう少し詳しく説明すると
高校も同級生であり、
霊の親を導いた霊の親、
私からすれば霊のお祖父さん(霊の祖父)ですが、
彼もまた高校の同級生です。
3人、同じ高校から導かれたわけです。
大学3年生のときだったでしょうか。
私が学生部にあがって
まだ半年も経っていなかったと思います。
その頃の話です。
☆
霊の祖父の父親は、共産党員でした。
ですから、息子が教会に入ったことがわかってから、
牧師を通して、すぐに拉致監禁をしました。
霊の祖父は、偽装脱会したのですが、
ここで、『踏み絵』の儀式 を通過しなければなりません。
すなわち、自分を紹介した人に連絡をしないといけませんでした。
霊の子の家に連絡をしました。
そして、霊の子(すなわち私の霊の親)もまた、
拉致監禁されてしまいました。
彼らは、同時期に同じ牧師に監禁されました。
そして、二人で会うことがあったといいます。
すでに二人とも『脱会』の意思を持っていたので、
牧師も会わせることにしたのでしょう。
しかし、霊の祖父は『偽装脱会』であり、
霊の親は、『脱会寸前』の立場でありました。
霊の祖父は、このとき、自分の立場を
はっきりと言うことが出来ませんでした。
私の霊の親が『偽装』ではない雰囲気があったので、
自分が『偽装』であることを伝えると、
それを牧師に言われた場合、
監禁が長期化する恐れがあったからです。
しかし、このことが私の霊の親が脱会する、
決定的な動機となってしまったのです。
「霊の親が離れたのだから、自分も離れよう」
おそらくこう思って、私の霊の親は脱会してしまいました。
そして、霊の祖父は、偽装脱会を通して、
教会に戻ってきたのです。
実際、その頃の気持ちを詳しくは聞いたことがないのですが、
霊の祖父は、自分を責め続けたことでしょう。
「自分があの時、教会を辞めていない気持ちを
彼に伝えていれば、彼は脱会しなかったかも知れない・・・」
無念な思いは持ち続けているでしょう。。。
☆
これは本当に衝撃的な出来事です。
霊の親にしてみれば、
「裏切られた」
という思いもあったかも知れませんが、
霊の祖父からすると
偽装脱会がばれてしまったら、
今度はいつ脱出できるかわからない、
だから、彼も偽装脱会であることを
信じていくしかない、
そういうギリギリの選択だったと思います。
こういう傷を平気で負わせるのが、
いわゆる反対牧師なのです。
その当時、実は私の親にも連絡がいき、
私もやはり軟禁状態を経験しました。
その後も両親は反牧とつながり続け、
その後2度の拉致監禁へと導かれていったわけです。
学生の頃の事件で、霊の親は離れてしまい、
今は連絡が取れませんが、
親の地元である九州で就職したときは、
何度か連絡だけは取れました。
実際、PTSDにもならずに
元気に働いていました。
誰しも教会に導かれて来る時、
霊の親の精誠があって導かれてきます。
日々の精誠と祈りの中で、
私も伝道されたのです。
拉致監禁ということがなかったならば、
離れることはなかったかもしれない霊の親…。
霊の親の精誠がなければ、
私の霊の生命はなかった、
この場にいて、幸せな家庭は築けなかった、
そう思うと霊の親には感謝な気持ちでいっぱいです。
いつの日か
また戻ってくることを心から祈り、
また今も祈っています。
お母様のみ言
統一教会を信じながらも、
ある時各自の事情によって出て行った人もいれば、
落ちていった人もいるけれど
みな変わりなく父母様は愛するというのです。
統一教会を信じながらも、
ある時各自の事情によって出て行った人もいれば、
落ちていった人もいるけれど
みな変わりなく父母様は愛するというのです。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)