日本巡回をされた真のお母様ですが、
み言を語られた時に、一番涙を流されたのが、
長野教会で行われた上信越大会だったのではないでしょうか。
日曜日の歓迎大会で
日本巡回の模様を映像で流しましたが、
その中に、長野で語られているみ言がありました。
(日本語字幕 同時通訳:英語)
☆
私は今日、天の父母様の故郷を考えてみました。
この故郷という言葉は郷愁を感じさせ、
私の生命を誕生させた父母が共にいて、
兄弟たちと愛する隣人と共にした、
美しい記憶が宿っているところです。
故郷を離れてみた人は
故郷に対する郷愁を
切実に感じることでしょう。
天のご苦労は六千年かかって
真の父母様の名を世界に発表する時まで、
どれほど苦痛の日々を送ってこられたのかを
私は実感します。
いかに未来になされる摂理を私一人
幼子をおいて天がそれほどまでに
願われたでしょうか?
そのように数多くの聖人たちを
天は育てて来られましたが
結局は結実を、実を結ぶことが出来ませんでした。
しかし、私は決心しました。
私が生きている限り神様は
勝利される神様になられるであろうと
私は確信しています。
そうして2001年神様王権即位式を
真の父母様によってして差し上げました。
基元節を準備しながら神様を
解放釈放してさしあげました。
お父様は全ての犠牲を
全て蕩減復帰完了なさいました。
そうして私たちに新しい時代を開いてくださいました。
神様の願い 真の父母様の願いが何ですか?
六千年前に失った子女を取り戻したい
父母の心であり 父母の心情です。
それを天地人真の父母様によって
全世界の祝福家庭がたくさんいます。
皆が真の父母様の教えと一つになって
その国で 隣の国で 世界で一つになるはずだとすれば、
できないことがどこにあるのでしょうか?
私たちは2020だけではありません。
出来るなら早い時期に天の願いであり
神様の祖国 故郷を探したてて
差し上げなければなりません。
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私は今日、天の父母様の故郷を考えてみました。
この故郷という言葉は郷愁を感じさせ、
私の生命を誕生させた父母が共にいて、
兄弟たちと愛する隣人と共にした、
美しい記憶が宿っているところです。
故郷を離れてみた人は
故郷に対する郷愁を
切実に感じることでしょう。
天のご苦労は六千年かかって
真の父母様の名を世界に発表する時まで、
どれほど苦痛の日々を送ってこられたのかを
私は実感します。
いかに未来になされる摂理を私一人
幼子をおいて天がそれほどまでに
願われたでしょうか?
そのように数多くの聖人たちを
天は育てて来られましたが
結局は結実を、実を結ぶことが出来ませんでした。
しかし、私は決心しました。
私が生きている限り神様は
勝利される神様になられるであろうと
私は確信しています。
そうして2001年神様王権即位式を
真の父母様によってして差し上げました。
基元節を準備しながら神様を
解放釈放してさしあげました。
お父様は全ての犠牲を
全て蕩減復帰完了なさいました。
そうして私たちに新しい時代を開いてくださいました。
神様の願い 真の父母様の願いが何ですか?
六千年前に失った子女を取り戻したい
父母の心であり 父母の心情です。
それを天地人真の父母様によって
全世界の祝福家庭がたくさんいます。
皆が真の父母様の教えと一つになって
その国で 隣の国で 世界で一つになるはずだとすれば、
できないことがどこにあるのでしょうか?
私たちは2020だけではありません。
出来るなら早い時期に天の願いであり
神様の祖国 故郷を探したてて
差し上げなければなりません。
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長野教会は、唯一、教会(教区)単独で
大会を開催することが出来た教会です。
8年前にお母様が来られたとき、
『5倍しなさい』と語られたみ言を
その如くに実践し、
食口は3倍化、会員は5倍化を見事に果たしました。
その8年前に「今度はできればお父様と来ましょう」
と約束されたとのこと。
霊的にお父様は来ておられたに違いありません。
その時植えたヒメリンゴに関する美しいエピソードも生まれました。
お母様のヒメリンゴ
いいことある!統一教会員のブログ より
いいことある!統一教会員のブログ より
約束を果たす、ということは
天の父母様、真の父母様の心情を通過し
様々なものを越えていかなければ
果たすことはできなかったことでしょう。
また、長野教会は地域でも認知されています。
教会前のバス停は『長野教会』。
盆踊りの時には、駐車場を提供したり、
イベントなどを開催して、
近所の方を積極的に招待しているといいます。
実家が長野教会の近くにある食口の話では、
本当に大きな建物が3つくらいあって、
地元でも有名な施設なのだそうです。
外的なことだけが問題ではないとは思いますが、
そこに至るまでの精誠を考えたとき、
何かお母様の琴線に触れるものがあり、
またそのときは雨が降っていたそうですが、
それで神様の涙を感じて、
涙されたお母様だったのではないかと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
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