最近の証しや中心の方たちの報告などを通して、
感じていることを書いてみたいと思います。
☆
神様は原理原則によって宇宙を創造されました。
ヨハネによる福音書にも
『初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった』
とあります。
まさに、原理原則通りに歩むと
神様が働くことができます。
だからある意味で、
『神様を信じていなくても』
導かれることがあるのだと思います。
しかし、神様は心情の神様であります。
『愛したい!』
抑えきれない情的な衝動が動機となって、
それで、原理原則どおりに宇宙を創造されました。
☆
今回のお母様のご来日で、
参加した方たちは一様に
「お母様は私たちを
直系の子女として愛してくださった」
そのように言われます。
実際、お母様は
北海道大会の第一声で
「嫁に出した娘に会いに来ました」
このように語られています。
特に基元節以降、
真の御父母様と私たちは、
より近い関係になっています。
お母様はまた、
「日本で誇れるのは祝福家庭です」
そのように語ってくださっています。
今は、「一つになるとき」であり、
心情を中心として、
父母の心情で歩むならば、
必ず導かれるときである、
そのように感じます。
原理原則に働く神様ではありますが、
心情を中心とすれば、
それ以上に働く神様であり、
いよいよそういうときが来たのだ、
そのように思います。
「ねばならない」
義務感使命感の時代ではなく、
「愛したい、ために生きたい、
御父母様に喜んでいただきたい」
そういう心情の中に
より神様は導いてくださると思います。
天の父母様と
真の父母様を堂々と誇り愛すること、
このことを常に意識におきながら
歩むことが大事であると思うのです。
お父様のみ言
皆さんは、天倫を中心として運行される神様と、
そのみ旨を成就するために、
人間に対して無限に忠誠を尽くされた
神様の事情を体恤しなければなりません。
また、このみ旨を立てるために
無限に犠牲になってこられた神様の心情、
また未来の理念を立てるために
無限に御自身を超越された神様の心情、
無限に与えようとされる
神様の愛の心情を体恤しなければなりません。
天一国天聖経
「信仰生活とは何か」より
皆さんは、天倫を中心として運行される神様と、
そのみ旨を成就するために、
人間に対して無限に忠誠を尽くされた
神様の事情を体恤しなければなりません。
また、このみ旨を立てるために
無限に犠牲になってこられた神様の心情、
また未来の理念を立てるために
無限に御自身を超越された神様の心情、
無限に与えようとされる
神様の愛の心情を体恤しなければなりません。
天一国天聖経
「信仰生活とは何か」より
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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