主の大いなる輝かしい日が来る前に、
日はやみに
月は血に変わるであろう。
そのとき、主の名を呼び求める者は、
みな救われるであろう。
(ヨエル書2・31、使徒行伝2・20)
☆
日はやみに
月は血に変わるであろう。
そのとき、主の名を呼び求める者は、
みな救われるであろう。
(ヨエル書2・31、使徒行伝2・20)
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昨日の記事(ご父母様の悪口は許さない!…)に対して、
ある食口がメールをくださいました。
私も感じたことがありますので、
少し書いてみたいと思います。
☆
以前、神山先生から、ダンベリーの証しを聞いたことがあります。
お父様に対して、ダンベリーの囚人たちは、
『ヘイ、ムーン』と言い、
掃除をしているお父様に向かって、
ゴミを投げたりしました。
神山会長は『お父様に向かって、何をするんだ!』
本当に耐えられなかったといいます。
『人類の真の父母がなぜこのような仕打ちを受けるのか。
とても黙ってみていることが出来なかった』
神山先生は、涙を流しながら、語ってくださいました。
まさに文句をいい、手も出す勢いの神山先生に対して、
お父様はどのように対処されたでしょうか。
『神山、いいんだ。いいんだ。
何も言うな、先生がするから』
そういわれながら、黙って掃除を続けられたといいます。
お父様はまさに「恩讐を愛する」ことを実践されました。
イエス様も同じ道を行かれました。
天の王子(メシア)を十字架につけてしまったという
本来なら最も神様の恩讐になるユダヤ人を許していかれたことですが、
最も重要なことは、イエス様が「彼らを許して下さい」と語られたことは、
単なるとりなしではなく、
「彼ら(ユダヤ人)が私を十字架につけた責任は私にある、
私に責任があるのだから彼らの責任は全て私にとらせて下さい」
と語られたことです。
イエス様の真の愛の姿に一言もありません。
今までの歴史は、全てにおいて罪のない存在が、
罪人の責任をとって来られたのです。
そう思うと、愛する人、愛する家族の悪口を言われたら、
誰でも「許せない!!」と思うものです。
特に愛する思いは強ければ強いほど、そう思うでしょう。
しかし、私にメールをくださった食口はこのように言っていました。
「父母様の悪口を言わせていまっているのは
私なのではないか!?
通常の世界でも、子供の言動を見て親が判断されるように、
真の父母様より生まれ変わらせて頂いた私達が
正しく生きていないから、
父母様の証ができていないのではないか!?」
そのように思わされるといいます。
昨日紹介した韓国婦人は、おそらく
自叙伝を投げつけた人に対して、
お父様に悪口を浴びせた人に対して、
許すことが出来ない思いを持って、
言い返しましたが、
彼らを憎んで言ったのではないでしょう。
家に帰って祈りを捧げるときには、
「天の父母様、彼らを許してください。
彼らは何をしているのかわからないのです」
まさにそのような祈りを捧げているに違いありません。
今、私たちは、隠れていないで、
堂々と、強く雄々しく
「メシヤが来た!」
とラッパを吹かなければなりません。
イエス様の精神を誰よりも相続していたのが、
イエスの使徒で最初に殉教した
ステパノだったと言われています。
ペテロ以下、使徒たちを発奮させたのも、
このステパノの壮絶な死に様でした。
ステパノは石に打たれている最期の最期まで、
イエス様のみ言を語り、祈り続け、
「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないでください」
と言って、息絶えました。
ステパノが殉教をしたときに
その場には、パウロがいました。
クリスチャンを迫害していたパウロは
その後、霊的にイエス様に会い、
クリスチャンになりました。
ステパノの殉教の条件により、その替わりとして
パウロが導かれたのだといいます。
今は、パウロのような人物が現れるときです。
しかし、そのような時だからこそ、
ステパノの殉教の精神、
さらにお父様の精神を
相続していかなければならないと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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