自分の最も親しい先生は自分の良心です。
最も親しい友人よりも貴く、
父母よりも貴いものが自分の良心です。
ですから、一生を生きていきながら、
最も親しい先生であるこの「良心」に、
「私は今、正しく生きているか?」
といつも尋ねなければなりません。
「自叙伝」より
☆
最も親しい友人よりも貴く、
父母よりも貴いものが自分の良心です。
ですから、一生を生きていきながら、
最も親しい先生であるこの「良心」に、
「私は今、正しく生きているか?」
といつも尋ねなければなりません。
「自叙伝」より
☆
先日、自叙伝書写奉納式をしました。
浅川先生が多忙を極めていることもあり、
実物ではなく、DVDで浅川先生の講話を視聴しました。
タイトルは、
「私は今、正しく生きているか」です。
講話の中で、「人生画報」という
韓国ドラマを紹介しながら、
タイトルの意義を紹介してくださいました。
200話以上のドラマですが、
浅川先生のお話を更にまとめました。
☆
舞台は、朝鮮戦争の時代。
一人の真面目な教頭先生がいました。
賄賂で学校に入れて欲しいと言われても、
きっぱりと断りました。
「私は今、正しく生きているか」と
常に自分自身に問いかけました。
とても質素な生活ではありましたが、
まさに自分の良心に恥じない生き方をしていきました。
しかしそこに朝鮮戦争が起こり、
避難しなければならなくなりました。
病弱なお母さんを連れて、プサンに逃げるのは
簡単なことではありませんでした。
お金があれば、電車で逃げられるのに
母を背負い、歩いていかなければならない、
しかも食料も底がつき、病も悪化し
とうとうお母さんは亡くなってしまいました。
「私は今、正しく生きているか」
この気持ちが揺らいだ初めての瞬間でした。
その時、北朝鮮軍の奇襲攻撃を受け、
土手を転げ落ちました。
すると目の前に、カバンが落ちてきました。
そこには、多くの札束が入っているのが目に入ってしまいました。
「私は今、正しく生きているか」
このとき、主人公は良心に蓋をしました。
すなわち、カバンを盗んだのです。
そのお金で事業を起こし、成功しました。
息子も結婚して、とても気立てのいい嫁を迎え
孫も出来、順風満帆でした。
そして、国会議員に立候補したその直後、
嫁から思いがけないことを聞きました。
「私の祖父は無学でしたが、
一生懸命、苦労し努力し、
財を築きました。
しかし、人のために生きなければいけないと思い、
資財をすべて売り払って、
学校に行くことのできない貧しい子供たちの為に
学校を作ろう、と準備しました。
そのための資金をカバンに入れておいたその時に、
あの朝鮮戦争が起こりました。
父は奇襲攻撃に会い、亡くなってしまいましたが、
同時にカバンも無くなってしまったのです。
未だにそのカバンが見つかっていません。
盗んだ人は良心のかけらでもあるのでしょうか」
主人公は衝撃を受けました。
そして、今まで閉じていた良心の扉を
このとき再び開けたのです。
自分の罪を告白しました。
しかも、記者会見もしたのです。
地位も名誉もすべて捨て去りました。
しかし、事態が急変します。
主人公の姿に国民は感動し、
彼はなんと国会議員に当選します。
また、嫁の家族に返還した財産で、
家族は学校を建てました。
さらには、建てた学校で
先生をするようになり、
家庭もより一層幸せになりました。
まさに、ハッピーエンドです。
☆
「私は今、正しく生きているか」
自分の良心に忠実に生きるべきかどうか、
それは、人がどうのこうのではなく、
私自身がどうなのか、
そのことが問われていると思います。
また、ドラマですから
ハッピーエンドに終わっていますが、
現実、そうならなかったとしても
この世界には、霊界があります。
ですから、良心に従って生きるならば、
必ず、ハッピーエンドになるのです。
「私は今、正しく生きているか」
自分の最も親しい先生は自分の良心です。
最も親しい友人よりも貴く、
父母よりも貴いものが自分の良心です。
ですから、一生を生きていきながら、
最も親しい先生であるこの「良心」に、
「私は今、正しく生きているか?」
といつも尋ねなければなりません。
良心が自分の主人だという事実を悟り、
心を磨き、生涯親しく過ごしてみれば、
誰もが両親の声を聞くことができます。
良心が涙をぽろぽろ流して泣く声を聞いたら、
その時にしていることはすぐに止めなければなりません。
良心を苦しめることはすぐに止めなければなりません。
良心を苦しめることは、結局、
自分を悲しみに陥れることです。
心を明るくし、清めようとすれば、
世の中と喧騒を離れて、私と私の心、
この二つだけが対面する時間が必ず必要です。
とても孤独な時間ではありますが、
心と親しくなる時間こそ、私自身が心の主人になる
祈りの場であり、瞑想の時間です。
自叙伝 234〜235ページ
自分の最も親しい先生は自分の良心です。
最も親しい友人よりも貴く、
父母よりも貴いものが自分の良心です。
ですから、一生を生きていきながら、
最も親しい先生であるこの「良心」に、
「私は今、正しく生きているか?」
といつも尋ねなければなりません。
良心が自分の主人だという事実を悟り、
心を磨き、生涯親しく過ごしてみれば、
誰もが両親の声を聞くことができます。
良心が涙をぽろぽろ流して泣く声を聞いたら、
その時にしていることはすぐに止めなければなりません。
良心を苦しめることはすぐに止めなければなりません。
良心を苦しめることは、結局、
自分を悲しみに陥れることです。
心を明るくし、清めようとすれば、
世の中と喧騒を離れて、私と私の心、
この二つだけが対面する時間が必ず必要です。
とても孤独な時間ではありますが、
心と親しくなる時間こそ、私自身が心の主人になる
祈りの場であり、瞑想の時間です。
自叙伝 234〜235ページ
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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