2013年12月28日

真に世界を変える方法?! お父様は肌の色を見られない 《亨進様の証し》


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『教育部長の講義日記』に
 お父様は「血統」をご覧になっている
という記事がありました。

聖和前のお父様に、いつも同行されていた
亨進様の証しが掲載されていました。
亨進様は、慕わしいお父様を懐かしむ様子で、
終始にこやかに、お話されています。

ナイジェリアでみ言を語られた時、
(お父様の)み言があまりにも長くなり、
飛行機の時間にいよいよ間に合わないので、
亨進様が「お父様は行かなければなりません。
皆さん、これで。お父様、ありがとうございます」と〆て、
億万歳もしてしまったのですが、
その時、お父様がとても怒られたということです。

そして、亨進様の顔と頭を殴りつけられたということです。
さらにそれだけならいいのですが、
お嫁さんの妍雅様も呼ばれて、
叩かれたのだそうです。

ショックで、気持ちの整理がつかなかった妍雅様ですが、
後日、感動的な証しをするまでになりました。
実は、次のような出来事があったということです。
後半部分を転載します。


飛行機が着いた時のことでした。
ある人がお父様に言いました。

「お父様、息子を殴ることはありますが、
娘を殴ることは韓国ではさすがにあまり見ないですね」

それに対してお父様は、
「娘でも殴る時は殴るんだよ」
と言われたんです。

その瞬間、家内の心のわだかまりが溶かされたといいます。
心の中の憤りや恨みなどがです。
このようにされましたからね。(平手打ち)

彼女は、
「ああ、お父様は本当の娘のように扱ってくださっているのだ」
と悟ったといいます。

この体験は大きな意味を持っています。
私たちはお父様を急かして、早く次の場所に行かなければと思ったのですが、
お父様にとってナイジェリアの子女たちに会う最後の機会だったのです。

お父様にとって肌の色が黒でも白でも黄色でも関係ありません。
お父様は「血統」をご覧になるのです。

私たちは祝福を受けた夫婦ですから、お父様は全てご自分の子女とみなすのです。
これが私たちにはできません。
みな、ああ、36家庭だとか祝福2世だ、真の子女だ、とか、
すべて「型」にはめて見るのです。

「型」によって位置を決めます。
私たちを一つに結んでいる「血統」を見ないのです。

あの日、大きなことを学び、悟りました。
私たちは一つの … 「一つの血統」を見ることを妨げているものに気づいたのです。

本当に大きなことを学びました。
「血統」を見ない限り、世界を一つにすることはできないと悟りました。
お父様はなぜ勝利者かというと、私たちに与えられた「血統」ゆえにです。

これは忘れてはならないことだと思います。
また別の機会に話すかも知れませんが、この体験で、
お父様が肌の色を見られないことがはっきり分かりました。

私たちはどうしても型にはめて見てしまいます。
でもお父様は血統を見られるのです。

血統には力があります。
人々を一つにする力があります。

血統は神聖であり、正義であり、善です。
血統には完全性があります。
それは「キリストの血統」です。

それが祝福家庭に流れていますが、私たちにはそれが分かりません。

とにかく素晴らしい体験でした。
その日、真に世界を変える方法を学びました。
このことゆえに、お父様は勝利者なのです。


「お父様が叩かれた」
このことだけを見ると、誤解が生じるでしょう。
実際、統一教会を批判する人たちは、
このことを以前、題材にあげていたような記憶があります。

表面的には理解できないようなことも
その背後にある深い心情を知ると
その出来事の意味がわかるというものです。

お父様がナイジェリアの人たちに
どれだけの愛と心情を注いだのでしょうか・・・。

さらには、批判する人たちは、
大統領や有識者がほとんどいなくなった、
と言われていますが、
実際には祝福家庭に対して、
心血を注いでみ言を語られたお父様でした。

お父様はこのような心情を持って、
霊界で祝福家庭に叱咤激励されながら、
霊界をまとめておられると感じます。

また、地上の祝福家庭に対しても、
同じような思いを持ってみつめておられる、
本当にありがたいことだなぁ、そう思わざるを得ません。

さきほどの証しは、下の動画でもどうぞ↓


亨進様 証 12/16/2013
http://www.youtube.com/watch?v=rDsjTw056_A


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2013年12月27日

母と共に勝利する道?! 2013年から2014年へ、3年路程の2年目に突入!


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史吉子先生の「原理に関するみ言の証し」
この中に、お父様がお母様に関して語られているみ言があります。



私が他の人は死ぬような立場にあってもたくさん助けたが、
お母様に対しては祈祷をしてあげられない。
今でも義なる女性たちが困難な立場で苦労をたくさんしている。
その難しい立場で苦労する娘たちのために、
お母様の体のどこかが痛むと言っても、
彼女たちの痛みを共に分かち合わなければならない。
だから、私は祈祷してあげられない。

(375ページ)



愛する自分の妻に対して、
真のお父様は祈ることが出来なかった・・・
これはどれだけの悲痛なほどの道であるか、そう思わされます。

そして、このみ言を訓読しながら、
「今、お父様はお母様と共におられるけれど、
お母様の手助けをしておられるのだろうか。
実は協助したくてもできないことがあるのではないか」
そんなことを思わされることがあります。

以前にも書いたことがあるのですが、
お母様は1960年から1967年のときと同じような
まさに同時性の時代だと考えることが出来るといいます。

真の御父母様の聖婚式が行われた1960年。
10代から70代のおばあちゃんまで
「あなたが主の花嫁」という啓示を受けました。
お父様から指名されたにも関わらず、
「何であなたが主の花嫁なんだ」
と多くの中傷・迫害を受けました。

さらには、お父様ご自身から
最初は別の家で住むように指示をされ、
お父様が呼ぶときでなければ、
部屋に入ることができない、
そんな屈辱的な立場で出発していかれました。

まさに個人において、サタンを屈服させるために
与えられたのが、最初の3年間の路程でした。
お母様は見事にその道を勝利されました。

今年は、2013年です。
基元節の聖婚式はまさに神様の結婚式でありました。
真のお母様は先頭に立っておられますが、
未だに理解しておられない方もいますし、
また、一般においても認められた立場ではありません。
まさに1960年からの3年路程に相当する、
そのような時ではないか、そう感じます。

もうまもなく、1年目が終わろうとしています。
来年、2014年は7年路程を考えると
2年目に突入します。
重要な7年の中の、更に大切な最初の3年路程の2年目です。
2数は長成期。
最も困難な年なのかも知れません。

そう考えると、
一番困難な思いを通過するのが真のお母様でありますから、
それを支える私たちの立場が、
より重要なのではないかと思います。

心して、来年を迎えていかないといけないのだと感じます。


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2013年12月26日

(自叙伝書写の証し)徳を受けたら、倍返しだ! 〜「陰徳」自叙伝のみ言〜


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昨日は、自叙伝書写集会がありました。

題目は
「陰徳を受けたときは必ずもっと大きくして返す」

です。

お父様のみ言を紹介します。



いくら小さなことでも、いったんお世話になったら
生涯忘れる事ができません。
年が90歳になった今も、いつ誰が何をしてくれたか、
また、いつ誰がどのようにしてくれたか、
すらすら話す事ができます。
私のために苦労を惜しまず、陰徳をしてくれた人たちを
生涯忘れることはできません。

陰徳を受けた時は、必ず、
もっと大きくして返すのが人の道です。
しかし、その人に直接会えない事もあるでしょう。
恩恵を施してくれた人に直接会えなかったとしても、
大事なのはその人を思う心です。
ですから、その人に会えなくても、受けた恵みを
今度は他の人に施そうという
一途な心で生きるのが良いのです。




幸運の秘訣は何でしょうか。
幸福の家計簿があると言います。
大きな幸運の収入は何か、
お父様の答えは単純明快です。
それは、「陰徳を施す」ことだと言われます。

また、「いくら小さなことでも、
いったんお世話になったら生涯忘れる事ができません」
とありますが、尽くされたことにたいしては、
絶対に忘れることができないお父様です。
そのことをうかがい知ることの出来る内容が
自叙伝に紹介されています。



漢江の川辺で礼拝を捧げた日のことです。
昼食時間になって、
会衆はばらばらに座ってご飯を食べ始めました。
昼食を取らない私は、
その中にぼんやり座っていても仕方ないので、
一人だけすっと後ろに離れて、
川辺の石の小山に座っていました。
それを見た宋おばさんが、
パン二個とアイスケーキを二個持ってきてくれました。
それがどれだけありがたかったかしれません。
一つ一銭で、全部で四銭にしかならないものでしたが、
おばさんの心遣いは今も私の心に刻まれています。



お父様は、本当に尽くされた方のためにお返ししたい思いがあります。
それを直接的に返すことが出来ない代わりに
目の前の人に尽くすのだ、
それで、人間関係があるのだ、
そのように言われています。

ですから、目の前の人が自分にとって
マイナスに思うことがあったとしても、
逆にそういう人に対して、恩恵を施すことが
幸運の家計簿においては、大きな収入になるのです。

二人の方の証しを紹介します。


ある婦人は、隣に住んでいる方がいましたが、
その人のことが嫌いで嫌いで、仕方ありませんでした。
なぜなら、隣りなので、毎日顔を合わせるのですが、
とにかく、会うと愚痴を言ってくるのです。
聞きたくないのですが、
毎日キリがないほどに、言い続けています。
嫌で嫌で仕方がなく、
本当は引越ししたいほどですが、
この人のために引越しするのも癪に障るし、
何でこんな人が隣りなのだろう、
そのようにいつも思っていました。

そんな時に書写に出会いました。
書いているうちに心が変わってきました。
そして、「出会う人は意味のある人だ」
そのように思えるようになり、
隣りの人ともいい関係を築こうと思いました。

それで、愚痴を一生懸命聞くようにしました。
何だか、聞きたくなってきたといいます。
それで、受け止められるようになりました。
そうすると不思議なことに愚痴を言わなくなったのです。
さらに、毎日のようにおすそ分けが来るようになりました。
書写を通して、心が変わり、隣りの方も変わった、
そのように感謝しています。


若くして事業に成功し、有頂天になっていたある社長さんがいました。
しかし、部下の裏切りにあって倒産に追い込まれ、
妻子とも別居し、自殺まで考えました。
死にきれずにいたところ、偶然、古い親友に出会って助けられ、
その親友は社長さんを自分の会社に雇い入れ、更生させました。
そればかりか、この方の妻子にまで、
毎月仕送りをしてくれていたことが後からわかりました。

なぜ、そこまでしてくれるのか聞いたとき、
その親友は、成人式で着る服のなかった自分に
社長さんがスーツを貸してくれ、
立派な写真を撮ることができたのを恩に感じ、
「いつか機会があったら、何倍にもして返そう」
と心に誓ったのだと証ししてくれました。


神様に愛されてきたこと
真の父母様に出会えたことに対する恩義は、
量や数で量れないものです。

この世でも「恩」を受けたら恩返しをしますし、
お父様が言われるように、直接に返せない場合、
受けた恵みを今度は他の人に施していくことを、
「恩送り」ともいいます。
日本にもよい言葉がありますね。

恩送り、陰徳を積む生活、それが
まさしくご父母様の尊い生き方でありますから、
少しでも相続して、神様、父母様から受けた恵みの代わりに
出会う人を愛していきたいと思うのです。

人に尽くすために出会いがある、
そのような思いを持って、
人生の中での貴い出会いに感謝して
より良い関係を築いていきたいし、
やはり、究極の積善は、み言をつたえること、
まさに伝道であると改めて実感します。


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