2013年12月07日

霊的な応援団を従えた、佐賀大学の宗教批判裁判の様子!! 


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皆さんも富者になってください。
富者という言葉は、
お金がたくさんあるということを言うのではありません。
私たちが肉身を持っているこの世は長くても百年です。
しかし、私たちは霊界を知っています。
私たちは永遠を知っています。
ですから、皆さんが富者になる道は、
伝道することなのです。


中部大会でのお母様のみ言



全国 拉致監禁・強制改宗被害者の会のHPに
佐賀大学の裁判の様子が掲載されていました。


私自身も最近、記事にしたばかりですが、
 

11月29日(金)佐賀地裁で
原告と被告の本人尋問が行われ、
そこに参加された方に様子を聞いたので、
その内容と感じたことを紹介したいと思います。


まずは、当日、佐賀地裁の傍聴席は、
多くの食口で埋まっていました。
反対派の人は、ほとんどいません。

これは、地方ならでは、というか、
後藤さんの裁判は東京地裁ですから、
反対派も多数傍聴しますが、
さすがに佐賀県までは行けなかった、
ということになるでしょう。

向こう側の弁護士もちょっとびっくりしていたようです。
ちなみに、准教授の弁護士は地元の方、
佐賀大学の立てた弁護士は、
いわゆる『被害弁連』の弁護士、しかも4人!

今回、裁判になったのは、
被害を受けた祝福二世の姉妹が
准教授が『犬猫の結婚』と祝福結婚を侮辱した時、
しっかりと録音していたのです。
重要な証拠があったということです。
ですから、「言わなかった」と否定することは出来ません。

あとは、『全国 拉致監禁・強制改宗被害者の会』 HPにもあるように
彼女が証言しているときに後ろに座っていたお母さんが泣き始め、
それを通して、彼女も泣きながら供述をしたそうです。
何よりも両親のことを侮辱したことに対して、
すごく傷ついたし、精神的苦痛を感じたといいます。

また、佐賀大学としては、あくまでも准教授自身の責任である
個人がやったこと、そのようにもっていきたかったようですが、
「大学の教員は学生の生活指導も行うように大学から言われている」
「Aさんに対する発言は、学生に対する生活指導の一環として行った」
「教員としての行動か、個人としての行動かを区別するのは難しく、
それらは渾然一体となっている」などと供述し、大学の責任を否認させようとした佐賀大学の目論見は完全に外れたそうです。

教授側と大学側の弁護士でのやり取りが事前に行なわれていなかった
そのようにも感じさせるような状況でした。

今回、原告にたった姉妹も、反対尋問に対して、
思った以上にうまく対応することも出来、
本当に今回の口頭弁論は導かれたといってもいいのではないでしょうか。


しかし、今回の裁判も
私たち一世の足りなさ、
基盤がないことの表れであることは
否定できない事実です。

もっと伝道が進んでいれば、
もっと基盤があったなら、
統一教会、CARPがいい意味で
日本に影響力を与えていれば
こんな迫害は起こらなかったはずです。

私たちの足りなさによって、
今回のような事件が起こっているということであり、
祝福家庭一世である私たち全員が
この事件に関心を持たなければならないし、
二世たちがしっかりとした信仰を証しできるよう、
もっと基盤拡大とともに
教会の本当の素晴らしさを証ししていかなければいけないと感じます。

ちなみに判決は、3月になるだろうということです。
また、後藤さんの裁判は1月28日に延期になりました。
今後とも、皆さんの応援をおねがいします。

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2013年12月06日

私たちは「預言者」?! タスキとノボリで真の父母を証そう!!


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先日の礼拝で、『希望の預言者となろう』
という題目の説教がありました。

預言者とは、神様のみ言を預かった人という意味です。
私たちがまさに預言者の立場である、として
預言者エゼキエルを挙げながら、
私たちの立場を示してくださいました。

エゼキエルはバビロニア帝国のネブカデネザル王が
ユダ王国に2度目に侵攻したとき、
他の多くの同胞とともにバビロニアに捕囚となりました。

エゼキエルが30歳の頃に、
捕囚となったユダヤの民が集められたケバル河の辺で、
栄光の主の幻を見て(紀元前593年)
神様からの言葉をエルサレムの同胞の民と
捕囚となった同胞の民に伝えました。

エゼキエルは二十二年以上の間、預言を続けました。
初めは誰も信じませんでした。
しかし、エルサレム陥落を預言してからは
人々は預言者エゼキエルを信じるようになっていきました。

私たちは、神様から与えられた貴いみ言、
真の御父母様のみ言を『預かった』者たちです。
ですから、まさに『預言者』なのです。

真のお父様が神様に召されて、
再臨主としての道を出発されました。

そして、私たちも
神様に召されてこの道に来たのです。

エゼキエルは神様の言葉を民に伝えます。

「わたしは新しい心をあなたがたに与え、
新しい霊をあなたがたの内に授け、
あなたがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。
わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置いて、
わが定めに歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる。
あなたがたは、
わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住んで、
わが民となり、わたしはあなたがたの神となる。」


(エゼキエル書36章26節〜28節)


   


私たちも神様の言葉を万民に述べ伝えないといけません。
また、叫んで、受け入れなかったとしても
それでも叫び続けないといけないのだと思います。

そうすれば、必ず受け入れる人が現れます。

どんなに硬い岩でも、キリを通して
穴を開けることができます。
しかし、キリの先が丸かったら、
あるいは曲がっていたら穴は開きません。
キリの先は尖っていないといけないのです。

真の御父母様が何よりも、この堕落世界に
天国の門を開いてくださいました。
まさにキリの先の立場です。

私たちも同じようにキリの先になって、
天国の門を開くべく、
み言を述べ伝えていかないといけないと思います。

うちの教会でも、タスキとノボリを注文し、
先日は、タスキが到着したので、
早速、夜の訓読会で、教会長を中心に
タスキをかけながら訓読をしました。
何か、気分が違いました(笑)。
ノボリが到着したら、駅前で、
堂々と真の父母様を証ししていきたいと思っています。

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2013年12月05日

お母様が夢で会ったお父様は…?! 「カボチャ飴」のエピソード第3弾!


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お母様のかぼちゃ飴のエピソード。
先日、二つの記事で紹介しました。


今回はその牧会者修練会でお母様が語られた
夢の証しを、紹介したいと思います。



お父様がいらっしゃる時、皆さんが来るようになれば
かぼちゃ飴をたくさん頂いて食べたでしょう?
かぼちゃ飴、覚えていますか?
それでかぼちゃ飴を持って来ました。

それを持っていかなければならないと決心したのは
お父様の夢の啓示を見たからです。
私がとても忙しく動いているのでお父様が出て行かれました。
それで私がお父様を探さなければならないのに、
私がリモコンでぱっと明かりをつけると
お父様はどこかに行ってしまわれていました。
霊界も現代的なシステムになっています。

リモコンをつけてみると
お父様がどこかにいらっしゃるのを見つけました。
それで探してみるとお父様が座っていらっしゃるのですが、
食口を待っていらっしゃるようでした。
何名か横に食口たちが、若い人たちがいました。

彼らが質問をするとお父様が説明をして下さいました。
ところで注意深く見ると
お父様がとても疲れていらっしゃるようでした。
それでわたしが「お父様、ちょっといらっしゃってください。」
と言いました。
そうするとすぐについて来られました。
いらっしゃる姿を見るととても疲れがたまっておられ
唇が青いどころか黒かったのです。

それで「お父様、お昼の時間なので昼食をとってください。
彼らには私がかぼちゃ飴を分けてあげます。」と言うと
お父様がポケットから何かを取り出され200万ウォンでした。
そのお金を彼らに上げるようにおっしゃられました。
それでそれをもらってお父様を休ませ、
私がかぼちゃ飴を分けてあげました。

一方の隅を見ると部屋があるのですが、
洋服を着ている人たちでした。
私が感じるに牧会者たちのようでした。
お父様は外で待っていらっしゃいましたが、
自分たちの話をしていました。
それで私がどのようにしたでしょうか?
しっかりしろといいました。
これが恐らく皆さんの率直な姿ではないかと思います。




実は、この真のお母様が見られた夢、
その夢に似た夢を見たことがあったので、驚きました。

その夢に、かぼちゃ飴は出てきませんでしたが、
やはり、お父様は疲れておられました。
私とのやり取りが終わった後、すぐに休まれました。

真のお母様は、
「いらっしゃる姿を見るととても疲れがたまっておられ
唇が青いどころか黒かったのです」
このように表現しておられますから、
お父様は霊界において、
本当に苦労しておられるのだと思います。

お父様が外で待っておられるのに、牧会者たちは
自分の話をしていた、
これが、普段の私たちの姿かもしれません。
イエス様のゲッセマネの祈祷の際、
3弟子が眠りこけていた、そんなことを連想します。

生きておられるときも、不眠不休で歩まれたお父様ですから、
肉身を捨てた今では、もっとハードに歩まれていたとしても
想像に難いことではありませんね。

お母様は「お父様は外で待っていらっしゃ」ると表現しておられます。
すなわち、最前線で活動しているのだと思います。
お父様が最前線で歩まれているのだから、
私たちは部屋の中にいてはいけないのではないでしょうか。
一緒に活動することが天の願いなのだと思います。
また、最前線にいつもお父様がいらっしゃるということなのだと感じます。

最前線というのは、そのごとく伝道の最前線は言うまでもありませんが、
私たちが歩んでいるすべてが、最前線ともなり得ます。
私たちが仕事や家庭で困難を抱えながら、
また原理を生活化するために身もだえし、
隣人や家族を愛しながら、真の家庭としての証しを立てる道も
最前線かもしれません。
いつもお父様は私たちの困難に寄り添って
私たちの努力に手を差し伸べて、
私たちが愛する時に、為に生きるときに
喜んで笑って後押しをしてくださっているに違いないと思うのです。


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posted by ten1ko2 at 12:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 夢の証し ご父母様の夢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする