「ウリヌンハナダ
(私たちは一つだ)」
日本食口に残された
お母様のメッセージ
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(私たちは一つだ)」
日本食口に残された
お母様のメッセージ
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かつて、太平洋戦争末期、日本海軍が使用した「人間魚雷・回天」。
若者たちが特攻隊として、志願していきましたが、
その回天の基地、大津島が注目を集めているそうです。
特攻に行く前に、母親に宛てた手紙が紹介されています。
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お母さん、私は後3時間で祖国のために散っていきます。
胸は日本晴れ。
本当ですよ、お母さん。
少しも怖くない。
しかしね、時間があったので考えてみましたら、少し寂しくなってきました。
それは、今日私が戦死した通知が届く。
お父さんは男だからわかっていただけると思います。
が、お母さん。お母さんは女だから、優しいから、涙が出るのでありませんか。
弟や妹たちも兄ちゃんが死んだといって寂しく思うでしょうね。
お母さん。
こんなことを考えてみましたら、私も人の子。
やはり寂しい。
しかしお母さん。
考えて見てください。
今日私が特攻隊で行かなければどうなると思いますか。
戦争はこの日本本土まで迫って、
この世の中で一番好だった母さんが死なれるから私が行くのですよ。
母さん。
今日私が特攻隊で行かなければ、
年をとられたお父さんまで、銃をとるようになりますよ。
だからね。
お母さん。
今日私が戦死したからといってどうか涙だけは耐えてくださいね。
でもやっぱりだめだろうな。
お母さんは優しい人だったから。
お母さん、私はどんな敵だって怖くはありません。
私が一番怖いのは、母さんの涙です。
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この回天を題材にした説教が
公式説教ブログに紹介されています。
とても心打たれる説教なので、
時間のある方は、是非お読みください。
ここの館長が当時の指揮官でした。
上からの通達で志願兵を何名だせ、
そのように言われれば、志願兵を決めるのが、
この館長の仕事でした。
どれほど、大変だったでしょうか。
志願兵をどのように決めるのか、
館長が答えています。
「皆さん!だれから順番に選んだと思いますか?
だれから行けと命令したと思いますか!
いちばん愛する人から順番に選びました。
いちばん心の近い人から順番に選びました。
これが親の心情だということが、皆さん、分かりますか」
涙を流しながら話されたそうです。
最初の殉教者が仁科さんという
ものすごく優秀な方だったそうです。
この方は出発前に最後の言葉を遺しています。
「心配しないでください。
これは私が選んだことです。
ですから艦長、心を痛めないでください。
心配はいりませんよ。
自らの決断でお国のためにこの命を捧げる決意をしたのです。
お体を大切に、気をつけてお帰りください。
ありがとうございました」
☆
このように、愛する家族、国のために
若い命を散らしていった英霊たちがいるこの日本。
彼らの魂は、国を思う人に協助しないわけはありません。
真のお母様は日本食口の苦労を思って
天正宮で眠ることが出来ず、
夜、外に出て祈りを捧げるといいます。
その心の痛みは真のお母様しかわからないのではないでしょうか。
今、私たちが命をかけるといっても、
本当に命を捧げるわけではありません。
十字架を越えるといっても、
本当に十字架の死の道を行くわけではありません。
感謝と喜びをもって、
この道を行きたいと思うのです。
指揮官が最も愛し、信頼した最初の特攻隊員のように
「真のお母様、心配しないでください。
天から召され、私自身で決意してこの道を選びました。
だから、喜んでこの道を歩んでいきます」
このような孝行息子・娘の姿を持っていきたいと思うのです。
以前、同じ主題で記事を書いています。
参考にどうぞ。↓
「心配しないでください」〜国に命を捧げた特攻隊員と父子の情
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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