日曜日のインターネット礼拝で
真のお母様は以下のようなみ言を語られました。
☆
統一家の祝福家庭と平和大使たちは内的基盤を整えながら、
内的基盤を整えるというのは祝福家庭として
真の家庭運動・純潔運動の先頭に立ち、
今滅び行く全世界の青少年問題、家庭破綻犯罪の
全ての破壊力を防ぐことのできる実質的な運動であるのです。
☆
統一家の祝福家庭と平和大使たちは内的基盤を整えながら、
内的基盤を整えるというのは祝福家庭として
真の家庭運動・純潔運動の先頭に立ち、
今滅び行く全世界の青少年問題、家庭破綻犯罪の
全ての破壊力を防ぐことのできる実質的な運動であるのです。
☆
真の家庭運動・純潔運動は、
統一教会でしか、なせないものだと思います。
まさに、特権であり、誇りです。
ちなみに日曜日の路傍伝道で、
その日、一番多い、8名の人に
アンケートをとってもらった方は、
この純潔運動を訴えたそうです。
☆
あるご夫婦は、純潔運動を訴えると
「そうですよね」と賛同してくださり、
「絶対にお互い最後まで浮気をしませんよ」
という約束をすると
喜んで手を繋いで帰って行きました。
また若い19才のお嬢さんは
自分は純潔を守る結婚をしたいと
家族を大切にしてくれる人と結婚したいと、
とても賛同してくれ、話は盛り上がりました。
まさかこんなに多くの人が
賛同してくれるとは思いませんでした。
純潔運動によりご父母様を証す。
このことが本当に重要だと思いました。
☆
人の親であれば、息子娘のことが心配であり
幸せな結婚を願います。
未来のある若い人たちはもちろんのこと、
結婚に失敗した経験のある人、、、
老若男女、みな、幸せを願っています。
家庭の問題、これが一番全ての人の悩みでもあり、
だからこそ、純潔、真の家庭、祝福結婚が
希望になると思うのです。
また、それは全ての人の
幸せにつながるものであり、
あらゆる問題を解決するものです。
☆
かつて、ローマカトリックで大司教まで経験した
エマニュエル・ミリンゴ牧師も、
同様に真の家庭と祝福に希望を見いだされた一人です。
ミリンゴ元大司教は、現実問題の一つでもある「宗教問題」の解決を
統一原理の中に見出し、
真の父母様の指導によってイエス様の本当のことが分かり、
真の父母様が人類の救世主であり新約聖書に預言されている
再臨のキリストであることを100%悟られ、
神様とイエス様の願いである「家庭の完成」を実践するため
祝福結婚をしていかれました。(2001年)
さらには、あまりにも感激して、ローマ法王(ヨハネ・パウロ2世)にも
祝福(原罪清算)の話を伝えたことがきっかけで、
バチカンで行方不明になり、幽閉までされました。
私たちも心配しましたが、ヨハネ・パウロ2世が亡くなられて以降は、
お父様の大会に参加されたり、
聖和式にも参列されたり、元気な様子が見られるようになりました。
その当時は、カトリック司祭の結婚への道が開かれることを望んで
法王のもとに留まっておられたということですが、
2006年に、祝福を受けた奥さんのもとに戻り、
現在は幸せにザンビアで暮らしているということです。
このように、ローマ法王に親しい宗教指導者をも感動させるのは、
正真正銘の本物だからです。
祝福結婚の素晴らしさを訴え、
純潔運動を推進すること。
これも天の切実な願いであると感じます。
お父様のみ言
最も恐ろしいこと、天の国の憲法の第一条とは何かというと、
純潔な血統を守らなければならないということです。
汚してはいけません。
女性たちは、いつもナイフを手の近くにもち、
引っ張られていく状況になれば、そのような恩讐には
「ええい、どうにでもなれ」と言って、
つかんだ相手の手の近くを
切ってしまうくらいでなければなりません。
いざとなれば、自分の首を切るくらいの覚悟が必要です。
血統の純潔は、生命よりも貴いのです。
《神の血統と平和理想世界王国より》
最も恐ろしいこと、天の国の憲法の第一条とは何かというと、
純潔な血統を守らなければならないということです。
汚してはいけません。
女性たちは、いつもナイフを手の近くにもち、
引っ張られていく状況になれば、そのような恩讐には
「ええい、どうにでもなれ」と言って、
つかんだ相手の手の近くを
切ってしまうくらいでなければなりません。
いざとなれば、自分の首を切るくらいの覚悟が必要です。
血統の純潔は、生命よりも貴いのです。
《神の血統と平和理想世界王国より》
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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