お母様が、天聖経を読みなさいと言われます。
今年中に完読すれば良いことがあるということなので、
目指しておられる方も多いことでしょう。
うちの教会でも完読者が出始めました。
最近、天聖経を完読した方の証しです。
☆
最後、160ページ残っていたのですが、
教会長が喜んでくださると思い、
また、伝道部長さん(私のことです)の
念を感じていたこともあり、
一日で読んでしまいたいと思っていました。
それで、午前中に伝道活動を終えて、
午後に家に帰って、完読しようと思い、
とにかく読み続けました。
途中、疲れて眠くなり、もう無理ではないか、
そう思っていたところ、
「出来るか出来ないか、
やってみなけりゃ、わからないじゃないか、
やってみて出来なかったら
それは仕方ないし、まずは、やってみたら」
これは自分の口から、出た言葉でした。
それで、その言葉に触発されて、
夜、もう一度決心して訓読し始めました。
すると、いつの間にか、
お父様の心情深くに入って、
訓読がどんどん進み、
泣けて泣けて仕方ありませんでした。
そのまま読み続け、
終わったのが、ちょうど11時59分でした。
本当に完読できて良かったです。
ありがとうございました。
☆
実は、私が念を押し続けていたのは、本当です(笑)。
教会から家に帰られるときも
「残り160ページ頑張ってくださいね!」
と声をかけましたし、何か感じられたのかも知れません。
それよりも「自分の口から出た」
と言っていましたが、自分の言葉ではありませんでした。
この証しを聞いていた人は、
一様に「ご主人だ!」と言っていました。
この婦人は、ご主人と祝福を受けたのですが、
数年後、病気で霊界に逝かれたのです。
「自分は霊的に鈍いので夫は出てこない」
普段はそんなことを言っていたのですが、
この時ばかりは、突然口に出たと言いますし、
また、声も「何かしゃがれた声だった。
何となく、主人に似ていたような・・・」
そう話していたので、ご主人が話されたのは間違いないでしょう。
夫婦ともの訓読の勝利に、みんな感動していました。
私は、その婦人の証しを聞きながら、
160ページ訓読をする中に、
我ならぬ我、というのでしょうか。
お父様の心情に触れることができるまで、
投入し続けることが素晴らしいと思いました。
訓読をすると、
お父様がみ言を語られている時の
心情に触れるといいます。
ある意味、それが訓読の醍醐味とも言えるのだと思います。
「霊的共鳴圏」とでも表現しましょうか。。。
お父様は霊界におられますが、
お父様の心情に触れることができる訓読。
本当に恵みなのだと思います。
天聖経を皆読みましたか?
天聖経を勉強しながら何を感じましたか?
私がそれを経典としてよく捧げましたか?
よく捧げませんでしたか?
これから皆さんがよく理解できない人がいれば
正しく話してあげなければなりません。
天聖経に対して異議を申し立てる人は
少なくとも3回精読するようにしなさい。
3回読んでも感じられなければ10回読むようにしなさい。
それで異議があれば言うようにしなさい。
私がお父様の聖和以後にどれだけ心を砕いた
内容が潜んでいるのか皆さんは知らないでしょう。
再臨のメシヤ・真の父母、皆さんは分かりませんが、
皆さんの後孫、何百年、何千年後にその後孫たちが
真の父母様当時に共に同参した
皆さんたちが先祖になるでしょうから、
皆さんたちを通して指摘されるならば
天の前に恥ずかしいことであり、申し訳ないことになります。
真の父母様 特別午餐集会でのみ言(2013.10.10)
天聖経を勉強しながら何を感じましたか?
私がそれを経典としてよく捧げましたか?
よく捧げませんでしたか?
これから皆さんがよく理解できない人がいれば
正しく話してあげなければなりません。
天聖経に対して異議を申し立てる人は
少なくとも3回精読するようにしなさい。
3回読んでも感じられなければ10回読むようにしなさい。
それで異議があれば言うようにしなさい。
私がお父様の聖和以後にどれだけ心を砕いた
内容が潜んでいるのか皆さんは知らないでしょう。
再臨のメシヤ・真の父母、皆さんは分かりませんが、
皆さんの後孫、何百年、何千年後にその後孫たちが
真の父母様当時に共に同参した
皆さんたちが先祖になるでしょうから、
皆さんたちを通して指摘されるならば
天の前に恥ずかしいことであり、申し訳ないことになります。
真の父母様 特別午餐集会でのみ言(2013.10.10)
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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