2013年12月26日

(自叙伝書写の証し)徳を受けたら、倍返しだ! 〜「陰徳」自叙伝のみ言〜


1461078_483261378454853_754201492_n.jpg


昨日は、自叙伝書写集会がありました。

題目は
「陰徳を受けたときは必ずもっと大きくして返す」

です。

お父様のみ言を紹介します。



いくら小さなことでも、いったんお世話になったら
生涯忘れる事ができません。
年が90歳になった今も、いつ誰が何をしてくれたか、
また、いつ誰がどのようにしてくれたか、
すらすら話す事ができます。
私のために苦労を惜しまず、陰徳をしてくれた人たちを
生涯忘れることはできません。

陰徳を受けた時は、必ず、
もっと大きくして返すのが人の道です。
しかし、その人に直接会えない事もあるでしょう。
恩恵を施してくれた人に直接会えなかったとしても、
大事なのはその人を思う心です。
ですから、その人に会えなくても、受けた恵みを
今度は他の人に施そうという
一途な心で生きるのが良いのです。




幸運の秘訣は何でしょうか。
幸福の家計簿があると言います。
大きな幸運の収入は何か、
お父様の答えは単純明快です。
それは、「陰徳を施す」ことだと言われます。

また、「いくら小さなことでも、
いったんお世話になったら生涯忘れる事ができません」
とありますが、尽くされたことにたいしては、
絶対に忘れることができないお父様です。
そのことをうかがい知ることの出来る内容が
自叙伝に紹介されています。



漢江の川辺で礼拝を捧げた日のことです。
昼食時間になって、
会衆はばらばらに座ってご飯を食べ始めました。
昼食を取らない私は、
その中にぼんやり座っていても仕方ないので、
一人だけすっと後ろに離れて、
川辺の石の小山に座っていました。
それを見た宋おばさんが、
パン二個とアイスケーキを二個持ってきてくれました。
それがどれだけありがたかったかしれません。
一つ一銭で、全部で四銭にしかならないものでしたが、
おばさんの心遣いは今も私の心に刻まれています。



お父様は、本当に尽くされた方のためにお返ししたい思いがあります。
それを直接的に返すことが出来ない代わりに
目の前の人に尽くすのだ、
それで、人間関係があるのだ、
そのように言われています。

ですから、目の前の人が自分にとって
マイナスに思うことがあったとしても、
逆にそういう人に対して、恩恵を施すことが
幸運の家計簿においては、大きな収入になるのです。

二人の方の証しを紹介します。


ある婦人は、隣に住んでいる方がいましたが、
その人のことが嫌いで嫌いで、仕方ありませんでした。
なぜなら、隣りなので、毎日顔を合わせるのですが、
とにかく、会うと愚痴を言ってくるのです。
聞きたくないのですが、
毎日キリがないほどに、言い続けています。
嫌で嫌で仕方がなく、
本当は引越ししたいほどですが、
この人のために引越しするのも癪に障るし、
何でこんな人が隣りなのだろう、
そのようにいつも思っていました。

そんな時に書写に出会いました。
書いているうちに心が変わってきました。
そして、「出会う人は意味のある人だ」
そのように思えるようになり、
隣りの人ともいい関係を築こうと思いました。

それで、愚痴を一生懸命聞くようにしました。
何だか、聞きたくなってきたといいます。
それで、受け止められるようになりました。
そうすると不思議なことに愚痴を言わなくなったのです。
さらに、毎日のようにおすそ分けが来るようになりました。
書写を通して、心が変わり、隣りの方も変わった、
そのように感謝しています。


若くして事業に成功し、有頂天になっていたある社長さんがいました。
しかし、部下の裏切りにあって倒産に追い込まれ、
妻子とも別居し、自殺まで考えました。
死にきれずにいたところ、偶然、古い親友に出会って助けられ、
その親友は社長さんを自分の会社に雇い入れ、更生させました。
そればかりか、この方の妻子にまで、
毎月仕送りをしてくれていたことが後からわかりました。

なぜ、そこまでしてくれるのか聞いたとき、
その親友は、成人式で着る服のなかった自分に
社長さんがスーツを貸してくれ、
立派な写真を撮ることができたのを恩に感じ、
「いつか機会があったら、何倍にもして返そう」
と心に誓ったのだと証ししてくれました。


神様に愛されてきたこと
真の父母様に出会えたことに対する恩義は、
量や数で量れないものです。

この世でも「恩」を受けたら恩返しをしますし、
お父様が言われるように、直接に返せない場合、
受けた恵みを今度は他の人に施していくことを、
「恩送り」ともいいます。
日本にもよい言葉がありますね。

恩送り、陰徳を積む生活、それが
まさしくご父母様の尊い生き方でありますから、
少しでも相続して、神様、父母様から受けた恵みの代わりに
出会う人を愛していきたいと思うのです。

人に尽くすために出会いがある、
そのような思いを持って、
人生の中での貴い出会いに感謝して
より良い関係を築いていきたいし、
やはり、究極の積善は、み言をつたえること、
まさに伝道であると改めて実感します。


応援のクリックをお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ


※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)