昨日は、自叙伝書写集会がありました。
題目は
「陰徳を受けたときは必ずもっと大きくして返す」
です。
お父様のみ言を紹介します。
☆
いくら小さなことでも、いったんお世話になったら
生涯忘れる事ができません。
年が90歳になった今も、いつ誰が何をしてくれたか、
また、いつ誰がどのようにしてくれたか、
すらすら話す事ができます。
私のために苦労を惜しまず、陰徳をしてくれた人たちを
生涯忘れることはできません。
陰徳を受けた時は、必ず、
もっと大きくして返すのが人の道です。
しかし、その人に直接会えない事もあるでしょう。
恩恵を施してくれた人に直接会えなかったとしても、
大事なのはその人を思う心です。
ですから、その人に会えなくても、受けた恵みを
今度は他の人に施そうという
一途な心で生きるのが良いのです。
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いくら小さなことでも、いったんお世話になったら
生涯忘れる事ができません。
年が90歳になった今も、いつ誰が何をしてくれたか、
また、いつ誰がどのようにしてくれたか、
すらすら話す事ができます。
私のために苦労を惜しまず、陰徳をしてくれた人たちを
生涯忘れることはできません。
陰徳を受けた時は、必ず、
もっと大きくして返すのが人の道です。
しかし、その人に直接会えない事もあるでしょう。
恩恵を施してくれた人に直接会えなかったとしても、
大事なのはその人を思う心です。
ですから、その人に会えなくても、受けた恵みを
今度は他の人に施そうという
一途な心で生きるのが良いのです。
☆
幸運の秘訣は何でしょうか。
幸福の家計簿があると言います。
大きな幸運の収入は何か、
お父様の答えは単純明快です。
それは、「陰徳を施す」ことだと言われます。
また、「いくら小さなことでも、
いったんお世話になったら生涯忘れる事ができません」
とありますが、尽くされたことにたいしては、
絶対に忘れることができないお父様です。
そのことをうかがい知ることの出来る内容が
自叙伝に紹介されています。
☆
漢江の川辺で礼拝を捧げた日のことです。
昼食時間になって、
会衆はばらばらに座ってご飯を食べ始めました。
昼食を取らない私は、
その中にぼんやり座っていても仕方ないので、
一人だけすっと後ろに離れて、
川辺の石の小山に座っていました。
それを見た宋おばさんが、
パン二個とアイスケーキを二個持ってきてくれました。
それがどれだけありがたかったかしれません。
一つ一銭で、全部で四銭にしかならないものでしたが、
おばさんの心遣いは今も私の心に刻まれています。
☆
漢江の川辺で礼拝を捧げた日のことです。
昼食時間になって、
会衆はばらばらに座ってご飯を食べ始めました。
昼食を取らない私は、
その中にぼんやり座っていても仕方ないので、
一人だけすっと後ろに離れて、
川辺の石の小山に座っていました。
それを見た宋おばさんが、
パン二個とアイスケーキを二個持ってきてくれました。
それがどれだけありがたかったかしれません。
一つ一銭で、全部で四銭にしかならないものでしたが、
おばさんの心遣いは今も私の心に刻まれています。
☆
お父様は、本当に尽くされた方のためにお返ししたい思いがあります。
それを直接的に返すことが出来ない代わりに
目の前の人に尽くすのだ、
それで、人間関係があるのだ、
そのように言われています。
ですから、目の前の人が自分にとって
マイナスに思うことがあったとしても、
逆にそういう人に対して、恩恵を施すことが
幸運の家計簿においては、大きな収入になるのです。
二人の方の証しを紹介します。
☆
ある婦人は、隣に住んでいる方がいましたが、
その人のことが嫌いで嫌いで、仕方ありませんでした。
なぜなら、隣りなので、毎日顔を合わせるのですが、
とにかく、会うと愚痴を言ってくるのです。
聞きたくないのですが、
毎日キリがないほどに、言い続けています。
嫌で嫌で仕方がなく、
本当は引越ししたいほどですが、
この人のために引越しするのも癪に障るし、
何でこんな人が隣りなのだろう、
そのようにいつも思っていました。
そんな時に書写に出会いました。
書いているうちに心が変わってきました。
そして、「出会う人は意味のある人だ」
そのように思えるようになり、
隣りの人ともいい関係を築こうと思いました。
それで、愚痴を一生懸命聞くようにしました。
何だか、聞きたくなってきたといいます。
それで、受け止められるようになりました。
そうすると不思議なことに愚痴を言わなくなったのです。
さらに、毎日のようにおすそ分けが来るようになりました。
書写を通して、心が変わり、隣りの方も変わった、
そのように感謝しています。
☆
若くして事業に成功し、有頂天になっていたある社長さんがいました。
しかし、部下の裏切りにあって倒産に追い込まれ、
妻子とも別居し、自殺まで考えました。
死にきれずにいたところ、偶然、古い親友に出会って助けられ、
その親友は社長さんを自分の会社に雇い入れ、更生させました。
そればかりか、この方の妻子にまで、
毎月仕送りをしてくれていたことが後からわかりました。
なぜ、そこまでしてくれるのか聞いたとき、
その親友は、成人式で着る服のなかった自分に
社長さんがスーツを貸してくれ、
立派な写真を撮ることができたのを恩に感じ、
「いつか機会があったら、何倍にもして返そう」
と心に誓ったのだと証ししてくれました。
☆
神様に愛されてきたこと
真の父母様に出会えたことに対する恩義は、
量や数で量れないものです。
この世でも「恩」を受けたら恩返しをしますし、
お父様が言われるように、直接に返せない場合、
受けた恵みを今度は他の人に施していくことを、
「恩送り」ともいいます。
日本にもよい言葉がありますね。
恩送り、陰徳を積む生活、それが
まさしくご父母様の尊い生き方でありますから、
少しでも相続して、神様、父母様から受けた恵みの代わりに
出会う人を愛していきたいと思うのです。
人に尽くすために出会いがある、
そのような思いを持って、
人生の中での貴い出会いに感謝して
より良い関係を築いていきたいし、
やはり、究極の積善は、み言をつたえること、
まさに伝道であると改めて実感します。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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