2014年01月25日

賛美とは! 賛美歌が癒される理由?! 〜寒空に文亨進世界会長が語られたこと〜


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神様を讃えましょう。
息をするように。
息を吸って・・・「私は生きています」
息を吐いて・・・「神様の恵みに感謝します」


文亨進世界会長



少し前の記事になりますが、
ファミリーフォーラムに
文亨進世界会長の映像が紹介されています。


記録的寒波がアメリカ東部を襲う中、
亨進さまは早朝の瞑想トレーニングを
マイナス16度の中で行っておられます。
自分で火を起こして暖を取りながら
自ら撮影するカメラに向かって語られた内容なのだそうです。



皆さんに伝えたい事は「常に神様を讃美すること」です。

これまで讃美と言えば、何か怖しい神に捧げるもの
というイメージがありましたが、決してそうではありません。
奥さんや子供を励ます時にも賛美するのです。

同じように神様の愛に関して神様を讃美するのです。
すべての讃美に値するお方ですから
感謝と讃美で御前に出るのです。
感謝の思いとともに讃美するのです。
誉めることによって神様の偉大さを思い起こすことができます。
どのようなお方であるのか。

讃美歌による賛美もあります。
素晴らしい賛美の方法です。


・・・手が凍えます。
・・・少し暖めます。
・・・外はすごく冷たいです。

(讃美歌は)神様を崇敬し高める素晴らしい賛美です。
私は讃美歌をできるだけ部屋で流すことを
いつも勧めています。
そうすることで霊的環境が整います。
強い希望的な環境が生まれます。
神様の善を心に思い起こすことができます。

怒り、我慢などの思い、また子供にがみがみ小言を言ったり、
逆に言われたり、そのような中にある時
讃美歌は気持ちの転換をはかる場を与えてくれます。
その場の人への執着をとめて、
心を鎮め、考えを休めてくれる効果があります。

息を次ぐスペースをくれて
心がいつも動き、切り替わるようになり
事柄を支配できるようになります。
そして、本当に価値あるもの
−神様の恵み−に心を集中させてくれます。

讃美歌はただの音楽、歌ではありません。
その本質は「祈り」です。

たとえば「My God is Awsome」の歌詞に
「神様は山を動かし、私を雨から守り、谷にかくまって下さる・・」とあります。
このように日々の生活の中での神様の導きを
あらためて思い起こさせてくれます。

もう駄目だと思った時に、思いもかけず道を開いて下さる

・・・火が消えかかっています。

ですからそのような讃美歌は、歌うことはなおさら、
実質的には「瞑想」であることを理解して下さい。
ある種の「瞑想」です。
神様の善と恩寵についての瞑想です。
それによって、芸術的に音楽を通して、見過ごしがちな
神様の偉大さと愛を思い起こさせてくれます。

讃美について話をしましたが。
この動画につけた音楽を楽しんでくださいね。
ゴスペル音楽も聞いて下さい。

音楽は強力です。
耳から入って直接、心に届きます。

ですから「悪なる性」、「お金」や「飲酒」などの
世俗的内容が入って来るのをストップすることができます。
正しい霊的食物を讃美歌とともに摂るようにしましょう。
今ではヒップホップ、ラップ、ロックンロールなど
多くのジャンルの讃美歌があります。
それらのCDをいつも聞いて
天の神様と下さる恩寵に思いを致すことを強くお勧めします。


外は素晴らしいです。
火が消えて来ました。

神様を讃えましょう。
息をするように。
息を吸って・・・「私は生きています」
息を吐いて・・・「神様の恵みに感謝します」

アーメン、アージュ。






スマホか何かを持ちながら
撮影しているのでしょうか。
手を交互に入れ替えているところ、
また吐く息を見ても、
本当に寒いのがわかります。

ちなみに、亨進様が紹介しておられる
「My God is Awsome」という讃美歌は、
「私の神様は素晴らしい(恐れ多い)」と表現したらいいでしょうか。
アメリカでは有名なゴスペルソングなのだそうです。
「My God is Awsome」がサビのようになっていて
つまり、ずっと、神は素晴らしい、神は素晴らしい、と
賛美し続ける曲です。

「賛美は祈り」だと、言われていますが、
このように私たちも、神を
息をするたびに賛美していく
そのようにすれば、余分なことを考えずに
神様のことを思い、集中できることでしょう。

亨進様は変わらずに精誠を捧げ、
心身統一の訓練をしておられるということ、
本当に素晴らしいと思います。

いつか表に出る時が来たら、
今の精誠が必ず実を結ぶと思います。


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posted by ten1ko2 at 11:47 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月24日

お母様が伝道した?! 「真の母はここにいる!!」 《コナでのみ言より》 


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伝道活動は最高に幸福な瞬間です。



ファミリーフォーラムに
真のお母様のみ言が紹介されています。



お父様が重要な摂理の前はいつもそうであったように、
お母様も、コナで準備の精誠期間を過ごしておられます。
内容の濃い貴重なみ言ですが、その中から
ラスベガスで、お母様ご自身が
伝道をされた証しをされていますので、
その部分だけを掲載します。



最近ピース・パレスの建築を請け負う
建設会社の関係者および設計者と会いました。
彼らは(施主である)私に聞きたいことがあったようですが、
何よりもまず創設者とそのビジョンに対する理解が
必要であることを説明しました。
そうして統一原理を1時間以上にわたって教えました。
その後、一人一人に昨年韓国での大会の
メインスピーチの入ったDVDを渡しました。
その内の一人の人が強く感じるものがあったと言います。
そして、お父様の自叙伝を読んで感銘を受けたそうです。
他の人たちはDVDを持ちかえっても
家に置いたままで見向きもしなかったのですが、
この方は家に帰ってすぐに見たといいます。

その後、この人は、統一原理を勉強したいと、
教会にやってきました。
そしてジェンキンス師がこの人に講義しました。
そこで「何故、神様は堕落を止められなかったのか」
という疑問の答えを見つけました。
今この人と旦那さんは基元節に祝福を受ける準備をしています。
こうしてこの人が真のお母様の霊の子女になったのです。

ですから、どれ程忙しくても
皆さんは言い訳することができません。

どんな場でも統一原理を伝えます。
それがイエス様の伝道であり、
真の父母様の伝道です!

情熱がないと伝道しなくなるのです。
伝道活動は最高に幸福な瞬間です。
新生した生命を見ることで希望を見ます。

精一杯、真の父母様を証しなければなりません。
「真の父母」という言葉は
我々が造り出した言葉ではありません。
創造以前に神様は「真の父母」を
人類始祖として立てることを心に描き、
願ってこられたのです。

今は実体の父母を迎えました。
ですから私たちはみ言を広めなければなりません!




お母様も、復興しておられますね。

「どれ程忙しくても皆さんは言い訳することができません。
どんな場でも統一原理を伝えます」

「情熱がないと伝道しなくなるのです」

「伝道活動は最高に幸福な瞬間です」

「今は実体の父母を迎えました。
ですから私たちはみ言を広めなければなりません!」

これは全祝福家庭が肝に銘じなければならない、
み言なのではないでしょうか。

私たちの教会でも
路傍演説をして、伝道する歩みを継続しています。
日曜日は毎月1回歩むことになり、
先日も紹介しましたが、
 「幸福な家庭、元気な教会!」 路傍演説、第2弾を実施しました!!
この日に出会った方が昨日来場され、
み言を学ぶことになりました。

また更に、平日にもやろうと私自身も心に決め、
いろんなスケジュールがありますが、
週1回はやることにして、今週すでに
CIGのメンバーなどとともに、実施しました。

この平日の路傍伝道では、それまで演説したことのない
婦人たちも全員、演説をしました。
たどたどしい演説であったとしても、
天の娘たちが一生懸命マイクに向かう姿を
神様も喜んでくださったと思います。
「宣布は勝利だ」と言いますが、
皆、すがすがしい顔をして、口々に
次への意気込みも話していました。

「伝道活動は最高に幸福な瞬間です」
というお母様の心情の一端を
共有できた気がします。

近くの教会では、
平日、毎日路傍演説をして、
伝道活動をしているところもあるそうです。
全国各地で盛り上がりを感じます。

天の基準から見れば
まだまだ足りない歩みではありますが、
お母様が最前線なのですから、
私たちも最前線主義でいかないといけないと思います。


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2014年01月23日

分派が生じる理由?! そして、神様はどのように見つめておられるのか?  〈駒場グループの誤り4〉


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お母様を絶対中心として、
絶対的に一つにならなければなりません。

何かが良いからと言って、
誰もが行くからと言って、
行ってはいけません。




駒場グループ並びに分派に対するシリーズは
今日で最後になります。

まず、お父様のみ言です。

何かが良いからと言って、
誰もが行くからと言って、
行ってはいけません。
サタンは、大勢の人の中で
中心的な人を試験するのです。
試験して、自分の力が及ぶ限り、
何がなんでも妨害します。
神霊の高い霊的集団は、
集会の場で自分が耐えられなければ、
災いを受けやすいということを知らなければなりません。
皆さんは『原理』のみ言を知らなければ、
すぐに引っかかって倒れる人が多いでしょう。
あらゆる災いを受ける人が多いのです。


(2006/1/1)


こういうみ言を分派の方が聞いても、
納得しないのかも知れません。逆に
「いや、この内容を知っているのは、私たちしかいない」
そのような使命感を持ってしまいます。
そして、否定されればされるほど、
もっと結束して、ますます使命感に燃えていくでしょう。

もう少し駒場グループについて話してみますと、
彼らは、中心を通さずに独自の組織をつくり、
教会の会長格の方や責任者にアプローチし、
甚だしきは、彼らの理論と活動を注意され、
止めるように警告されているにもかかわらず、
彼らは逆に「認めて下さった。」「評価された。」
「教会に行けない食口に伝えたらいいと言われた。」
など虚言を吐いて、勧誘しているのだそうです。

分派のことを、霊的集団というように
何かが「入ってしまう」のだと思います。
そういう、強力な(間違った)霊界の協助により、
特別な復興、復活をするのです。
だから、昨日お伝えしたように
動機は神様だし、食口の救いであっても、
アプローチがめちゃくちゃなのです。

また、二世に対してはどうなのか、
そういう疑問も残ります。
韓国在住の知り合いの食口が
分派の方にアプローチされたそうです。

それで、彼女はこう言いました。
「あなたは自分自身が選んで信じているからいいかもしれないけど、
2世達は将来どうするのですか?
犠牲にするのですか?
子供達の祝福はどうするのですか?」
そう言ったら、その人は何も答えられなかったそうです。

二世、あるいは後孫のことを考えたら、
その永遠の生命に責任をもてないのです。
だとすれば、今の活動は、即刻、辞めるべきだと思います。


お父様のみ言です。

今、先生を中心としてお母様を立てました。
先生が霊界に行ったならば、お母様を絶対中心として、
絶対的に一つにならなければなりません。
今、お母様が行く道は、お父様が立てた
み言と説教集を中心として行かなければならないのです。
他の言葉を述べるのを許しません。


(1994/12/24)


どんなに、み旨成就のためにと思い、
命をかけて歩んだとしても、
真のお父様と一体となられた
真のお母様と一体となっていかなければ、
サタンに讒訴条件を与え、
神様の摂理の進展を妨げるものとなってしまいます。

2020年天一国実現のためには、
まだまだ越えるべき峠があるのかも知れません。

日本というのは、母国の摂理的使命があり、
大変な中で歩んでいるのは事実です。
しかし、それとともに、ある意味、それ以上に私たちが求めるのは
「元気な教会」です。
これまでも、本当にお互いが愛し合い、復興していれば、
このような問題はなかったのかも知れません。

可知講師も最後のほうで、
分派の方たちに対して、
涙を流しておられました。
「今まで一生懸命歩んできた食口が離れていく
これは本当に悲しいこと」だと。

以前、告白したことがありますが
私自身も正直を言うと
少し外れた歩みをしたことがありました。
その時の完全否定の対応は、
その当時、かなり辛いものでした。
それは、自分の報いとして当然だとしても、
拉致監禁から生還したにもかかわらず、
教会を離れたかもしれない
そんな試練でした。

分派の人たちを、肯定はできません。
しかし、神様の子女である彼らの
全てを否定することはできません。

天の父母様は、彼らをどのように見つめておられるでしょうか。
変わらずに愛しておられることでしょう。
真のご父母様はどうでしょうか。
彼らを信じて、待っておられるのではないでしょうか。

神の立場に立てないのは、
堕落の証しでありますから、
そのように愛し合えない、受け入れる器のない私たちゆえに
分派が生じているともいえなくもありません。
そして、私たちが真の愛をもつならば、
自然に引き寄せられてくるはずです。

ですから、彼らに対して、裁きの思い、
批判的な思いを持つのではなく、
温かい心を持って、
いつでも受け入れる心情を持つことが大事なのだと思うのです。


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全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
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(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
 

posted by ten1ko2 at 12:05 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする