2014年01月19日

「天国はすぐできる!」 神は騙したのか?!  《蕩減とは何か5》


img_1043030_42806730_0.jpg


真のお父様のみ言に
次のようなものがあります。

天国を建設するよりも、
如何に蕩減条件を立てるかを考えてきた。




お父様がそのような道を歩まれたので、
私たちも足りないながらに
歴史を代表し、家系を代表して、
今の重要な時に導かれてみ旨を歩んでいます。

ですから、み言を聞いた私たちに対して、
神様も「天国はすぐ出来る」と私たちを鼓舞してくださいます。
昔、周藤先生が導かれた頃は
「天宙復帰する者この指とまれ!」
と言いながら、伝道したと聞いたことがあります。

しかし、神様との心情関係が深くなると
「実は家も建てるんだけど、
この穴も埋めてくれない?」
ある意味、小出しにしてこられます。

その時に
「やっぱり騙された」と思う私なのか、
「わかりました。神様、あなたが一番
私たち人間に願っていたことは、
その失敗した部分を担当することなんですね」
そう言って、神様の願いを果たす私になるのか、
そこが問題だといいます。

天国に行くことを待ち望み、
苦労の見返りで天国に行ける・・・
そのような思いを持つのか、
あるいは、親なる神様、真の父母様に出会い、
罪が赦された私であるが故に、
蕩減の道を歩ませていただくんだ、
そのような心情を持つかが重要な分岐点になるのです。

ですから、神様は「無条件に信じる」ことを条件に
人間を引っ張りあげてくださるのです。



真のお父様は
「蕩減復帰摂理は完成・完結・完了した」と言われます。
今は、蕩減復帰時代ではなく、天一国時代であります。

私たちもアダムとエバが堕落しなかった立場、
本当に考えることの出来ない立場に立たせていただいています。

しかし、創造本然のアダムとエバも
神様に愛されていながらも
長成期完成級にみ言を不信し、堕落しました。

不信し、神様のみ言と心情から
遠ざかりやすい時を迎えているのでしょう。

ですから、お母様が「蕩減」に関して
今、強調しておられるのは、
天一国時代を迎えた今だからこそ、
み言をしっかりと守り、信じていく
そのことが何よりも願われていると感じます。


応援のクリックをお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ


※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
 


posted by ten1ko2 at 08:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月18日

蕩減は理解不能?! できないことを、やらなければならない理由 《蕩減とは何か4》


44582_701190586574718_492329949_n.jpg


楽に歩んできたら、
統一教会がこんなにも発展することはできなかった。




蕩減の本質について、お話してきました。
必要なのは分かるけれど、
どうも理解できないし、避けて通りたくなる『蕩減』。。。

以前、『信仰と理性』と題した講義を受けたことがあります。
ちょうど、当時のノートが出てきたので、
今日は、それを参考にして、蕩減について解説してみます。


復帰の道は、再創造(建設)と蕩減復帰(穴埋め)
両方を同時にしないといけないわけです。

再創造は人間の業ではできません。
神様と完全一体になっているメシヤがなされるので、
人間の理性を超えたもの、
すなわち、『超理性』と表現できるかと思います。

神様はアダムとエバに
『取って食べてはならない』
という戒めを与えましたが、
まだ体験もしていないのに、
神様から言われても、
アダムもエバも深い意味がわからないわけです。
なので、理性ではわかりませんでした。

『取って食べるな』という戒めは、
『おかしいな?』とは思わなかったのですが、
よくわからなかったのです。
ですから、理性を超えていた、
すなわち、『超理性』なわけです。

ところがアダムとエバは
その戒めを守ることが出来ず、
堕落してしまいました。

ということはどうなるかと言うと、
『超理性』を守ることができなかったので、
「よくわからないが、何か変だ!」
「神がいるのに、何故?
神様は本当に愛の神なのか!」
と思えることが起こるといいます。

すなわち、『超・超理性』なのです。
これが穴埋め=蕩減です。

しかし、頭のいい人ほど、物事を
合理的、理性的に考えます。
再復帰と蕩減を同時にするわけなので、
地獄を打ち壊しながら、天国を築く、
これほど能率が悪く、不合理なことはありません。

そして、蕩減を払わせるために
お父様がされることは何か、
すなわち『無理』をさせることなのです。
別の言葉で言えば『自己否定』ということになるでしょう。

その道を歩んだ最たる方が、
まさに真の父母様だといえるのではないでしょうか。



神様は私ができないことをしきりにさせたが、
私はその度に、本当に
死を覚悟して耐えながらここまで来た。

私がどんなにたくさん泣いて、
どんなにたくさん身悶えしたかわからない。

楽に歩んできたら、
統一教会がこんなにも発展することはできなかった。

神様がムチ打って押し出しながら、
やれと言われるので、ここまで来た。


(原理に関するみ言の証 より)



(またつづきます)

応援のクリックをお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ


※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
 


posted by ten1ko2 at 10:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月17日

蕩減する秘訣とは? ハトのように素直になること?! 《蕩減とは何か3》


img_1043030_44786918_0.jpg


1+2して3だったら、
君たちも1+2して3にせよというんだね。




昨日まで示したように
お父様は完全蕩減の道を歩まれました。

そして私たちはどのような道なのかといえば、
条件蕩減の道であるといいます。
もちろん、お父様の道から比べれば
わずかな苦労、小さな条件を立てることで
蕩減を清算することができます。

しかし、その道にも必要な条件があるといいます。
すなわち一番重要なのが
『神様のみ言を素直に受け入れる』ということです。

お父様のみ言を紹介します。



君たちが相談して、
あるいは地方全体の代表者が集まって、
このうちで適当に決めてやったらいいじゃないか、
蕩減条件になるじゃないか。

・・・そうはいかない。
それは君たちの意見であって、
意見が蕩減の事実にはなれないんだね。

蕩減の事実は、いわゆる歴史を通しての事実であるから、
その事実はどこを中心として始まったかというと、
それは聖書を中心としてである。

だから聖書を中心として、
蕩減条件と自分との関係をはっきりもっておらないというと、
自分が今まで生活してきた、
その生活基準が蕩減条件と何の関係もないということだね。

だからその観点において、
はっきりした基準を立てなければならない。


(1967年6月18日)



また、お父様は、箱舟を造ったノアの信仰を
受け継ぐということに対して
次のように表現しておられます。



おじいさん(ノア)は
1+2して3という答えを出したのに、
同じ答えをでもね、
自分はおじいさんと
気持ちが合わないから嫌いだと、
2+1=3と答えを出す。

答えは同じだよ。
しかし内容が違う。

神はそうは思わないんだね。
1+2して3だったら、
君たちも1+2して3にせよというんだね。

そういう精神がなっていないというと、
伝統を後世に残すことが出来ない。
蕩減するには内的心情を継がなければいけない。


(1967年6月18日)



やはり、重要なのは『無条件に信じる』ということです。
聖書でも

「よく聞きなさい。
心をいれかえて幼な子のようにならなければ、
天国にはいることはできないであろう。
この幼な子のように自分を低くする者が、
天国でいちばん偉いのである。
また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、
わたしの名のゆえに受けいれる者は、
わたしを受けいれるのである」


(マタイによる福音書18章3節から5節)

「わたしがあなたがたをつかわすのは、
羊をおおかみの中に送るようなものである。
だから、へびのように賢く、
はとのように素直であれ」


(マタイによる福音書10章16節)

とありますように、
蕩減を超えていくためには、
従順さ、素直さが必要であるといえます。

(つづきます)

応援のクリックをお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ


※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
 


posted by ten1ko2 at 10:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする