昨日もお伝えしましたが、
天使長ルーシェルは巧妙です。
アニメなどに出てくる悪魔のように
ものすごく恐い雰囲気でエバに迫ったのではなく、
自分の本性は見せずに
紳士然として、エバを誘惑しました。
創世記第3章を見ると、
「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。
それを食べると、あなたがたの目が開け、
神のように善悪を知る者となることを、
神は知っておられるのです」
狡猾に神様のみ言を巧みに用いていきます。
今回、可知講師が指摘している駒場グループも
お父様のみ言を巧みに利用して
「さもありなん」という雰囲気で迫ってきます。
実は、可知講師は駒場グループに誘われて
向こうの主張を聞いてこられたようです。
駒場久美子は、自らを日本を代表する女性として、
あたかも真のお父様がみ言を自分に語られ、
自分しかその本当の意味を悟ることが出来ず、
教会の指導者はこれを悟りえず、
自分こそ真のお父様の相対の位置に立つ者であると主張し、
真のお母様の位置を蹂躙する罪を犯しているといいます。
可知講師は、その主張を12個に分けて紹介しておられます。
向こうの主張を(誤)
可知講師が見解しておられるものを(正)として記述します。
☆
@ (誤)神は二性性相の神ゆえに
み言(ロゴス)にもメシヤのみ言と聖霊のみ言がある。
(正)神様ご自身がみ言(ロゴス)そのものではない。
「ロゴスは神の対象」(原理講論265ページ)とある。
また、メシヤによるみ言はあっても、聖霊が発見するみ言はない。
2000年前のイエス様のときにも、聖霊が降臨したとあるが、
聖霊がみ言を語ったとはどこにも書いていない。
「弟子が話した」とあるが、「聖霊が話した」とは言っていない。
A (誤)すべての主体と対象の関係は95%と5%の関係にある
(95対5の法則)ゆえに、95%のメシヤのみ言と
5%の聖霊のみ言がある。
(正)すべての被造物は二性性相からなっている。
そこには縦的関係もあれば、横的関係がある。
神様と人間の関係は親子の関係であるために
縦的関係であるが、夫婦・兄弟関係など、
その他多くは横的関係である。
縦的関係は95と5であるが、
横的関係は50対50の関係であって、
95対5ではない。
夫婦関係において、夫の責任分担は95%で
妻の責任分担5%であるという
原理的な根拠はどこにあるのか?
B (誤)主体は対象の責任分担に対して
干渉できない。神様が人間の責任分担を干渉することが
できないということは、人間の責任分担の内容と
方法を具体的に語れないことを意味する。
(正)彼らは「人間はあくまでも自分の自由意志による
責任分担としてみ言を探し出し」(原理講論117ページ)
という内容を用いて責任分担の観点で主張しているが、
これはメシヤが95%のみ言を解明したので、
残りの5%を人間が責任分担で探し出す、ということを言っているのではない。
メシヤとして来られた真のお父様が解明し発見された
100%のみ言がどこにあるのかを探し出す
努力としての責任分担の話である。
「神が教えたら、それは蕩減にならない。
アダムが自ら知って解決しなければならなかったことを
知らずして、6000年歴史は延長されてきた。
だから、先生は自ら考え出さなければならない」
アダムが自ら知って解決しなければならなかったことを
知らずして、6000年歴史は延長されてきた。
だから、先生は自ら考え出さなければならない」
お父様はアダムの蕩減としてメシヤ自ら解明された。
しかし、「聖霊が解明・・・」ということはない。
世界には幾つもの分派グループがあるが、
ほとんど「自分たちが悟った見解こそ正統だ」
そのように主張して対立している。
正式な見解が幾つも乱立して対立するものなのか。
(つづきます)
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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