一線で苦労しながらみ旨を繰り広げるために
戦う食口のことを考えるとき、
私は本当に胸が張り裂けそうだ。
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戦う食口のことを考えるとき、
私は本当に胸が張り裂けそうだ。
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昨日の記事は、沈明玉サモニムのお写真がなかなか
見つからず、「真の愛の勝利者」という
真のお母様の還暦を記念とした書籍の中の
モノクロの写真を添えました。
その本には、お父様と聖婚されて間もない頃のお話など
お母様に侍った方々の貴重な証しが掲載されていて、
感動的に読ませていただきましたが、
その中の一つを紹介します。
姜賢實先生の証しです。
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私が一九八〇年度にアメリカに行って約三か月間、
お母様と共に生活したことがありました。
そのとき、私はもう少し近くお母様の内面について読み取ることができ、
習うことができ、知って感じることができました。
それである日の夕方、私はお父様に
「お父様、神様が本当に私たちのお母様のようなかたをどこに隠しておいて、
このように見いだされて、またこのように大きな使命を任せて、
それに耐えうるようにされたのか分かりませんが、
私はとてもありかたく思っています。
本当に私たちはお母様のようなかたがおられなかったならば、
どのようになっていたでしょうか?」
とお聞きしたことがあります。
お父様は「どのような点がそんなに良いのか?」と聞かれました。
私は「神様に対する絶対的な信仰、お父様に対する不変の忠誠心と服従なさる心根、
また食口たちに与えても、また与えたいとお考えになり、
見てもまた見たいとお考えになる心情と、
食口たちに尽くしてもまた尽くしたいとお考えになる、
そのような心をおもちになっていることを、
とてもありかたく思っております」と申し上げると、
お父様の表情が明るくなり、喜ばれるのでした。
ある日、お母様と一日中過ごしたことがありました。
そのとき、お母様は
「一線で苦労しながらみ旨を繰り広げるために
戦う食口のことを考えるとき、私は本当に胸が張り裂けそうだ。
食べることができず、ぼろ着を着て、今も寒くておなかが空いて疲れた中で、
み旨を繰り広げるためにきょうも命を削っていく食口たちのことを考えるたびに……」
と言われて、言葉をつなぐことができず、
のどを詰まらせるお姿を見ることができました。
そして、続けて
「私たちがこのように犠牲の代価を払って、
また今後も苦労をしなければならないが、
どんなに大変で困難であっても戦って必ずや
この地上にみ旨を成就してさしあげなければならない。
そのような課題が私たちにある」
と強調されるのでした。
本当に私たちには、苦労して逝かれたかたがどれほど多いか分かりません。
そのかたたちが果たすことができず残していった様々なことを成し遂げる課題が
私たちの前に残っています。
もしも、遠い将来、私たちがこの課題を成し遂げることができずに神様のもとに行くなら、
神様は明らかに咎められ、どなられ、お叱りになることでしょう。
神様が私たちを見つめられるとき、
咎められる目で私たちをご覧になるときがあることでしょう。
それは、神様がみ旨を成し遂げられるために、
それほどまでに犠牲を払ってこられているからです。
(「真の愛の勝利者」より抜粋)
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最前線で歩む食口に対して思いを馳せ、
のどを詰まらせる真のお母様。
今も変わらない思いを持って、
私たちを鼓舞しておられるのではないかと思います。
昔は、こんなお母様の証しなど、
直接に聞く以外、知る方法はありませんでした。
今は、証しも御父母様のみ言も、あるいはお写真も、
ありあまるくらい、見ることも、手に入ることも出来ます。
しかし、一番重要なのが、心情の世界です。
天との因縁を深く、強く結ぶことができるのも、
実践を通してしか成されません。
3月から日本は体制が大きく変わると聞いています。
どのような状況になったとしても、
天に対して変わらない心情を持ち、
実践を通して、父母様との深いパイプを築いていく・・・
このブログが少しでも手助けになれば、と思います。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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