2014年02月28日

お母様のようなお方をどこに隠しておられたのか?! 《真の母に関する証し》


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一線で苦労しながらみ旨を繰り広げるために
戦う食口のことを考えるとき、
私は本当に胸が張り裂けそうだ。




昨日の記事は、沈明玉サモニムのお写真がなかなか
見つからず、「真の愛の勝利者」という
真のお母様の還暦を記念とした書籍の中の
モノクロの写真を添えました。

その本には、お父様と聖婚されて間もない頃のお話など
お母様に侍った方々の貴重な証しが掲載されていて、
感動的に読ませていただきましたが、
その中の一つを紹介します。
姜賢實先生の証しです。


私が一九八〇年度にアメリカに行って約三か月間、
お母様と共に生活したことがありました。
そのとき、私はもう少し近くお母様の内面について読み取ることができ、
習うことができ、知って感じることができました。
それである日の夕方、私はお父様に
「お父様、神様が本当に私たちのお母様のようなかたをどこに隠しておいて、
このように見いだされて、またこのように大きな使命を任せて、
それに耐えうるようにされたのか分かりませんが、
私はとてもありかたく思っています。
本当に私たちはお母様のようなかたがおられなかったならば、
どのようになっていたでしょうか?」
とお聞きしたことがあります。

お父様は「どのような点がそんなに良いのか?」と聞かれました。
私は「神様に対する絶対的な信仰、お父様に対する不変の忠誠心と服従なさる心根、
また食口たちに与えても、また与えたいとお考えになり、
見てもまた見たいとお考えになる心情と、
食口たちに尽くしてもまた尽くしたいとお考えになる、
そのような心をおもちになっていることを、
とてもありかたく思っております」と申し上げると、
お父様の表情が明るくなり、喜ばれるのでした。

ある日、お母様と一日中過ごしたことがありました。
そのとき、お母様は

「一線で苦労しながらみ旨を繰り広げるために
戦う食口のことを考えるとき、私は本当に胸が張り裂けそうだ。
食べることができず、ぼろ着を着て、今も寒くておなかが空いて疲れた中で、
み旨を繰り広げるためにきょうも命を削っていく食口たちのことを考えるたびに……」


と言われて、言葉をつなぐことができず、
のどを詰まらせるお姿を見ることができました。

そして、続けて

「私たちがこのように犠牲の代価を払って、
また今後も苦労をしなければならないが、
どんなに大変で困難であっても戦って必ずや
この地上にみ旨を成就してさしあげなければならない。
そのような課題が私たちにある」


と強調されるのでした。

本当に私たちには、苦労して逝かれたかたがどれほど多いか分かりません。
そのかたたちが果たすことができず残していった様々なことを成し遂げる課題が
私たちの前に残っています。
もしも、遠い将来、私たちがこの課題を成し遂げることができずに神様のもとに行くなら、
神様は明らかに咎められ、どなられ、お叱りになることでしょう。

神様が私たちを見つめられるとき、
咎められる目で私たちをご覧になるときがあることでしょう。
それは、神様がみ旨を成し遂げられるために、
それほどまでに犠牲を払ってこられているからです。

(「真の愛の勝利者」より抜粋)


最前線で歩む食口に対して思いを馳せ、
のどを詰まらせる真のお母様。
今も変わらない思いを持って、
私たちを鼓舞しておられるのではないかと思います。

昔は、こんなお母様の証しなど、
直接に聞く以外、知る方法はありませんでした。
今は、証しも御父母様のみ言も、あるいはお写真も、
ありあまるくらい、見ることも、手に入ることも出来ます。
しかし、一番重要なのが、心情の世界です。
天との因縁を深く、強く結ぶことができるのも、
実践を通してしか成されません。

3月から日本は体制が大きく変わると聞いています。
どのような状況になったとしても、
天に対して変わらない心情を持ち、
実践を通して、父母様との深いパイプを築いていく・・・
このブログが少しでも手助けになれば、と思います。


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posted by ten1ko2 at 16:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月27日

「父にお仕えするために霊界にいく!」 真のご家庭のために最も心痛いこと──《沈明玉サモニム証し》 


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真のお父様にお仕えするために
行かなければならない




日本で総会長を勤められた故・任導淳先生の奥様、
沈明玉(シムミョンオク)サモニムが、先日、聖和されました。

お若い頃から、真のご家庭や、生前の大母様に直接侍られ、
真のお母様とも、姉妹のように近い間柄であり
最も信頼される人のひとりだったと聞いています。


聖和式での証しを紹介します。

信仰の息子である尹晶老会長の送辞

真の父母様がアメリカにおられる時、
沈明玉女史は、真の父母様のご家庭のために徹夜を多く捧げておられた。
徹夜と聞くたびに、涙で祈っている姿、
聖歌12番「私は供物」を切に歌っていた姿が思い出される。
女史は夫も子供もなく、ただ真の父母様だけを見つめて生きてこられた方である。
この世で最後に下さったみ言も
『真のお父様にお仕えするために行かなければならない』と言われた方だ。


遺族代表で挨拶をした子息、任ヨンボン氏

お母さんはいつも目立たない所で影のように内助をつくした方です。
今回の聖和式にも霊界が働きかけて、父が聖和された、
同じアサン病院に来ることになり、全く不思議なことに、
父の時と同じ病室と同じ霊安室に入ることになったのを見て、
本当に霊界が役事されるのだな、と感じました。



かつて日本におられたときに、
すでに霊界に行かれている任導淳先生とともに
集会を主管され、み言を語られることがありました。
ある意味、任導淳先生以上に厳しいみ言だったことも多かった気がします。

お子さんがなかなかできずに御苦労された証しや
大母様の最期をお世話された証しなど、印象深いお話も多くありました。

本当に仲睦まじいご夫婦だな、という印象がありましたが、
息子さんの証しを読んでも、その姿を感じさせられます。
お父様を霊界で迎えるためであるかのように
数ヶ月先駆けて聖和された任導淳先生とともに、
今は霊界できっとお父様に侍られながら
更に仲睦まじく過ごしておられることでしょう。

サモニムはお母様がまだ、お若いころに直接侍っていかれました。
その時の証しを紹介します。



毎日毎日、胸を締め付けられていた60年代の困難な生活について語る中で、
抜きにすることのできないものは、やはり経済的な困難でした。

当時、真の父母様の家庭生活の経済は、本当に貧しく苦しかったのです。
世の中の人々は大部分、お父様は常に良い物を食べて、
不自由なく生活されているものと想像します。
私たち統一家の食口たちの中にも、そのように考える人がいることでしょう。
しかし、そのように考えているということ自体が、私には限りなく心痛いことです。

真の父母様の食膳で残ったおかずは、続けて子女様の食事の時に差し上げます。
汁を御飯に混ぜて召し上がられて残った汁、
水を混ぜて御飯を召し上がられて残ったもの、
テンジャンチゲを召し上がって残ったものなど、
食事は水一滴でさえも捨てずに、集めて食べたものでした。

どれほど厳しい生活だったと表現できるでしょうか。
水キムチをすべて召し上がり、汁だけ残されたのですが、
その汁の下に沈んだ赤い唐辛子の粉がもったいなくて、
その残った汁をすべて飲まれたりもしたのです。

私は夜の一時か二時になって仕事が終わり、
精誠を尽くすときにだけ使う白い座布団を敷いて、
前本部教会の聖殿にひざまずいて、
神様に心から訴える時間をもったものでした。

「神様、お金を少し下さいませ。
真の父母様、子女様にしてさしあげたいことを
思う存分にできるようにお金を少し下さい」
と言いながら、どれほどすすり泣いたか分かりません。
分別のない子供が駄々をこねるように泣いて祈祷した私の姿が、
今も鮮やかに目に浮かびます。
四十年過ぎた今ですが、その時のことを考えるだけで、
ただ反射的に熱い涙が込み上げてきます。

ある日、私は子女様にお出ししようと
久しぶりにお菓子とあめを買ってきました。
しかし、真のお母様は子女様には分けられず、
いすの上に乗って戸棚の一番高い所にしまっておくように言われたのです。
それで私が「子女様に分けてください」と申し上げると、
「泣くときにでもあげてなだめなさいと」と、
結局はしまっておくようにと言われました。
私はそのとき、子女様たちのことを考えると、一人でたくさん泣きました。

お菓子をしまっておいた、その日の夜でした。
いつもそうだったように、
夜の祈祷が終わって午前二時を回っていました。
洗濯部屋で働くお姉さんの中に、
ハングルをまだ会得していない食口がいて、
私はそのお姉さんにハングルを教え始めました。

その当時、真のお母様は、真のお父様が寝床に入っていかれたら、
必ず家の中を見回りして、戸締まりもして入っていかれるのですが、
その日もやはり聖殿に出てこられました。

座っている私たちを見て、「何をしているの?」と言われたので、
私は、「はい! このお姉さんは文字が分からないので教えています」
とお答えしました。
すると「一生懸命にやりなさい」と言われて入っていかれ、
少ししてから昼間に買っておいたお菓子を持ってこられて渡されながら、
「居眠りしないで一生懸命やるように」と激励してくださいました。

子女様たちにもあげないで取っておかれたお菓子を、
あのようにたやすく私たちに下さった真のお母様の大いなる愛、
温かく差し伸べられる手、その時の感激と感謝の気持ちを、
生涯忘れることができません。

(「真の母の七年路程と日本」より抜粋)



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真のご家庭の誰にも知ることがなかった、
悲痛と苦難の路程を証ししてくださったことを
心から感謝いたします。

そして、霊界におられる真のお父様、
孝進様、興進様を始めとする真の子女様、
真のご家庭に侍られて
霊界でもご活躍されることを心からお祈りいたします。

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沈明玉(シムミョンオク)サモニム

1939年、忠清南道公州にて出生、
1995年に入教する。
1962年、任導淳会長と72家庭として祝福を受ける。
1965年から青坡洞前本部教会で真のご父母様に仕え始め、
洪順愛大母様とご子女様たちにも共に仕えた。
本名は本来雨玉(ウオク)であったが、
文鮮明先生が1970年代初めに
明玉(ミョンオク)という号を下さる。



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2014年02月26日

天地が開く時間表を知っている真の父母!! 今朝の夢は「伝統の相続」?!


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あんた達の目の前にはもう新しい天地が開かれようとしている。
先生はその時間表をはっきりと知っている。
必ず来る。
新しい世界、新しい生活が必ず開かれる。




伝統の相続について考えてみたいと思います。

昨日、夢を見ました。

まずお相撲さんが夢に現れました。
一緒に同行すると、いつの間にか
国技館の前に到着しました。
そこに多くの人たちが群がっていました。
良く見ると、何か鎖みたいなものが邪魔をしていて、
中に入ることが出来ないようでした。

私がこの鎖を解くとみんなに感謝されました。
ところが、国技館の前のお店の人に、
「何で、あなたこんなことするの!」
と叱られて、また鎖を戻されてしまいました。

しかし、そこで出会ったおじいさんがいて、
私も懇意になるのですが、
実はそのおじいさんは国技館を建設した功労者であり、
とても有名な方でした。

もちろんそのことを私は知りませんでした。
国技館のスタッフからは
「何であなたがこんな人と友達なのか・・・」
そのように不思議がられました。


自分勝手な解釈かも知れませんが、
伝統の相続は、心情の相続なのだと思います。

真のお母様が立たれて
ある意味、改革をされています。
今までお父様が指導されている内容と
若干違う部分もあるのかと思います。
どんどん時代が進んでいきます。
お母様と共にあって、お父様が
今、成したいことを成されていると思うのです。

何よりもお父様の心情を一番受け継いでいるのが、
真のお母様なのではないでしょうか。
ですから、お母様に侍ることが
お父様に侍ることであり、
お母様を相続することが
お父様を相続することになるのだと思います。


さらにお父様に侍ることに対しても
考えてみたいと思います。

侍るということは、
もちろんその方の目の前で
付き従うこともとても重要です。
目の前で侍ることを通して、
その方の価値がわかることもあるでしょう。

しかし、そうでない場合があります。
その最たる人、お父様に一度もお会いできず、
目の前で侍ることができなかったのに、
お父様に本当に感謝された人がいます。
それが、以前、記事にも挙げたことのある
獄中で犠牲となった
マリアジブナさんではないでしょうか。

以下の記事は多くの方に「感動した」
と言って頂きましたので、
読んでいない方は、是非お読みください。


イエス様に侍るという点においても同じかと思います。
イエス様に直接、侍っていった人よりも
イエス様が霊界にいかれたあとにイエス様を慕って
命がけで歩んだ方たちの方が貴いのではないでしょうか。

その最たる人が柳寛順烈士ではないかと思います。
3・1独立運動の先頭に立って歩まれ、
牢獄で殉教された柳寛順ヌナ。
そのお姉さんの信仰が土台となって
お父様の種が宿ったと聞いています。

イエス様に直接侍った12弟子も
当時、誰もイエス様に付き従う人がいない中で、
侍ったわけですから、本当に貴い人たちですが、
神様の目からすれば、それ以上に貴いのは、
柳寛順烈士のような人たちなのだと思います。

私自身、お父様をお迎えするという観点で見れば、
あまりにも程遠い、信仰生活であり、なんの資格もない者ですが、
今朝の夢を信じるならば、人が簡単に外せない
鎖を外せる力を持ち、大きな鍵をもつ人物にも
会うことの出来る運勢をもっているのでしょう。
それは、神様ゆえ、真の父母様ゆえに可能なのは間違いありません。
「伝統の相続」とは、天と真の父母の心情を
相続することであると思うのです。

だから、今、お父様が聖和されたからといって、
伝統が相続できないというのではないのだ、
お母様に侍ることが重要であり、
そしてお父様をお迎えできるように
日々、中断なき前進をしていくのだ、
そのような心持ちを持つことが大事なのだと思います。



先生はどんなに苦労が絶えなくとも、もっと苦労しようと思う。
もっと誤解され、もっと非難されようとも、
それに一言も文句を言わず全て受け、
たずさえて霊界へ行こう。
そしてひき続いて伝統を立てて行こう。
そうすればいずれは、我々のやっていること、
我々の真理は勝利を収めるようになる。
先生は分かっている。
だから先生は霊界にいても、地上にいても働き続ける。

先生が生きている間に、
統一を成し遂げるかどうかというのは、小さな問題である。
仕事は続くのである。
そして先生は霊界にいようが、地上にいようが、
その中心となっている。
先生の思想、先生の戦略、先生の伝統、先生の心情は、
問題なく、統一の世界を目指しておる。
先生が死んで霊界に行ったとしても、
いつでもあんた達に現れてあげる。
この地上に、同じ様に伝統を持って、
完全な神の国を造るまで、
これが先生のやっている一番重要な作戦だ。
先生のやっているのは、十年先のためではない
永遠を基準として作戦を立てているのだ。
先生が地上にいようが、霊界にいようが、
そんなことは問題ではない。

先生は、霊界の組織、霊界のシステム、
霊界の様子を熟知している。
あんた達には見えないけれど。
あんた達の目の前にはもう新しい天地が開かれようとしている。
先生はその時間表をはっきりと知っている。
必ず来る。
新しい世界、新しい生活が必ず開かれる。


1976年9月20日 ワシントン大会後ベルベディアに於けるみ言>

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