あんた達の目の前にはもう新しい天地が開かれようとしている。
先生はその時間表をはっきりと知っている。
必ず来る。
新しい世界、新しい生活が必ず開かれる。
☆
先生はその時間表をはっきりと知っている。
必ず来る。
新しい世界、新しい生活が必ず開かれる。
☆
伝統の相続について考えてみたいと思います。
昨日、夢を見ました。
まずお相撲さんが夢に現れました。
一緒に同行すると、いつの間にか
国技館の前に到着しました。
そこに多くの人たちが群がっていました。
良く見ると、何か鎖みたいなものが邪魔をしていて、
中に入ることが出来ないようでした。
私がこの鎖を解くとみんなに感謝されました。
ところが、国技館の前のお店の人に、
「何で、あなたこんなことするの!」
と叱られて、また鎖を戻されてしまいました。
しかし、そこで出会ったおじいさんがいて、
私も懇意になるのですが、
実はそのおじいさんは国技館を建設した功労者であり、
とても有名な方でした。
もちろんそのことを私は知りませんでした。
国技館のスタッフからは
「何であなたがこんな人と友達なのか・・・」
そのように不思議がられました。
☆
自分勝手な解釈かも知れませんが、
伝統の相続は、心情の相続なのだと思います。
真のお母様が立たれて
ある意味、改革をされています。
今までお父様が指導されている内容と
若干違う部分もあるのかと思います。
どんどん時代が進んでいきます。
お母様と共にあって、お父様が
今、成したいことを成されていると思うのです。
何よりもお父様の心情を一番受け継いでいるのが、
真のお母様なのではないでしょうか。
ですから、お母様に侍ることが
お父様に侍ることであり、
お母様を相続することが
お父様を相続することになるのだと思います。
☆
さらにお父様に侍ることに対しても
考えてみたいと思います。
侍るということは、
もちろんその方の目の前で
付き従うこともとても重要です。
目の前で侍ることを通して、
その方の価値がわかることもあるでしょう。
しかし、そうでない場合があります。
その最たる人、お父様に一度もお会いできず、
目の前で侍ることができなかったのに、
お父様に本当に感謝された人がいます。
それが、以前、記事にも挙げたことのある
獄中で犠牲となった
マリアジブナさんではないでしょうか。
以下の記事は多くの方に「感動した」
と言って頂きましたので、
読んでいない方は、是非お読みください。
イエス様に侍るという点においても同じかと思います。
イエス様に直接、侍っていった人よりも
イエス様が霊界にいかれたあとにイエス様を慕って
命がけで歩んだ方たちの方が貴いのではないでしょうか。
その最たる人が柳寛順烈士ではないかと思います。
3・1独立運動の先頭に立って歩まれ、
牢獄で殉教された柳寛順ヌナ。
そのお姉さんの信仰が土台となって
お父様の種が宿ったと聞いています。
イエス様に直接侍った12弟子も
当時、誰もイエス様に付き従う人がいない中で、
侍ったわけですから、本当に貴い人たちですが、
神様の目からすれば、それ以上に貴いのは、
柳寛順烈士のような人たちなのだと思います。
私自身、お父様をお迎えするという観点で見れば、
あまりにも程遠い、信仰生活であり、なんの資格もない者ですが、
今朝の夢を信じるならば、人が簡単に外せない
鎖を外せる力を持ち、大きな鍵をもつ人物にも
会うことの出来る運勢をもっているのでしょう。
それは、神様ゆえ、真の父母様ゆえに可能なのは間違いありません。
「伝統の相続」とは、天と真の父母の心情を
相続することであると思うのです。
だから、今、お父様が聖和されたからといって、
伝統が相続できないというのではないのだ、
お母様に侍ることが重要であり、
そしてお父様をお迎えできるように
日々、中断なき前進をしていくのだ、
そのような心持ちを持つことが大事なのだと思います。
☆
先生はどんなに苦労が絶えなくとも、もっと苦労しようと思う。
もっと誤解され、もっと非難されようとも、
それに一言も文句を言わず全て受け、
たずさえて霊界へ行こう。
そしてひき続いて伝統を立てて行こう。
そうすればいずれは、我々のやっていること、
我々の真理は勝利を収めるようになる。
先生は分かっている。
だから先生は霊界にいても、地上にいても働き続ける。
先生が生きている間に、
統一を成し遂げるかどうかというのは、小さな問題である。
仕事は続くのである。
そして先生は霊界にいようが、地上にいようが、
その中心となっている。
先生の思想、先生の戦略、先生の伝統、先生の心情は、
問題なく、統一の世界を目指しておる。
先生が死んで霊界に行ったとしても、
いつでもあんた達に現れてあげる。
この地上に、同じ様に伝統を持って、
完全な神の国を造るまで、
これが先生のやっている一番重要な作戦だ。
先生のやっているのは、十年先のためではない
永遠を基準として作戦を立てているのだ。
先生が地上にいようが、霊界にいようが、
そんなことは問題ではない。
先生は、霊界の組織、霊界のシステム、
霊界の様子を熟知している。
あんた達には見えないけれど。
あんた達の目の前にはもう新しい天地が開かれようとしている。
先生はその時間表をはっきりと知っている。
必ず来る。
新しい世界、新しい生活が必ず開かれる。
<1976年9月20日 ワシントン大会後ベルベディアに於けるみ言>
先生はどんなに苦労が絶えなくとも、もっと苦労しようと思う。
もっと誤解され、もっと非難されようとも、
それに一言も文句を言わず全て受け、
たずさえて霊界へ行こう。
そしてひき続いて伝統を立てて行こう。
そうすればいずれは、我々のやっていること、
我々の真理は勝利を収めるようになる。
先生は分かっている。
だから先生は霊界にいても、地上にいても働き続ける。
先生が生きている間に、
統一を成し遂げるかどうかというのは、小さな問題である。
仕事は続くのである。
そして先生は霊界にいようが、地上にいようが、
その中心となっている。
先生の思想、先生の戦略、先生の伝統、先生の心情は、
問題なく、統一の世界を目指しておる。
先生が死んで霊界に行ったとしても、
いつでもあんた達に現れてあげる。
この地上に、同じ様に伝統を持って、
完全な神の国を造るまで、
これが先生のやっている一番重要な作戦だ。
先生のやっているのは、十年先のためではない
永遠を基準として作戦を立てているのだ。
先生が地上にいようが、霊界にいようが、
そんなことは問題ではない。
先生は、霊界の組織、霊界のシステム、
霊界の様子を熟知している。
あんた達には見えないけれど。
あんた達の目の前にはもう新しい天地が開かれようとしている。
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<1976年9月20日 ワシントン大会後ベルベディアに於けるみ言>
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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