2014年03月31日

父母様が訪ねる家庭を作るために、真の父母の日がある?! 《宣布のみ言》


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第55回真の父母の日、おめでとうございます。

1960年陰暦の3月1日が「父母の日」の始まりの日ですが
この当日は、御父母様の約婚式が行われました。
そして、翌年から「父母の日」を祝うようになりました。

「父母の日」が「真の父母の日」に公式名称が変わったのは、
1994年第35回父母の日記念礼拝の時,
真のお父様が四大名節に「真」の字をつけて
記念するようみ言を語られたのちのことです。

今回は、「父母の日」設定のみ言を紹介します。



私たち統一教会で、歴史上初めて
「真の父母」という言葉を中心として、
「父母の日」が設定されたのです。
神様の本然の愛を中心とした男性と女性が夫婦を成す
「父母の日」が設定されたという事実を
知らなければなりません。
それにより、神様を中心として、男性の心と体、
女性の心と体が完全に水平線で、神様が願われた
理想的完成圏が出発すると見るのです。

「父母の日」は、1960年3月27日に設定されました。
今や、初めて歴史上に「父母の日」が生まれたのです。
失われた神様の栄光に代わり、人類の勝利をほめたたえ、
悪に対し、公義の法度で審判の権限を行使できる、
私たちの父母が現れたのです。
これは、この地上では福音の中の福音です。
この「父母の日」を宣布した日が、
まさしく陰暦の三月一日なのです。

この日がないことには、天宙の恨みを解くことができません。
この日が来なくては、神様のみ旨を奉ずることができません。
この日が立てられなくては、サタン世界であるこの地上に
神様の勝利の土台を築くことができないのです。
神様が勝利の日を決定する日もこの日であり、
聖徒たちが解放してもらえる日も、正にこの日です。
天宙間に、願いと理念が一つになる日もこの日であり、
天地が開闢する日もこの日だということを
皆さんは知らなければなりません。

「チャム・プ・モ」(真の父母)というその名前、
三文字を思う時、真の父母により歴史が治められ、
真の父母により新しい世界に移っていくことができる
起源が生まれ、真の父母によりサタンを
屈服させることのできる内的な因縁が決定され、
真の父母により外的な世界を占領しているサタンを征服し、
初めて神様を解怨成就してさしあげられる
中心が決定されるのです。それゆえ、
真の父母と共に生き、真の父母の命令を奉じて行動できる、
この驚くべき恩賜に、皆さんがまず感謝しなければなりません。

私たちは、「父母の日」を迎える中で、喜びを感じることができ、
喜びを感じる場で再び生まれることができる基準を
もたなければならないのです。
また「父母の日」は、子女が生まれる日を
天と地の前に公布する日でもあります。

私たちは「父母の日」を立てましたが、この「父母の日」が、
今日、統一教会だけの「父母の日」となってはいけません。
世界万民が迎えることのできる
「父母の日」にならなければなりません。
この日は、統一教会の垣根の中の
少数の群れだけが祝うことができる日ではなく、
万民が祝うことができる日です。全歴史にわたって
永遠にほめたたえることができる日です。
未来の万民たちがこの日を、
誇りの日、喜びの日、栄光の日として、
永遠に記念し、ほめたたえることができる日です。

皆さんが「父母の日」を迎えるたびに
思わなければならないこととは何でしょうか。
私たちが「父母の日」を迎えるのは、
御父母様が訪ねていく家庭をつくるためなのです。
また、「父母の日」とか、記念する日を祝うのは、
その家庭の、輝ける愛と理想を
高めるためだと考えなければなりません。
皆さんが成婚式を挙げたなら、
成婚式を挙げたその日が
皆さんの氏族を中心とした「父母の日」になるのです。




統一教会の最大の特徴は、
メシヤは、一人ではなく、真の父母である、
すなわち夫婦として来られたということであります。

ですから、お父様の最大の功績は
真のお母様を探し出され、勝利させたことなのです。

神様が陽陰の二性性相の中和的主体であられるので、
その実体である人間も男と女に生まれたのであり、
救世主、メシヤ、再臨主も真の父母として現れるのです。

徳野会長がミリンゴ大司教から
カトリックの実情を聞かれたことがあるそうです。

すると、神父の中にも、愛人をつくり、
隠し子を産んでいる人もいるし、
同性愛者の神父もいるということでした。

性に対してはしっかりと守っている神父も
ほとんどの方がそうだとは思うのですが、
家庭の問題を相談されても
ご自身が家庭を持っていないので、
本当に解答を与えることができるでしょうか。

真の父母を与えられているがゆえに
私たちも足りないながら、
真の父母にいたる道を示されているということが
どれほどありがたいか知れません。。。

そんな感謝の思いを持ちながら、
今日の記念すべき一日を過ごさせていただきました。

※ 今日は時間の都合で、ハワイ報告の記事を書く事ができませんでした。
申し訳有りませんが、明日以降掲載いたします。



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2014年03月30日

お母様がいないと空っぽ、母の存在感! 《ハワイでのみ言》 


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先日、真のお母様が日本の責任者を集め、
ハワイで特別研修会を行ないました。
そこで語られた、真のお母様のみ言を紹介します。



『真の父母経』を読んだ人はいますか? 
いないでしょう? 
初めて聞いたでしょう?

皆さんは重要な立場に立っているわけですが、
(そこには)責任が伴うということを知らなければなりません。

真の父母様の歴史だけを見ても50年がたちました。
半世紀の時が流れたという話なのですが、
現在の私たち、皆さんの能力が、
天が準備された人(と同じ能力)であったならば、
天が抱くことができる世界がどれほど広がっていったのか
ということを考えなければならず、
反省しなければならない立場なのです。

肉身を持って、真の父母様に出会った皆さんが、
どれほど、到底言い尽くせないほどの
(価値のある)祝福を受けた立場に立ち、
栄光の立場に立っているのかということを、
毎日実感しながら暮らさなければなりません。

ところで、真の父母様は、
全世界、全人類の真の父母であるにも関わらず、
いまだに真の父母様を知らない子女たちが
世界の至る所にいるということは、
先に導かれた子女たちが
責任を果たせなかったからではないですか? 
どうですか?

恥ずかしい皆さんとなってはならないという話なのです。
天は私たちに全てのものを見せてくださり、
祝福してくださったのです。

ですから皆さんは、どのような方法で、
どのような姿で、残りの人生において天の前に
栄光をお返しすることができるかを、
寸暇を惜しみながら考え、実践していくべきです。

それが、皆さんの立場です。
今、この時が重要です。

私たちは霊界を知っている人たちでしょう? 
肉身を持ったこの体には限界があるのです。

私たちは真のお父様を先に霊界に送るようになりました。
私たちはいつも真のお父様が共に役事なさり、
私たちと共にいらっしゃるということを知っていますが、
皆さんはこの地上で暮らしているこの瞬間がどれだけ重要で、
どれだけ貴い時間であるかということを
痛感しながら暮らさなければなりません。
 
私まで霊界に行くようになったとすれば、どうなるでしょうか。
(現在の)皆さんが収めた勝利とその業績を、
(地上の真のお母様を通して)霊肉界を実感することのできる立場で、
感謝して、
称賛してさしあげることのできる立場を考えてみてください。
 
私がいる時といない時とでは、違うことでしょう。
私が韓国にいなければ、
韓国が空っぽになったと皆が言います。
空き家みたいだと言うのです。
私がここ(ハワイ)を発って韓国に行けば、
米国の食口たちもまた同じような気持ちを抱きます。
 
これは何を意味するのか、
私が皆さんに説明しなくてもよく分かるでしょう? 
私が(地上で)生きている間に
責任を果たしなさいという話なのです。
父母様と共に呼吸しながら暮らしたこの貴い時間が、
私たちの子孫や、さらにさかのぼって先祖たちの前で
皆さんが称賛を受け、
誇らしい皆さんの人生だったということを
永久に語りうる事実となり、
それが現実になるのです。

このようなことを毎日実感して暮らしていけば、
一瞬一瞬がどれだけ貴く、どれだけ重要なのかということを
皆さんが知るようになるでしょう。
分かりましたか?(「はい」)

この貴い時間を、皆さんがどのようにうまく使い、
天の前に良い結果、栄光なる忠義の結果として
実を結ぶことができるかという、
皆さんの前に与えられた責任を
立派に果たしてくれるように願います。
(「はい」)
 
特にきょう、日本の幹部たちが大勢来たと聞いていますが、
皆さん全員がそのような覚悟を持っていますか?
(「はい」)
(現在)本当に貴い立場に立っていますが、
永遠なる世界において、皆さんが
貴い立場に立っていることは間違いありません。

私はときどき、このようなことを言います。
名門家になりなさい、と。
名門家となるのは、今この瞬間、この時しかありません。
皆さんが名門家の先祖になりなさいということなのです。
真の父母様と同時代を過ごした皆さんのほかに、
誰が名門家になりますか?

このようなとてつもない、
6000年間待ち望んできた一日なのです。

その立場に
皆さん全員を立たせてあげようとしているのですが、
結果は皆さんの責任(完遂)いかんにかかっているのです。
皆さん自身の責任があることを知らなければなりません。
誰かを恨むこともできません。
皆が、名門家の先祖の立場で、永遠に
天の前に忠誠を尽くす家門になってくれるよう願います。




貴いみ言を語られながら、
日本の責任者たちをこよなく愛していかれた真のお母様。
ツアーの内容は、明日掲載します。

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2014年03月29日

命を捨てること以上の愛はない(韓流ドラマより)?! 「愛の刀で苦悩を断ち切る2」 《浅川先生講演会》


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愛の前に自分の命を投げ出していくのが
父母の心であり、真の愛です。




昨日の続きです。

「愛の刀で苦悩を断ち切る」
浅川先生はこのお父様のみ言を
韓国ドラマを通して表現されています。


韓国ドラマに「ピアノ」という題名のドラマがあります。
この主人公はヤクザです。
ヤクザと言っても、同じヤクザから嫌われるような
本当に卑しい男でした。

教養ある女性がいました。
彼女の夫は高級官僚であり、
裕福で幸せな生活をしていました。
ところが夫が突然、事故死してしまいます。
生活するために彼女は、
昔習っていたピアノの先生になりました。

そのヤクザの男と、ピアノの女性は、
相思相愛になり、結婚することになりました。
このような展開は、まぁ、これもドラマならではと言えますが(笑)。

彼女と事故死した元夫との間には、子供がいました。
息子は、お母さんが何でヤクザの男と結婚したのか、
本当に理解できず、また赦すことが出来ませんでした。
男を恨みました。
男のことを「お父さん」と呼ぶことができませんでした。

そして、今度は
ピアノの女性がボートの転覆事故で
水死してしまいます。
ヤクザの男は本当に衝撃を受けました。
ヤクザから足を洗い、まともな人間になろうと思いました。

女性は、遺言を残していました。
「息子を愛してください」と。
しかし、息子は、男を赦すことができません。
挙句の果てには、「水死させたのは、男のせいだ」
そこまで思うほどでした。

男は、息子を愛そうと努力しました。
しかし、会おうとすると断られ、
話そうとしても「馬鹿野郎」と怒鳴られました。

男は限界を感じました。
歩いているとあるところに家があり、
ピアノの音がしました。
音のするほうに導かれていくと、
妻だった女性の好きな曲が流れていました。
ピアノを弾いていた女性に、
自分の抱えている悩みを打ち明けました。
彼女は、「イエス様に相談したらいい」
そのようにアドバイスしました。

男はこの女性に言われたとおり、礼拝に参加しました。
そのとき牧師が言っていた、
「その友のために生命を捨てること
それ以上の愛はない」

その言葉に胸を打たれました。

「俺が息子にしていたのは、本物の愛ではなかった。
だから彼を傷つけてしまったんだ」
男は息子に向かっていきます。
相変わらず暴言を吐かれますが、
男はどんな風にされても、何の感情も湧きませんでした。

その後、(なぜか)息子も同じようにヤクザになってしまいます。
ある日、ヤクザ同士の抗争がありました。
息子は、そこに巻き込まれ、生命が狙われます。
敵対グループの銃が彼に向けられ
弾が放たれる瞬間、男は自然と彼の目の前に立ちはだかりました。
銃が撃たれ、彼に命中し、彼は死にました。

息子は今まで自分のことを親として、
本当に愛してくれていたことに気づきました。
そして、「お父さん、ありがとう」と叫びました。

息子は、お父さんが開眼するきっかけになったという
ピアノを弾いていた女性の家を訪ねてみました。
しかし、そこに行くと誰もいませんでした。
空き家になっていたのです。
そのヤクザをしていた男性に現れたピアノの女性は、
かつて男を愛した女性、すなわちお母さんの幻だったのです。



このドラマを見たことはありませんが、
浅川先生の解説を聞いて、
主人公の姿とお父様の姿が重なりました。

究極の愛が真の愛であり、
自分の一番大事なものを捧げること
すなわち、生命をも捧げる愛である、
その姿をお父様は身をもって示してくださいました。

イエス様は愛する友のために命を捧げましたが、
お父様は愛する子供のために命を捧げていかれました。
お父様の真の愛に心から感謝いたします。



真の愛とは、
自分の命までも捨てることができるものです。
そこにはいかなる計算もありません。
母鳥が命を捨ててでも雛を守ろうとするその心は、
真の愛そのものです。
父母はいくらつらくても愛の道を行きます。
愛の前に自分の命を投げ出していくのが
父母の心であり、真の愛です。


           (平和を愛する世界人として・219ページ)


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