2014年11月27日

(証し)Dreams come true! 「お父様の夢を見たい」と激しく願ったら…?! 



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『いい夢を見させてください!』
そう思って眠りにつかれる方も多いかと思います。

実は、昨日、私もそんな思いをもって休みましたが、
気がついたら朝でした(笑)

私のような方もおられると思いますし、
普段、忙しくて、休む時間もなく、
『夢の中でも仕事をしていた』という方もおられるかもしれませんね。

私たちにとって『一番嬉しい夢』
それは、やはり真の父母様の夢です。

もう30年近く前になるでしょうか。
み言に出会い、新生トレーニングに参加していた時に、
6000双祝福家庭の先輩から聞いた
真のお父様の夢の証しです。
ずいぶん昔のことなので、うろ覚えですが、
思い出しながら、お伝えしたいと思います。


私が教会に入教し、共同生活をしながら、み旨を歩んでいた時のこと。
みんな復活して歩んでいるので、お父様の夢をよく見ていました。
その夢の証を聞けば羨ましくて仕方がありません。

しかし、なぜか私だけ見ることが出来ませんでした。
見たいみたいと何度祈っても見ることが出来なかったので、
相当悩んだあげく、責任者に相談してみました。

そうすると、責任者から、次のように言われました。
「1週間、一食断食をして寝る前に祈ってみなさい」
私はその通りに条件を立てました。

「アベルに言われたんだから、必ず見れる」
そんな楽しみな思いを持って1週間過ごしました。

そして、迎えた7日目の夜。
「今日こそは、見れる!」と祈って、休みました。

そして、次の日の朝、
目を覚ました時に、がっくりきました。
そうです。
夢を見ることが出来なかったのです。。。

その日は、一日中基準を下げました。
「自分は神様から愛されていないのではないか」
というほど、落ち込んだのでした。

ところがあきらめていた次の日、
すなわち、8日目にお父様の夢を見たのです!

それがとても不思議な夢でした。

私は幼少の頃、だれも教えたことがない、
秘密の場所をもっていました。
そして、自分の大事な宝物をそこに隠していました。

お父様は私の実家にやってこられました。
そして、私の手をつないでくださいました。
「一緒に行こう」とお父様に引かれながら行く場所が、
皆さん、どこだったと思いますか?
誰にも教えたことがなかった秘密の場所だったのです。

数年後、私は祝福を受けさせていただいたのですが、
その時に、お父様と1対1の出会いがありました。
お父様は「先生と秘密の場所に行った夢を見たでしょう?」
と話されたのです。

お父様は、「私のことをすべてご存知なんだ!」
本当に感動しました。



その先輩は、証しの最後で
「お父様の夢を見ても、見なかったとしても、そんなことは問題ありません。
なぜかというなら、お父様は私のすべてを知っておられるからです」
と話されたことも覚えています。

詳しいことはわかりませんが、
一宗教団体の教祖の夢をこれだけ見るというのは、
統一教会くらいしかないのではないでしょうか。。。

一度もお父様に会ったことがない人も、
夢でならお父様に会う機会も、今後も全ての人に等しくある
ということにもなります。
今夜も、どこかの愛する兄弟姉妹の下に
必ずお父様が夢に現れることでしょう。

諦めない人は、夢を必ず叶えることができます。

そして、夢を見ても見なくても
「お父様は私のすべてを知っておられる」
そんな心情をもって、今日も歩んでいきたいと思います。


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posted by ten1ko2 at 10:45 | Comment(1) | TrackBack(0) | 夢の証し ご父母様の夢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月26日

お父様の初公判! 法廷で祈る食口たち、罵る元信徒、嘲る人たち…?! 〈草創期の教会〉



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統一教会の草創期の内容を
「受難と源流」から紹介していますが、
意外と好評です。

今回は、『第四号法廷での初公判』を紹介します。

お父様が7月4日に拘束され、
4人の弟子と共に西大門刑務所に収監されますが、
その初公判の模様です。
写真はその時の様子です。



1955年9月20日、ソウル地方法院の第四号法廷で初公判が行われた。
そのため、文師一行は西大門刑務所から朝早くバスに乗って
地方裁判所にやってきた。
裁判がいつ始まるか分からないため、
鳩小屋といわれる狭い部屋で待機していなければならなかった。

文師が裁判所の法廷と控室を行き来するとき、
統一教会の信者たちは通路の両側に立ち、
敬虔かつ沈痛な面持ちで頭(こうべ)を垂れた。

それを見ていた靴磨きの少年は、
「たぶんどこかの国王が捕まって来たのだろう」
と語り、このような待遇を受けることができるなら、
その少年も囚人になってみたいとも言ったといわれる。

公判中、この事件を担当した金思萬(キム シマン)弁護士は、
終始一貫して文師と劉孝元氏を「文先生」、「劉先生」という敬称で呼んだ。
同弁護士の弁論は、論調が整然として表現が絶妙であった。
彼の答弁の一部をここで簡単に紹介しよう。

「本弁護人の見るところ、文先生はとても純真でいらっしゃいます。
初めからある米国の青年でも一人連れて、
『この人がこのような偉大な原理を発見した』
と言っていたら何事もなかったでしょう。
それをありのまま『私が原理を解明した』と言ったのです。
国産品であれば軽視し排斥する社会風土の中で、
どうして反対されずに順調に大きくなっていけるのでしょうか?」

時には、ある弁護士の弁論があまりにも現実味に欠けていたことがあった。
それを聞いていた劉孝元氏は、被告席でいらだちを抑えることができず、
弁護士に注文をつけようとした。
それを見た文師は、すぐに劉孝元氏の行為を思いとどまらせた。

法廷に入ることのできた信徒たちは、一部始終を聞きながら手を握り合って祈った。

9月21日付の「ソウル新聞」は、「女信徒たち法廷で祈祷」の小見出しで、
統一教会事件の初公判を伝えている。

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文師とともに被告として法廷に立った金元弼氏は、
「このときの文師の威容と固い信念にあふれた答弁が忘れられない」と語る。

この日の午後、再び開かれた公判で検事は次のように求刑した。
▼文鮮明 懲役二年
▼劉孝元 懲役二年
▼劉孝永 懲役一年六月
▼劉孝敏 懲役一年六月
▼金元弼 懲役一年六月

公判が終わった夕方、(文師一行は)再び護送車に乗り込んだ。
そのとき、文師はそこに来た教会員一人ひとりを見詰めていた。
車が動き始めると、信徒たちは泣き崩れた。
文師は翌日、面会に来た教会員に、昨日、顔を見せなかった信徒の安否を気遣った。

この公判の日、文師にとって生涯忘れることのできない出来事があった。
それはある婦人が、手錠をはめられた文師に近づいて、次のようにののしったのである。

「文さん、まだそんなことをしているの? まだ気がつかないの?」
このように嘲笑したのは、1940年代後半に
文師が平壌で伝道活動をしていたときに、同師に従ってきた女性だった。
この女性は、かつて文師が平壌で収監されたとき
「神の息子であり、神があなたを愛しているならば、なぜ監獄に入るのか?」
と言って、文師に不信を抱いた人物である。

公判の日、文師をののしった婦人の近くにいた朴奉愛(パク ポウエェ)女史は、
嘲笑したその女性の声を忘れることができなかったという。
彼女はその女性の言行に対して悔しく、
わき上がる憤りの心を抑えることができなかった。

文師にとって、生死をさまようような拷問も耐え難いことではあったが、
かつて共に神の道を歩んだ人から嘲笑・罵倒されることのほうが、
もっと耐え難くつらかったに違いない。



お父様は結局、次の月の10月4日に
無罪釈放されます。
拘束された時、また初公判の時は
あんなに書きたてた新聞は、
無罪については、ほんの小さな記事を掲載しただけでした。

皆様もご存知の聖歌13番『苦難と生命』は
この当時の様子を劉孝元先生が作詞されたものです。
(ただ、お父様を罵った婦人のことは、特別書かれてはいません。
「ののしるユダ人」とはありますが。)

昔ともに歩んだ人からの中傷・罵倒は
目撃した食口にも忘れられない内容でしたが、
神様もお父様も心を痛められたことでしょう。
後に、お父様がその女性に対して言及されたことがあったと
記憶しています。(そのみ言は探せなかったのですが)
その人のことも許し哀れんでおられました。

また、お父様は、自分が大変な立場でありながら、
それでも食口を心配されています。
これがまさに親の姿ではないでしょうか。

先生と弟子の関係ではなく、
愛する子供のことを心配する父ならば、
自分がこれから服役する立場にあることなど関係なく、
食口の行く末を心配され、声をかけられるのではないでしょうか。

そんなお父様が霊界で
私たちの姿を見つめておられることに感謝して、
さらにみ旨に励んでいきたいと思います。


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2014年11月25日

(証し)徳野会長の、お父様との最後の出会い! そして、お母様の時代に!



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お父様とお母様は
50年間、一緒に生活されたのですよ。
朝も夜も・・・
お父様を一番ご存知なのは、お母様です。
他の人に敵わないでしょう。



先日、徳野会長をお迎えしての集会がありました。
そのとき、真のお父様の聖和直前の様子を証ししてくださいました。
とても心に残ったので、紹介します。


お父様の聖和のころは、
私は東北大陸の大陸会長をしていました。
そして、霊界に行かれる前のお父様を
見させていただきました。
そのときのことは忘れることが出来ません。

2012年8月15日、朝方にお父様の夢を見ました。
お父様が一対一で、私だけにみ言を語ってくださるのです。
本当に特別な夢だったので、
「何かあるのかな・・・」
そんなことを考えていました。

そうすると、突然、世界宣教本部から電話がありました。
「お母様がお呼びです。
大至急、韓国にお越しください」
「何の会議ですか?」
「今は話すことができません。
とにかくお越しください」
「突然、来いというなら、何か、理由があるでしょう。
一体何ですか?」
押し問答が続きました。

私があまりにもしつこいので、
宣教本部のスタッフがこう言いました。
「お父さまが危篤です」

すぐさまお父様の元に駆けつけました。
しかし、すぐには、お父様にお会いすることはできず、
しばらく待機することになりました。

お父様にお会いしたのは、8月19日の朝だったと思います。
病院に入るとお母様がおられました。
そのときに話されたお母様の言葉をハッキリと覚えています。
「あなたたちに今のお父様の姿を見せることにしました。
ハッキリと目に焼け付けるようにしなさい。
そして、自分の目で見て、直接判断しなさい」

私は、思いました。
「最悪を覚悟しないといけない・・・」

そのあと、お母様はいろんなみ言を語られました。
しかし、私は、ショックというか、
気持ちが高ぶって、
ほとんどお母様が何を話されたのか覚えていません。

ただ、このみ言を語られたことは覚えています。
「中断は許されないのです」
この言葉に、お母様の覚悟を感じました。

大陸会長たちとともに、
お父さまがおられる病室に行きました。
私自身、お父様の休んでおられる姿、
ベッドにおられるお父様を拝見するのは、
このときが最初で、そして最後でした。

お父様のベッドの回りには、たくさんの機械がありました。
お父様の体には、13本の管がつながっていたのです。
体の穴という穴、それ以外にも、多くの管が差し込まれていました。

お父様の姿を見た瞬間、私は直感的に感じました。
「あぁ、これが地上のお父様との最後の出会いだ」と。

お父様のために、韓国の一番優秀な
最高の医療チームが編成されていました。
そのドクターに、話を聞きましたが、
「最善を尽くしましたが・・・」
その言葉しか出てきませんでした。

このときに私は、
「お母様を中心とした時代が始まるんだ」
そう思いました。

そして、お父様は9月3日
92歳の生涯を閉じました。

皆さん、お父様とお母様は
50年間、一緒に生活されたのですよ。
朝も夜も・・・
お父様を一番ご存知なのは、お母様です。
他の人に敵わないでしょう。

お母様も
「お父様とはいろんな秘密があるのですよ」
そう語られたこともあります。

50年、ともにおられた真のお母様
そのお母様と一つになること。
それがお父様と一つになる唯一の秘訣です。



「中断なき前進」
お父様の聖和式に語られたお母様でしたが、
すでにお父様がそのような状況のときに
覚悟されていました。
いや、実際には、もっと前に覚悟されていたのかも知れません。

お母様と一つになること、
「一心、一体、一念、一和」
今、私たちに願われていることだと思います。


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posted by ten1ko2 at 09:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする