2014年11月24日

父に会いたくて! 西大門刑務所、開所いらいの賑わい?! 〈草創期の教会〉 



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お母様が、「草創期の教会」に戻りなさいと言われます。
そこには、何があったのでしょうか。

武田吉郎著「受難と源流」、今回は、
「面会が信徒の唯一の喜び」というところを紹介します。

梨花女子大、延世大の事件後に巻き起こった
統一教会に対するひどいデマ、そして無実の罪で
お父様が西大門刑務所に収監されるという事態がおこりました。
その時、劉孝元(ユ・ヒョウウォン)先生、
金元弼(ウォンピル)先生など4人も一緒に収監されました。

教祖が刑務所に入り、残された食口たちは
どのようにしたのでしょうか。


文鮮明師にとって収監は五回目であったが、
統一教会の四人の弟子たちは刑務所生活が初めてだった。

彼らは今まで収監された人たちとは、さまざまな点で異なっていた。
普通、刑務所に入ると自分の人生を悲観して、
三、四日間、食事が喉を通らないことが多いという。

ところが、四人の統一教会員は収監された初日から、
出された食事は何一つ残さずに食べた。
時には、屈託なく笑い、平然としていたので、他の囚人から、
「あなたがたは、慣れているようですが前科何犯なのですか?」
と聞かれる始末である。

四人の中の一人、金元弼氏は優しい声をしていたので、
女性に変装しているスパイではないかと疑われたこともあった。
彼らは刑務所内でお互いに出会えば、二、三日ぶりでも懐かしくて、
思わず手を取り合って喜んだ。

世界基督教統一神霊協会の初代協会長だった劉孝元氏は、
収監前は毎日、寝食を忘れて講義をしていた。
そのため、体もやせ細っていた。
ところが、収監後は毎回出される食事を残さず食べ、
決められた時間に休むせいか以前よりも太ったほどであった。


西大門刑務所にいる囚人への面会は、
囚人一人につき一日一回で、三人以内に限られていた。
教会員たちは、文師に会おうと早朝から争って集まり、
西大門刑務所前は市場のようなにぎわいを見せた。

朝早く行って列に並ばなければ、
面会のチケットを得ることができなかったからである。
後に、混乱をなくすために面会する人の順番を決めるようにした。

同刑務所には、文師を含めて五人の統一教会の関連者が入っていたので、
一日合計十五人、面会場に行くことができた。
元来、収監されている人との面会場での握手は禁じられていた。
しかし、信徒たちは文師に会えばすぐに何度も握手を交わした。

やがて看守たちは、「握手をしないようにしてくれ」と頼み込むほどであった。
また、文師と面会に来た教会員が話をすれば、
そこにいる記録係の看守は面会記録をつける。

ところが、会話の内容は、“お父さん”(お父様)がどうのこうのという話であり、
一体全体、だれのお父さんについて言っているのか、
さらには話の内容も看守には理解できず、
結局はペンを置いて知らないふりをする以外になかった。

文師以外に面会するという手続きをして面会場に行った統一教会員は、
収監されている信徒に面会するのが真の目的ではない。
そのため、彼らとの面会時間が終わっても文師の姿を一目見ようと必死だった。

面会場は多くの人が行き来していたので、
人の中に紛れ込み文師との一瞬の出会いを待つ。
文師の姿を少しでも拝見してあいさつができれば、無上の喜びに変わった。
一方、文師は自分の苦難を忘れて面会に来た教会員を慰め、激励したのである。

文師が収監された三か月間、日曜日を除いて一日も欠かすことなく、
教会員は熱心に面会に通い続けた。
このように面会に来た人が多かったのは、
西大門刑務所が開所して初めてのことだった。


文師と再会した教会員は、新たな勇気と力を与えられただけではなく、
さまざまな指示も受けた。

(梨花女子大を)退学させられた学生の一人、鄭大和さんは、
文師と面会したときのようすを次のように回顧している。

「面会場で文先生にお会いしたとき、私に、
『英語の勉強をするように』と言われました。
私たちはそのとき、信仰の問題でそれどころではありませんでした。
退学させられた十四人の学生たちは地方の出身者が多く、
家族に連れ戻された人が多かったのです。

教会では慰めてくれる人もなく、
統一教会の示す道が正しい道かどうかも分からなくなるようなときでした。
このような状況の中でも、統一教会が世界的になることを見通されて、
英語を勉強するように文先生は私に指示されたのです」


世界基督教統一神霊協会が創立される2年前の1952年、
釜山で最初に伝道された姜賢實(カン・ヒョンシル)女史は、
文師に面会に行ったときのことを以下のように語っている。

「ある日、面会に行くと文先生は
『あの長老に会いなさい。あの教授にも会って話をしなさい』
とおっしゃるのです。

そのときは、新聞に統一教会のことがあまりにもひどく書かれているので、
恥ずかしくて顔を上げて歩くこともできないときでした。
それで、私は文先生に次のように申し上げたのです。

『今は絶対に伝道する状況ではありません』。
すると、文先生は『何が問題なのか。
真理であれば後には必ず勝利するようになっている。
真理でなければ途中で変わるが、真理は変わらないものである』
とおっしゃいました」


免職になった梨花女子大学校の崔元福教授は、
「手錠をはめられたままの文先生と面会するのですが、
いつも穏やかな表情で私たちを励ます余裕をもっていらっしゃいました。
でも、私たちに何か伝えるべきことがあれば、瞬間的に指示されるのです。
その示される内容は、凡人には考えもつかない知恵に富んでいました」
と、当時を述懐している。


政界で活躍した朴奉愛女史は、文師と面会した夜、夢を見ている。

文師のいらっしゃる監房のドアを開けて入ると、
同師は真っ白な服を着られ白いベッドに横になっておられた。
その横にイエス様が現れたという夢である。


1953年4月、統一教会に入信した李秀卿氏が面会に行ったとき、
文師は何度も次のような話をされた。

「われわれの戦いは無言の戦いだ。
弁明をするな。
黙って善なることをすれば、いつかは認められるようになる。
今われわれが『悪くない』と言っても、彼らはそのように考えない。
悔しいことを忍耐しながら行くのだ!」

困難な環境でも、文師が教会員に明るい表情をして慰めてくれた姿を、
李秀卿氏は今も忘れることができないという。


文師と教会員たちとの面会は、刑務所内で働く人々にも感動を与えた。
多くの信徒たちが毎日のように文師を訪ねて来て、
「先生、先生」と慕う、肉親の情を超えた美しい交流に心を打たれたのである。

面会場で立ち会った刑務官は、文師と劉孝元氏を
韓国最高の人格者であることを面会に来た人を前に証ししたほどであった。

なかには、文師と信徒たちがなぜ父母や兄弟以上に深い絆で結ばれているのかを、
どうしても理解できなかった人もいた。
そのため、その理由を探り出そうと、
面会に来た人に尋問するケースもあったほどである。


私たちは「食口」と呼び合いますが、
真の父母様と本当の家族であるような、
深い心情の絆、そして命懸けでみ旨に燃える熱い信仰が
草創期の教会には、あふれていたようです。

収監された劉先生たちが、食事を残さず食べ、
太ったほどだったというのは、
監獄生活のほうが楽なくらいだったということです。
その当時の教会での生活がとても貧しく、
いかに寝食を忘れる熱心ものだったかというのを
物語る話であると思います。

それにしても、当時の食口たちのお父様を慕う
思いには、心服します。
まるで親鳥を失ったひな鳥のような
状況になったのでしょう。
お父様の顔を一目見たい、一言声を聞きたい、
そんなたった一人の親を慕う心情だったでしょう。

真のお父様は無実の罪で投獄されましたが、
食口たちが面会に来る姿を通して、
刑務官は、「この人はただ者ではない」
そう思ったに違いありません。

その時にお父様が、面会に来た食口に語られたみ言は
今の時代の私たちの心も打つ貴重なみ言であったと思うのです。

「今われわれが『悪くない』と言っても、
彼らはそのように考えない。
悔しいことを忍耐しながら行くのだ!」

「真理であれば後には
必ず勝利するようになっている。
真理でなければ途中で変わるが、
真理は変わらないものである」

厳しい迫害の中でありながら、
伝道するように促されながら、
そのように語られました。

今もなお、統一教会は理解されていない状況ではありますが、
しかし、あの当時の迫害から考えると
あまりにも活動しやすい状況であると言えるのではないでしょうか。

だからこそ私たちは声を上げて
叫ばなければいけないと思います。
文鮮明先生ご夫妻は、
人類の救世主、メシヤ、真の父母様です、と。

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2014年11月23日

全員が伝道できる! 神様が共に成す「一対一伝道」と路傍伝道!



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20日・21日に行われた伝道研修会
実際のタイトルは
「第3回VISION2020勝利のための
一対一伝道研修会」です。
ですから、「一対一」伝道
すなわち、原理のみ言を一対一で訓読する
そのことを中心として取り組んでいくということです。

お父様はこのことを40年も前から
ずっと語られていたにも関わらず、
現場ではそのことを実践せずに
原理講義を中心として
講義が行われてきました。
もちろん、そういう講義を受けることで
み言が整理され、理解できることも多いと思います。

ただ、「講師」あるいは、システム教育となると
特定の講師しか育たず、
教育センターのスタッフのように、霊の親ではなく、
人を育てる特別なスタッフを配置しないといけませんでした。
しかし、「爆発的伝道」を考えると
一人ひとりがみ言を伝え、育てる必要があります。
それがまさに「一対一伝道」です。

それまでは、霊の親もスタッフとなるような
「霊の親の教育」が必要でしたが、
「一対一伝道」でみ言を訓読しながら
霊の親も伝道対象者も
共に成長し、教育されていくのです。
また、私たちの教会の路傍伝道を通して
伝道する婦人たちも、大きく成長してきています。
まさに神様が直接教育してくれるのでしょう。

お父様のみ言に(うろ覚えですが)
「子供を生むときは一人で生むのです」
とあります。
たとえ双子でも三つ子でも、
お母さんのお腹から出てくるときは、
二人一緒に出てくることはありません。
一人ずつ生まれてくるのです。
しかも、一人のお母さんが一人の子供を生みます。
そして、お母さんのお乳を飲んで育ちます。
この原点に再び帰るということなのだと思います。

さらに、もっと原点は、
私たちの教会における路傍伝道なのだと思います。

今回、参加した中で4つの教会が証しをしました。
そのうちの一つに新潟教区で450組の祝福式を行った証しがありました。
教区で430組を越えたことはすごいことですし、
全国の刺激になる内容だと思います。
本部のHPにも掲載されています。

そんな素晴らしい報告、証しの中
贔屓目(ひいきめ)もあるかも知れませんが、
小さな私たちの教会での伝道活動報告が
参加した方たちに衝撃を与えたと感じました。

韓国婦人会長が証ししたあとに
彼女の活動内容をDVDにして流しましたが、
実はこの映像は私の作ったものです(笑)
そのときは、無我夢中で作った「付け焼刃」のようなものですが、
それでも、証しを聞いた後に視聴すると
自分で作ったものであるにも関わらず感動したのです。

私は思いました。
うちの教会以上に熱心に活動し、
具体的な実績をあげているところはたくさんある、
それは素晴らしいことです。
そんな中、教会長・婦人代表・教会スタッフ、中心食口
みんなが一同に集まって、伝道の最前線に立って
歩んでいるところが他にどこにあるのか、
私たちの歩みに証しするものがあるとするならば、
まさにそのことなのではないだろうか・・・
神様と真の父母様もそのことを願われているのではないか・・・

実際、お母様は元老食口を集めて、
「あなたたちが最前線で
氏族メシヤの勝利に向かって走りなさい」
そのように叱咤激励されています。
その映像の中には、先日紹介した
李ヨハネ先生も含まれていました。
100歳近くになる先生に
「伝道しなさい」と語られているのです。

私たちの中に、李ヨハネ先生よりも
年上の人は誰もいないと思います。
私たちは祝福家庭として、
神様と真の父母様、さらには、生前の
真のお父様を知る者たちです。

不足で課題の多い私ではありますが、
生意気にも申し上げます。
今は全食口、とくに中心の位置にある人ほど
立ち上がるべき時なのではないでしょうか。


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2014年11月22日

〈統一教会秘話〉 一度座ったら離れられなくなる座布団の伝説?!



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真の子女の日、おめでとうございます!

2011年10月29日(天暦10月3日)
真の子女の日の記念式典で
み言を語られる真のお父様



昨日、研修会の閉講式で
(バン)伝道局長が伝道された時の証しをしてくださいました。
とても心に残ったので、
少しアレンジして紹介します。


私は、1980年に統一教会に伝道されました。
伝道される前は、キリスト教会に通っていました。
韓国ではクリスチャンが多いのは、ご存知ですよね?
牧師だけで5万人もいるんですよ。

その頃、私が通っている教会の牧師は、
全羅南道の会長様でした。
とても、素晴らしい方ですが、
日曜日の礼拝説教では、毎月1回、
必ず、真のお父様の悪口を言うのです。

お父様のことを呼び捨てにして、
「文鮮明は悪魔、サタンだ」
本当にたくさんの悪口を言います。 
そんなに悪い噂を聞いたのに、統一教会に来たんです。

私は、統一教会みたいに悪いところが
何で、成長しているのかな?
少し疑問があったのです。

実は、大学のクラスメートが食口(統一教会人)でした。
しかし彼は、証しできなかったんですね。
統一教会の「と」も話せませんでした。

ある日、その友達の家に遊びに行ったのです。
すると彼の部屋の本棚に、お父様のマルスム(み言)選集が
一冊だけ入っていたのを見つけました。

「あい、お前、統一教会じゃないのか?」
「いや違うよ」
「統一教会の文鮮明は、悪魔、サタンなんだよ」
その時、そんなやり取りをしました。

それから、何の音沙汰もありませんでした。
ところが、半年たって、その友達から連絡があり、
私の家に遊びに来たのです。

しかし、彼は何も話しませんでした。
そして、時間が経ってようやく話し始めました。
「実は、僕は統一教会人なのです」

私は「お前は、悪魔の子供だ! 帰れ!!」
彼の顔につばをかけました。

皆様、韓国のキリスト教会の牧師様は真の父母様以上です。
どういう意味か分かりますか?
牧師様が話すことは全て正しいのです。
何を言われても信じるのです。
だから、彼は「悪魔の子」なわけです。
私は、彼のいうことを全く受け付けませんでした。

しかし、彼は怯まなかったのです。
「文鮮明先生は、キリスト教の牧師が言うような悪い人物ではありません。
文先生は本当に偉大な人物です。」
彼は、泣きながら真のお父様を証しました。

そして、こういいました。
「噂ではなく、自分の目と耳で確かめるために
修練会に行ってください」
2時間、3時間話し続けました。
返事しないと帰らない雰囲気でした。
私は根負けして
「わかった、そんなに言うなら
1週間の修練会に行くことにするよ。
でも一つお願いがあるんだ、
座布団には絶対座らないからな」

というのは、牧師先生が、かつて言っていたのです。
「統一教会には座布団があります。
私の協会でも、長老が統一教会に行ってしまいました。
長老様は統一教会の座布団に座ってしまったのです。
その座布団は、一度座ったら、立ち上がることができないので、
二度と戻ってくることができないのです」
そう聞いていたので、
「座布団には、絶対に座らない」
といったわけです。

彼はこう答えました。
「座布団ですか?
そんなのはありませんよ」
でも、私はこう言ったのです。
「でも、怖いから、友達連れて行ってもいいか?」
「いいですよ」
それで、二人連れていきました。
皆さん、私は統一教会に入る前に、
この二人を伝道したのです(拍手)。

友達二人を連れて修練会に行きました。
そして、椅子をよーく見たんですね。
座布団が置いてあるかどうか確かめました(笑)
表にはなかったので、椅子の下を覗き込んで、
裏に貼り付けてあるか確かめましたが、やっぱりありませんでした(笑)

それで、統一原理を学んだわけです。
その当時は、基督教会においては、聖書の解釈は、
聖書の文字通り信じるように教えられていました。
だからサタンの正体は蛇だと聖書に書いてあるので、
蛇は悪い生き物だと思って、蛇を退治するため、
山に捕まえにいったくらいでしたから・・・

統一原理は、聞けば聞くほど素晴らしいものでした。
聖書の解釈も本当に明確に説明されていました。
一日経って、夜寝る時に興奮した気持ちでした。
「本当に凄い内容だ。
でも、明日座布団に座らされるかもしれない。
気をつけないと。
統一教会は、そういう風にいい気分にして騙すんだ」

そして、二日目が過ぎ、そのまま聞いていきました。
講義が最後の方になります。
再臨論の講義になり、「再臨のメシヤは文先生です」
そういわれたとき、頭がカーッとなりました。

6日間は、原理だったから素直に聞きましたが、
「今まで悪魔だといわれていた人がメシヤなんて!」
本当にビックリしました。
しかし、論理的に否定できないわけです。

私は講義のあとに、本音で祈りました。
今もそのときのことを忘れません。
本当に本心で真剣に祈ったのです。

「今まで悪魔だと聞いていた文鮮明先生は再臨主だったんですか?」
神様に訪ねてみました。
「本当にこの人なのですか?」
あまりの衝撃で立ち上がる力がありませんでした。

その時に悟ったのです。
これが座布団だと思いました。
統一教会には座布団があったのです。
それは「真の愛の座布団」です。
だから、離れることができないのです。

私は、このことを悟って、
それで、キリスト教会を辞めて、統一教会に入教したのです。



梨花女子大事件に関しては
何度か書いたことがありますが、
ミイラ取りがミイラになった教授たちの姿を見ても、
本当に、「真の愛の座布団」があると思わされます。

もちろん、課題も当然あります。
「原理はこのように素晴らしいです。
でも、私たちは見ないでくださいね。。。」
すなわち、私たちが真の愛の実体にならない限り、
本当の意味で「真の愛の教会」とは名ばかりになるでしょう。
実体が伴うように、まさに真の父母様が歩まれた道、
それを相続しながら、多くの人たちを
「真の愛の座布団」によって、ひきつけていきたいと思います。


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