2014年11月11日

後藤さん、12年監禁の後遺症とは?! 『財界にっぽん』に掲載されたインタビューより



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拉致監禁撲滅のために、有識者の中でも特別に支援してくださっている方の一人に、
室生(むろう)忠氏がおられます。

少し前になりますが、月刊誌『財界にっぽん』8月号において、
後籐徹さんへのインタビューが掲載されました。
裁判に対してなど、後藤さんの率直な思いが
そのまま伝わってくる興味深い内容になっています。

そのインタビューが、室生氏のブログに掲載されていましたので、
その中より、不当な12年5ヵ月もの監禁生活から解放され6年たって、
今もなお、後遺症として残ること、
「後藤さんのPTSD」について書かれている部分を抜粋します。
  PTSD=(心的外傷後ストレス障害



室生 ところで話は変わりますが、長過ぎる「監禁」から解放されて既に6年余り。
 その間、2008年には国際合同結婚式を挙げられて、
 長女さんも誕生されました。家庭生活は順調ですか。

後藤 …そうですねえ…(黙考しつつ言葉を探しながら)…それが…、
 妻との会話中に、普通のコミュニケーションが
 取れなくなってしまうことがあるんです。
 そのために妻を困惑させることが時々あって、私自身も困っています。

室生 それは困りましたね。

後藤 当初は、原因がよく分からなかったのですが…、
 やはり長い監禁生活の後遺症があるようです。

室生 具体的には?

後藤 …そうですねえ…まあ…なんと言えばいいか…、
 何か聞かれて、ストレートにスパッと答えることができないようなのです。
 婉曲というか…複雑というか…、何か頼むときも一言ですむところを
 二段三段と回り回って、結局、あなたは何が言いたいの? と…。
 何でそんなに面倒くさい言い方をするのよ、と。
 監禁される前には全くなかった現象です。

室生 それは些細な日常的な会話でもですか?

後藤 そうなんです。
 何かものを頼むときや、ちょっとした日常的会話でストレートに話をできなくて。
 「この人、何で普通に話せないの。大丈夫かしら」
 と妻を心配させてしまうほどで…。
 困ったことです(苦笑)

室生 で、それは長期『監禁』の後遺症だと?

後藤 ええ、自分はなぜこうなんだろうと考えたとき、やはり…。
 12年間、私の周囲にいたのは、宮村や兄妹をはじめ、
 一日も早く脱会して欲しいと強烈に思っている人たちで、
 対話の中で私の言葉をとらえて否定した上で
 信仰を棄てさせようとする人間ばかりだったわけです。
 その間の苦しみは、表現できないほどでしたから…。
 その結果、相手が自分の言葉をどう受け止めるのか、
 どう思うのかに過剰なまでに気を遣い、
 伝えるべきことをストレートに表現できない精神構造が
 (私の)身についてしまったのではないか…。
 それが、最も身近な妻との会話に特に出てしまっているという感じなのです。

室生 なるほど…。それはいつ頃からですか。

後藤 後遺症だと気づくようになったのは、1年前くらいからです。

室生 そのような現象は結婚当初からですか。

後藤 自分では気づかなかっただけで、最初からそうだったんだと思います。
 妻も変だと思いつつ妊娠、出産、子育てでそれどころではなかったようです。
 それが結婚して約5年、子育ても落ち着いてきて、やはりこれは変だぞと…。

室生 成熟した家庭生活のなかで、夫に最も近い存在である妻が、
 愛する夫とのストレートなコミュニケーションを切望している。
 それが分かっていながら、応えられないというのは辛いことですね。

後藤 ええ…。監禁前はこんなことは無かったのですが…。

室生 監禁生活や信仰について奥さんと話すことはありますか。

後藤 信仰について話すことはあります。
 しかし、監禁については、最初に会ったときに全てを話してからは、
 その後殆ど触れませんし、妻も特に聞きません。
 ただ、裁判の書面作成を手伝ってもらったりしているので、
 私の体験については、かなり詳しく知っていると思います。
 妻は、私の解放直後の(痩せ細った)あの写真は、未だ直視できません。

室生 そうでしょうね…。
 過酷すぎる体験そのものの映像ですからね。
 その他、PTSDにつながるトラウマを感じることはありますか。

後藤 何かの機会に、複数人のドタドタという足音が
 迫ってくるように聞こえるときですね。
 憂鬱な何ともいえないイヤ〜な気分に襲われます。
 松永牧師や宮村はよく5〜6人の元信者を従えて監禁部屋にやってきては、
 棄教を強要するわけです。
 監禁中に玄関から、複数の足音が近づいてくると
 「また、あの精神的リンチのような詰問が始まる」と。
 それが、毎日毎日繰り返されるわけです。物凄い不快感というか、
 絶望感というか…。「ああ、また今日もアレが始まるんだな」と…。

室生 今でもですか?

後藤 今でもです。
 それから、用事があって新宿から中央線に乗って
 監禁されていた荻窪に近づくだけで未だにイヤ〜な気分に襲われます。
 拉致された実家のある保谷駅を通る西武池袋線も同じです。
 あの電車に乗ると、それはもう、イヤ〜な気分に襲われます。
 両親は亡くなって保谷にはもういませんが、兄夫婦や妹は住んでいます。
 彼らに会う可能性が少しでもある場所、
 エリアに入るとそれだけで緊張してしまうのです。

室生 PTSDは思い出すだけでフラッシュバックを起こす可能性があります。
 そのため、カウンセラーにも相談できない被害者が多い。
 話すということは、当時を思い出すということですからね。


後藤徹さんは私たちの目から見ると
物凄く、意志と信仰の強い兄弟であると思っていました。

しかし、12年5ヶ月という気が遠くなるような期間、
拉致監禁され、さらには、食事制裁を受け、
脱会屋、牧師、親族から精神的な攻撃を受けたことが
一つのPTSDのような形になっていることがわかります。

いや、逆に言うと、信仰の強い、彼だったからこそ、
長い期間をこれだけの後遺症だけで、耐え抜くことができた、
そのように表現してもいいのかも知れません。

私は、数ヶ月の監禁が2回だったのですが、
もし、その後、様々な人から愛を受けなければ、
PTSDになっていたかも知れません。
実際に後遺症は多少なりともあったのですから。。。

数百名の同志が同じような拉致監禁を受けました。
今もなお、重いPTSDで悩まされている人もいると聞きます。
そういう人たちのことも考えて、
後藤さんは、裁判を通して、拉致監禁の撲滅を訴えています。

あさっての判決に最大限の関心を持ってくださることを
心からお祈りいたします。


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