2014年11月12日

〈夢の証し〉 神さまから2度否定されたお父様! 「誰もわかってくれない!」 愛減を越えて行く道



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明日の後藤裁判、判決に備えて、祈りながら休んだら
なんと、真のお父様が夢に現れました。
ほんの一瞬ではありましたが。。。

それは、お父様が神様に原理を差し出したとき、
「これこそが真理です!」と神様に言われたにも関わらず、
神様が受け入れなかった場面でした。

真のお父様は、真理を悟りみ旨を出発されるにあたり、
全霊界から否定を受け、最後は神様御自身からも2度否定され、
3度目に全面的な同意を得られたというのは、
皆様もご存知かと思います。

そんな夢をほんの一瞬見ながら、
いろんなことを悟らされました。


私たち拉致監禁を受けた人たちは、
今は違うかも知れませんが、当時は、
「あまり相手にされなかった」のではないでしょうか。

ある体験者の友人が、
「戦争中に兵士の人数が少なくて、
負傷兵を介護する余裕もない、
そんな状況だった気がする」
そんなことを話していたことがありました。
正直に言えば、そんなこともあったかも知れません。

さらには、これも友人の証言ですが、
だいたい、アベルから、家庭のこと、家系のことを聞かれ、
「あなたのところは蕩減が重いんだ・・・
まるでそう言わんとするように話を進めていく」
というのです。
まぁ、これも正直に告白すれば、
拉致監禁を受けた方たちには、
多かれ少なかれ同じような出来事があったでしょう。

極めつけは、「氏族の伝道をしていない」
という体験者自らの本心の叫びです。

反対派の人たちは、
「氏族メシヤをするようにと教祖が話しているから
そういう目的を持って、伝道するために(監禁)現場に留まっていたんだ」
とあまりにも馬鹿げた話をします。
監禁されて、全員が棄教させようと反対してくる中で、
どうして伝道できるのか、
まったく話にならないので、スルーしますが、
でも、もし伝道していれば、
親が牧師や弁護士に相談して、拉致監禁することもなかったわけです。

「(監禁を受ける前に)親族を伝道しなければならなかった・・・」
という無念な思い、後悔、
今さら簡単に伝道できないジレンマ・・・
これも体験者に共通する心理でしょう。

ですから、拉致監禁を受けた人たちは、
監禁中に多くの苦痛を受けるだけでなく、
監禁から解放されても、いろんな心情を通過するわけです。

「こんなこと、他の誰にもわかってくれない・・・」
そんな思いにさせられてしまうのです。

それでは、真のお父様はどうだったでしょうか。
生命をかけて、血と汗と涙をもって解かれた貴い真理のみ言、
これを神様に差し出したとき、
神様は拒絶されたというのです。
愛をうけるものから愛をうけられない苦痛、
これはどれほどのものか知れません。

しかし、真のお父様はあきらめませんでした。
3度目に「これしかありません」
そのように神様に差し出したとき、
神様は初めて受け入れてくださったのです。
そのときの神様とお父様は
涙を流して抱き合ったに違いありません。
そして、「どんなことがあっても
このみ言を万民に伝播する!」
そういうお父様の決意につながったのだと思います。

私たちは、誰しもが
「このことは私しかわからない、
誰もわかってくれない・・・」
そういうことを体験するのではないでしょうか。

「アベルがわかってくれない、
周りの人も誰もわかってくれない・・・
あの人がうらやましい、この人がうらやましい」
そう思ってしまうのです。
いや、「思ってしまう」というよりは、
「思わされてしまう」という表現のほうがいいかも知れません。

こういう試練は誰しもが通過します。
なぜかといえば、天使長ルーシェルが
「愛の減少感」を乗り越えることができなかったからです。

でも、真のお父様はそれ以上の試練、
神様からも否定される、という
極限の世界を乗り越えられました。

だから、私たちはそんな真のお父様に思いを馳せることで、
お父様とともに試練を超えることができるし、
真のお父様に近づくことができるのです。

「サランハムニダ・愛しています」
「カムサハムニダ・感謝します」
そんな思いをこめて、私たちを激励してくださる
真のお母様ご自身も同じような境地を乗り越えていかれたし、
また、今も最前線にたっておられるので、
そういう貴いみ言を与えてくださっているのを感じます。


拉致監禁体験者4300名の代表として、
先頭を切って戦っている後藤さんに感謝しつつ、
明日の一日を迎えていきたいと思います。


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