2014年12月28日

2015、日韓国交正常化50周年を前に、象徴的日韓既成家庭誕生?! 《私たちの教会の祝福式》



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私たちの教会では、祝福伝道に力を入れてきました。
教会長ご自身が私たちの教会に赴任される前から
祝福を受ける人たちが恩恵を受けて、
霊的に転換されることを実感されておられたので、
それを展開していかれたのです。

小さな教会ですが、この1年間で120組を突破しました。
小さな積み重ねが大きな勝利になりました。

そして、一つの節目のような祝福式が先日行われました。
その証しを紹介します。


そのご夫婦は、ご主人が日本人、
奥様が韓国人、すなわち日韓カップルです。

奥様は、クリスチャンであり、
韓国から出発した、あるキリスト教会に通い、
牧師の説教を日本語に通訳するくらい、
熱心に教会に通っていた方です。

あるきっかけで、このご夫婦は、
会社を経営している
韓国人食口のところに勤めるようになりました。

その食口は、社員にも、
また取引先にも堂々と
『私は統一教会の信仰を持っています』
そのように証しをする方です。

それで、社長はその奥様に原理講論を渡しました。
彼女はとても熱心に読みました。
「言いたいことはだいたいわかりました」
でも、文先生を再臨のメシヤとして、
受け入れることはどうしても出来なかったようです。

それでも、年に何回か、教会長が行っている
新しい方向けの礼拝に参加していかれました。
教会の食口たちには、いい印象を持っていかれたようです。

また、ご主人の方は、
信仰とは無縁の方でした。
礼拝も奥様に連れられて、ようやく参加され、
あまり心も開いておられない感じでした。

何度か祝福の話も話題には上がっていましたが、
決意するまでには至りませんでしたが
教会長にご夫婦で『祝福の意義と価値』の
講義を受ける機会がありました。

そこで、この婦人は完璧に転換されました。
原理講論では、ある程度の内容はわかっていたけれど、
生の講義を聴いて、特に堕落論の内容に
とても相対したそうです。

「キリスト教で言われている罪の原因よりも
原理では、明確に罪の根に対して、説明されている、
これは本当に素晴らしい」
感動されました。

そして、ご主人を説得し、受け入れてくださいました。
ご主人自体も環境の変化があって、
信仰を持つことを決意していかれたそうです。

祝福式当日。
奥様は最初から最後まで涙でした。
そして、ご主人は本当に緊張した面持ちでしたが、
「何でか、涙が出るんだよ」と言われるように、
人前で涙を流したことがほとんどない方なのに、
この日は、終始涙を流されていました。

教会長は、「神様が喜んでおられんですね」と言われていましたが、
ご先祖も共にとても喜ばれているのを私たちも感じました。

そして、式が終わり、午餐会をしました。
そのとき、彼女は初めて
「チャンプモニム(真の御父母様)」と話されたのです。
真のお父様をイエス様の再臨主として受け入れた瞬間でした。



来年は、日韓国交正常化50周年という記念すべき年です。
こういう時を前にして、
日本の男性と韓国の女性の既婚祝福家庭が誕生しました。

最後は「サランへ(愛しています)」を
皆で歌い、祝賀会も終始涙と笑顔でした。
聖霊に満たされ、御父母様が共におられるような
まさに神様もとても喜ばれているな、
そんなことを感じるひとときでした。


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2014年12月27日

(証)7年間祝福を受け入れなかった婦人が、霊界の御主人の後押しで…!



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他教会の祝福の証です。

7年間、教会にいながらも祝福を受け入れなかった婦人が
霊界におられるご主人の協助の元、
祝福を受けたという証を紹介します。
(一部編集しています)


今回の祝福式の参加のお話をいただいた時は
人形のように心が動かずにいました。
結婚後いろいろありましたから、
もう一度結婚式をするなんて考えられませんでした。
さらに祝福結婚、祝福式参加は
とんでもないことだと思ってその気にはなれませんでした。

主人は数年前ガンで亡くなりましたが、私は付きっきりで自宅看病しましたので、
「自分には、やり残したことは何もない」
と教会スタッフの方に言い切っていました。

そう言いながらも、何だかわからないけれども、
「私は何かやり残したことが一つある」
と本心が語りかけてくるように感じ、
いつも何だろうと思いながらいました。
それが今回の祝福結婚だと気付くまで1か月かかりました。

あるとき私の担当の方から、
「ご主人から、何か霊界からのメッセージはありませんか」
と聞かれました。
実は、毎夜、同じ時間になると家には私しかいないのに
物音がコトコトと毎日続き、
急に電話が鳴ったりしていることをお伝えしました。
私が祝福を受けるまで心配して
主人が来ていてくれていたと今は思います。

本心が伝える「やり残したこと」を理解し、
「主人が霊界でそれを望んでいるのならば、それを為し遂げてあげたい」
という思いになるには充分な現象でした。
その後、コトコトの音や電話の音がしなくなったのは、
私が祝福式に参加した夜からでしたので、
まぎれもなく、やはり、主人が祝福を受けることができたことで、
過去を許された喜びと安心からであると実感することができました。

そして主人に導かれての祝福式の式典への参加となりました。
聖酒式には案の定、私の前に、ボワーっと人の形が見え、
確かに主人の姿に見えました。
私の心臓がドキドキして、感動で鳥肌が立ちました。
主人の姿が目の前に、モワーッと見えました。

そして、私の付き添いの方から、
「誰かにひざを2回叩たかれた感触があるので、
もしかしてご主人は2回ひざをたたく癖がありましたか」
と尋ねられました。
私は、「主人は『頼むね!』という時には
誰にでもひざを2回たたく癖があるのよ」と話し、
余りのリアルさに2人とも涙目になりました。

「パパ喜んで!私は自分の為だったら心が動かないけど貴方の為だったり、
子供たちの為だったらと、今回、決意しましたよ。
それでよかったでしょう!」
というと私の胸がスーッと晴れていく体験をしました。

午餐会の時、丁度テーブル席の私の隣が教会長さんでした。
教会長さんに「今日は主人が一番喜んでいると思います」
とご報告申し上げたところ、
「清平できちんと霊肉祝福を成立させるといいですね」と言われました。
すぐにはできなくても、主人がまた私の背中を押してくださるでしょうから、
行ける時が来たら行けるでしょうと主人にお願いしました。

この教会にご縁をいただいて7年ですが、
教会長さんやたくさんの方々にお世話になり、
祝福をいただいたことを神様と真の父母様に感謝します。


この婦人の周囲で起こった出来事は
本当にご主人でなければ、ありえないことばかりだと思います。
ご主人の協助によって成された祝福であるに違いありません。

私たちが行う祝福式においても、
すでに配偶者が他界された独身祝福を行うときが多いのですが、
祝福を受けたあとに、亡くなったご主人、あるいは奥様を
より近く実感される方が多いです。

ちなみに、以前、『教育部長の講義日記』ブログの教育部長さんが、
「聖和者のための10か条」と題して、記事を書かれたことがありました。
それを拝借し、うちの教会のメンバーにも紹介しているのですが、
皆様にも紹介します。
どうぞ参考にしてみてください。

@ 朝起きたら「お早う」と挨拶し、
   夜寝る前に「今日1日ありがとう。お休み」と挨拶する。
A 食事を供えて一緒に食べる。
B 手帳に写真を入れる。
C よく着ていた服を掛けておく。
D 一緒にお風呂に入る。
E 困ったとき、声に出して相談する。
F 家族で誕生日、聖和日を祝う。
G 花見や散歩をして、良い景色を見せる。
H 交換日記をつける。
I 好きだったことを一緒にする。



亡くなった方に会いたい時は、名前を3回呼ぶと、目の前に現れるそうです。
このような霊界に関してのお話は、また詳しく御紹介しようと思います。


地上と霊界が本当に近くなってきたと感じます。


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2014年12月26日

(証し) 霊界の夫から励まされ、8家庭を祝福に! 



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『スイッチオン!』
この叫び声から
私たちの教会の
『日本一元気な出発式』
は始まります



本部のHPに以下の記事が掲載されています。


この中に、うちの教会に所属している婦人のことが紹介されています。

「寒い日だったが、霊界の夫から励まされて街頭で伝道していたところ、
霊現象に苦しんでいた方と出会い、
のちに祝福(結婚)に導くことができた。
聖和者は伝道を願っている」


私たちの教会では、教会長を中心に、
この1年間、路傍伝道と祝福伝道を行ってきました。

私たちの教会の出発式は、『日本一元気な出発式』
と呼んでいますが、実は私が命名しました。
いつも親指を立てて『スイッチオン!』と叫んで、
気合を入れるところから始まります。
そして、タスキをかけ、ノボリを立てて、
路傍演説をしながらの伝道活動。。。

この婦人は今年1年間で8組の祝福を授けました。
その懇談会でも、この証しにはみんな目を丸くしたといいます。
さらには、そこに参加された方の中で、
一番強烈に衝撃を受けていたのが、
古くから歩んでいる先輩でした。

伝道活動の様子を聞き、
昔歩んでいた時のことを思い出されて、
「私も頑張らなくちゃいけないわね・・・」
そのように言われていたそうです。

私たちは、この1年、本当に訓練されました。
「ビフォー・アフター」ではありませんが、
1年前と1年後では、見違えるように変わりました。
教会長を通して、また何よりも
最前線で訓練されていきました。

多くの方々が私たちの活動に耳を傾けてくださり、
北海道から沖縄まで、同じように
路傍伝道をしている多くの教会があります。
神様がどれほど喜んでおられるでしょうか。

もっともっと頑張りたいと思います。

ある婦人は、涙ながらに証ししていました。

「自分は因縁を持った人、また以前教会を証して
離れていった人に対して、みんなに祝福を授けるようにします。
断られても、『もう来るな』といわれるまで、訪問します。
それが神様の願いだから・・・
いつか霊界でお会いするお父様の前で、
『お前、よくやったね』そう言われるように頑張ります」


最前線で歩めることを心から感謝しながら、
これからも頑張っていきたいと思います。



(お父様のみ言)

誰がまず涙を流さないといけないか。
もらう人が涙を流すのではなくて、
与える人が涙を流さないといけません。
それが父母の立場です。
だから、与える人が涙を流しながら与えないといけません。
そういうふうになっているのです。
父母は子供が悲惨で凶悪な立場にいれば、
その子供を探していく考えだけしても涙を流すのです。

先生はこれを悟ったから
与えたくて涙を流す事ができるし、
涙を流しながら真心で与える事ができる人を
造ろうとするのです。

地方に巡回に行ってみたら、
我ら食口達の生活が悲惨だという事を知ることができます。
どこに行っても、食物を食べれないで、
着る物を着れないで苦労する食口たちがいる事を
先生は知っています。

そういう食口達につかまって、
慟哭する雅量のある先生です。
骨が泣くほど事情が通ずる心情を持った先生です。
ところで、もどかしいことは、彼らが
世の中の援助を待っているというのです。
そういう生活的な人格で終わる人が多いのです。

与えたがらないといけません。
与えたくてもどかしく思うと、
おばさん達とかおじさん達が反応しなくても
必ず反応する人々が出てくるのですが、
彼ら達が誰ですか?
子供達です。
天倫に従って純粋に成長する子供たちは
必ずそういう人々を尋ねてくるようになっています。

皆様を今まで導いて来ながら、
この世の人のように食べさせれないで、
他の人のように着させられないで、
又、この世の人のように
平安な楽な寝場所に寝かせられませんでした。

全てが私の責任です。

しかし、責任を取ろうとしても
責任を取れなかった事情があります。

一人一人につかまって慰労してあげて、
私の全てのことをあげたい心は切ないけれど、
そういうふうにできない事情があります。
それは皆様が、
鍛練と試練の過程を通らないといけないからです。
その過程を通らないといけない
歴史的な運命が残っているということを
皆様は悟らないといけません。



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